喫茶店ブルーポット 3下①
一週間後、翠はおらず、菱井と先週と同じく昼から出勤している有里子の二人だけで営業するブルーポットには若い男性客が席の半数を埋めており、行く先々で彼らに目で追われる有里子は顔には出さないものの、どこか居心地の悪さを感じていた。
奥に下がっていた菱井が戻ってくると、手に乗るほどのペーパーバッグを持っていた。
「有里子君、いい感じの石を入手できたから、ようやくコウモリのピアスに石を取り付けることができたよ。長いこと待たせて悪かったね」
そう言ってペーパーバッグを有里子に差し出す。
「いえ、ありがとうございます!」
嬉しそうに感謝を述べて受け取った有里子は、いそいそと中身を取り出した。バッグの中には木の葉のような断面の簡素な白い箱が入っており、それを開けると厚紙で固定されたピアスが入っていた。
ピアス全体の大きさが1cm弱で、一方は金の体に銀の翼膜、もう一方は銀の体に金の翼膜の、ディフォルメされ翼を広げて斜めに向き合った対照的なコウモリだった。コウモリの足に支えられた小さな円環には、銀のコウモリには雫型の黒曜石がぶら下がっており、石を失くして今回あたらしく石をつけたという金のコウモリには黒曜石の代わりに同じ大きさ、形のラピスラズリがぶら下がっていた。
星空のように銀の粒子を内包する黒曜石のように、ラピスラズリにも銀の粒子が控えめに散らばっていたが、それに加えて金色の成分がモヤのように入っており、さながら夜空の星雲を模していた。
しばし眺めていた有里子はさっそく耳につけてみると、なんだかコウモリたちも有里子との再会を喜んで囁いているような気がして尚いっそう嬉しくなり、男性客の視線のことなど吹き飛んでしまった。
午後になり、店が若干落ち着いた頃になって立花がやってきたが、やつれて精彩を欠いていて普通の疲れ果てたサラリーマンといった感じだった。いつものように颯爽とやってきて注文を言って席に着くこともなく、カウンターのスツールに座るなり一息ついてから覇気のない声でキャラメルマキアートを頼む始末。
「すごくお疲れのようですが、大丈夫ですか?」
有里子がキャラメルマキアートを淹れているあいだ菱井が心配そうに尋ねると、立花は気だるそうに答えた。
「ここ最近、寝付けなくてね。外回りで取引先に失礼があってはいけないから昼に仮眠を取ってはいるんだけどなかなか疲れがとれなくて、ここなら落ち着けるかなと思ってきてみたんだ」
菱井はゆったりした笑みを浮かべて「ゆっくりしていってください」と声をかけた。そうするうちに有里子が出来上がったキャラメルマキアートを立花の前に置き、立花は一口啜ると幸せそうな笑みを浮かべると、長く息を吐いてようやく人心地ついたようだった。
そんな立花を怪訝そうな顔で見つめていた有里子が、おもむろに立花に話しかけた。
「先日お見えになった男性に、女性の身内の方がいらっしゃいます?それか、ごく親しい……恋人のような」
立花は驚いた顔で有里子を見た。そして腕を組んでしばらく悩んだ末、ため息をついて諦めたように口を開いた。
「驚いたな……先日、先輩から気になる女性がいると相談されたんだ。なかなか会えない人だから告白すべきか悩んでて、それでちょっと魔が刺して冗談まじりに”腹括る意味も兼ねてペアのネックレスとかリングとか作ったらどうですか”って言っちゃったんだよ……」
立花は右手で顔を覆いながらさらに沈んだ声で続けた。
「そうしたら真剣に考えだすもんだから慌てて冗談だって言ったんだけど、何にするか考えるのに没頭してしまって、こっちの声なんか届いてなくって……。モテる人だから恋愛慣れしてると思ってたけど、そうでもなかったのかもしれない……」
そこまで話すとすっかり落ち込んでしまい、菱井と有里子は声をかけづらくなって互いの顔を見合わせるのだった。
その後、立花はキャラメルマキアートを飲み終えるなり「そろそろ行かなきゃ」と呟きながら立ち上がり、勘定を済ませるとふらつくように店を出ていった。
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18時を過ぎ、客が皆帰って店内に菱井と有里子だけになると、有里子はカウンターから窓の外を眺めながらぼんやりと先ほど立花が話していたことを考えていた。
「さっきの、翠には話せませんね……」
ため息をついて有里子が言うと菱井は苦笑して同意する。
「確かに。ミドリちゃん、また大騒ぎしそうだよね……そうだ有里子くん、先ほど立花さんから何が見えたの?」
有里子は首を傾げ、考えをまとめようとしながらゆっくりと話し出す。
「私にもよくわかんないんですけど、立花さん、すごくグッタリされてたから、どうしたんだろうって考えてたら──藤本さんでしたっけ? あの方が綺麗な女性とすごく仲良くしているのが見えたんです。互いを見つめる目がとても愛おしさに溢れてるけど、なんだか兄妹が……親しくしているようにも見えて──」
「なるほど。ミドリちゃんの推測が当たっているとしたら、ちょっとややこしいことになっているかもしれないねぇ……」
菱井は顎に手を当てながらいつになく真剣な顔で考え込む。
「マスター?」
有里子が尋ねると菱井はいつものふんわりした笑顔を浮かべた。
「いや、実はさっき話に出た男性──藤本さんというのだけれど──彼からジュエリーの製作依頼を受けてたんだけれど、ああいう経緯があったんだなぁって思って」
菱井が考えていたこととは少し違うように感じたが、有里子はそれ以上は聞かなかった。
そんな時、菱井のスマホに着信が入り、画面に表示された名前を見て「噂をすれば」と呟くと菱井は電話に出ながら奥に下がっていった。
有里子は一瞥をくれただけでカウンターから正面の窓の景色を眺めていたが、菱井の姿がみえなくなるなり、顔は正面を向いたままコソコソと横歩きで奥に続く入り口に歩み寄って耳をそばだてた。
奥から菱井が電話の相手と話をする声が聞こえる。
「──サイズ直しですか? はい、問題ないですよ──はい、ではそれで。ただ日にちなんですが、都合がつかなくて24日に来店いただく形でも大丈夫ですか? ──ありがとうございます。では当日、お待ちしております」
通話が終わる気配を感じ、有里子はそそっと元いた場所に戻ると何食わぬ顔で外を眺め、戻ってきた菱井に愛想笑いを浮かべた。
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今回のジュエリー・アクセサリー
コウモリのピアス
地金:925スターリングシルバー、一部18金メッキ処理
石:オブシディアン(細めペアシェイプカット)、ラピスラズリ(細めペアシェイプカット)
またのお越しをお待ちしております