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01.神隠しの森

「まもなく、トキダ、トキダ、お出口は左側、ご乗車ありがとうございました」


 ……やっと着いたか。

 俺は二両しかない電車の座席から、移動で疲れ切った体を労わりつつゆっくり立ち上がった。

 東京から四時間半、何度か電車を乗り継いでやっと故郷の駅にたどり着いた。

 待合室しかないこの小さな無人駅に。


 ここから東京に向けて出発したのはちょうど一年前だ。

 目の前に広がる故郷の寂しげな夜景が、あの時のかすれた記憶と重なり合う。

 ……一年前、……もっと前のように感じる。


******


 俺は隣町の小さな専門学校を卒業した後、東京の会社に就職した。

 過疎化が進む限界集落にある俺の実家の周りには、田んぼや畑、年寄り以外何もなかった。

 だから、当然のように都会で暮らすことを夢見たのだ。

 東京で就職することに両親は反対したが、俺はそれを完全に無視した。

 就職試験は簡単だった。

 面接官もとても優しかった。

 東京ですれ違う女性はみんな綺麗だった。

 俺は胸躍らせて東京に向かった。


 でも、すぐに後悔した。

 俺が就職したのはブラック色の強い企業だったのだ。

 朝早くから夜遅くまでみっちり働かされた。

 休みもほとんど取れなかった。

 失敗すれば上司や先輩から容赦のない罵声、時には胸倉を掴まれることさえあった。


 俺は、東京に行くまでは無難な人生を歩んできた。

 勉強が嫌いだったから成績はそんなに良くなかったが、周りからはよく「根はまじめ」だと言われた。

 俺も自分は「やればできる子」だと思っていた。

 そんな甘ったれの俺を、都会は見事なまでに叩きのめした。


 俺はとうとう我慢できなくなり、病気と称して何週間か欠勤した後、退職届を提出した。

 色々難癖を付けられたり嫌がらせを受けたりしたが、何とか辞めることができた。

 そして、俺は故郷に帰ることにしたのだった……。


******


 駅の周りは閑散としていた。

 寂れた家並み、薄暗い駐輪場、一年前とちっとも変わっていない。

 三月下旬とはいえ俺の故郷はまだまだ寒かった。

 重そうな溜め息でさえ、途端に白いモヤとなって軽やかに宙を舞う。

 そんなモヤにつられて見上げれば、夜空には満天の星が。

 さすが田舎だ、東京では星を見た記憶すらない。


 携帯を見ると20時04分だった。

 たぶん30分には実家に着けるだろう。

 俺は持っていたショルダーバッグを袈裟懸けにし、両手をズボンのポケットに突っこむと、実家に向かって重たい足を動かし始めた。


 ……俺の顔を見て親父やお袋はどんな顔をするだろうか。

 ……俺は何て言い訳をすればいいだろうか。

 そんなことを考えながらトボトボと歩いた。


 駅前の小さな集落を抜け、「これが国道?」と都会人が見れば首を傾げたくなるような細い道路を東に進む。

 すると右手にこんもりとした黒い影が見えてくる。

 駅と実家のちょうど中間あたりにある小さな森だ。

 そこには車一台がやっと通れるほどの砂利道が敷かれていて、実家への近道になっている。

 10分程度で森の向こう側に出ることが可能だ。


 ただ、この森は、


 「神隠しの森」


 そう呼ばれている。

 昔ここで人がいなくなったことが何回かあったそうだ。

 その人たちの供養のためか森の入り口に古い社まである。

 だから地元の者はこの道をほとんど通らない。

 俺も子供の頃はよく親に「森の道は通るな」と言われたものだ。


 でも俺は神隠しなんてものをまったく信じていなかったから、駅から実家に帰る時はちょくちょくこの道を利用した。

 この寒い中、わざわざ遠回りするのも馬鹿らしい。

 俺は特に気にすることもなく、国道から森の道へと進路を変えた。


 例の社の前を素通りし、そのまましばらく森の道を歩く。

 視界はほぼ真っ暗闇、灯りといえば木々の間からわずかに見える星くらいか。

 ただ、辛うじて森と道の境目は判別できるから、とりあえず歩くのに支障はない。

 俺は、実家に着いた後のことなどを考えつつ歩き続けた。


 ……ん?


 するとその時、向こうの方からこちらに向かって近付いてくる強い光が。

 ……車か?

 こんな時間にこの道を車が通るなんて珍しいとは思ったが、最初は特に気にもとめなかった。

 しかし、その光がすぐ近くに来た時、異常に眩しく感じる。

 ……くそぅ、ハイビームかよ。

 まあ、街灯のない森の道だ。

 ハイビームにしていても仕方ないか。

 俺は進むのをいったん諦め、車が通過するのを道の脇で待つことにした。


 その車らしき物は、俺の隣をすっと通り過ぎた。

 眩しくて車体すら確認できなかったが、音がかなり静かだったところからすると電気自動車だろうか。

 ……まあ、どうでもいいか。

 俺はまた歩き始めた。


******


 異常に気付いたのは、何気なく携帯を見た時だ。

 20時42分、もうじゅうぶん実家に着いていてもおかしくない時間。

 なのに俺はまだ森の中にいる。

 考え事をしていたからうろ覚えだが、結構歩いたような気はする。

 ……道を間違えたのだろうか、……いや、この道は一本道だ。

 でも一年の間に新しい道ができて、……いやいや、それならさすがに気付くだろう。

 俺は混乱した。

 森は果てしなく続いているように見える。

 心ともなく、俺は小走りになっていた。


「はぁ、はぁ、はぁ、……」

 行けども行けども森の終わりは見えなかった。

 木々が風に揺れながら卑屈な音を立てている。

 動物か何かの鳴き声が、時々不気味に鳴り響いた。


 絶対におかしい、たぶん道に迷ったのだ。

 携帯を見ると21時10分だった。

 まだまだ森は続いているように見える。

 ……仕方ない、格好悪いが実家に電話して車で迎えに来てもらおう。

 そう思い、携帯を操作しようとしてはっと気付いた。

 ……うそだろ。

 携帯の電波表示が圏外になっていたのだ。

 いくら田舎でも五年くらい前には携帯が使えるようになっていたはずなのに……。

 頭の中にこの森の名がよぎった。


 ……戻ろう!

 確か駅には公衆電話があったはずだ。

 そこから実家に電話をかけて迎えに来てもらおう。

 それに駅まで行けば、さすがに携帯も使えるはずだ。

 それに、それに、……とりあえず誰でもいいから「人」が見たい。

 俺は急いで引き返すことにした。


******


 ……どれくらい歩いただろうか。

 携帯を見ると22時34分、圏外。

 未だに森の中。

 今度は注意深く辺りを見ながら歩いてきたが、道に迷うような要素は一つもなかった。

 ずっと一本道だ。

 ……何で俺がこんな目に。

 都会から逃げるように帰ってきて、さらにこの仕打ち。

 俺は泣きそうになった。


 俺は歩いた。

 とりあえず歩くしかなかった。

 歩いて、歩いて、もう永遠に歩き続けなくちゃいけないんじゃないかと思い始めたその時、ずっと向こうの方にぼんやりと灯りのようなものが。

 ……人か!?

 俺はその灯りを目指して全力で走り出していた。

 暗い夜道、何度も何度も転びそうになりながら必死に走った。


 その灯りは近付くにつれて段々明るくなり、大きくなり、最後には窓の形になった。

 ……民家だ!

 助かった。

 安堵で思わず涙がこぼれそうになった。


 俺は速度を緩め、荒くなった呼吸を整えつつその民家に近付いた。

 走ったせいか異常に熱い。

 俺は上着を脱ぎ、額の汗を手で拭った。


 ただ、その家は少し見た目が変わっていた。

 茅葺きのような屋根に、粗末な石造りの壁。

 屋根からは煙突が突き出ており、かすかに煙を吐いている。

 まるでファンタジーなゲームに登場する民家のようだ。


 ……まあこの際、家の見た目なんてどうでもいい。

 俺は門と呼ぶにはあまりに粗末な板の戸をゆっくりと開け、玄関と思しき木製のドアに近付くと、迷うことなく言った。

「ごめんください!」


「…………」

 しばしの沈黙。

 だがその後、家の中でかすかに物音がしたかと思うと、ドアの向こうに気配を感じる。


「……どちら様かのぅ?」


 ……人の声だ!

 俺は小躍りしたくなるほど嬉しかったが、気持ちを押し殺して言った。

「私は石江地区の青山といいます。森の中で道に迷ってしまったようなんです。携帯も通じないみたいなので、すみませんが電話を貸して頂けませんか?」

「……なんじゃって?」

 年寄りで耳が遠いのか、聞き返されたので短く言い直した。

「石江地区の青山ですが、電話を貸して頂けませんか?」

「……デ、デンワ?」


 ごそごそと音がしてわずかにドアが開いた。

 ドアの向こうには白い髭を生やした小さな爺さんが一人。

 俺はもう一度言った。

「夜分にすみません。道に迷ってしまったようなので、電話を貸して頂けませんか?」


「…………」

 爺さんはしばらく何も答えずに俺の顔をじっと見ていたが、その後、少し戸惑った表情を浮かべながら口を開く。

「その、デ、デンワという物はないが、道に迷って困っているということじゃな?」

 ……こんな森の中なのに電話もないのか?

 そう思ったが仕方がない。

「そうです。家に帰る途中だったのですが、なぜかこの森に迷い込んでしまったみたいで」

 神妙な表情で答えると、爺さんはドアを大きく開けながら言った。

「とりあえず中へ」


 俺は家の中に入れてもらった。

 が、入った瞬間その異様さに驚かされる。

 中はいきなり部屋になっていたが、床ではなく、いわゆる土間で、石造りの壁も完全にむき出しの状態。

 奥にインテリアにしてはリアルすぎる暖炉があり、薪が小さな炎を上げて燃えている。

 電気は点いておらず、部屋の中央にランプは灯っているが結構暗い。

 本当にファンタジー世界の家のようだ。

 さらに、暖炉の前には粗末なテーブルが置かれていて四つ椅子があり、その一つに中学生くらいの小さな少女が座っていた。

 彼女は俺を見ると立ち上がって軽く会釈をする。


「どうぞ、お掛けください」

 爺さんが椅子を勧めてくれたので少し図々しいとは思ったが遠慮なく座らせてもらうことにした。

 けれども、長い時間歩いていたせいか脚が棒のようになっていて、座り方がぎこちなくなった。

「その様子じゃと、相当歩き回ったようですな」

 爺さんが正面に座りながら苦笑する。

「はい、いつもはこんな所で迷わないんですが、……もしかして新しい道でもできたんですか?」

「いいや、ずっと昔のまんまじゃよ」

 そんな話をしていると、先ほどの少女がお茶のような物を出してくれた。

「ありがとう」

 礼を言うと、少女は少し顔を赤らめ、うつむきながら爺さんの隣に座った。

 ただ、飲んでみるとお茶ではなく、単なるお湯のようだ。


 部屋の中が暗いせいですぐに気付けなかったが、この二人は日本人の顔立ちではなかった。

 鼻が高く、彫りが深く、典型的な西洋人といった感じだ。

 爺さんは白髪だが、少女の髪は焦げ茶色だった。

 着ている服も、襟や袖に細かな刺繍が施されていてどこかの民族衣装を思わせる。

 少女は顔が小さく、円らな目をしていて、日本人の俺から見ればまるで人形のようだ。

 ただ、目が充血していたから辛うじて生身の人間だと判別できる。

 ……泣いていたのだろうか?


 少女が座ったところで爺さんが自己紹介を始めた。

「わしはフランツ・オーモンで、これは孫のミシェルです。ここで二人で暮らしております」

「えっと、私は青山健、いや、タケル・アオヤマといいます。石江地区に住んでいます」

 俺は彼らに合わせて姓と名を逆にした。

 住所も正式にはまだ石江地区ではないが、もうそう言っておいてもいいだろう。

「……イシエ、チク?」

 しかし、フランツは首を傾げる。

 俺の実家がある石江地区のことを知らないようだ。

 でも、石江地区はかなり昔からある集落だから、村の者が知らないはずはない。

 ……この外人さん達はこの辺りに来て間もないのだろうか、まだ電話もないようだし。


 すると、

「悪党でもないようだから、今夜はうちに泊まっていきなさい」

 唐突にフランツがそんなことを言い出した。

「い、いえ、道には迷いましたが、駅への行き方さえ教えて頂ければ何とか帰れます」

「……エキ?」

「ええ、ここからそんなに遠くはないんでしょう?」

「はて、エキとはどこのことじゃろう?」

 ……えっ、駅も知らないのか!?


「とにかく今日はもう遅い。この辺りは夜になると魔物もたくさん出る。悪い事は言わんから泊まっていきなさい」

 ……マモノ?

 フランツの言葉に意味不明な単語が含まれていた。

 もしかしてやばい人かと疑ったが、この外人さんは熊や猪のことを魔物と呼んでいるのだろうと適当に解釈した。

 この辺りは山に近く、熊や猪が出る可能性は十分にあるからだ。

 それに、駅への行き方もわからないようじゃまた迷うかもしれない。

 少なくとも明るくなってから行動したほうが安全だろう。

「それじゃあ、お言葉に甘えて」

 俺は素直に相手の厚意を受けることにした。


「……ちょっと失礼」

 すると、フランツは急に席を立って別の部屋に行ってしまう。

 俺とミシェルだけを残して。


「………………ちゅ、中学生?」

 何も話さないのも気まずいと思い、ミシェルに話しかけたのだが、彼女はその問いに答えず、ただ不思議そうに首を傾げただけだった。

「最近引っ越してきたの?」

「いえ、ずっと前からここに住んでいます」

 ……ずっと前から住んでる?

 それにしてはこの辺りのことを知らなすぎだし、俺自身もこんな近くに外人さんが住んでいるなんて聞いたこともなかったが……。


 それからしばらくして、フランツがワインのボトルを持って戻ってきた。

「ど、どうじゃ一杯?」

「え、あ、じゃあいただきます」

 腹が減っていたからおにぎりの一つもご馳走してほしかったが、わがままは言えない。

 フランツはさっきミシェルが出してくれたお湯のコップを軽く払い、そこにワインを注いだ。

 ただ、なぜか彼の手がかすかに震えている。

 ……アルコール依存症ってやつか?

 道に迷った俺にまで飲ませてくれるのだからかなりの飲兵衛なのだろう。


「それじゃあ、いただきます」

 俺はコップを掲げて軽く謝意を示した後、注がれたワインを少しだけ口に含んでみた。

 が、何かちょっと違う感じだ。

 普段ワインなんて飲まないからよくはわからないが。

 ただまずくはない。

 俺はコップを傾け、全て飲んでしまった。


 その間、フランツは俺の顔じっと眺めていた。

 なぜか不安そうな顔で。

「フランツさんは飲まないんですか?」

「……え? お、おお、わしはさっきしこたま飲んだからの」

 やはり依存症のようだ。


 フランツの勧めで俺はもう一杯ご馳走になった。

 すると、急に眠気が襲ってくる。

 疲れている上に空きっ腹の状態でいきなりワインを飲んだせいだろうか?

 俺は堪えきれずに大あくびをした。

「……も、もう眠いようじゃな、ベッドを準備するから葡萄酒はこれくらいにしてもう寝なさい」

 眠そうな俺を見て、フランツが気を遣ってくれた。


 俺は奥の部屋に通された。

 普段使っていないらしく少し埃っぽい部屋だ。

 ベッドはミシェルが準備してくれたが、シーツの下はなんと麦藁!

 ……徹底してるな。

 俺は関心してしまった。

 よく日本の都会人も田舎暮らしに憧れるというが、この外人さん達は中世ヨーロッパの田舎暮らしを忠実に再現しようとしているに違いない。


 ……まあ、一晩くらい我慢するか。

 俺はショルダーバッグを壁際に置き、そのままベッドにごろりと寝転がった。

 寝心地は微妙だったが疲れとワインのせいかあっという間に深い眠りに落ちていった。

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