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『繋ぎ止めた今』

 ゆっくり(まぶた)を開くと、目の前に灰色の石の床が見えた。あまり使われていないのか、埃が薄っすらと積もっている。


 硬い床に寝かせられていたためか、少々身体が痛い気がした。このまま寝ていても仕方ないので起き上がろうとするが、腕が全く動かないことに気付いた。


 どうやら後ろ手にガッチリと縛られているようで、解けそうになかった。足は縛られていないので、四苦八苦しながらも何とか起き上がることに成功する。


 埃塗れになった自分に溜息を吐きつつ、改めて周囲を見渡した。部屋にはほとんど何もなく、角の方に簡易な木製のテーブルと椅子が置かれているだけだった。


(どうして、こんなとこに……?)


 まだ朧気(おぼろげ)な意識の中、ゆっくりと記憶が蘇ってくる。


「……そうだ! 俺、撃たれて!?」


 慌てて胸元に視線を向ける。縛られている腕のせいで胸に手をやることは叶わないが、来ていた服には付いているはずの血の跡は見受けられなかった。確かに心臓を撃たれたはずなのに――。


「何で……死んでないんだ?」


 呆然と呟くのと同時にコツコツと足音が聞こえてきた。足音はどんどん大きく響いてきており、誰かがこちらに向かって来ているようであった。こんな状態では反抗するどころか相手次第では簡単に殺されてしまうだろう。


 何もないこの部屋では隠れられるところはどこにもないため、ドアのすぐ横に張り付く。聞こえてくる足音は一人分のみ。人が入ってきた瞬間体当りすれば上手くここから逃げ出せるかもしれない。


 固唾(かたず)を呑みながら近づく音に神経を研ぎ澄ませる。足音が止まると同時に、ドアがゆっくりと開かれた。


(今だ!)


 人影が見えた瞬間突進するが予期していたはずの衝撃がなくそのまま床に転がった。


「いってぇー!!」


 顔面を強打し悶絶(もんぜつ)する俺に聞き覚えのある声が嫌味とともに降ってきた。


「おや、もう起きていたのですね。起こす手間が省けました」


 涙目になりながら顔を向けるとそこには今では見慣れた軍服の男が立っていた。


「お前! 良くもその面を俺の前に見せれたな! この人殺しめっ!」


 この男には色々思うところはあるが、今回のように捕まる前から撃たれたことはなかった。そのことに思わず文句が出る。


「殿下の指示でしたので。しかし別に殺す気はなかったですよ。現に貴方は死んでないでしょう?」


 男の言う通り俺は今何故か生きている。確かに胸に衝撃を感じたはずなのに。


「……けど、じゃあ何で俺は生きてるんだ!?」


「これがあったからですよ」


 そう言うと男はポケットから白い布を取り出す。広げられたそこには見覚えのあるものがあった。俺がミティスに出会う前、彼女を連れ出す依頼を受けたときに、何気なく胸ポケットに入れていた羽だった。


「天使の羽は鋼のように硬いですからね。私もその硬度は身を持って知りましたし」


 まだ根に持っているのか視線を右腕に向ける。


「お前中々ねちっこい奴だな。俺だって撃たれたんだからおあいこだろ」


「しかし貴方は身体に穴が空いたわけではありませんよね? いかに軍属といえど本来表に出ない私からすれば結構痛手なのですよ」


 やれやれと肩を竦める男に少しずつ怒りが()いてくる。


(胸に穴が空いたら死んでたわ!)


 そう言い返したいのをグッと我慢して、努めて冷静に切り返した。


「……じゃあ引っ込んでれば良かっただろ。何で出てきたんだよ」


「もちろん殿下の命令があったからです。そうでなければ私は動きませんよ、こんな茶番に」


「茶番て……」


「殿下が何を考えているのか、私には分かりません。だからこそ、私は殿下に付き従うのです」


(分からないのに従うなんて変な奴だな)


 問答無用で斬りかかってきた殿下のことを思い返す。そういえば殿下に会ったのは繰り返しの中でも片手で数えるほどだったはずだ。しかも印象はすべて最悪。初対面で直々に尋問され、次に会ったときは散々甚振(いたぶ)られた。今までの酷い扱いに思わず皮肉が出る。


「大した忠誠心だな」


「ええ。私が仕えるのは今までもこれからも、殿下唯一人だけですから」


 そういう男の瞳には仄暗い何かが宿っている気がした。この男の扱いを一歩でも間違ったら、逆に噛み付かれそうだ。こんな男を側に置く殿下の気が知れなかった。


「雑談はもういいでしょう、殿下がお呼びです。あぁそれから、逃げ出そうなどとは思わないことです。今度は殺されますよ」


 薄く笑いながら何でもないことのように話す男に背筋が凍った。この男は本来なら()()()()()()()だ。俺を殺すことも、本当なら造作もない事なのだろう。現に男は俺の胸を、厳密には羽を狙って当てている。殿下が制限をかけているからこそ、この男は真っ当に見えるのだ。


 男の本性を悟りゾッとする。知らなくてもいいことを知ってしまった。思えばこの男とこんな話をしたのはこれが初めてではなかろうか? むしろ今まで接する機会がなかったことに安堵した。次この男と対峙した時、平静を保っていられるか分かったものではない。


 ここまで来てまた殺されるのなんてごめんだ。そう思った俺は大人しく先を歩く男の後を追った。




「……そういや、ここはどこなんだよ?」


 今更ながら当然の疑問を抱いた。逃げ出すことばかり考えていたので、そもそもここがどこなのか全く知らないことに気付いた。


「ベゴニアとピアニーの中間地点ですね。今は廃墟同然ですが、以前は囚人を収監していたところですよ」


 薄汚い灰色の壁をよく見れば不自然に陥没した所やどう見ても家具では傷付けようのない裂傷があちらこちらに残されている。ここが収容所であったことは間違いないようだ。


「やけに詳しいんだな」


「実は私ピアニー出身なのですよ。近隣にあるものを知っていてもおかしくないでしょう?」


「意外だ……」


 途中で泊まった村を思い浮かべる。温厚そうな人が多く長閑(のどか)な田舎という印象だった。そんな村からこんな奴が生まれたという事実に驚きを隠せなかった。


「よく言われます」


 俺の反応は予想の範囲内だったようでさして気に触らなかったようだ。淡々とした口調で独り言のように話し出した。


「言いたいことは分かっていますよ。あの村から私という毛色の違う子供(異端児)が生まれたんです。まぁあの人達はこんな私でも受け入れようとしてくれましたが……何より、私が耐えられなかったのです」


 あの、平凡で平和な村に。


「つまらない話をしてしまいましたね。さぁ、殿下がお待ちですよ」


 男の思わぬ昔話に閉口している間に、気付けば他より小綺麗な扉の前まで来ていた。この先に殿下がいる。今までの仕打ちを考えると少し身体が震えた。


 そんな俺の心情も知らず男はゆっくりと扉を開ける。


 ――ここが正念場だ。そう気を取り直し、殿下の待つ部屋に足を踏み入れた。

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