*第21話 夜が明けてアナマリア
王族が所有する離宮の一つ
ターターリニ宮殿。
ここで第二王子フリーデルと母アナマリアは暮らしていた。
王都から馬車で半日ほど離れた丘陵地に佇む。
屋敷から見えるブドウ畑と、嘗ての城郭を利用したワイナリーが付属している。
貴腐葡萄から作られる甘口で琥珀色のワインは
“王家の甘露”と呼ばれ王宮で開かれる宴でのみ振舞われる。
「もうお戻りになってしまいますの?」
乱れ髪もそのままに薄い寝間着を肩に羽織り、
背中に寄り添う仕草が妖艶だ。
「許しておくれマリア。今夜中に戻らねばならないのだ。」
そっと振り向きざまに頬に手を添えて接吻し、
彼はそう言ってもう一度唇を重ねた。
「いえ、いいのよ御免なさい。
ちゃんと分かっていますの。
でも寂しくて・・・」
ダモンの姫を巡る攻防で後れを取っている事は彼から聞いていた。
寸刻を縫う様にして会いに来て
呉れているのだと思うと尚更に離れがたい。
「何か私に出来る事があれば言って下さいましね。」
(あと少し・・・あと少しだけ・・・)
彼の首筋に腕を回して唇を求めた。
拠り所を無くした寝間着が落ちて、
まだ熱りの醒めやらぬ肌が晒された。
「あぁ悪い子だね君は。
何もかも忘れてしまいそうだ。」
朝までに戻れば良いかと、彼は誘われるに任せた。
「でも許して下さるのでしょう?」
乳房に顔を埋める彼の髪を撫でながらアナマリアは思考を眠らせた。
翌朝、一人きりの寝台で目が覚める。
一輪の花は彼が置いていったのだろう。
誰もいない隣をそっと撫でた。
彼の髪の毛がほんの少し残されていた。
初めて彼に抱かれた夜が10年も前なのだとは思えなかった。
瞳は彼の姿を求め、両耳が彼の足音を探した。
彼の残り香に酔いしれ、飢えた唇が彼の名を呼んだ。
決して昇華される事の無い情念は、
初恋のままアナマリアを焦がし続けていた。
「エルサーシア・ダモン・ログアード・・・」
ふと一人の少女の名を呟く。
今年に入ってから彼が頻繁に口にする名だ。
フリーデルの妻にと彼は考えている様だが、
例え少女であっても彼から女性の名を聞くのは不快だった。
「もうどうでも良いのに・・・」
我が子への愛情は確かに有る。
何と言っても彼の子だ、彼の為に生んだ子である。
しかし玉座に就かせる事になど興味は無かった。
いっそ3人で平民として生きて行けたならと思うのであった。
のらりくらりと離宮への招待を躱されていたが、
さすがに国王直々の口添えを無下には出来ぬ様で、
来週末に予定している親睦会に応じる知らせが届いた。
年末には婚姻が成立するとの事だが、
聞くところによると相手はあまり評判が宜しく無いと言う。
思えば哀れな娘だとアナマリアは幾分か同情していた。
愛すれども並び立つ事の出来ぬ女と、
妻の名のもとに望まぬ愛を強いられる少女と、
これ程に正反対の二人が語り合うのも面白いかも知れないと思った。
正反対どころか異次元である事をアナマリアは知らない。




