*第53話 川は流れる
王都エルベルアントは運河の都である。
北から流れ込むナカソ川と、
東から注ぎ込み王宮を掠めるネミキ川は
やがて合流しキグレコンド川となり水流は海へと還る。
その豊かな河川から運河が幾筋も曳かれ、
上流域では高位貴族の邸宅が、
下流域では商家や倉庫が立ち並ぶ。
秋深し病葉を水面に浮かべて、
ゆるりゆるりと川は流れる。
今、一人欄干に凭れその照り返しを見つめる男。
宮内省非公式御庭番の番頭カイビンドである。
上流から下ってきた小舟がすぐ傍の小さな船着き場に縁を付ける。
トンッと小舟に乗り込んだカイビンドが口を開く。
「エースの旦那は来るのかね?」
「・・・」
船頭は無言のまま船を操る。
「ふんっ!愛想が無いねぇ黒猫は。」
“黒猫”は陸軍諜報部を指す隠語である。
“自由な煉瓦職人”の小部屋でカイビンドは捜査官のアープと会った。
「で?どうして寝返る気になったんだい?」
友人に話しかけでもするような気さくさだ。
「嫌気が差したんでね。」
こちらも気軽に答える。
「40年も居るのに今更かい?」
「聖女襲撃の荒事に倅が居た。まだ18だった。」
暗い瞳に怨念を宿してカイビンドが唸る。
「聖女様を恨んでいるのかい?」
それなら筋が違う。
「いやいや、ありゃもう人間じゃねぇよ。恨むだけ無駄だ。」
首を竦めて笑う。
「俺は止めたんだよ!無駄死にするだけだってよぉ!」
笑顔に怒気が混じる。
「聞いて貰えなかったと?」
「あぁ・・・」
「それで無駄死にか。」
「あぁ・・・」
「俺達は獣だが親子の情はある。
荒事で死ぬのに文句はねぇけどよ、
とち狂った老いぼれの戯言で倅は死んだ。
骨どころか灰のひと摘みも残ってねぇよ。
弔いも出来やしねぇ。」
「望みは何かね?」
不意に衝立の向こうから声がした。
気配だけは感じていた。
「この手で落とし前を付けたい。」
衝立を睨みつける。
「貴族の処分は我々が行う。」
平坦で冷たい返事が返る。
「そんな事は判ってるよ。
俺の獲物はモルガンだ。
一人だけ逃げやがった卑怯者だ。」
「他に鞍替えしたい者は?」
「俺を入れて20人だ。皆腹を括っている。」
「報酬は払うが信用はしない。」
どんな理由が有ろうとも主を裏切った者に安住の地は無い。
「あぁ使い捨ても承知の上だ、野良犬として生きるさ。」
もう誰にも忠義を捧げるものか馬鹿バカしいとカイビンドは吐き捨てた。
密談が終わり獣は巣に戻った。
カイビンド一派は諜報活動を担っている。
偽の情報を流し相手を誘導するには好都合だ。
「ところでアープ、鑑定用の試料は手に入ったのか?」
精液の沁み込んだシーツの事だ。
「あぁ~それなんですがね・・・手には入れたんですが・・・」
「どうした?不都合でもあるのか?」
「えぇ、体液は採取したんですが反応しないんですよ。」
鑑定紙には何の印も浮かばなかった。
「どう言う事だ?」
“真・偽”のどちらかが表れる筈だ、それが血か精液であればだが。
「鑑定士が言うには精液の中に子種が無いそうですよ。」
「どう言う事だ?」
エースは同じ言葉を繰り返した。
「マルキス卿は父親では無いと言う事ですよ。」
鑑定不能である事が逆説的にそれを示している。
マルキスは正妻との間にも子が居ない。
「では誰が父親なのだ!」
「さぁ?もう一度、陛下の血で照合しますか?」
それが“真”であればまだ救われる。
「マルキス卿の血で再鑑定の必要もある。」
念には念を入れて置かなければならない。
「血ですかぁ~さぁて、どうしますかねぇ。」
高位貴族の血液をどうやって手にいれようか、
ましてや王の・・・
アープは窓の外に視線を向けた。
行く河の 流れは絶えずして
しかも元の水に非ず
ゆるりゆるりと川は流れる。




