第1話 オニと転校生2
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放課後。乙女は佳乃の元へ歩み寄った。
「ねえ、よしのん。朝、何か言いかけてたじゃない?『信じてもらえないかも……』とか。あれ、なんだったの?」
佳乃は朝からずっと上の空だった。授業中も、何かを探しているかのように、時折、キョロキョロと教室の外を伺っており、四時間目には、とうとう森先生に「島谷さん、よそ見しないー」と注意されていたほどだ。
佳乃は顔を曇らせ、しばらく口ごもっていた。やがて、
「私、見ちゃったんだ。昨日……」
「何を見たの?」
「……オバケ。消火器よりも小さいオジサンに、『早く帰れ!』って怒られたの」
「えっ、それ、どういうことなの!?」
「昨日、宿題のプリントを持って帰るのを忘れちゃって。学校にプリントを取りに来たら、そこの廊下で――」
「その話、ちょっと詳しく聞かせてくれない? そいつは廊下のどのあたりにいたの? 消火器よりも小さいって、具体的にはどれくらいの大きさだった? どんな恰好をしてた? なんて言ってた?」
二人の会話に、突然、爽一が割り込んできた。矢継ぎ早の質問に、佳乃も乙女も、驚いて目をぱちくりさせる。
「あ、え、みどう……くん……?」
困惑する佳乃だったが、爽一はまったく気にすることもなく、真剣な顔で佳乃を見つめている。佳乃は廊下に出ると、壁際に置いてある一本の消火器を指差した。
「ここにいたの。大きさはこの消火器より、ちょっと小さいぐらい。太ってて、ハゲてて、恰好は白いシャツに長いパンツ、あと腹巻もしてたよ」
爽一は消火器に顔を近づけ、探るように、指先で表面を軽くなぞる。そして、何かに納得したのか、一人でウンウン、とうなずいた。
「あのー、御堂君? 説明してくれないと、アタシたち、何がなんだかサッパリ分かんないんですけどー?」
好奇心を抑えきれず、乙女が尋ねた。爽一はしばらく考えていたが、
「……どこまで説明していいのか、オレにはちょっと分からないな。これから、『みどや』に来てもらえる? 知ってるよね、『みどや』」
「え、うん、もちろん」
乙女も佳乃もうなずく。
「みどや」は兜山第二小学校のすぐ近くにある駄菓子屋だ。スーパーやコンビニには置いていないような、十円、二十円(なんと、消費税込みでこの値段なのだ!)のお菓子をたくさん売っている。学校指定のノートや文房具なども扱っているので、この学校で、「みどや」を知らない生徒は、まずいない。
しかし、転校してきたばかりの爽一が、どうして「みどや」を知っているのだろう。
不思議に思う乙女だったが、そのことを深く考えるよりも先に浮かんできたのは、
(みどやかあ……。せっかくだから、何かお菓子買っちゃおうかな。フルーツキャンディはこの前食べたから、特大ラムネ、カステラボール……。あっ、久しぶりにチョコボールもいいかも……)
「……乙女ちゃん、なにニヤケてるの? ヨダレ出てるよ?」
あきれる佳乃だった。
三人は一緒に学校を出た。並んで歩く乙女と佳乃。爽一は、二人の前をスタスタと歩いていく。
「ちょっと、御堂君、待ってよー」
ともすれば二人は置いて行かれそうになる。
数分も歩くと、「みどや」の店構えが目に入ってきた。「みどや」や、いまではすっかり珍しくなった、昔ながらの駄菓子屋だ。カッコいい言い方をすれば「レトロ」だが、悪く言えば古ぼけた店だ。お父さんやお母さんが子供のころから、ずっと変わらず営業しているというから、四十年ぐらいは続いているのだろう。
爽一はスタスタと店に入ると、奥で店番をしていたおばあちゃんに声を掛けた。
「ただいま」
「お帰り。おや、お友達かい?」
「友達っていうか……、同じクラスの子。昨日、学校で『小さいオジサン』を見たって」
「……そうかい。じゃあ、ヤツが活動期に入ったかもしれないって噂は本当だったのね。いよいよソーちゃんの初仕事だね」
「うん。だけど、この子たちにどこまで話したらいいか、オレ、よく分かんなくて。それで連れてきたってわけ」
「なるほどね。分かったわ。じゃあ、せっかくだから、この子たちにもちょっと上がってもらいましょ」
おばあちゃんはガラガラと音を立てて、店の奥の引き戸を開けた。畳敷きの小さな部屋があり、ちゃぶ台と、色あせたポットが置いてあるのが見える。
「御堂君の家、ここだったんだ……」
目を丸くしたままの乙女に、
「そうだよ。『御堂屋』なんだから、別に不思議じゃないだろ」
爽一が指差した先。店内の天井近くに、すっかりかすれてほとんど読めなくなってしまった看板があった。よく見れば、立派な筆文字で「屋堂御」と書いてある。
「や……どう……?」
「縦に一文字ずつ『御堂屋』って書いてあるんだ。つまり、右から左に読むんだよ」
「へー、そうなんだ……」
感心する佳乃。
「だって私、店の前の看板しか見たことなかったもん」
乙女が言い返した。店の前には、明るいオレンジ色のペンキで「おかしのみどや」と書いた看板があるのだ。普段、乙女たちがいつも目にしているのはそっちのほうだったし、薄暗い店内に掛かっている、ほとんど文字の消えかかった古い看板なんて、気づく人のほうが少ないだろう。
「さあさあ、立ち話もなんだから、ソーちゃん、上がんなさい。お嬢さんたちも上がって。説明してあげるわ」
おばあちゃんに促され、乙女たちは小部屋に上がり込んだ。
部屋の片隅に小さな陶器のツボのようなものが置いてあり、そこから白い煙がフワフワと立ち上っていた。仏壇で使う線香のような、しかし、もっと優しい花のような香りが部屋中に漂っている。その香りを嗅いでいると、なぜか、寝る直前のように頭がフワフワしてくるように感じた。
おばあちゃんはガラスの冷蔵ケースから小さなビン入りのジュース(これも、みどや以外では売っているのを見たことがない!)を二本取り出し、栓を抜いて乙女と佳乃に差し出した。
「良かったら飲んでね」
「ありがとうございます」
早速、ゴクゴクとジュースを飲み始める乙女。その隣で、佳乃は思いつめた顔をしていた。
「あ、あのっ、昨日、私が見たのって、やっぱりオバケなんですか?」
「そうねぇ……。私たちは妖怪とか、物怪と呼んでいるのだけど、オバケと言ってもいいわね」
佳乃の質問に答えるおばあちゃん。それに続くように、誰かがしゃべった。
「なあ、束。百聞は一見に如かずと言うし、ワシの姿、見てもらうの一番早いんとちゃうか?」
おじいちゃんのような、おじさんのような、年を取った男性の声だった。
「え、誰?」
乙女がキョロキョロと周囲を見回す。その声は、爽一のランドセルのあたりから聞こえたように思った。とはいえ、そこには誰もいない。
いや、いた。
ランドセルから、何かがモゾモゾと這い出してきた。
ボサボサの髪の毛から突き出す、二本のツノ。赤い顔。ギョロリとした大きな目。
節分の豆まきのときに使う赤鬼のお面を、ものすごく怖く、リアルにしたような顔が、ランドセルの隙間からピョコッと飛び出した。
「よう、二人とも、学校ではチラッと見てたけど、話すのんは初めまして、やな。ドイツ生まれの京都育ち、大江山のプリンス、シュタイン・ドッチとはワシのことや。よろしくな」
「「…………」」
恐ろしい顔つきと対照的に、関西出身のお笑い芸人のようなしゃべり方をする、手のひらサイズの赤鬼。
乙女と佳乃は、驚きすぎて目が点になったまま硬直している。
「……あれ、スベった? 昔はこれでみんなドッカンドッカン笑てくれてたんやけど」
「シュテン! 急に出てきたらビックリするだろ! あと、『シュタイン・ドッチ』って言われても何のことか分かんないから!」
気まずそうに頭をかく赤鬼に、爽一がツッコミを入れる。
「そっかー、残念やなあ。ワシの鉄板ネタやってんけど。新しいツカミ、考えなアカンかなあ。とりあえず、お嬢ちゃんたち、はじめまして。シュテンや、よろしくな!」
ランドセルからスポンと体を抜くと、畳の上にあぐらをかき、右手を「よっ」と上げてあいさつするシュテン。
乙女と佳乃はしばらくポカンとしてシュテンを見つめていたが、やがて、
「いやあああああああああああっ、しゃべったあああああああああああああああ!」
二人の声が見事に重なった。
「さて、じゃあそろそろ、説明しましょうかね。ちょっと長い話になっちゃうけど……」
乙女と佳乃の大騒ぎが落ち着いたところで、おばあちゃんは話を始めた。それは、とても常識外れの、乙女たちにとって、簡単には信じられないような話だった。