雨の日限定の能力者バトル!
雨の日に傘でチャンバラしている子供たちを見て思いついた話を勢いで形にしました。探せばもうありそうなお話。
「フッ、雨か……」
中学校のくだらない授業を終えた放課後。愛用の傘を固く握りしめた俺は、ザーザーと雨の降りしきる曇った空を、昇降口の軒下から見上げながら呟く。
普通の人間なら雨の日は気が滅入る所だろう。暗くどんよりとした空模様に、靴の中まで濡れる不快感。夏には耐え難い湿気が加わるのだから堪らない。
だが、この俺――霧雨正人は違う。雨の日は心が躍る。身体が昂る。何でもできそうな全能感に浸れる。
それは何故か? 理由は簡単。何故なら俺は――
「――隙ありぃ!」
「ふっ、やはり来たか……!」
そこで不意打ちが迫ってきたため、空を見上げてポーズを取るのもそこそこに回避に移る。
昇降口の戸の影に身を隠したその瞬間、ドザアアァァァァッ! 開け放たれたこの場所に横殴りの豪雨が襲い掛かってきた。運悪くも俺たちの戦いに巻き込まれた一般生徒たちが、ずぶ濡れになりながら悲鳴を上げて逃げ惑っている。
巻き込んでしまってすまないね、君たち。
「不意打ちとは随分ご挨拶だな、五月雨!」
身を隠しつつ外の光景を覗き見れば、青い傘を手にした不良風の男が校庭に立っていた。一般人が見れば不思議に思うだろうが、奴は雨の中で傘を差していないにも拘わらず一切身体が濡れていない。しかしそれはある意味当然のことだ。
奴の名は五月雨弘。先ほどの不意打ちを見れば分かる通り、降りしきる雨の方向を自在に操作する能力を持つ<雨に愛されし者>だ。
<雨に愛されし者>とは、いわば特殊能力を持つ者たちの総称だ。俺やあの五月雨のように、雨の日に傘を手にしている状態に限り、特殊な能力を行使できる特別な者たち。人はそんな俺たちを、<雨に愛されし者>と呼んでいる。
「テメェの能力は厄介だからな! 先に潰しておくに越したことはないぜ!」
「その考え方には賛成だが、無関係の一般生徒を巻き込むことには賛成できないな」
「うるせぇ! 勝負に卑怯もクソもねぇんだよ!」
雨で気温が下がっていようと、奴は相変わらず沸点が低いらしい。再び横殴りの豪雨が昇降口を襲う。
やれやれ、このまま隠れていては一般生徒たちが帰宅できないな。気は進まないが彼らを逃がすためにも、奴と正面切って戦うしかない。
覚悟を決めた俺は愛用の黒い傘を刀のように腰だめにしつつ、攻撃が途切れた瞬間を見計らって降りしきる雨の下へ躍り出た。
「――はあっ!」
「はっ、効くかよ!」
一瞬で距離を詰めて傘で五月雨へと殴り掛かるも、向こうもそれを読んでいたらしい。傘で受け止められ、俺たちは鍔迫り合いの体勢に移行する。
降りしきる雨の下で傘を差さずにいるが、特別な人間である俺たちの身体は一切濡れない。何故なら俺たちは傘を手に持ってさえいれば、差す必要はないからだ。手にした傘から流れ込んでくる<傘力>が全身を覆い、レインコートのようになっているからな。
「雨の下に出てきたのが運の尽きだぜ! 食らいやがれっ!」
飛び退った五月雨が、傘を地面に向けて振り下ろす。その瞬間、重力に引かれるまま地面へと降り注いでいた雨が、一斉に俺に向かって降ってきた。
これはマズいな。俺を中心にした半球状に雨が襲ってきて逃げ場がないぞ。
<雨に愛されし者>はただの雨では濡れたりはしない。だがこれは能力によって干渉を受けた、<傘力>を帯びた攻性の雨。さすがにこれを受けて濡れずにいる事は難しい。
そして雨の日で無ければ力を発揮できない俺たち<雨に愛されし者>は、雨に濡れれば濡れるほど<傘力>を失い力を発揮できなくなってしまう。この攻撃を食らうわけにはいかない。
だから俺は――
「それはこっちの台詞だ。グラウンド整備がされていなくて、水溜りが幾つもできていたのが運の尽きだったな」
自分を包むように、足元から水のバリアを作ってやり過ごす。
奴が特殊能力を持っているのと同じく、もちろん俺も特殊能力を持っている。それは水溜りの水を自在に操る力だ。その性質から雨が降り始めてすぐには使用できないが、応用性は幅広い。攻撃にも防御にも、絡め手にも使える自由度の高い能力だ。
雨が降り始めたのはホームルームの開始辺りだったが、グラウンドが荒れていたことで何とか使用に耐える水溜りができていたようだな。運が良かった。
「チッ! 相変わらずふざけた能力してやがる!」
「それはお互い様だ。俺の能力はお前のような速効性の極みではないからな」
能力による攻撃が意味を成さなくなった途端、五月雨は自ら距離を詰めて傘で殴りかかってきた。
俺の能力は時間経過で更に強力になるタイプだからな。一度通じなくなったなら接近戦に切り替えるのは賢明な判断だ。
「おらぁっ!」
「ふっ!」
そのまま俺と五月雨は傘で打ち合う。だが狙いはお互いに身体ではない。相手の傘を叩き落そうとしているのだ。
<傘力>で強化された傘は打ち合った程度では折れないが、それは傘が俺たち<雨に愛されし者>の手にある時だけの話。傘との連結が切り離されてしまえば<傘力>は消え失せ、無防備なまま雨をその身に受けてしまう。
そうなれば例え傘を拾い直したとしても、大幅に<傘力>が弱体化した状態だ。戦闘続行は困難を極めることだろう。
「クソッ! 能力もでたらめなら<傘力>もふざけてやがる! 俺の愛傘が悲鳴を上げてるぜ!」
「ふっ、何せ八千円もした高級傘だからな。四か月分のお小遣いが吹き飛んだが、それに見合う力を得た」
鍔迫り合いに移行して、嫉妬に塗れた視線を向けてくる五月雨へ余裕の笑みを見せつけてやる。
お小遣い四か月分は非常に懐に痛かったが、<傘力>は傘の値段と使用期間で決まる。値段が高ければ高いほど、使用期間が長ければ長いほど、強力かつ強大な<傘力>を得られるというわけだ。
とはいえむしろ俺としては、シンプルで安そうな傘を武器に使っているにも拘わらず、半年ほど使用した俺の高級傘と渡り合える五月雨の方が羨ましいがな。見た目や性格に反してかなり物持ちが良いようだ。
「さあ、遊びは終わりだ。そろそろお終いにしよう」
「ぐっ!? クソッ……!」
五月雨が水溜りを踏んだ瞬間、その身体を水で形作った蛇で拘束し、動きを封じる。
打ち合っている間に周囲の水溜りもだいぶ広がった。最早雨の降る方向を変えることしかできない奴に打つ手はない。後は傘を叩き落せば俺の勝ちだ。
だから俺は静かに傘を正眼に構え、五月雨の傘を叩き落さんと振り下ろし――
「――もらったぁ!」
「っ!?」
突如横合いから聞こえてきた可愛らしい声に、トドメの一撃を中断して飛び退く。この声は、奴か……!
声が聞こえてきた方向に目を向けても誰もいない。だがそれは当然だ。何故なら奴は姿を見えなくしているのだから。
「ほうほう、直前で我の殺気を感じて身を引いたか。さすがは<水溜りを統べる者>と言うべきか」
「氷雨……」
そうして陽炎の如く揺らめきながら姿を現したのは、右目に医療用の眼帯を付けたツインテールの女子生徒――氷雨舞。傘を逆手に構え左手で顔を覆い、指の隙間からこちらを眺めて実にカッコいいポーズを取っている。
もちろん彼女も<雨に愛されし者>だ。そしてその能力の厄介加減は五月雨を上回る。何故なら彼女は雨の雫限定とはいえ、光の屈折率を変えることができる能力者だからだ。自身の姿を消えたように見せることも、分身や幻を見せることもお手の物。途轍もなく恐ろしい能力だ……。
「人が最も油断する瞬間とは、敵を仕留める正にその瞬間。しかし貴様は<豪雨を操る者>を討つその瞬間も警戒を怠らず、我の不意打ちに対応した。さすがは我が唯一認めた戦士であるな! あっぱれであるぞ!」
「………………」
別に殺意に気付いたとかではなく、単に『もらったぁ!』とかいう掛け声が聞こえたから気づいたんだが、そこは言わない方が今後のためになるだろう。コイツが不意打ちの時に掛け声を上げなくなったら対処しきれん。
「チッ、女が男の戦いにしゃしゃり出てくんじゃねぇよ!」
「ほう? その女に助けられる形になっておきながら、よくもそんな恥知らずな台詞が口にできるものだな?」
「あ? テメェの助けなんざ無くとも、俺様ならあのくらい切り抜けられたんだよ!」
「なるほど。では我の助力が無くとも、<水溜りを統べる者>を打倒することができると?」
「それは……くっ!」
喧嘩腰だった五月雨が、氷雨の言葉に苦渋に満ちた顔で舌打ちする。
しかしマズいな、この展開はよろしくない。とてもよろしくない。氷雨は見た目に反して極めて理性的で頭の回る女性だ。恐らくこの流れは――
「<豪雨を操る者>よ、ここは我と手を結ぼうではないか。我と貴様が力を合わせれば、いかな<水溜りを統べる者>と言えど打倒することは難しくない」
「……チッ、仕方ねぇな。コイツを倒したら次はテメェの番だぜ?」
「ククッ、良いだろう。何なら自ら負けを認めても良いぞ? 我の目的は<水溜りを統べる者>を打倒すること、ただ一つだからな」
やはり共闘か。熱い展開だ。
マズいな。確かに俺の能力は攻防一体で応用性に富んだ能力だが、それを操る俺自身は一人しかいない。二人を相手に、それも幻惑を得意とする氷雨が相手にいては、さすがに苦戦は免れないだろう。いよいよ俺も年貢の納め時かもしれないな。
「行くぜぇ、霧雨っ! 今日こそテメェを地べたに這い蹲らせてやる!」
「覚悟せよ、<水溜りを統べる者>! 今日こそ我は、貴様を越える!」
並び合い、俺に獲物を向けてくる二人の<雨に愛されし者>。綺麗な青の傘とハートが散りばめられたピンクの傘が、同時にこちらへ突きつけられている光景は実に壮観だ。何より敵との共闘という展開が憎い。俺も一度はやってみたいものだな。
「なるほど。二人がかりならば、こちらが手加減する理由はどこにもないな?」
多少卑怯かもしれないが、戦いに卑怯もクソも無いと言ったのは五月雨だ。だから俺は傘を構えた二人の背後にある水溜りに干渉して、波で飲み込むような形で背後から襲わせた。
二人はそのまま全く気付かずに波に飲み込まれ――
「フハハッ、それは幻影だ!」
「何っ!?」
――はしなかった。何故なら突如として二人の姿が消え失せ、いつの間にか目前にまで迫っていたのだから。
氷雨の能力か! やはり厄介な!
「オラァッ!」
「くっ!」
大上段から振り下ろされた五月雨の一撃を、すんでのところで傘で受け止める。
だがこれで俺の手は塞がってしまった。右斜め前から今正に傘を振り抜かんとしている氷雨の一撃を捌けない。
「まだだ!」
とはいえそれは普通の人間の話。俺は周囲の水溜りの水を呼び寄せ、氷雨の一撃を防ぐ盾として具現した。
故に氷雨が放った一撃は水の盾に塞がれ――
「かかったな、<水溜りを統べる者>! そちらも残像だ!」
「なっ!?」
――再び幻とかき消えた。
そして氷雨の声が聞こえたのは左斜め前。極限の状態で加速された思考の中、傘を握った俺の左腕を、今正に奴の一撃が捉えようとしているのが目に入る。
マズイ、対応が間に合わない! このままでは……!
「――な、何だとっ!?」
「ああっ!?」
だが次の瞬間、氷雨の一撃は空を切った。これには本人も五月雨も驚愕の声を零していた。
軌道は完璧だったし、タイミングも完璧の一撃だった。だが対象である俺の位置が、一瞬で離れた場所へと移動しては外してしまうのも当然のことだろう。もちろんこの現象をもたらしたのは俺の能力ではない。
「――全く。二対一で僕の親友を襲うとは、君たちには常識と言うものが無いようだね?」
「テメェは……!」
「<雨間を駆ける者>……!」
いつの間にか隣に立っていたのは、俺と同じ黒の高級傘を手にした眼鏡の男子生徒。俺の幼馴染であり親友でもある、時雨信之だ。
雨の中で傘を差さず濡れていない点を見れば分かる通り、こいつも<雨に愛されし者>だ。その能力は瞬間移動。雨が降っている場所限定とはいえ、自分や他者を転移させられるのは正直あまりにも強力な能力だ。連発はできないらしいがそれでも脅威なのは確かだろう。
「遅くなってすまない、正人。今日は日直だったから色々と面倒な後始末が残っていてね。しかしもう大丈夫だ。僕が来たからには、君を一人にはさせないよ?」
「助かった、信之。お前がいなかったら俺はやられていただろう。お前には助けられてばかりだな」
「そんな水臭いことを言わないでくれ。僕たちは幼馴染で、親友じゃないか?」
そう言ってニッコリ笑いながら、安心させるように俺の腕に手を添えてくる。
なるほど、どうやら俺に力を貸してくれるようだ。敵に回れば恐ろしい事この上ないが、こいつが仲間に加わってくれるのなら心強い。
「<雨間を駆ける者>! 貴様、誰の許可を得て我の<水溜りを統べる者>に触れている!」
「許可? そんなものは必要ないだろう。僕と正人は裸の付き合いをしたことすらある、大の親友なんだからね」
「な、なにぃ!? き、霧雨の……は、裸……!?」
何故かよく分からんが、氷雨が猛烈に顔を赤くして混乱していた。
果たして一体どこにそんな反応をする要素があるのか。俺と信之は幼馴染なのだから、小さい頃に一緒に風呂に入ったことくらいあってもおかしくないだろうに。いや、そういえばこの前も一緒に入ったか?
「……くっせぇ茶番はここまでだ。テメェら纏めて、俺が全員ぶっ飛ばしてやるぜ!」
「やれるものならやってみるといい。僕と正人の最強タッグの力を君たちに見せつけ、思い知らせてあげよう。最後に勝利するのは幼馴染だということをね」
「ふん。ならば幼馴染は負けフラグだということ、我の力で証明してやろう! 構えろ、<雨間を駆ける者>! <水溜りを統べる者>!」
全員がそれぞれの敵へ向けて、各々の獲物を構え直す。
これから始まるのが正真正銘、本物の戦い。最強の<雨に愛されし者>の座を賭けた、一世一代の死闘の始まりだ。この高級黒傘八千円に誓って、絶対に負けるわけにはいかない。
「……行くぞ!」
気合を込めた一声を口にして、ぬかるんだ地面を踏みしめて駆け出す。
そうして降りしきる雨の中、決戦の火ぶたが切って落とされた――
「――こらぁっ! お前たち、何をしている!」
その直後、緊迫感を台無しにする大声が俺たちの脚を止めた。
見れば黒のスーツに身を包んだオジサンが昇降口の方から歩いてきていた。その頭のテカリ具合と、差していてもあまり意味は無さそうなしなびたビニール傘を見れば、あれが誰かなど一目瞭然。この中学校の校長だ。
「一般生徒に迷惑をかける行動は規則違反だと何度言えば分かる! お前たちのせいで昇降口が水浸しだ! 罰として昇降口の掃除と反省文の提出をしてもらうぞ!」
「邪魔すんじゃねぇよ、校長よぉ。俺様たちは今、最強の座を賭けた死闘を繰り広げる所なんだぜ? 一般人のハゲはすっこんでな!」
戦いに水を差されたせいか、五月雨は校長に対してかなりの暴言を吐いていた。そしてそれはどうも言ってはならない言葉だったようで、校長の頬がぴくりと引き攣る。
「……小童が。どうやら本物の力という物を思い知らなければ、自分がどれだけ矮小な存在か理解できないようだな?」
底冷えするような口調で呟いたかと思えば、校長は差していた傘を畳んで――何っ!? 雨の中だと言うのに、全く濡れない!? まさか、校長も<雨に愛されし者>だというのか!?
「な、何だよ!? このデタラメな<傘力>は……!」
「うわ!? うわわ!? う、嘘でしょ、こんなのありえない!」
「ば、馬鹿な……あんなビニール傘で、これほど濃密な<傘力>を……!」
校長が放つ<傘力>に気圧され、皆が冷や汗をかいてたじろいでいる。もちろん俺も同じ感情だ。
一目見て安物のビニール傘だと分かるのに、本能的な恐怖を感じさせるレベルの途方もない<傘力>を感じる。五年、それとも十年、あるいはそれ以上の期間に渡り、あの傘を使用し続けてきたのだろう。これが年の差というやつか……!
「見るがいい、小童共。これが絶対的な力というものだ――晴れろ!」
「うあっ……!?」
「眩しっ……!」
そうして校長が天に向けて傘を掲げた瞬間――太陽が二つ生まれた。
いや、正確には太陽は生まれていない。突如として雨が止み、雨雲が消え失せ、日の光が差してきたんだ。見れば学校の上には晴れ渡る青空が広がっていて、太陽の日差しがさんさんと降り注いできていた。太陽が二つ生まれたように感じたのは、校長の頭に光が反射していたからだな。
「な、何だよ、そりゃあ!?」
「ば、馬鹿な……我の<傘力>が……」
「いやはや、まさかこれほどとは……!」
神の如き所業に、三人は最早完全に委縮していた。もちろん俺も同じ気持ちだ。
何故なら今この場は雨が上がってしまった。故に雨が降っていなければ特別な力を得られない俺たちは、普通の人間に成り下がってしまったのだ。そうなってしまえば俺たちはただの中学生。大人や権力に勝てる道理はどこにもなかった。
悔しいが、校長こそ最強の<雨に愛されし者>に違いない……。
「どうだ小童共! これが絶対的な力というものだ! ククク、ハハハハハ!」
悔しさに膝をついてしまう俺たちを、哄笑を上げながら見下ろす校長。
決して越えられない、絶対的な力……確かにそれは事実だ。だがそれは今の話だ。<傘力>に磨きをかけ、いつか絶対その最強を奪い取ってやる!
俺はさんさんと輝く校長の頭を睨みつけながら、心の中にそんな野望を抱くのであった。
「クソッ、何で俺様が掃除しなきゃなんねぇんだ……」
酷く不機嫌そうにぼやきながら、水をモップで履き外へと追いやる五月雨。
雨の代わりに暖かい日差しが降り注いでいるせいで<傘力>を失った俺たちは、罰として昇降口の掃除をさせられていた。
「その台詞は俺たちの台詞だ。昇降口の中を水浸しにしたのはお前だろう」
「全くだな。貴様のせいで我らまで連帯責任を負わされてしまったではないか……」
「連帯責任と言われても、僕は最後の方にほんの僅かに参加しただけなんだけどなぁ……?」
同様に俺たちもモップや水切りで水を昇降口の外へと追いやりながら、五月雨への文句を口にする。
そもそも責任の割合で言えば五月雨が八割、俺が二割と言った具合で、氷雨と信之は何一つ悪くない。五月雨の攻撃をやり過ごすために昇降口の内側に隠れてしまった俺と違って、二人は終始校庭で戦っていたからな。とはいえ罰を与える側からすれば関係のない話だったらしい。
「しかし、まさか校長先生が最強の<雨に愛されし者>だったとはな。太陽の化身のような姿をしている割に、人は見かけによらないものだ」
「<水溜りを統べる者>よ、なかなかキツイことを言うな……だが、確かにあの姿を見ればその気持ちも理解できるぞ……」
俺の呟きに相槌を打った氷雨の視線が、昇降口を上がった校舎内に向けられる。つられて俺たちもそちらを見ると――
「ほら、校長先生。さっさとあの子たちが水を履いた場所を乾拭きしてください」
「いや、ちょ、ちょっと待ってください、教頭先生。この年で雑巾がけはさすがに腰が……」
「はぁ? 年齢を気にする割には、先ほどは随分と年甲斐のないことをやっていませんでしたか? 環境への悪影響が大きいからそういう真似をするのは止めてくださいと、何度も言っていましたよね? それを忘れてしまう方には身体に直接刻んで、覚えて頂くほかにありませんよ。ほら、さっさと乾拭きしてください」
「うぅっ……腰が……!」
そこではスーツに身を包んだ妙齢の女性である教頭先生に、校長先生が奴隷のような扱いを受けていた。とてもではないが、あれが最強の<雨に愛されし者>の姿だとは思えないな。
雨雲を払い日差しを取り戻すという神がかり的な能力を見せつけた校長だったが、あの後すぐに現れた教頭先生に大目玉を食らっていたんだ。そして教頭先生は俺たちに対して反省文の提出と昇降口の掃除を命じた、というわけさ。アレを見れば分かる通り、校長先生にもな。
俺たちは特別な人間だというのに、全く世知辛い世の中だ……。
「と、ところで<水溜りを統べる者>よ。放課後、何か予定はあるか? 何も無いのなら、その……我と……」
「あー、ごめんよ! 正人は僕の家に来て一緒にゲームで遊ぶ予定なのさ! しかし無益な戦いで少々汗をかいてしまったからね。その前に二人で汗を流すべきだろうなぁ?」
「あぁ!? 貴様、我の<水溜りを統べる者>とそんなけしからん展開を……!」
何やらもじもじと可愛らしく尋ねてきた氷雨だが、信之が答えたところ額に青筋を浮かべて怒り狂っていた。
どうやら俺と信之が二人きりで遊ぶことがお気に召さないらしいな。確かに昨日の敵は今日の友という言葉もあるし、戦いが終わったなら氷雨たちをないがしろにするべきではないだろう。
「何ならお前も来るか、氷雨?」
「ふえっ!? え、い、いいの!?」
「ああ。戦いが終わった今、俺たちは熱い友情で結ばれた戦友だからな」
「戦友……戦友かぁ……うむっ! まずはそこからで良し!」
納得が行ったようで、氷雨は頬を染めて嬉しそうに笑う。
全く、表情がころころ変わって見ていて飽きない奴だ。反面信之が何故か面白くなさそうな顔をしているが……ついさっきまで敵だったのだから、多少思う所があるのだろう。すまないな。
「五月雨、お前も来い。今度はゲームで決着をつけるぞ」
「あぁ? 上等じゃねぇか。俺が最強だってこと思い知らせてやるぜ」
試しに勝負を餌に五月雨にも声をかけてみると、あっさりと釣れてしまう。どうやら俺と競うことができれば内容はあまり関係ないようだな。単純な奴だ。
「決まりだな。では俺たちに与えられた掃除は終えたことだし、早速行くとしよう。教頭先生、それではさようなら」
「はい、さようなら。反省文の締め切りは三日後ですからね。八百字以内で書いてきて、担任の先生に提出してください」
教頭先生から与えられた罰の掃除は水履きだけだったので、四人で協力すればすぐに終わった。校長への当たりの強さとは打って変わって、俺たちへの対応が極めて軽いのは一体何故なのか。
生徒には強く当たれないのか、それとも校長に何かしらの恨みでもあるのか。先ほどのやり取りを見るに恐らく後者だな……。
「んじゃとっとと行って二回戦始めるぞ! 勝つのは俺だ!」
「まあ待て、<豪雨を操る者>よ。ここは一旦それぞれの拠点に帰り、身体を清めた方が良かろう……汗臭くて嫌われたらやだし……」
「チッ、お邪魔虫どもが。僕と正人の蜜月を邪魔するなんて、絶対に手加減はしてやらないからな……」
掃除用具を片付け、帰り支度をしながら各々が闘志を燃やす。
五月雨はともかく、氷雨は何故か頬を染めて恥ずかしそうにしているし、信之に至っては闘志を越えて殺意を感じるほどだが、三人とも仲が良さそうで何よりだ。最強の座を賭けて競い戦うのも好みだが、やはりこうして年相応に友情を深め合うのも悪くないな。
たまには戦いを忘れ、皆でゆっくり羽を伸ばすのも良いかもしれない。愛用の黒傘を握りしめながら、俺はそう思った。
「き、君たち。先生も仲間に――」
「駄目です。校長先生はさっさと乾拭きしてください。もたもたしているとワックスがけも追加しますよ。それから掃除が終わったら反省文の提出もお願いします。締め切りは二時間後、文字数は一万字です」
「お、鬼だ! 鬼がいるっ!」
というか現最強の<雨に愛されし者>があの様なのだから、最強の座を争うことにはあまり意味が無さそうだ。最強の座を得たとしても、あのように誰かの尻に敷かれ奴隷のような扱いを受けるくらいなら、最初から目指さない方が賢明だろう。
つまり校長先生は教育者として、立派に俺たちに道を示してくれたわけだ。大人しく控えめに生きて行った方がいい、と。ありがとう、校長先生。俺は絶対にあなたのようにはなりません。
「ん? これは……」
そんな決意を抱きつつ昇降口を出たその時、俺の頬にぽつりと何かが触れた。思わず空を見上げれば、そこに広がっていたのは黒い雨雲。
なるほど。どうやら校長先生の能力は一定範囲の雨雲を消滅させるだけで、雨雲の存在しない空間を維持できるわけではないようだな。あるいは一定時間消滅させるだけで、時が過ぎれば元に戻るのかもしれない。どちらであろうと大概イカれた能力だが。
「………………」
まあ校長先生の能力の詳細など今はどうでもいい。重要なのは空に雨雲がかかっていること、そしてぱらぱらと再び雨が降り始めていることだ。
当然ながら俺は愛用の高級黒傘を手にしており、雨が降っているおかげで<雨に愛されし者>としての力が覚醒し、<傘力>が流れ込んでくるのをばっちりと感じている。
俺が力を取り戻しているのだから、周りの奴らも力を取り戻しているのは自明の理で――
「――しゃああぁぁぁぁっ!! 最強は俺だああぁぁぁぁっ!!」
「くっ、いきなりだな……!」
前置きも無く、五月雨は素早く俺に襲い掛かってきた。
その動きの激しさはさしずめ水を得た魚のようだ。尤もこのことわざは俺たち<雨に愛されし者>全員に適応できるのだろうが。
「危ない、正人! ここは僕に任せろ! 君の大親友が全てを賭けて君を守る!」
「貴様ああぁぁっ! 幼馴染だからと言って男の癖に何度も何度も美味しい展開をかっさらっていきおって! もう許さん! その立場は我のものだ!」
ほんの一瞬で先ほどまでの仲の良い悪友たちといった空気は霧散し、皆が各々の敵に向けて闘志を露わにする。
構えられるそれぞれの獲物である傘。立ち上る<傘力>と、ひりつくような空気。
ああ、ダメだ。最強など目指したくないと思ったはずなのに、身体中の血が騒いで堪らない。傘の柄を握るこの左手が、どうしようもなく闘争を求めている……!
「……ははっ! くだらないことを考えるのは止めだ! 俺は戦いたいから戦う! 行くぞ、お前たち!」
衝動に抗えなくなった俺は自らの獲物を構え、自ら戦いの場に足を踏み入れた。
もちろんこの後、全員揃って再度教頭先生に怒られたのは言うまでもないことだな。