＊第58話 甘い生活
血液中の糖分の濃度が上昇し、様々な症状を引き起こす病気がある。
“糖尿病”である。
糖濃度が上昇する原因の殆どは、濃度を調節するためのホルモンである
インスリンの減少である。
重症になると失明や四肢の壊死などを引き起こす他、
多臓器不全や血管障害、アルツハイマー型認知症の悪化など
悲劇的な結果を招く。
「マリアっ！マリアは何所じゃっ！
何所にも居らぬっ！あぁマリア～！」
自力では立つことも儘なら無くなったシルベストは、
寝台から転げ落ちて尚もふかふかの絨毯の上を這いずり回った。
もう何年も前から益荒男は役に立たなくなっている。
それでも性欲は有り余っているから始末に負えない。
そんなシルベストをアナマリアは避け続けている。
「陛下！お体に障りまする！ご安静に！ご安静に！」
女官の連絡を受け駆け付けた侍医長が困り果てている。
「うるさい黙れ！ビクトルを呼べ！マルキスはどうしたのだ！」
腹心の忠臣たる者の名を呼べど応答する声は返らない。
ビクトルは屋敷に軟禁状態であり、
マルキスも出仕停止の処分を受けている。
国王の体調を管理出来なかった事について親子で連帯責任を問われたのだ。
「苦しいのだマリア～
何故傍に居らぬのだ～
助けてお呉れマリア～」
次第に怒声は懇願に変わって行く。
虚ろな目は薄っすらと白濁し乾いている。
病状はかなり進行している様だ。
「如何なさいましたかな陛下」
国王の醜態に顔色ひとつ変えず現れた男が声を掛ける。
「おぉ、カルロッサよ。マリアを連れて参れ、今すぐにじゃ。」
宰相は欠片程の真心も無く、
しかし優しい声で言った。
「承知致しました、暫しのお待ちを。」
ニチャッと音がしそうな笑顔を浮かべてシルベストは上体を起こす。
「おぉ！其方は頼りになる奴じゃ！褒美を取らすぞ！」
「有難き事なりますれど、先ずは安静になされますよう。」
合図と共に屈強な舎人が国王を抱え上げて寝台に戻す。
「お薬もお飲みなされますように。」
漸く大人しくなった国王を一瞥して宰相は部屋を後にする。
「お部屋様をお迎えに行かれますので？」
侍従の一人が尋ねる。
「まさか！来るわけが無かろう。
先ほど眠り薬をお飲みになられた、
今頃は夢の国を散策中であろう。」
「お目覚めになられましたらまた・・・」
同じ騒ぎになるのは確実だ。
「代わりの娘でも当てがって於けば良いわ。」
どうせ只の色ボケだ、若い娘なら誰でも一緒だと宰相は断じた。
キーレントに乗り換えた丞相の計略が大筋で組み上がった。
キーレントの軍事力を背景にカルロッサを摂政に、
そしてブルクを宰相に任じ
国王代行として国政を預かり玉璽を行使する。
内乱をちらつかせてやれば、事勿れ主義の連中は沈黙するだろう。
その上でバルドーに有利な友好条約を結び、
徐々に権益を譲渡させるのだ。
やがて国力を失ったオバルトは主権を放棄し属国と成り果てる。
唯一の障壁はダモンである。
軍事力ではキーレントよりも遥かに上だ。
政治的には蚊帳の外に居るが、それが返って厄介だ。
動きが読めない。
フリーデルは傀儡として、また人質としての利用価値が有る。
ダモンを大人しくさせるには有効だ。
アナマリアは愛人と共に永久の旅路へと送り出してやろう。
「面倒な奴らよの・・・」
誰にともなく呟きカルロッサはシルティアル宮殿を後にした。
