*第33話 カルアン怒りの鉄拳
王宮での乗馬会が開かれる少し前の事である。
「これは正気の沙汰では無いぞ!」
バルドーの間諜により届けられた指令にビクトルは戸惑っている。
「如何なされましたか?」
常に無い狼狽え振りにマルキスも動揺した。
「聖女を殺せと言って来おったわ!」
微妙に勘違いをしているアバルの書いた、
曖昧な文面を更に裏読みしてしまった。
「そんな!それはあまりにも無謀では有りませぬか?」
精霊王と聖女の持つ力がどれ程かは知れないが、
途方も無く強大である事は想像に難くない。
「やるしかあるまい・・・
其方にも働いて貰うぞ、良いな。」
バルドーの間諜に返答を求める。
「我ら25名、存分にお使い下され。」
「総力を挙げて掛かれ!よいなモルガン!」
「承知仕りました。」
ジョンソン侯爵家に仕える闇の工作部隊。
御庭番棟梁モルガン。
御下命とあらば、相手が聖女でも躊躇わない。
えらい事になったとマルキスは慌てた。
「お!お待ちください父上!
丞相の真意を問うべきではありますまいか。」
混乱しながらも極めて適格な判断であるが、
ビクトルの固執は溶けない。
「その様な真似をして魯鈍と侮られたいのか!」
一体どうしたと言うのか?
この逼迫した様子は明らかに異常だ。
「しかし・・・」
「黙れマルキス!更なる抗言は許さぬ!」
「うっ・・・御意のままに。」
何だこれは?
我らは何所へ向かっているのだ?
己の足が怯え震えている事に、
マルキスは気が付かなかった。
****
「お辞めください旦那様!奥様に叱られます!」
エルサーシアが期末合宿に出かけて3日が過ぎた屋敷内で、
マルガリテは必死の抵抗をしていた。
「良いではないか!サーシアはまだ戻らぬ!」
理性を失い血走った眼でカルアンが迫る。
「こんなに沢山あるではないか!一枚で良いのだ!」
寂しさに耐えかねたカルアンが
エルサーシアの下着を盗もうとしていたのだ。
「なりません!奥様は総てのパンツを把握しておられます!
それはもう拘っておられます!
一枚でも欠ける事はお許しになりません!」
衣装にも装飾品にも無頓着なエルサーシアだが、
パンツにだけは異常な程の執着を見せるのだ。
「後で返すと言っておるではないかっ!」
「信用できないと言っているのですっ!」
「主の言う事が信用出来ぬと申すかっ!」
「全く以って致しかねますっ!」
一歩も引かない忠義者にカルアンは奥の手を使う事にした。
「頼むこの通りだ、もう耐えられぬのだ。
せめてパンツを彼女の形見として・・・」
正座をして両手を床に付いて頭を下げる、
要するに土下座である。
「縁起の悪い事を言わないで下さい!駄目なものは駄目です!」
その頭を踏みつけてやりたい衝動を抑えながら
マルガリテは断固として拒否した。
「貴方は何をしているの?カルアン。」
不意に後ろから声がした。
「あ!姉上!」
これはとんでもない所を見られたと
カルアンが言い訳を考えていると、
足音も慌ただしく家宰のジャックが飛び込んで来た。
「旦那様!一大事にございます!
奥様のお命が狙われておりまする!」
もはやパンツどころでは無い。
「詳しくはこの者からお聞き下さいますよう。」
ジャックの後ろには庭師の老人が控えていた。
「お庭衆のボージャンガルですね。サーシアに何かありまして?」
「お久しゅう御座います奥方様、
ネズミを一匹捕まえて吐かせました。
合宿中にて姫様を襲撃する計画のようです。」
「その様な事はさせぬ!誰の差し金か!」
全身を闘気で包んだかのようにカルアンが言った。
「仲間が潜んでいまして口を封じられました、申し訳ございませぬ。」
「そうか・・・致し方あるまい、して猶予はどのくらい有ると見るか?」
「一刻を争うかと。」
「姉上!辺境伯にこの事をお知らせ下さい、我らは直ちに出立致します。」
「分かったわ!ジャック、一緒に来て頂戴な。」
カルアンは只の人格破綻した変態では無い。
文官の家に生まれ、何の伝手もコネも無しに
実力で王国騎士団入りを成し遂げた文武両道の変質者である。
愛する妻の危機に立ち向かわんとする彼は今、
悪鬼羅刹の化身と成っていた。
「マルガリテ殿、私は戦場に赴く。
お守りにサーシアのパンツを一枚所望したい。」
「お断り致します!」
カルアンは煩悩外道の化身でもあった。
エルサーシア達が居るのは聖騎士訓練場内の院生教練所である。
カルアンと御庭衆の15名は高速移動で急行し、
森林地帯の入り口に半日で到着した。
予め先行していた斥候と合流し報告を聞く。
「敵は約50、全員影の者かと。」
暗殺術に長けた戦闘員50人を相手にするには手数が足りない。
「ダモンの援軍を待ちまするか?」
ボージャンガルが指示を仰ぐ。
「いや、遅きに失してはならぬ。
我らで突撃を掛けて時間を稼ぐ、
援軍の到着まで一人でも多く削る。」
戦争などの軍事的な大規模戦闘であれば魔法は強力な戦力となるが、
接近戦では殆ど役に立たない。
呪文を詠唱している間に敵刃が届いてしまうからだ。
敵味方入り乱れての白兵戦では剣術・体術が勝敗を分ける。
戦闘が開始されてから四刻ほど過ぎた。
突撃、攪乱、離脱を繰り返し35の敵を屠った。
ダモン御庭衆の攻撃力は圧倒的であった。
「くそっ!何者だ奴らは!」
「半分以上やられました!このままでは全滅しますぞ!」
失敗したのか?
モルガンは決断を迫られた。
「当初の計画は捨てるしかあるまい。
これより教練所を急襲する!駆け抜けろ!」
この場での戦闘を捨て、標的を目掛けて雪崩れ込む強襲戦闘に転じた。
「これは不味いですぞ!カルアン様、奴ら隠密を捨てました!」
「追え!行かせてはならぬ!」
これまでの戦闘でカルアンも傷を負っていた。
肩口の傷は深く右手は力が入らない。
彼女を守る為であれば命も惜しくは無いが、
死ぬ前にあの可愛い顔をもう一度見たいとカルアンは願った。
ひたすら敵を追い続け、ついに教練所までたどり着いた。
エルサーシアの姿が見えた!
まだ無事だ!
敵の一人が石弓を構えてエルサーシアを狙っている!
「おのれぇ!させるかぁ~!あちょぉぉぉ~!」
裂帛の気合を発して、
高速移動の勢いに乗せた左手で殴りつける。
拳は砕け、手首は不自然に折れ曲がった。
「この死に損ないがぁっ!」
背中から刺されるのが判った。
(熱い・・・あぁサーシア・・・
そんな顔をしないでおくれ・・・)




