田舎者は帰れ
右回りに鼠、牛、虎、兎。それから龍に蛇に馬に羊。
猿に鶏に狗を経て、猪を過ぎて鼠に還る。これら右回りにぐるりと並んだ十二の事物は、『一日における時刻』を示していた。
一日は夜中「鼠」より始まり、明け方を「兎」、昼間を「馬」、暮れを「鶏」にて表される。
――高く昇った日。時計の針は下を指しており、間もなくして「金馬」の時を示そうとしている。
そして、針が動いた。一日の半分の終わりと併せ、時計の上に設置された鐘が左右に揺り動いた。
鉄同士が打ち鳴らす固くて高い音が、街中に響き渡る。この四角い時計塔が聳え立つ街の名は「ハトゥーサ」。三日前にシュラクを発ったあなたたちは、今しがたこの町に到着した。
「わあ、いい音。ステキ……」
あなたと共に旅をする少女、ワラビが鐘の音に感激した。
彼女は好奇心の塊である。今までも初めて見る西方の文化に、東から来た彼女は目を輝かせていた。
しかし、以前あなたは彼女から、東にも鐘の音で時を告げる文化があることを聞いている。よってあなたが、東とどこが違うのか、といった旨を彼女に尋ねる。すると、
「こんなキレイな音してないもん。うちの方じゃ“ごーん”って感じの音だし。ねね、それよりもさ、こっちって教会で結婚式挙げると神父さんがこの音を鳴らしてくれるんだよね? うう、私も結婚してこの音に祝福されてみたい」
彼女が将来するであろう花嫁姿を想像する。もっとも、鐘を鳴らすのは神父ではないが。
「あれ教会かな? あっ、あれもしかして劇場? ねえキミ、早く行こっ」
心弾ませるワラビが、新しき街へとあなたを誘った。
このワラビだが、最近ある事実が発覚した。それは、シュラク東の廃墟で起きた事件。ワラビはあの魔王を倒し、世を救った伝説の勇者の子孫だった。
英雄の血を引く女の子。その存在は貴ぶべきものである。だがあなたは、特に気後れせず彼女と接している。
一因はユーダリールで拝んだ勇者の像にあった。あなたはあの優しそうな顔の銅像を見て、今では勇者という伝説に些か気抜けしていた。また、戦いでは魔法も使えて頼りになるワラビだが、普段の彼女は容姿も性格も幼くて敬う気になれなかった。
それにしても、勇者は魔王打倒後、訳あって新たな旅に出た、とあなたは聞いていた。
事跡を知る者はいない。いや、知るヒトは知っているのかもしれないが、少なくともあなたは勇者が東へ赴き、子を成していたとは知らなかった。
勇者は魔王を倒した後、どんな人生を送ったのか。その子孫ことワラビが、うきうきな様子であなたの前を行く。
しかし、そんな彼女に冷や水を掛けるアクシデントが起きる。右手に花屋が見え、店頭に陳列された真っ赤なバラを、ワラビが歩きながら眺めていると、
「きゃっ」
ワラビがぶつかって尻もちをついた。
「いってーなこのガキ! 田舎者め、気をつけろ!」
衝突した中年の男が、転んだワラビに罵声を浴びせた。
舌打ちして去った男。確かによそ見をしていたワラビに非はあるが、あんなにも怒鳴る必要があるだろうか。
そもそも男だって不注意だ。あなたたちが腹立ちを覚える。だが、
「ふふっ、どこの田舎者かしらね、あれ」
「見て奥様、あの娘の汚らしい格好。着物とか言ったかしらあの服、いずれにしろセンスがないわぁ」
「しかも剣まで持ってるわ。野蛮ねぇ、早く街から出て行ってもらいたいものだわ」
あなたたち、特にワラビの格好を見て、婦人三人が冷笑している。
この婦人三人は上品な装いをしていた。それぞれが日傘を差し、フリルの付いたドレスを着て、ハイヒールを履いていた。
間もなくして、あなたたちの視線に気付いた婦人たちが「田舎者が睨んでるわ」「怖い怖い」と言ってそそくさと逃げた。
バカにされたあなたたち。立ち上がって尻を払うワラビが、
「なによ、あのオバさんたち。顔も知らないのに失礼しちゃう」
と言って頬を膨らませる。
しかし、この程度では済まなかった。余所者のあなたたちに、人々の冷めた視線が容赦なく降り注ぐ。
「なんだありゃ? どこの農園の奴だ?」
「いや、旅行していて迷い込んだのじゃないか? 見てみろ、荷物が多いじゃないか」
「ああ、なんだ、田舎者だったのか。何にせよ金を持ってなさそうな奴らだな。下町の安宿にでも泊まれば恥を掻かずに済むものの」
「バカは一度恥を掻かなければ分からないさ。それより貴方の勧める銘柄だが……」
同じく上品な格好をした男二人が、葉巻を吹かしながらあなたたちを遠目に見て言った。
そして去る男二人。ハトゥーサという町、東の山奥に炭鉱があることから石炭の町として知られているが、それともう一つ、この町は煙草の産地としても有名である。
この地方のタバコは評判良く、ここで作られた煙草の愛煙家は多いと聞く。石炭と煙草の輸出で栄えた好景気に沸く町、それがハトゥーサという町である。
しかし、好景気は良いことだけではなかった。この町はある問題を抱えていた。
石炭は昔から採れた産物だが、タバコの栽培が始まったのは最近の話である。よって旨い煙草は、古くからこの町に住む人々に財をもたらしたが、一方で急速に発展する町に市政が追い付かず、タバコ農園を持つ地主ばかりが潤う事態となっていた。
この町はタバコの生産が始まると同時、人口が加速するように増加した。その増えた人口の大半は「小作人」と呼ばれる地主に雇われてタバコ栽培に従事するヒトで、この町のヒトではなかった。
小作人は公共施設の不十分な郊外に住んでいた。この町では、住民間の格差が広がっていることが問題となっていた。
「ああ? 小作人どもが給料が安いと文句を言っているだと? ふん、田舎から仕事を求めて来たくせに。ほっとけほっとけ」
「田舎者どもはこき使うくらいでちょうどいいんだ。それよりも商会が新たな事業を起こすと聞いたんだが」
「ねえ、見てくださいまし。このリング、主人に買って貰ったのよ」
「あら、いいわねえ。田舎では決して手に入らない代物だわ」
街行く紳士が、華美な婦人が、何かにつけて「田舎イナカ」と嘲弄していた。
なまじ、成功して富を手にしたからかもしれない。あるいは小作人のほとんどが余所から来たからかもしれない。
どこへ行っても余所者は白い目で見られるもの。しかし、その傾向がとりわけ強いこの町の裕福な者たちは、金のない余所者を「田舎者」と言って蔑んでいた。
街の排他的な気質を感じ取り、
「なにこの街。いけすかないし、それに煙草くさいし」
ワラビが先ほどの気分などすっかり忘れ、ヘソを曲げる。
***
まずは仕事だ。あなたたちは戦士会が営む店を探した。
しかし見つからなかった。それだけではなく、市街地には宿もなければ食堂もなかった。
正確には宿と食堂は存在した。だが、この街が持つ排他的な気質があなたたちの入店を許さず、あなたたちは宿屋や食堂の店主から「田舎者は帰れ」と追い出されていた。
ヒトにも訊けず、途方に暮れた余所者のあなたたち。時計塔の針は「落猿」の時を示そうとしている。
「むっ!? おい待て、そこの変わった格好した娘と“おまえ”!」
郊外に行こうか。そんな提案をあなたがワラビにしたとき、突如としてうるさい男の声があなたたちを呼び止めた。
また田舎者と蔑まれるのか。そうあなたが後ろに振り向くよりも早く、反応の良いワラビが激昂した。
今日ろくに食べていない彼女の怒りは、いま最高潮に達している。
「失礼ね! 誰がヘンな娘よ!?」
「うおっ!? すっ、すまん、悪気はないんだ。ひょっとして旅の者かと、俺は声を掛けた次第でな」
先ほどの強い口調から一転、呼び止めた男が慌てて謝った。
男は、ボサボサの髪によれた背広を着ていた。旅人のあなたでも敬遠するような身だしなみをしていた。
街の住民だろうか。いずれにしろ格好が悪ければ口も悪い。目付きも悪く、男は凶悪犯罪者も真っ青の悪人面をしている。
「なあ娘よ、俺は変なんて言ってない。変わった、って言ったんだ」
「変わったってことはヘンってことでしょ! あんまふざけたことばっか言ってるとおじさん“はっ倒す”よ!?」
「それは思い違いだ! ああもう、今どきの若い娘の考えることは分からん、頼むから機嫌を直してくれ……」
だが、まくし立てるワラビの剣幕に、男はたじたじでものすごく焦っていた。
口も面も悪いが、人は良い。一応親切心で声を掛けたようであり、男は悪いヒトではなさそうだった。
それにしても滑稽だ。いい大人が、十六歳の少女に振り回されている。