『脱出と依頼、ふたたび』
脱出において肝心なのは最後の最後で絶対に油断しないことである。入口まで何とか辿り着いたものの実は気付かれてて囲まれてました、なんてオチは避けたいものだ。
(正面よし! 右よし! 左よし! おまけに上もよし!)
慎重に確認しダクトから這い出る。素早く起き上がり後ろに続いている少女を引っ張り出す。
ダクトを通ったので二人とも薄汚れていた。特に彼女は白い服を着ていたようで、無惨にも全体的に黒っぽくなってしまっていた。かくいう俺も同じような格好になっているのだろう。
ふと少女と視線が合う。部屋では気付かなかったが澄んだ明るい青色の瞳をしていた。何故かはわからないがその色に懐かしさを感じる。奇妙な違和感を覚えながら辺りを見渡す。
外は既に夜が明けており朝日が見え始めていた。もう少しすれば見張りの兵が増えてくる。見付かってしまうのも時間の問題だ。
「ここまで来れば逃げるだけだ。一先ず俺の仕事場に向かうぞ」
気を取り直し、少女に背を向けて先に歩き出す。少し遅れて少女もゆっくりとその後に続く。
その姿を遠くから眺める人影には、気付かないまま――。
「やはり現れたか」
部屋の窓からその様子を見ていた男が呟く。あれほど満月の夜は注意しろと促していたにもかかわらず、なんという失態だ。
「まぁよい。まだ始まったばかりだからな」
部屋に置かれていたワインを開け、グラスに注ぐ。そしてグラスを持ち、2人の姿がある方に向ける。
「この再会に献杯しよう。クロム・シャルトルーズ」
注いだワインを傾け一気に飲み干す。
焦る必要はない。結局はただの暇潰し。これはこの退屈な世界を、少しでも楽しむための娯楽でしかないのだから――。
◇◆◇
室内にはカチコチと古時計が鳴り響いている。部屋の中心にはテーブルとソファがあり、周囲は様々な物が乱雑に置かれていた。
それは日用品だったり、何に使うのかわからないものだったり多種多様なものが積み上げられている。
唯一綺麗なソファには二人の人物がテーブルを挟むように向かい合って座っている。片方はこの部屋の主の少年。年はまだ10代後半くらいか。金髪に紳士服を着ている。
もう片方は同じ年の頃だろうか、長い艶のある黒髪に白い服の少女がいる。肌も白く、モノトーンで無機的な印象を受けるが明るい青色の瞳と同じ色の髪飾りのおかげで少し和らいでみえる。
少女は微動だにせず新聞を読む少年を見つめている。その視線に気付いているのか、用意した紅茶に眼もくれず少年は新聞を読みふけっている。
もう時刻は昼を指すが、辺鄙なところに構えているせいか外の喧騒は中まで届かない。聞こえるのは少年が新聞をめくる音と時計の音のみである。
互いの紅茶が冷め始めた頃、ようやく新聞を読み終えた少年が顔を上げる。
「……で、だ。君はいつまでここにいるのかな? もう好きにしていいと言ったはずだけど」
視線の圧に耐えきれなくなった少年が話しかける。
少女は不思議そうに少年を眺める。
「? 好きにしてるわ」
悪びれもせず言う少女に少年はため息をつく。少女にとってはそうだろうけど俺にとってはそういうことじゃない。
「あのなぁ、俺はいつ出てくのかって聞いてんの! せっかく自由になったんだから好きなところに行けばいいだろ!?」
「……好きなところ」
俺の怒鳴り声も意に介さず、悩み込む少女。テンポがズレるのは少女が天使だからなのかそれともそういう性格なのか……。
こうしてみると本当に人間と変わらない。ただ違うのは作り物のように整いすぎた容姿くらいだ。
この国では珍しい黒髪、きめ細かい白い肌、澄んだ青い瞳、その全てに穢れを許さないかのような荘厳さが漂っている。
一緒にいるこの空間さえ耐え難い。だというのにこの少女は呑気に考え事をしている。
気まずさが一周回って怒りに変わる。イライラを抑えようと葛藤していると少女が何か思い付いたのか顔を上げる。
「約束した場所があったわ。地底に落ちたら行きなさいって、母様に言われたの」
「地底、ね……。じゃあ早くそこに向かえばいいだろ。さっさと行きな」
シッシッと手を振って追い出そうとするが少女はそこから動かない。
「わからないの」
「……はい?」
何を言われたのか一瞬理解できず、再度問う。
「約束した場所がどこにあるのか、わからないの」
少女から爆弾発言を投下される。
「はあああああ!?」
俺の叫び声が室内に虚しく木霊する。つまり俺は幽閉された少女を助け出したのではなく、ただの迷い子を連れ出してきたというわけか。
そこで疑問が生じる。何故あの依頼人は助け出してと依頼してきたのか? 少女の知り合いなら迎えに来ても良さそうだが、そんなことは言っていなかった。
――いや、そもそもこの少女にこの世界で知り合いなどいたのだろうか? 噂によるとこの少女は発見されてすぐ城に幽閉されたと聞く。考えれば考えるほどわからない。
あの依頼人は誰だったのだろうか――?
悩みに頭を抱えていると、またしても少女が思いもよらぬ発言をする。
「だから連れていって欲しい。約束したはずのその場所へ」
一瞬の静寂が流れた。この子はもう本当に何を言っているのか……。
「……お嬢さんよぉ、わからない場所に連れてくってのは無理な相談だ。他をあたりな」
とりつく島もなく断るがなおも少女は言い募る。
「確か青い花が咲く場所と言っていたわ。この地底のどこかにあるはずよ」
「そりゃ探せばあるだろうけども」
やはり少女とは話が少しズレる。断っているのに何故俺が話を受ける前提で進められているのかもわからない。そもそも無償で受けるほど善良ではないのだ。
「お嬢さん……俺は確かに何でも屋だが、タダじゃあいけない。何か報酬がないとな」
「………………」
城から連れ出したため少女は手ぶら。あるとすれば髪飾りくらいだがそんなもので受ける気はない。
何せ世界を巡ることになるのだ。俺という甚大な人間をこの国の人はしばらく失うことになる。そう、謂わば受けるメリットが微塵もないのだ。
これで諦めてくれるだろうと鷹を括っていると少女が一言呟いた。
「わかったわ」
やっと諦めてくれたと安堵した瞬間、眼前の光景に目を見張った。
少女の背には純白の翼が現れていた。その姿は筆舌に尽くしがたいほど神秘的であり、人間と変わらないと思ったことをおこがましく感じさせられた。人間よりも遥かに高位の存在が、そこにはいた。
言葉を失うほど見惚れていると、少女は徐に羽へ手を伸ばした。何をするのかと眺めていると、
プチッ
――――ぷちっ?
少女は自ら羽を手折ると少年に差し出した。
「これが報酬よ。天使の羽は高価なんでしょう?」
突然の出来事に頭が追い付かず、思考停止する。彼女は今何をした……? 状況を理解すると同時に怒りが込み上げてくる。
「なっ! ばっ! 何てことすんだ!?」
慌てて差し出された羽をハンカチで丁重に受け取る。少女の羽は以前もらった羽より白く、光加減で銀に輝いて見える。同じ天使の羽でも一目でとても希少価値が高いことがわかる。
いや、そんなことよりもあんなに素晴らしい羽を一枚とはいえ簡単に手放した少女に腹が立つ。
「馬鹿! 綺麗な羽なのに、簡単に千切るな!!」
「綺麗?」
当の本人は自覚がないのかキョトンとしている。幽閉されていたとはいえ無自覚すぎる気がする。それとも天使の間では普通のことなのだろうか? 答えの出ない悩みに頭を痛める。
「あーもーわかったよ! 受ければいーんだろ、受ければ! その代わり約束だ。もう二度と、こんなことするなよ!」
仕方なく引き受けたがしっかり釘を刺すことも忘れない。ブツブツ文句を言いながらも出発の準備を始める。
(全く……俺が悪党だったら利用されて終わりだったぞ……)
「綺麗なんて……そんなこと、初めて言われたわ」
ポソリと少女が呟く。幸い少女の呟きは少年には聞かれていなかった。だから少年は気付かなかった。
常に能面だった少女の顔が紅潮し、見る人全てを惹き付けるような――とても艶やかな表情をしていたことに。




