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『約束の花畑』

「ふむ、霧が出てきたな」


 逃げたクロムを追い山の中へ入った殿下は、ゆっくりと彼が通ったであろう道を辿っていた。人が立ち入る場所ではないため人が通れば必ず痕跡は残る。その後を追い、殿下は着実に彼を追い詰めていた。


 懸念すべきはうっすら出始めてきた霧だったが、視界を阻むほどではなかった。しかしなにやら胸騒ぎがしたため足を早めていた。


(おかしい……そろそろ追いついても良い頃だが……)


 彼の辿ったであろう道は残っているにも関わらず、追いつく気配がない。それどころか段々と視界まで悪くなっていく気がしていた。嫌な予感は的中し、ポツリと顔に何かが当たった。


「む、雨か……」


 これは少々困ったことになりそうだ。徐々に立ち込めてきた霧に、雨まで降りだしては追うのが難しくなる。


 それに加え奇妙な視線を感じていた。まるでこちらを見定めているかのようなじっとりとした視線。人から向けられる視線には慣れているが、この視線はどこか得体のしれないものだと本能が訴えていた。早くこの視線から抜けるべく足を進める。しばらく歩いていると視界の端を何かが光ったのが見えた。


 もしかすると道標だろうか? クロムを捕らえた際、天使を連れて行った男がそう叫んでいた気がする。迷わずその方向へ進もうとすると背後から何かに呼び止められた気がした。


 何かに引き寄せられるかのように、思わず後ろを振り向く。


「……何だ?」


 しかしそこには誰もおらず、白い霧に覆われているのみだった。怪訝に思いながらも前を向くと光は見えなくなっていた。それに加え先程まで見えていた痕跡も見えなくなり、視界は白で埋め尽くされてしまった。


「なるほど……そういうことか」


 どうやらこの山にとって自分は異物。受け入れられる存在ではないのだろう。道標を失った今、ここから脱する術はない。次はこの山に入る前にどうにかしなくてはならない。


「今回は貴公に譲ってやろう。だが、次は容赦しない」


 脱出は不可能だろうと悟り殿下はその場に座り込む。閉ざされた霧の中で、殿下は次の戦略を練るのだった。


◇◆◇


「ん……ここ、は……」


「起きたか」


「……! スオウさん!!」


 久方ぶりに見る男の姿に慌てて飛び起きるが、頭がクラリとして再び倒れ込んだ。


「そう慌てるな。お前さん、村の入り口で倒れてたんだ」


「村……そっか、俺、辿り着けたんだ……」


 緊張状態から解放され体が弛緩する。改めて室内を見渡すとベゴニアで見たような家の造りをしていることが分かった。狭い部屋には俺とスオウさんしかおらず、すぐに彼女の姿が見えないことに気付く。


「そうだ! ミティスは!?」


「安心しな。花畑でずっとお前の無事を祈ってるよ」


「花畑……」


 その言葉を聞いた瞬間、重い身体を無理やり起こしフラつきながらも家の出入口へ向かおうとする。それに驚いたスオウさんが慌てて俺を引き止めた。


「おい! 今は身体を休ませてやれ! 雨に打たれたせいで体力も戻ってないだろう」


「そうはいかない! 殿下がすぐ傍まで来てるんだ! 早くミティスを帰さないと……」


「殿下……? なるほど、だから雨が……」


 思い当たる節があるのか、スオウさんは一人納得したように頷く。困惑する俺を他所よそに、スオウさんは目で座れと促す。渋々座る俺に安心させるように諭してきた。


「安心しろ。殿下はこの村に辿り着けねぇよ。いいからこれ食って少しでも休め」


 スッと茶碗を手渡される。――雑炊だ。何やらいい匂いがすると思っていたが、どうやら俺のために作ってくれていたらしい。身体は正直なようでグーと盛大に腹が鳴る。そういえば抜け出してからずっと食べていなかったことに今更ながら気付いた。


 スオウさんの助言通り一休みし、落ち着いてから外に出ると降っていたのが嘘のように雨は止んでいた。日は変わらず陰っているが、光を含んでいるかのように雲が輝いている。


「変な村、だな。時間もどこかゆったり流れてる気がする……」


 頬を撫でる風さえも、どこか柔らかい。ここにいるだけで、何故か時間の感覚が狂うような感じもする。


「それはそうさ。ここは天使の加護を受けた村だ。ここを害するようなことは起きやしない」


 スオウさんは歩きながら村のことをポツリポツリと話してくれた。話に耳を傾けながらしばらく歩き続ける。やがて村の外れまで来ると、ピタリと足を止め俺の方に振り返った。


「この道を真っ直ぐ進んだ先が花畑だ。――さぁ、行ってやれ。天使様が待ってる」


「あぁ! ありがとう、スオウさん!」


 スオウさんに見送られ、俺は花畑へと歩き出す。ミティスと約束した、勿忘草の花畑へ。




 村の最南端の崖沿いにそれはあった。見渡す限り一面に、小さな青い花の群生が咲き誇っている。その中心に、彼女はいた。


「ミティス……」


「……クロム」


 お互いの名を呼んだまま、しばし見つめ合う。そしてどちらともなく抱き合った。彼女の温もりに胸が熱くなるのを感じた。


「……やっと、約束を果たせるな。待たせてごめんな」


「ううん……。貴方はいつだって、必ず叶えてくれていたわ」


 徐にお互い離れる。ミティスがふところから懐中時計を取り出した。以前見せてもらったときと違い、不思議な光を纏っている。ふとミティスの視線が上がる。その視線を追うと花畑の隅に灯台が見えた。最上部には大きなかねがついている。


「あの鐘を鳴らせば、私は天へ帰れる」


「……これでお別れなんだな」


「そうね。()()()()、お別れになるわ」


「そっか……」


 ミティスの懐中時計が光り輝き、鐘へ向かって一直線に照らし出された。黄金色の鐘がゆっくりと動き始める。


 ゴーン……ゴーン……ゴーン……


 鐘の音が降り注ぎ、曇っているはずの天が輝いた。不思議なことに雲の一部が開け、透明な階段が螺旋を描きながら地上へと降ってくる。天と地を繋ぐ長い長いきざはしは、やがて花畑に舞い降りた。その階段へとミティスは足を一歩踏み出した。


「クロム。私、嬉しかった。またクロムと会えて」


「俺だって、嬉しかったよミティス」


「うん。……だからまた、会えるよね?」


「もちろんだよ」


 そっと寄り添い、触れるだけの口付けを交わす。それは一瞬の出来事で、すぐに俺たちは離れた。


「クロム……さようなら」


 そう言ってミティスは階段を上がっていく。天へと続く階段を。後ろ(おれ)を振り返らずに。そんなミティスを、空から降り注ぐ光芒こうぼうが照らしていた。


「さよなら、ミティス……」


 別れの言葉を告げ、階段を上がっていく彼女を見送る。これでこの物語は終わりを迎える。次、また彼女に会えるかどうかは分からない。だから、物語の終わりには必ず別れを告げることにしていた。心の片隅に、再び会えることを願って。


 ――物語が、再び始まることを祈る。


 次第に時刻は夕から夜に移り変わる。橙色に輝く美しい夕日が沈み、ミティスの姿が見えなくなる。夜のとばりに紛れるかのようにあたり一面が黒に染まり、そして何も見えなくなった。

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