*第62話 木漏れ日のアナマリア
アダーレン城のワイナリーで醸造しているのは貴腐葡萄を使った王家の甘露のみである。
広大な農園で栽培されている葡萄の中から厳選された房のみを使う。
この広さを以てしても収穫量は多くは無い。
完璧と判断できる房は全体の百分の一程である。
だからこそ“至高の一品”と成り得るのだ。
元より採算など考えられてはいない。
とてもではないが商売として成立はしない。
王家の威光を示す為の事業である。
この時期のアダーレンでの作業は間引いた実を使ってのジャム作りである。
王宮に収められる他は、王都の高級料理店に卸される。
離宮には今、アナマリアとフリーデル親子、
そしてマルキスが滞在している。
「もう一つ如何ですか?」
アナマリアが手作りの菓子を勧める。
勿論、甘さは控え目の焼き菓子である。
「あぁ頂くよマリア。」
湖畔のテラスに大きな楓の枝が影を作り、
避暑地の風が涼やかにマルキスの髪を揺らす。
(あぁ・・・気持ちが良いな・・・)
こんなにも穏やかな心で居るのは初めてかも知れないとマルキスは思った。
絶望的な状況であるにも関わらず、自然と微笑みを浮かべていられる。
「変だと思うかも知れないけれどねマリア。」
「あら何ですの?」
「私は今、幸せなのかも知れないのだよ。」
マルキスは笑った。
「まぁ!気が合いますわね、私もですのよ!」
アナマリアも笑った。
先週はパトラシアとバロッサも娘を連れて遊びに来ていた。
忍者ごっことやらで大騒ぎしていた。
フリーデルが大きな凧に括りつけられて空に吊り上げられた時は、
落ちやしないかと心配したが、何やらお尻を押さえて激怒している
エルサーシアが怖くて止める事は出来なかった。
ハイラムへ旅立つ前に王后陛下から特別講義を受けるのだとかで、
週末に王都へ戻って行った。
フリーデルがぐずっていたが、エルサーシアが耳元で何事かを囁いた途端に
顔を真っ赤にして聞き分けが良くなった。
木漏れ日の光と影のその中の、
彼女が笑う夏に思う。
(なんだ・・・そうだったのか)
自分はこの二人を愛していたのだと。
長い熟成期間が終わりを告げて、
アナマリアの愛は正に今この瞬間に収穫の時を迎えた。




