クロモリライダーの生涯
我が家には、大事に飼っていた猫がいた。俺が幼稚園に通い始めたころ、両親が買ってきた猫だ。
俺が小学生になるくらいまで、両親は俺と猫を見比べては『猫の方が大きくなるのが早いね』などと言っていた。俺はそれが悔しくて、いつか猫より早く成長してやると意気込んだものだ。
しかし結局、俺は猫に勝てなかった。
俺が二十歳を迎える前に、その猫はいなくなってしまった。晩年は歩くのも辛そうにしていたアイツが、最期に遠くへ行ってしまったようだ。たいした別れの挨拶もできなかった。
どれほど愛情をこめても、どれほど大切にしても、猫はいつか人間より先にいなくなる。
近所の坊さんは、『大事なのは、生きているうちにどれほど幸せだったか、ですよ』なんて言っていた。俺はアイツを幸せにしてやれた自信がない。
もう生き物を飼うのはまっぴらだ。こんな思いはしたくないんでね。
今日は二十歳の誕生日だ。今日から酒も飲めるし、たばこも吸えるらしい。昨日と違う自分になったんだそうだ。実感は全然ない。
さて、まるで罪を自白するかのような物言いになるが、俺は酒もたばこも嫌いだ。『今日から飲めるようになったくせに知ったような口を叩く』と思う方もいると思うが、昨日の時点でもう既に味を知っていた。すまんな。
せっかくの誕生日だからと、親からは今までで一番多い金額の小遣いを貰っている。自分も溜め込んだバイト代が、少しだけあった。
何が欲しいか考えた俺は、ロードバイクを買おうと思った。
唐突だと思うかもしれないが、無理もない。俺も唐突にそう思ったんだ。
同級生たちは十六歳で原付に乗り、十八歳で車に乗り、もっと早く女に乗っていた。
俺が今さら乗り始めて恰好が付くのは、原付でも車でも女でもなさそうだ。ロードバイクならこの歳で乗り始めても、からかわれずに済むだろう。
そんな見栄を張った俺は、どうせなら一生ずっと乗り回せるような、高級な車体を買おうと思った。これも見栄だ。
今度は猫のように、先にいなくなったりさせない。自転車はきっと、俺が生きている間ずっとそばにいて、俺を支えてくれるだろう。
ところが俺の目論見は、購入前から外れることになる。
自転車にも、寿命があるらしい。
一説には、アルミフレームで三年。カーボンフレームなら、運が良ければ六年。
クロモリフレームなら、五十年と言われている。
「どうなさいますか?」
そう聞く店員に、俺は迷いなく『クロモリフレームをください』と言った。
俺ももう二十歳だ。あと五十年も先のことなど、俺自身にも分からない。だから、五十年も持ってくれれば充分だろう。
店員が持ってきたのは、跨るのに苦労しそうな、背の高くて細身のフレームだった。これは自慢だが、俺も背が高くて細身だ。お似合いだぜ。
俺と、この自転車と、どっちが先に寿命を迎えるか勝負しようじゃないか。
今日は三十歳の誕生日だ。
このロードバイクとも十年の付き合いになるが、その間にタイヤを替え、チェーンを替え、スプロケットを替え、ホイールを替えていた。
ここまで替えると、元の自転車とだいぶ様変わりする。俺が高校の制服を着たり、リクルートスーツを着たりしたとき、両親が喜んでいた。その気持ちも今なら分かる。
十年の間に、俺もずいぶんと自転車に詳しくなった。ロードバイクはすっかり俺の相棒になり、どこに行くにも一緒になっていた。
今度、初めて県外までサイクリングに行こうと思ってる。なに、軽く百キロメートルほどだ。今までだって同じ距離を走ったことはあった。ただ、初めてその距離をまっすぐ一直線に走るってだけの話だ。
何かあった時、簡単には帰って来られないからな。スペアチューブと乾電池。それから瞬間接着剤とタイラップは持って行こう。
今日は四十歳の誕生日だ。俺は相変わらず会社では鳴かず飛ばず、何をしても褒められもしないまま、同じ給料で同じ仕事をしている。
どうせ同じ給料なら、真面目に働くよりサボっていた方が得だ。俺の同僚は俺より幾分も不真面目だが、俺と同じ給料をもらい、まったくクビになる気配も無かった。
俺もそうしよう。その方が楽だ。
クロモリフレームのロードバイクも、レースでは鳴かず飛ばずだった。いや、これも俺が鳴かせず飛ばさないだけか。
それでもゆっくりサイクリングすることは得意だった。
自転車の先輩――とはいえ、俺より年下なんだが――その先輩が言ってくれた。『自転車を楽しめるのは才能だ』ってな。
どうやら、俺には才能があるらしい。信号待ちでイライラせず、周りの車に幅寄せされてもへらへら笑える。そんな才能が、自転車乗りにとって何より大切らしい。
ありがとうな。先輩。
俺はまだ乗り続けられそうだよ。
相棒のロードバイクは、ところどころ淵からサビが見え始めた。このサビは表面上のもので、中まで腐ってるわけじゃないから気にしなくていいらしい。むしろこのサビがコーティングになり、奥まで腐るのを防いでくれるそうだ。
お前もまだ、乗り続けられそうだな。相棒。
今日は五十歳の誕生日だ。サポートAIにそう教えられるまで、俺はすっかり自分の誕生日なんか忘れていたよ。
俺が無事に五十歳になれたことを報告すると、母は喜んでくれた。母も俺の誕生日を忘れていたらしい。似た者同士だなぁと思った。
父にも報告すると言った母は、電話を持ったまま仏間へと向かったみたいだ。
俺もたまには墓参りに帰ろう。実家は遠いけど、俺と相棒なら一日もあれば着く。会社が三連休の時を狙って、ロードバイクで帰省してやろう。元気な姿を見せれば、母も喜んでくれるってもんだ。
そのためにも、しっかり走ってくれよ。相棒。
こないだ交換したコンポーネントは、今までと全く違う方式の最新型だ。自転車乗りの友達からは、『こんな古臭いクロモリフレームに似合わない』なんて言われたけどな。部品なんか似合うも似合わないも無いさ。よく走れば、それでいい。
今日は六十歳の誕生日だ。まあ、『だからどうした』って感じだよな。
会社には今まで通り勤めるし、年金も今まで通り収めることになりそうだ。いつか貰える側に立てると信じてたんだが、こりゃ払い損で終わりそうだよ。
ロードバイクも、変わりなく乗り続けている。近頃は道路も様変わりして、自動車道より自転車道が広くなってきた。代わりに、自転車でも自動車でもないものが自転車道を走るようになったけどな。あれは何ていう名前だったかな。中国語は苦手なんだ。
相棒を迎えてから、もう四十年が経つ。
どっちが先にくたばるか、なんて言いながら、初めて乗った日が懐かしい。あの頃はこの形のハンドルに慣れなくて、どうやったら曲がるのかも分からないまま転んだっけ。
そんなこと、若い頃は恥ずかしくて誰にも言えなかった。今なら誰かに聞いてほしいが、話をする相手も減ったなぁ。
でも、いいさ。
ロードバイクに跨って、さっそうと一人旅。そんな時間が何よりの楽しみになっていた。
まだまだ走れる。相棒に乗って家に帰り、肩に担いで部屋まで行って、専用のハンガーにかける事もできる。
俺たちは年老いても元気だ。俺は頭の禿げが酷くて、相棒は塗装の禿げが酷いけどな。
今日は待ちに待った、七十歳の誕生日だ。
訪問介護に来てくれる兄ちゃんが、ひと月も前から楽しそうにそう言っていた。おかげで俺も楽しみになってたよ。
その兄ちゃんは、いつものように午後から来てくれるらしい。誕生日祝いにケーキを買って来ると言っていた。
酒もたばこも嫌いだった俺だが、ついぞ甘いものだけは嫌いにならなかったな。おかげで歯が弱ったのか、今では総入れ歯だ。
ああ、相棒もフレーム以外の部品、全てを取り換えてしまった。おかげで部品はピカピカだ。俺の入れ歯もピカピカだ。
この部屋を出たのは何日前で、相棒に跨ったのは何週間前だろうな。
お互い外に出なくなって、いつの間にかお互い寝たきりだ。
床に横たわるロードバイクは、いつものようにとても冷たい。
お前を見てると思い出すよ。いろんなところに走りに行った日々。その日の風も、湿気も、日差しも、景色も――
クロモリフレームの寿命は、五十年と言われている。どれほど愛情をもって接しても、どれほど大事に整備しても、やがて寿命は来るらしい。
ただ、猫と違って、相棒は俺のそばにいてくれる。