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02.奴隷

 翌朝、眩しくて目が覚めた。

 見れば、窓から差し込む日の光が容赦なく俺の顔を照らしている。


 ……朝か。

 ぐっすり眠ってしまったみたいだ。

 でも、まさか実家の近所の森で道に迷い、挙句の果てに外人さんの家で一泊することになるなんて、まるで夢のような話だ。

 だけど、目の前の石造りの壁を見る限り、どうやら夢ではなかったらしい。

 とにかく明るくなってしまえばこっちのもんだ。

 さっさと帰るとしよう。

 そう思って俺は勢いよく起き上がろうとしたが、その時、なぜか体に強烈な違和感が。


「え? ええっ!?」


 俺は自分の格好を見て仰天してしまった。

 何と身に着けているのはトランクス一枚のみ、そして、手首と足首は縄で強く縛られている状態だったのだ。

 ……な、何で??

 最初は訳がわからず頭が真っ白になってしまったが、すぐに「これは何かやばい事に巻き込まれたのかもしれない」という強い不安でいっぱいになった。

 だいたい人を裸にして縛り上げるなんて尋常じゃない。

 悪戯にしたって度が過ぎているだろう。


 ……とにかく早く縄を解かなきゃ。

 俺は必死にもがいて縄を解こうと試みた。

 が、結び目は固く、全然解けそうにない。

 手首や足首が無駄に痛くなっただけだ。

 ……くそ。

 俺は焦った、このままじゃ非常にまずい気がする。


 すると突然部屋のドアが開き、誰かがゆっくりと中に入ってきた。

 フランツだ。

 その顔はいたく神妙で、昨夜のように優しく親しげな雰囲気など微塵も感じることができない。

 俺の不安はさらに増大し、

「これは一体どういうことですか、フランツさん!?」

 と、大声で問い質さずにはいられなかった。

 けれども、彼はそんな俺の言葉を完全に無視して変な事を言い出す。


「……神様が、わしらにあんた(・・・)をお与えになったのじゃ」


 ……な、なに言ってるんだこの爺さん、やっぱりやばい人だったのか!?

「孫を借金のカタに取られる前日にあんたが現われるなんて、きっと神様のお慈悲じゃ」

「カタ? って、どういうことですか?」

「孫の代わりにあんたを奴隷商人に引き渡せ、という神様の思し召しなのだろう」

「……ど、奴隷!?」

「ありがたや、ありがたや」

 そう言うと、フランツは俺に向かって恭しく拝み始めた。


 ……奴隷って、あの主人にこき使われる人のことか?

 歴史の授業とかで習ったあの……。

 馬鹿な! そんなもの現代の日本に存在するわけがない!!

「フランツさん、本気でそんなこと言っているんですか!?」

「もちろん本気じゃ」

 正気じゃない、狂ってる。

 このままじゃ本当に何をされるかわからない。


「と、とにかく縄を解いてください。は、話し合いましょう」

「残念ながら縄は取れん。もう奴隷商人が来てるんでな」

 すると、部屋の中にもう一人だれかが入ってきた。

 プロレスラーのようにガタイの良い大男だ。


「こいつか?」

 大男は俺を見下ろすなり、無感情の声音でフランツに問いかける。

 それに対し、フランツは極度に緊張した面持ちでコクリと頷いた。

「…………」

 その後、大男は品定めでもするかのように俺をじっくり眺めていたが、ほどなくして渋々了承したのかフンと鼻を鳴らす。

 そして、ムシロのような物で俺を丸め込むと軽々と肩の上に載せ、玄関の方へと歩き出した。

「止めろ、下ろせ!」

 俺は必死にもがいたが大男はびくともしない。


 そのまま家の外に出されると、庭にある物置小屋に隠れるようにして立っているミシェルが見えた。

 この家で唯一信用できそうな人間だ。

「ミ、ミシェルちゃん、け、警察を呼んでくれ、頼む!」

 俺は藁にもすがる思いで叫んだ。

 しかし、彼女は申し訳なさそうに頭を下げると、物置小屋の陰に消えてしまったのだった。


 とうとう俺は門の外まで運ばれてしまった。

 そこに停めてあったのは大きめのリヤカー? のような物。 

 ただ、普通のリヤカーではなく、荷台が檻のようになっている。

 大男はその檻の中にムシロごと俺を放り込むと、勢いよく扉を閉めた。

 ……な、何なんだよ、これ?

 俺は、自分にいま何が起こっているのかまったく理解できなかった。

 そのまましばらく呆然としていると、突然大男の掛け声が聞こえ、直後、リヤカーが動き出す。


 パカ、パカ、パカ、……


 ……まさか!?

 田舎でリヤカーを引くといえば耕運機が定番なのだが、でも、この駆動音は明らかに違う。

 この音は、もしかして……。

 あり得ないと思いつつも恐る恐るリヤカーの前方に目をやると、大男の背中の向こうに見えたのはやはりタテガミのある茶色の生き物。

 ……馬。

 そう、俺が乗せられていたのはリヤカーではなく、リアル馬車だったのだ。


 パカ、パカ、パカ、……


 馬車は小気味良い音を立てつつ道なりに森の中を進んでいく。

 おかしな事の連続で、パニックを起こしそうなほど混乱している俺などお構いなしに。

 ただ、しばらくしてにわかに周囲が明るくなってきたのを感じ、俺は我に返った。

 見れば、前方からこちらに向かって日の光が差し込んできている。

 頭上から降り注ぐ木漏れ日の網目模様もさっきより明らかに粗い。

 つまり、この馬車は森の出口に向かって進んでいるのだ。


 ……助かった。

 森から出られるとわかって、俺は安堵のため息をついた。

 大男(こいつ)がどこに向かおうとしているのかは見当もつかないが、少なくとも森からは出るつもりらしい。

 でも、森から出てさえしまえば人がいる、いくらこの辺りがド田舎だとはいっても。

 つまりは、道端にいる人に助けを求めることもできるし、警察に通報してもらうこともできるはずなのだ。

 そうなれば当然こいつは逮捕、監禁の現行犯だ。

 いきなり檻に入れられた時は訳がわからず混乱したが、とりあえずこれで出られるだろう。

 まあ、こいつが反抗すればかなり骨が折れそうだけど、所詮は一人、何とかなるさ。

 ……とにかくよかった。

 俺は檻の床に寝そべり、安らかな気持ちで馬車が森から出るのを静かに待った。


 馬車はその後も順調に進み、何の躊躇いもなく森の外へと飛び出した。

 俺の思いと共に。


「……え?」


 しかし、外の景色を見て、俺の目は点になってしまう。

 森を抜けた先に広がっていたのは、なぜか一面黄金色に輝く麦畑だったのだ。

 まるで西洋のような景色。

 でも、俺の地元は小さな田んぼや畑が雑然と並ぶ日本の原風景といった見た目で、どこをどう切り取ってもこんな景色になんてなるはずがない。

 ……どういう、こと??


 さらに馬車が進むと、今度は数軒の民家が道沿いに建ち並ぶ村のような所が見えてきた。

 だけど、やはりここも様子がおかしい。

 民家はどれもこれもフランツの家と似た感じだし、住人の服もミシェルが着ていたような民族衣装風。

 それに、どうも空がすっきりしていると思ったら電柱がない、一本も。

 ここに住んでる人達は電気を使っていないってことか!?


 さらに、村の中では俺の乗る馬車とすれ違う人も何人かいたが、

「…………」

 特に何のリアクションもなかった。

 人が檻に入れられ、運ばれているというのに!?


 ……何で、こんな……、ありえ……、……そんな、……でも、……いや、…………。


 俺は混乱のあまり目が回り始め、頭が狂ってしまいそうになったが、


 ………………おお、……おち、落ち着け、……とにかく、落ち、着こう。


 何とか自分にそう言い聞かせ、目の前の光景からいったん視線を反らした。

 さらに目を閉じ、現在の状況をできるだけ冷静に分析してみようと試みる。


 ……まず、これは夢のようだが夢じゃない。

 その証拠に痛みを感じる。

 縛られている手首や足首が擦れて痛い、かなり痛い。


 ……でも、ここは俺の知っている田舎じゃない。

 俺の田舎に麦畑なんか無かった、だからまったく別の場所だ。


 ……といって、長距離を移動した覚えはない。

 駅から数時間ほど歩き回りはしたが、それでもせいぜい隣町くらいにしかたどり着けない距離だろう。


 ……季節も違う気がする。

 昨日は上着がなければ困るほどの寒さだったのに、今は裸でもいられる陽気だ。

 それに、小麦が実るのって確か初夏の時期だろう。


 ……時代もおかしい。

 自動車や電柱といった現代的な物はまったくない。

 あるのは、馬車やランプなどの前時代的な物ばかり。


 ……だけど、見る限りみんな普通に生活している。

 俺から見ればあまりにも不自然なこの景色の中に、みんなごく自然に溶け込んでいる。


 これらの事から総合的に判断すると……

 信じられない事だが、ここはまったく別の世界ということになる。

 つまり、俺は森に迷い込んだのではなく、「異世界」に迷い込んでしまったのだ!


 ……戻らなければ。

 元の世界に特別な思い入れがあるわけじゃない。

 ただ本能的にそう思った。

 俺はこの世界の住人じゃない。

 しかも、今の俺は最悪の状態にある。

 少し前に、現代の人間が異世界の王になって悪者に立ち向かうという映画を観たことがある。

 その主人公は異世界に行ってすぐに王として迎えられた。

 だが、今の俺はその正反対だ。

 だまされて奴隷として売られ、檻の中だ。

 奴隷なのだ、ブラック企業の社員なんてもんじゃない。

 何としても元の世界に戻らなければ。


 ……でも、どうやって戻ればいいだろう。

 俺はこの世界に迷い込んだと思われる昨夜のことを必死に思い返した。


 夜の8時過ぎに駅に着き、考え事をしながらあの森に入った。

 森に入るまでの間は、特に変わった事などなかったように思う。

 そのあと森から出られなくなり、歩き回った挙句、フランツの家を見つけた。

 その後の事も考えると、フランツの家を見つけた時にはすでにこのおかしな世界にいたことになる。

 やはりあの森に何かあるということは確かだ。


 ……とにかくあの森に戻ろう。

 ただ、それにはまずこの檻から出る必要がある。

 俺は後ろの方に這っていき、檻の扉を軽く揺すってみた。

 が、やはり鍵がかけられているようだ。

 かまわず力いっぱい揺すってみたが、ガチャガチャと扉が擦れる耳障りな音がしただけでびくともしない。

「静かにしてろ!」

 御者台の大男が俺の行動に気付き、こちらに向かって大声で怒鳴った。

 ……だめか。

 いずれにしても手足を縛られた状態ではどうしようもない。


 俺は方法を変えた。

「あ、あのぉ……」

 檻の前の方に移動し、大男に向かって話しかけたのだ。

 こうなれば何とかこいつを口説き落とすしかない。


「信じてもらえないかもしれませんが、私は異世界からこの世界に迷い込んでしまったようなんです。だからすぐに元の世界に戻らなければなりません」

「……」

「それなのに、あのフランツとかいう爺さんは私をだまし、寝ている間に身ぐるみをはいだ上に、私を勝手に売ってしまったんです。本当に酷い奴なんです」

「……」

「私には、私の身を心配している両親がいます。実家で待っているんです。だから早く帰って――」

「うるせえ、黙ってろ!!」

「……」

 だめだ、大男はまったく俺に関心がない。

 ……やっぱり隙を見て逃げ出すしかないか。


******


 馬車は一日中走り続け、暗くなり始めた頃ようやく大きめの村の中で停まった。

 ただ、ここが最終目的地ではないらしく、大男は俺を檻に入れたまま馬車を村人に預けると、そのまま宿屋? と思しき三階建ての建物の中に入って行ってしまった。


 ……チャンス!

 大男が見えなくなったのを確認すると、俺は急いで馬車を託された村人に小声で話しかけた。

「すみません、助けてくださいませんか」

「……」

「私は本物の奴隷ではないんです。だまされてここに入れられてしまったんです」

「……」

「せめて檻の扉だけでも内緒で開けてくださいませんか。絶対にご迷惑はおかけしませんから」

「……」

 しかし、まったく反応がない、完全に無視だ。

 彼は馬車を路地の端に寄せると、馬を連れてさっさと建物の裏の方に行ってしまった。

 ポツンと一人、俺だけを檻の中に残して……。


 ……くそ、諦めるか!

 誰も助けてくれないのなら、自力で抜け出すのみだ。

 俺は上体を起こし、檻の扉に取り付いた。

 そしてまず鍵の部分を確認する。

 鍵穴は、マンガに出てくるような「てるてる坊主」型だ。

 こういうのはたいがい単純な造りだろう。

 ……何か細くて尖っている物があれば。

 そう思って俺は床に張り付き、目を凝らして檻の隅々まで丹念に探ってみた。

 が、見つけられたのは埃や虫の死骸のようなものばかり。

 鍵穴に差し込めるような、そんな都合の良い物が転がっているはずはなかった。


 ……こうなれば力ずくで。

 俺は扉を押したり、引いたり、叩いたり、持ち上げたり、色々やってみた。

 が、開く気配はまったくない。

 無駄に体力を消耗しただけだ。

 ……だめ、か。

 俺は疲れ果て、檻の床に倒れ込んだ。


 ググゥ…… 


 静まり返った路地の片隅で俺の腹の音がむなしく響き渡る。

 そういえば、昨日フランツの家でワインを飲んで以来、何も口にしていない。

 それもいま思えば、睡眠薬が入っていたかもしれない怪しいワインだ。

 食べ物といえば、新幹線の中で食べたスナック菓子が最後。

 ……こんな事になるのなら、奮発して豪華駅弁でも食べておけばよかった。

 思い出したらよだれと涙が出た。


 俺は疲労と空腹で何もする気が起きず、そのまま檻の中で横になっていたが、辺りが完全に暗闇になった頃、不意に大男が建物から出てきた。

 彼は小さい桶のような物を持っており、それを檻の中に無言で置くと、大あくびをしながらまた戻って行ってしまう。


 覗き込むと、桶の中にはぐちゃぐちゃになった何かが。

 ……もしかしてこれが夕飯?

 さすがに躊躇した、どう見ても残飯なのだ。

 が、悲しいことに空腹には勝てなかった。

 俺は諦め、桶に顔を埋めながら犬のようにそれを食べたのだった……。


******


 ガタ、ゴト、……


 …………ん?

 床から頬に伝わるかすかな振動が。

 目を開けると、御者台の向こう側で村人が馬車に馬を取り付けていた。

 辺りはいつの間にかうっすら明るくなっており、建物の間からは太陽がわずかに顔をのぞかせている。


「はぁ、朝か」

 結局、俺は檻の中で一夜を過ごした。

 ほとんど裸の状態だったが、フランツの家で大男が俺を包んだムシロがあったから、それを掛けて寝ることはできた。

 ただ、いずれにしても縛られている状態では、目覚めが良いはずはない。


 そんな時、大男が一人の男性を連れてやってくる。

 ほっそりとした中年の男性だ。

 皮膚が日焼けで真っ黒になっており、それを覆うようにして茶色味がかったみすぼらしいシャツとズボンを身に着けている。


 その男性は、大男が檻の扉を開けると自ら中に入り、横たわっている俺を避けて前側の隅に腰を下ろした。

 ……本物の奴隷だろうか?

 大男は檻の扉を閉めると御者台に乗り込み、勢いよく馬に掛け声をかけた。


 パカ、パカ、パカ、……


 馬車が再び長閑なリズムを刻み始める。

 統一感のまるでない男三人を乗せて。


 村を出ると、景色はまた一面の麦畑だ。

 農夫達が朝日に照らされた畑の中で忙しく作業をしているのが見える。


「…………」

 村を出てからしばらくの間、檻の中はまるで喫茶店で相席した他人同士のテーブルような気まずい無音状態に包まれていたが、小一時間ほどして縛られている俺にやっと興味を持ったのか、同乗の男が小さな声で話しかけてきた。

「むりやり奴隷にされたのかい?」

「……え? ええ、そうなんです。だまされてしまいました」

「そうかい、それは気の毒に」

 大男や村人とは違って、彼には俺に対する思いやりがあった。

 が、残念ながら彼にはそれを表現するほどの表情がなかった。


「奴隷は嫌かもしれねえが、逃げない方がいい」

「どうしてですか?」

「どうしてって、奴隷は逃げたら殺されても仕方のない身分だからな」

 殺されても仕方のない身分……か、これから逃げようとしている俺にとっては重い言葉だ。

「逃げようとしなければ、そうやって縛られることもない」

「……」

「それに、考えようによっちゃあ奴隷も悪くない」

「と、いいますと?」

「自由はないが、その代わり食いっぱくれることもねえ」

「そうなんですか?」

「奴隷のための法律があってな。今じゃ進んで奴隷になる奴もいるって話だ」

「……どんな法律ですか?」

「確か、奴隷を飢え死にさせてはならない、遊び半分に殺してはならない、犯罪をさせてはならない、だ」

 俺が想像しているほど悪条件ではないのか。

「まあ、破ったところで主人に罰則はないんだけどな」

 ……意味ないじゃんそれ!

 思わずツッコミを入れそうになったが堪えた。


「奴隷の方も守らなくてはいけない事があってな」

「何ですか?」

「主人の命令を拒否してはならない、暴力を振るってはならない、逃げてはならない、自殺してはならない、だ」

 ……主人に都合の良い事ばかり。所詮主人側の法律ってことか。



 のどかな風景の中、馬車は進む。


「……ところでここは何という国ですか?」

「そんなことも知らないのか? ここはミロン王国だ」

 ……ミロン王国?

 聞いたこともない国名だ。

「ちなみに何年です?」

「えーと、ヴァリア暦3109年だったかな」

 やはり聞いたことがない。

「何月ですか?」

「六の月だよ」

 六の月……。

 やはり、ここが異世界だということは確実のようだ。


「何でそんなこと聞くんだ?」

「えと、……信じてもらえないかもしれませんが、俺は異世界からこの世界に迷い込んでしまったようなんです」

「イセカイ?」

「ええ、俺は一昨日まで日本という国にいました。季節ももっと寒い時期でした」

「……ニッポン?」

「はい、知っていますか?」

「そんな国は知らないなぁ」

「でしょ? 俺もミロン王国なんて初めて聞きました」

「なるほど……」


 俺は理解してもらおうと必死になって話したが、彼は大して関心がないようだった。

 まったく信じてはいないのだろう。

「そりゃ大変だな。まあ、この世界も悪くはないと思うよ。要は気の持ちようさ」

 彼は見た目の印象とは違ってポジティブだった。

 そうでなければ奴隷など務まらないのかもしれない。


 彼の名前はイバンといった。

 三十年以上の経験を持つベテランの奴隷だ。

 彼と話してこの世界の事を多少知ることができた。

 特にあの森の名前が「リシェールの森」だとわかったのは大きい。

 昔、リシェールという魔法使いが住んでいたためにそう呼ばれるようになったらしい。

 有名な森なら、逃げ出した後、人に尋ねながら行ってもたどり着けるだろう。

 ……でも、いくら異世界とはいえ魔物とか魔法使いとか本当にいるのだろうか?


 その後も馬車は快調に進んだ。

 夜は村や小さな町で休んだが、昼間はずっと走り続けた。

 大人しくしていたせいか、イバンが乗った次の日の夕方、大男は俺の足首の縄だけ外してくれた。

 イバンの言った通り、逃げようとしなければ痛い思いをしなくても済む。

 でもこうやって飼いならされていくのだろう。


 途中、村で奴隷がもう一人新たに乗せられてきた。

 二十代後半くらいだろうか、イバンと同様、ほっそりしている。

 ただ、イバンより表情がなく、死んだような顔をしていて、話しかけてもまったく答えなかった。


******


 馬車に乗せられてから五日目の昼頃、進行方向に巨大な町が見え始めた。

 小高い丘の上に中世ヨーロッパ風の立派なお城が建っており、その周りを町の建物が幾重にもわたって取り囲んでいる。

 さらにその周囲には異様に高い城壁が築かれていて、巨大な城塞都市を形作っていた。

 無数にそびえ立つ塔のてっぺんには、金の獅子の描かれた赤い旗がはためいており、その威勢たるや見る者を圧倒する、壮観な眺めだ。

「すげー」

 思わず見とれていると、

「ミロン王国の都、アルテミシアだ」

 イバンが教えてくれた。

 あの町に奴隷売買所があり、俺達はそこで競売にかけられるということらしい……。

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