get magic
「君、これがなんだか分かる?」
いつも授業を受ける教室、ではない縦長な一室。面談などに使われる多目的な部屋である。
普段は空き部屋で、特別な時のみ使われる。その部屋で女教師エムブラが、手拭いで目を覆ったあなたの前で、細くて綺麗な指を一つ二つ、四つ立てた。
指を立てるエムブラだが、あなたは手拭いで目を封じられているため見える訳がない。したがってあなたが、分からないといった旨を伝えると、
「よし、見えてないね。それじゃ君、立ちなさい」
得心したエムブラに促され、あなたが椅子から立ち上がった。
「じゃあ君、その場で回りなさい。ボクがいいって言うまでだよ」
言われた通りにあなたが、時計回りにその場を回る。
傍から見ればおかしいだろう。一人の女性に命じられるがまま、イヌでもなければバレリーナでもないのにクルクルと回っているのだ。だがあなたは、ワンと吠えなければ踊るわけでもなく、不平を唱えずに粛々と回った。
そうして、二十回は回っただろうか。なおも回り続けるあなたにエムブラが、
「はい、そこまで。そのまま立ち続けて」
手を叩いてあなたを止めた。
酔いは僅かにしか感じなかった。あなたは頑強な体をしているため、まだ回ろうと思えば回れた。しかし、そんなあなたの額に、エムブラが人差し指をあて――。
――“幾度首絞めんと思うたか。老い耄れの臭い染み付き故に”
“狂わせてたもれ。権勢も懇請も、令名も安寧も、惜しみなく与えん”
“都度に臍噬む忍従は過ぎた。旧き胤絶やし我と其方が嗤おう”――
「――“堕天使”」
例えるなら、水面に広がる波紋だろうか。そのような緩い波があなたの耳を侵蝕する。
目眩がした。脚が自分の物でないような感覚に苛まれ、このまま歩けば壁に衝突するであろうあなたに、エムブラが得意げになって呼びかける。
「どう? 気持ち悪いでしょ? 君は至って丈夫そうだからね、ボクが特別に魔法をかけたよ」
エムブラはあなたの強さを鑑みて目を回す魔法を唱えた。堕天使とは、耳の奥を揺らして対象を酔わせる魔法である。船乗りや運動競技者の訓練に使われることがあるらしい。
何故そんな嫌がらせをエムブラはしたのか。それはこれから、試験を行うからだ。
「それじゃ試験開始。さあ君、北を当ててみて」
遂に課題、太乙の試験が始まった。あなたが不快な感覚に負けず集中する。
太乙に用いる元素は土、業、界。まずあなたは、宣言句「神々に翻弄されし星斗、北天に廻る」を詠むと同時、「Ursa Major」と呼ばれる北天の星座、つまり紋様をイメージした。
今唱えた「星斗」。これが若き頃に殺めた母を指すらしい。太乙の魔導書に母を誤って殺してしまった王の苦悩が書かれていることは説明したが、この母、読めば読むほど同情を誘う。
彼女は元々、月の女神と称される程の美しさを誇る、貞淑で気高き女性に仕えていた。そして彼女も、女神に負けず劣らずの美貌を備えていたのだが、この美貌が仇となり、彼女は好色な男にかどわかされた。
間の悪いことに彼女は妊娠してしまった。初めこそ隠せたものの、日に日に膨らむ腹は隠せる訳がなく、その孕んだ腹を見た女神は激怒、彼女を追放した。
失意のうちに彼女は子を産んだ。この時の子が後に王となる。さらに不運は続き、彼女を犯した男の妻が、彼女が夫を誑かしたと誤解した。怒り狂った男の妻は、彼女を捕まえて徹底的にいたぶり、誰ももう彼女と気付かない程にその容姿を醜く変えた。
そうして最期が訪れる。歳月は流れ子は逞しく成長し、山の中で寂しく潜む変わり果てた母を、子は獣と勘違いして槍で刺し殺した。
更に歳月が経ち、大人になって子は昔刺した獣が母と知った。子は一国の王に立身したが、己の不明を終始呪った。
この物語を基に、あなたが作った次の句を唱える。
同時に「Ursa Minor」と呼ばれる星座の紋様を思い描き、あなたは己の体を、土と界の元素で満たして磁性体もどきとした。
そして締めの句と、上を指す手の上に「N」と書いた紋様を思い浮かべ、あなたは土と業の元素を生成、「北を指す」という定めを己に課した。
間もなくして、確信したあなたが正解と思われる方角を指す。
エムブラは表情を変えなかった。そして、一息吸い、
「……正解。ボクの妨害に負けずによく当てたね。おめでとう」
見事北を示したあなたを祝福した。
「君は面白いね。適性の件もそうだけど、ボクが教えるコトみるみる吸収して。ボクも教え甲斐があるよ」
エムブラがあなたに手を回し、手拭いの縛りを解く。とても良い髪の香りがあなたの鼻をくすぐった。
いまエムブラがあなたに贈った賛辞。もちろんお世辞であることは分かっている。だが、それでもあなたは悪い気がしなかった。
約半年で魔法が使えるまで成長した。手応えを感じる。新たに得た己の武器を実感し、あなたがこの上ない達成感に浸る。
そんな充実した顔を見せるあなたに、エムブラが、
「君は君だけにしかない特別な何かを感じる。ふふっ、君がどんなヒトになるか、ボク楽しみだよ」
と、可愛らしい笑顔を浮かべた。
***
太乙の試験を終えて前学期を終えた。長期休暇に入った。
休暇に入って七日が過ぎたある日。あなたは、ジュリアの家からそう遠くない公園のベンチに一人で座っていた。
この公園はむかし本陣があった場所だ。だが、今は見る影もない。家族憩いの場として設けられ、今も子供たちが追いかけっこをしたり、遊具に乗ったりして遊び回っている。
公園の中央には噴水があり、小さな男の子と女の子が仲良く水遊びしていた。鮮やかな翅のチョウが宙を踊り、テントウムシがあなたの右肩に止まる。些か暑い陽気の下、あなたは空を仰いで思い耽っていた。
ひとまず魔法を使えるようになるという当初の目標は達した。旅に戻ってもいいだろう。
だがあなたは、まだ魔法について勉強したがってもいた。魔法は面白い。今のあなたはそう感じてもいた。
魔法はこの世における全ての現象を解き明かしてくれる。例えば、火という物が何によって成り立っていたりとか、ヒトの傷はどのようにして治るとか。それら仕組みが全て解明されてゆく。
知識は応用の糧となり、物事の本質に肉薄する。真理を追究するまでとはいかずとも、ヒトとしての引き出しが増える奥深さにあなたは悦びを抱いていた。
長期休暇を終えたら、太乙よりも高度な魔法を覚えてもらうとエムブラは言っていた。その中にはワラビが使える火神、ジュリアが使える霊癒も含まれているらしい。
旅の始めこそあなたは、魔法を侮っていたはずだった。それが今や、魔法を探究したがっており、エムブラに才能があると言われ焚きつけられたか、ともあなたが自嘲する。
またこの街は、居心地がよかった。迷路の如き街には未だ不便さを覚えるが。
クレオは学業にあたって不足なくあなたを支援した。初めこそあなたを訝っていたが、ワラビと愛する我が子を守り続けてある程度は認めたようだ。
オドネルとはたまに世間話をした。彼はクレオより年下の婿のようで、あなたは彼が家の中で葉巻に火を点け、「あなた」と妻にきつく叱られている姿を度々目撃していた。
またハインツとはしばしばビリヤードを楽しんだ。どこか軽い印象の彼だが、跡取りとしての自覚はあるようで、ある意味ヒトの夢である、空を飛ぶ魔法と未来を予見する魔法を研究していた。
未来の方は糸口も掴めていないが、空を飛ぶ方は一年ほど前、軽い物質なら浮かせることに成功したと言っていた。もっとも、血を大量に失ったらしいので実用化は出来ても遠い未来だろう。しかし、もしもヒトが自由に空を飛べるようになったら、世の中は大きく変わるのかもしれない。
依頼で軽傷を負えばルーカスに診てもらい、戦士のムラートには骸骨から助けてもらった。教師のエムブラは言うまでもない。
皆がみな好い人物である。しかし、あなたはあなたの為に旅立たなければならない。些か長く居過ぎたあなたは、この街で出会ったヒト達との別れを甚く惜しんでいた。
ワラビはどうだろうか。彼女には終末があり、彼女もいつかは旅立たなければならないだろう。だがジュリアだ。ジュリアはいざ実家に帰ってみて、旅に戻ることをもうためらっているかもしれない。
するとワラビも分からない。あの二人は本当に仲が良いからである。ともすればあなたたち三人は、この街にて解散になるかもしれなかった。
だが、それでも踏ん切りをつけるべきだ。惰性は許されず、あなたは旅の始めに抱いた目的を、今一度思い出さなければならない。
ジュリアは「とりあえず一年通おう」とあなたに言っていた。残り半年。それまでにあなたは何らかのけじめを付けなければいけない。
――だが別れの時は急に訪れた。
この日の晩、ジュリアが思いがけず発した一言により、あなたたちは再び旅に戻ることとなる。
ポラリスの話ですが、アルテミスに仕えたカリストーと、その子のアルカスをモチーフにしております。




