旅には、相棒が付き物。
インドネシアには「ナゴヤ」という町がある。そこを訪れた時の話。その3。
旅には、相棒が付き物だ。
私が幼少期に好きだった小説ジャンル「冒険物ファンタジー」では定石だった。
古今東西を問わず、それは同じであろう。
名前以外はほとんど知らぬ島に一人で行くのは、やはり勇気がいる。
誰か一緒に行く人が居れば、不安も和らぐものだ。
幸い、研修でシンガポールに来ていたので、他の学生が沢山いた。
しかし、そのほとんどはシンガポールが初海外。
私の思い付きの旅行計画を伝えると面白そうだねとは言ってくれるものの、
いざ一緒に行こうと誘えば二つ返事で断られた。
そんな中、一人の後輩が、このプチ冒険旅行に興味を示してくれた。
名は大橋君という。
彼は、濃い顔をした 身長180cmもある大男で、元ラグビー部らしく、、なるほどガタイが良い。
研修メンバーでは、一番年下だったが、誰よりも野太い声で話す男で、
一緒に来てくれれば、間違いなく心強い、そんな雰囲気を持っていた。
私とは全然違うタイプの彼が良い反応を示したのは、予想外だったが、
結果として頼もしい旅のパートナーを得た。
シンガポールでの宿泊先は、コストをなるべく抑えるためか、高校の寮の空き部屋で
お世辞にもいい環境とは言えなかった。
普段は使われていないため、部屋の設備は最小限で、ベットと机のみでクーラーが無し。
シャワー室はお湯が数分しか出ないオンボロだった。
三月とはいえども赤道直下のシンガポールに季節なんて無い。
毎日が30℃を超す常夏、クーラーなしは正直しんどい。
天井に巨大なファンが付いており、それで何とか涼を取った。
冷涼な気候で育った私には、寝苦しい夜が続いた。
また、設備だけでなく立地も芳しくなく、まず地下鉄の最寄り駅までバスで行かねばならなかった。
また着いた駅も中心街や埠頭からは大分離れていた。
寮には、インターネット環境も一応あったが、申し訳程度で、よく接続できなくなった。
そんな環境で調べ物をするのも段々面倒くさくなってきて、船着き場にたどり着けばなんとかなるだろうと考え、色々調べるのをやめた。
日帰りと決めていたので、長い時間をその出稼ぎ島で費やすため、我々は出来るだけ朝早く寮を出る事にした。