03.魔法使いの少女 ☆
アルテミシアの大手門をくぐると、俺の目に中世ヨーロッパのような町並みが怒涛のごとく飛び込んできた。
「す、すげぇ……」
俺は檻の鉄格子に取り付き、その景色を興奮気味に眺める。
綺麗に組まれた石造りの建物、オシャレな看板や旗などがかかげられた古めかしくも華やかな通り、奥に控える荘厳な城など、いくら異世界とはいってもあまりにファンタジーすぎる。
さらに驚いたのが町の混雑ぶり。
門から伸びる大通りは、たくさんの人や馬車でごった返しており、路面がまったく見えないほどだ。
その上、通りの両脇に並ぶ商店の多くも客が外にあふれ出してしまっているほどの繁盛ぶりで、また、露天商もわずかなスペースに店を開いては人だかりを作っているから、もう収拾のつけようがないってくらい賑わっている。
今まで通った村や町ではちらほらしか人がいなかったのに……、さすがは都だ。
パカ、……パカ、……パカ、……
馬車はそんな雑踏の中をゆっくりと進んでいく。
道行く人達の「邪魔臭い」といった視線をもろに浴びながら。
そんな彼らの多くは西洋人のような顔立ちだが、見る限り普通の人間のようだ。
が、よく見ると耳の異常に長い人やドワーフのような小人もわずかだが混じっている。
……やはりここは異世界なんだ。
改めて実感した。
馬車はしばらくそのまま通りを真っ直ぐ進み、その後何回か横道に折れて最終的に町の北側に出た。
粗末な家畜小屋が並ぶ地味な通りだ。
餌やりをしたり掃除をしたりしている人達が忙しなく動いているのが見える。
馬車はそれらの小屋を通り過ぎ、突き当たりの建物の前で停まった。
この通りには場違いなほど立派で派手な三階建ての建物。
「ここが奴隷売買所だ」
イバンがそっと教えてくれた。
大男が御者台から降りると、待っていたかのように建物の裏手から数人の男が出てきた。
大男と同様、みんなプロレスラーのような厳つい体をしている。
そのうちの一人が檻の扉を開け、中にいる俺達に向かって「降りろ!」と怒鳴った。
「……」
イバンともう一人の奴隷はその指示に従って檻から出ると、男達に促されるまま建物の裏手に向かって歩き出す。
俺もイバン達の後に続いて檻を出た。
久しぶりの外界だ。
心なしか檻の中より空気がうまい。
……逃げようか。
一瞬そう思ったがすぐに諦めた。
売買所の男達が馬車を囲むようにして立ち、ちゃんと見張っていたからだ。
たぶんすぐに捕まってまた痛い目をみるのがオチだろう。
「早く行け!」
結局、俺は背中を押されながらイバン達の後を追ったのだった。
裏の井戸で体を洗わせられ、膝まである麻のシャツに着替えさせられた後、俺達は建物の三階に連れて行かれた。
そこは幾つもの檻が並ぶ薄暗いフロア、まるで監獄だ。
俺達は一番手前の檻に入れられた。
見れば、他の檻にも数人の男女が入れられているようだ。
大人だけではなく、子供もいれば年寄りもいる。
みんな死んだような顔つきをしていた。
******
次の朝、奴隷全員が健康診断のようなものを受けさせられる。
さらに、小綺麗な茶色のシャツとズボンを与えられ、最後に看板のような物を首に掛けさせられた。
……読めない。
看板に書いてある文字は英語の筆記体のような形をしており、残念ながら俺には読むことができなかった。
ただ、商品である俺の情報が書き込まれているだろうことは、だいたい想像できる。
昼になり、建物一階の広間に移された。
そこにはすでにたくさんの人々が。
奴隷を買う目的でやってきた客達だ。
中世ヨーロッパの貴族のように派手で豪奢な服装の者もいれば、職人のような作業着姿の者もいる。
客層の幅は広そうだ。
そんな客達の前に、俺達は一列に並ばせられる。
今日売られる奴隷は俺を含めて八人のようだ。
客は看板を読んだり体を触ったりして奴隷を念入りに品定めしていた。
その後すぐ競りとなった。
奴隷が一人ずつ台の上に立ち、その奴隷を買いたい客達が買い取り価格を競い合うのだ。
「520万ヴァード!」
「530万ヴァード!」
威勢の良い声があちこちから飛ぶ。
ヴァードとはこの世界のお金の単位? らしい。
俺は六番目だった。
イバンは四番目で、980万ヴァードという価格で買い取られたようだ。
三番目までの奴隷達より200万ヴァード以上高い。
たぶんベテランの奴隷だからだろう。
競りは順調に進み、30分ほどで五番目までの奴隷の価格が決まった。
そしてついに、
「次、上がれ」
と、競り人が台を指差しながら俺に向かって指示する。
とうとう俺の番がきたのだ。
……どうか隙だらけで逃げやすい人、もしくはやさしい人が買ってください。
俺は心の中で祈りながら台の上に立った。
俺のスタート時の価格は250万ヴァードだった。
他の奴隷達よりも少し安い。
たぶん奴隷の経験がまったくないからだろう。
それから20万ヴァードくらいずつ金額が上がっていったが、420万ヴァードまできたところで声が途絶える。
……決まったかな。
会場がそんな雰囲気になり、競り人も頃合いとみて木槌を振り上げようとしたその時、
「500万ヴァード!」
という声が唐突に上がった。
女の声だ。
「プッ」
「クク……」
この期に及んで無意味に価格をつり上げたその声に、客達の間から失笑らしき声が漏れる。
俺は何食わぬ顔をして声のした方を見てみたが、客が多すぎて誰が言ったのかはわからなかった。
結局、俺の価格は500万ヴァードだった。
「新人奴隷にしては高い方だ」
とはイバンの弁。
でも、逃げるつもりなのだから、あまり俺に期待されても困るのだが……。
競りが終わると、奴隷達は奥の小部屋に移され、そこで両手首と両足首に黒光りした金属のリングをはめられた。
記号のような小さな刻印が打たれているだけのシンプルなリングだ。
最初は手かせ足かせかと思ったが、それにしては軽すぎるし、鎖もついていない。
奴隷だと直ぐにわかる目印のようなものか。
その作業が終わると、係員は競り落とされた順番に奴隷を一人ずつ部屋の外に連れ出し始める。
いよいよ競り落とした客に引き渡されるのだ。
イバンの番になると、彼は歩きながら俺に軽く会釈をして出て行った。
彼とはこれで最後かもしれない。
短い間だったが、彼はこの世界のことを色々教えてくれた。
……ありがとう。
俺は心の中で礼を言いつつ静かに彼の背中を見送った。
それからほどなくして俺の番になり、部屋の外に連れ出される。
そのまま競り会場まで連れていかれると、客用の出入り口付近に黒っぽい服を着た人がこちらに背を向けた状態で立っているのが見えた。
カウンターで何かの書類でも書いているのか、しきりに右手を動かしている。
……俺を買った人だろうか?
遠目では黒っぽい服に見えたが、近付くとそれは濃い紫色のマントだとわかった。
その下にも同じ色のローブのような服を着ている。
頭にはつば広で先の尖った帽子、そこから収まりきれずに肩の辺りまではみ出している金色の髪、そして、カウンターの脇にはツルツルに磨かれた無駄に長い杖……。
まさに魔法使いのコスプレイヤーといった出で立ちなのだが、でも、マントやローブの着古されたような色合いがとてもリアルで、うそ臭さはまったく感じられない。
「この奴隷で間違いありませんね?」
俺を連れ出した係員が声をかけると、その人が右手の動きを止め、こちらにくるりと振り返った。
……しょ、少女!?
俺は顔にこそ出さなかったがかなり動揺した。
大きい目、薄ピンク色の艶やかな唇と小さめの鼻。
高校生くらいだろうか、少しあどけなさが残るかわいい少女だったのだ。
現代日本なら十分アイドルとしてやっていけそうな容姿。
ただ、青い瞳だけは鋭すぎるくらいの強い光を放っていた。
少女は商品をチラッと見ただけで了解したらしく係員に無言で頷くと、すぐにまた目線をカウンターの方に戻した。
俺はそんな少女の後姿を眺めながら、ふと、
……こんなかわいい子ならしばらく奴隷でもいいか。
という思いに駆られ始める。
イバンが言っていたように、考えようによっちゃあ奴隷も悪くない、と。
しかし、
……いやいやいやいや!
俺は慌てて何回か頭を振り、直ちにその思いを断ち切った。
所詮、奴隷は奴隷。
主人が誰であれ、どうせ無報酬で長時間重労働生活が待っているはずなのだ。
ブラック企業どころの騒ぎじゃない。
こんな滅茶苦茶な世界からは一刻も早く抜け出すべきだろう。
しばらくすると少女は頭を上げ、今まで書いていた紙を係員に手渡した。
係員はその紙を手早く丸めて筒状の容器に納めると、俺の手首と足首のリングにそっとそれを押し付ける。
その瞬間、リングの刻印の部分が若干青白く光ったような気がした。
……何をしたのだろう?
その間、少女は布製の小さなバッグから札束を取り出し、一枚一枚大事そうに数えていたが、数え終わると、今度はそれをぞんざいにカウンターの上に放り出す。
係員はその札束を取り上げてさっと数え、価格通りであることを確認すると、縄を取り出して俺の首に掛けた。
俺はペットショップで客に買われた犬のようにして少女に引き渡されたのだった。
いや、ペットショップの方がもっと丁寧だろう。
「毎度あり!」
取引が無事に終わって係員は愛想よく言ったが、少女はニコリともせず、床においてあった大きなショルダーバッグを肩に掛け、立て掛けてあった杖を持つと、俺を引張りながら建物の外へと出ていった。
「…………」
少女は何も言わずにそのまま通りを進んでいく。
俺は彼女のすぐ後ろを歩きながら、静かに少女を観察した。
……背丈は俺の鼻くらいだから160センチくらいだろうか。
……マントのせいで体型はよくわからないが、力があるようには見えない。
……こんな女の子なら逃げ出すのもわけないんじゃないだろうか。
そんな事を考えていると急に少女が立ち止まり、
「ふぅ……」
と、息を漏らした。
そしてくるりと振り返ると、今度は彼女が俺をじっくり観察し始める。
「……」
彼女の鋭い視線に晒され、俺はどうしてよいかわからずその場に立ち尽くした。
目を合わせたくはないが、かといって大きく反らすこともできず、結果、彼女の耳に光る小さな金のイヤリングをひたすら見続けた。
しばらくして少女がまたふうっと息を漏らすと、
「……まあ、いいか」
と、俺に聞こえるくらいの声量で呟く。
「私はウィザードのエステル・ドゥ・ビューリー、今日からあなたの主人よ」
……ウィザード!?
異世界とはいえ本当にウィザードなんて名乗る人がいるとは。
しかもそれが俺の主人だなんて。
「あ、は、はい、ご、ご、ご主人様、私を買っていただきありがとうございます」
俺は困惑を隠しつつ何とか礼を言ったが、かなりぎこちなくなってしまった。
ブラック企業で奴隷のように扱われてはいたが、さすがに「ご主人様」と言ったことはない。
「エステル様と呼びなさい」
「は、はい、エステル様」
「で、あなたは?」
「タ、タケル・アオヤマと言います」
「奴隷なんだから名字は必要ないわ」
「は、はい……」
そこで、なぜか彼女が少し困ったような顔をする。
「……それにしてもタッタケルって呼びづらいわね」
「いや、タッタケルじゃなくてタケルです」
すかさず訂正したが、
「最初からそう言いなさい」
と、彼女は不満そうに俺の頭をぺしっと叩いた。
「すみません。奴隷になったの初めてで緊張していて」
俺の謝罪に、エステルと名乗った少女は怪訝な表情を浮かべる。
「……どうして奴隷になんかになったの?」
よくぞ聞いてくださいました。
「……実は、私はこの世界の者ではありません。異世界からこの世界に迷い込んでしまったんです」
「異世界から?」
俺の言葉に驚いたのか、彼女が一瞬目を見開く。
「はい、信じてくれますか?」
どうせ信じてはくれないだろうと思いながら聞き返したが、彼女は少し考えてから意味不明な理由で俺の話を受け入れた。
「まあ、魔界があるくらいだから、人間が住む別の世界があってもおかしくはないわ」
……マカイ?
よくわからないが、信じてくれるのなら話は早い。
「この世界に来て最初に泊めてもらった家の人にだまされ、身ぐるみを剥がされた上、訳もわからないまま奴隷商人に売られてしまいました」
「……」
「私は奴隷なんかに、……なりたくなんか、……なかったんです。……元の世界に、……戻りたいです」
俺は彼女から同情を引き出すため、目を擦りながら泣きまねをした。
すると、
「……そう、それは悲惨ね」
エステルは気の毒そうな視線を向けつつ、ショルダーバッグをその場に置いて俺の首縄を外し始める。
……おっ、これはもしかしたら俺に同情して解放してくれるのかも。
俺はウソ泣きがばれないよう注意しつつ、彼女の次の言葉に期待した。
が、その後、彼女は腰に手を当てながらピシャリと断言する。
「でも奴隷になったからには、私のために一生懸命働いてもらうからね」
……期待した俺が馬鹿だった。
こうなればやっぱり逃げるしかない。
「さて、宿屋にでも行くか」
簡単な自己紹介を終えると、エステルはくるりと向きを変え、
「そのバッグを持ってついてらっしゃい」
と言いながら先ほどのようにまたスタスタと歩き始める。
「あ、はい」
俺はショルダーバッグを持ち上げ、急いで彼女の後を追った。
……あれ?
そこで、俺はあることに気付く。
……これっていきなり逃げるチャンスじゃないのか?
エステルは俺の前を歩きながら、
「いくらだまされて奴隷になったからって、逃げるなんて考えないことね。異世界人のあなたは知らないでしょうけど、この世界にはすばらしい道具があってね――」
などと話しかけてくる。
が、前を向いたきりで振り返る様子はまったくない。
つまり、隙だらけなのだ。
……このまま逃げるか?
ただ、慌てすぎてかえって失敗してもつまらない。
俺は彼女の言葉に適当に相槌を入れつつ、頭をフル回転させて状況を分析した。
……首縄はないから彼女から離れてもすぐには気づかれないはずだ。
……仮に気づかれても、こいつはローブを着てるからそんなに速くは走れないだろう。
……対して、俺は田舎育ちだから足の早さには多少の自信がある。
……でも、こいつが本当に魔法を使えるとしたら厄介か。
……いや、人ごみに紛れてしまえば魔法なんて使えないだろう。
結果、逃げるなら今! という結論に達する。
であれば、善は急げだ。
俺はエステルとの距離を少しずつ広げ、彼女がまだ気づいていないのを確認すると、ショルダーバッグをその場にそっと置き、
……いざ!!
覚悟を決めて反対方向に全力で走り出した。
「ちょっとちゃんと聞いて――、あっ、待て、言ってるそばから逃げるな!」
けれども、想定より早く後ろでエステルの叫ぶ声が。
……くそ、もう気づいたか。
ただ、ここで止まるわけにはいかない。
……とりあえずあそこへ。
俺は近くの脇道を目指して懸命に走った。
……もう少しだ!
エステルが追ってきている様子はない。
魔法も大丈夫のようだ。
これなら逃げ切れる!
元の世界に戻れる!!
俺は走りながら逃亡の成功を確信した。
が、しかし、そううまくはいかなかった。
「もう、仕方ないわね!…………、施錠!」
背後でエステルがそう叫んだ途端、
「え?」
さっきはめられた手首と足首のリングが一瞬青白く光ったかと思うと、
「ちょっ!?」
左右の手首が吸い寄せあって磁石のようにくっつき、
「いいっ!?」
同時に左右の足首も吸い寄せあってくっついたのだ。
「あぐわぁぁぁぁ!」
いきなり自由を奪われ、俺は走っていたその勢いで前方に吹っ飛ぶと、何の受け身もとれずに砂煙を上げながら派手に素っ転んだ。
「い、いてえ……」
痛みで涙が出そうになった。
たぶん体のあちこちに擦り傷ができているはずだ。
「何で逃げるのよ!」
さらに、エステルは小走りで俺に近付くと、その勢いのまま俺の腹に思い切り蹴りを入れる。
「うっ」
俺は堪らず呻いた。
「今の説明聞いてなかったの!」
彼女は叱りながらさらに二、三発蹴った。
エステルの説明では、俺がはめているリングのことをカルヴァノリング、通称「拘束リング」という、らしい。
十年ほど前に、カルヴァノという魔法鍛冶職人の手によって開発された魔法の道具、らしい。
奴隷や囚人の拘束用に使用される、らしい。
リングには特殊な魔法がかけられており、呪文のようなものを頭の中で念じてから「施錠」と言うと、対になったリング同士が磁石のようにくっつき、また同様にして「解錠」というと離れる、らしい。
リングは魔法によりロックされているから、力ずくでは外すことができず、施錠や解錠とは違う「解放」の呪文でしか外せない、らしい。
呪文は特殊な道具を使うことで書き換えられるから、特定の奴隷や囚人だけを拘束できる、らしい。
他人がこのリングをはめた者を無闇に助けたり、逃がしたりすると罰せられる、らしい。
「だから逃げても無駄」
らしい……。
……奴隷売買所の係員が筒状の容器をリングに押し付けていたのは、リングの呪文をエステルが希望したものに書き換えていたわけか。
確かにすばらしいアイテムだ。
向こうの世界で売りたいくらいだ。
だけど、今の俺には最悪のアイテム、だ……。
……俺は一生この世界で奴隷として生きるのか。
苦痛と絶望と砂で彩られた俺の顔は、さぞや悲惨に見えたにちがいない。
「はぁ……」
エステルはため息をつきながらその場にしゃがみ込み、俺の顔の砂を軽く払いつつ、慰めるように言った。
「……まあ今回の仕事がうまくいけば、たぶん大金が手に入るだろうから、そうしたらあなたを自由にしてあげてもいいわ」
「ほ、本当ですか!?」
「あなたの働きぶりによっては、だけどね」
そこで彼女はすっと立ち上がり、くるりと俺に背を向ける。
「…………、解錠!」
すると、今までくっついていた手首と足首のリングが簡単に離れた。
……そんなに悪い人じゃないかもしれない、もう少し様子を見よう。
俺はエステルの後姿に一筋の光を見出しつつ、ゆっくり立ち上がった。
そんな俺の事などお構い無しに、彼女はさっさと歩き出した。