飴の味
「あんふぁ、“ほらりす”おほえられそう?」
放課後の廊下。壁に寄りかかるジュリアが、棒付きキャンディを咥えながらあなたに訊いた。
ジュリアとあなたが着ている魔法学校の制服。「ブレザー」と呼ばれ、白いワイシャツの上に背広に似た紺のジャケット、首にタイを締め、下は男子がスラックス、女子はプリーツスカート、といった様相となっている。
ジャケットのサイドポケットに両手をつっこむジュリアは、制服をラフに着ていた。タイを緩めて襟を開け、ワイシャツの裾を外に出している。
困るのがスカートだ。プリーツスカートをたくし上げ、裾をかなり短くしている。よって引き締まった太腿が丸見えで、これでは方々から「ギャル」と呼ばれるのも致し方ない。
校長である母親クレオを目にすると、いつもあなたかワラビの後ろに隠れていた。それでも見つかったときは、くどくどと、そしてガミガミと注意され、そのだらしないとも言える制服の着方を無理やり整えさせられていた。
ハインツの場合は呆れられる。そんな自分を顧みないジュリアに、あなたが難しい、といった旨を伝える。
「へー。じゃあ、ひょっとふぁってな」
ジュリアがキャンディを口に含んだまま、あなたの正面に立った。
「翡翠のバレッタ」で留めたポニーテールが揺れる。あなたは最近、魔法というものがつくづく頭の要るものだ、ということを痛感していた。
魔導書に物語が書かれていることは説明したが、これを読んで呪文を作るのはセンスが要る。
太乙の魔導書には、若き頃に誤って母を殺め、その母が北の夜空をさまよう様になってしまった王の苦悩が描かれていた。ある神話をモチーフにしているらしいが、物語が何であれ自分の頭から己の適性に合った文をひねり出すのは難しく、軽妙洒脱なんて言ったら尚更だ。
また魔導書には、物語に併せて紋様が描かれているが、呪文を唱えるとき、この紋様を思い浮かべなければならない。一句一句に存在し、一句唱える度に対応する紋様を頭に描かなければ元素は生み出せなかった。
精確に思い浮かべる必要はなく、紋様を構成する要素さえ抑えていれば曖昧にイメージしても生まれる。だが、呪文の詠唱と同時に紋様の想像。この行為は訓練を要し、体に覚え込ませるしかなかった。
そんな初歩の魔法に苦戦するあなたの両肩に、ジュリアがポケットから出した手を置く。
そして、目を瞑り――。
――“神々に翻弄されし星斗、北天に廻る”
“救うべし。大いなる海よ、余は死して星に寄り添いたい”
“余は蒙昧。母よ、美しき母よ。嘗て犯した過ちを今こそ懺悔せん”――
「――“ほらりす”」
発音が定かではなかったが、ジュリアがあなたの体に太乙を唱えた。
途端、肩が北に向かって引っ張られるような感覚を覚え、これが太乙かと、あなたが今の感覚を忘れないように思い返す。
「ほう? おのぞみならば、もーいっかいほなえよっか?」
ジュリアがキャンディを右の頬に含みながら微笑んだ。
この髪が赤い女の子は、器用なだけあって基本何でもできる。頭が良く、既に魔法を唱えられるのだから当然と言えば当然なのだが、それでも時おり開かれる魔法を使える者でも苦戦するような難題のテストを、いつも高得点で突破して褒められていた。
さらに容姿が良く、しかも家はお金持ちだ。いつだかエムブラが「ジュリエッタさんは恵まれてるね。顔良し頭も良し体も健康体。しかも若くて校長先生の娘さんで、ああもう、ボクと代わってよ」と、ジュリアにぼやいていたのをあなたが思い出す。
「ジュリアちゃん、またねー」
「ああ、また明日なー」
折しも通りかかった同じ学級の女子生徒がジュリアに手を振り、ジュリアもキャンディを口から出して手を振り返した。
ジュリアは、すこぶる人気が高い。彼女自身はあまり積極的な性格をしていないが、その姉御肌的な雰囲気から、よく女子生徒に頼みごとを乞われては引き受けていた。
頼まれると中々断れないのが彼女の性格だ。その雰囲気から憧れる女子生徒もおり、一度品の良い年下の子から「お姉様」などと手を繋がれていた。
また、男子生徒が懸想した視線で見つめているのをよく見かける。
ただし告白をされたことはない。これは彼女の臆病な性格に起因した。彼女はいつも一歩引いて他人と接する癖を持つため、異性を近付けさせず、親密な雰囲気を決して作らせなかった。
彼女としては無意識だろうが、中々彼女に近付けず、それで諦めてしまった男子生徒をあなたは見ている。また、彼女の外見もあった。容姿は良いのだが、遊び慣れたような垢抜けた見た目は、自信のない男子生徒を挫かせるのに十分だった。
さらに校長の娘という立場もある。彼女に手を出すと、学校を追い出される危険性も孕んでいる。そうでなくても母親が常に目を光らせている。過保護である。
「アンタ、ちょっと口開けて」
不意に言われたまま、あなたが僅かに口を開けると、
「やる。……ふふっ、アンタならできるさ。頑張ってな」
ジュリアが咥えていた棒付きキャンディを、あなたの口に突っ込んだ。
キャンディは、酸っぱいレモンの味がした。
「しかしおっせーな。なにやってんだワラビのヤツ」
ジュリアとあなたは、職員室へ行っているワラビが来るのを待っていた。
無論、一緒に帰るためである。そこへ、
「ごめん二人とも。遅くなっちゃった」
制服姿のワラビが、子供が舐めるような渦巻状のキャンディ、ロリポップを片手に持ちながらやってきた。
「おまえそんなアメどこでもらってきたんだよ」
「えへへ、エムブラ先生からもらっちゃった」
ピンクと白のカラフルなロリポップをワラビが咥え、とても幸せそうな顔をした。
最近真珠のネックレスをばらし、その玉をかんざしに飾り付けたワラビは、割と真面目に制服を着ていた。きちんとタイを締め、ワイシャツの裾も内に入れている。しかしスカートだけは、ジュリア程ではないものの、ちらりと白腿が見えるくらいにたくし上げていた。
そして成績だが、何気に頭が良かった。凡ミスをよくやらかしてテストの点数自体はジュリアに一歩劣るのだが、稀にジュリアですら解けないような難題を解き、生徒一同、果てはエムブラまでも驚かせていた。
「エムブラ先生、疲れたときは甘いものが一番なんだって」
「頭使うからな。でもチョコでよさそうなもんなのに。ロリポップなんて、あのセンセイもかわいい趣味してんな」
「ほんとだよね。先生の机の筆立てにいっぱい刺さってたよ」
ワラビもワラビで人気が高い。彼女は見た目と違って頼れるのである。
良い意味で空気を読まないのが彼女の性格だ。閉塞した場を打ち破れる意志の強さが彼女にはあり、生徒の皆が顔を見合わせて意見を遠慮する中、一人率先して手を挙げ、そして皆が意見を出し合う学級の姿をあなたは何度か見ていた。
彼女の存在は学級の中でも一際強く輝いていた。東方から来た出自も手伝い、彼女は常に注目の的だった。
そして彼女は、異性からの人気も博している。彼女の場合、ジュリアと違って何も気兼ねするものがない。小さくて可愛いと評判の彼女は、何度か告白を受けていた。
しかし彼女は容赦なくへし折った。「わたし強いヒトが好きなの」と言い、それから「君が勝ったら考えるね」と、いつもアームレスリングに持ち込んでいた。
東ではアームレスリングを「腕相撲」と言うらしい。彼女は必ず勝ち、告白してきた男子の心を諦めさせていた。「今と終末が大事だから、キミとジュリア以外とは付き合う気はない」とのこと。
負ける心配は要らなかった。彼女は見た感じ、小柄で脂肪に包まれた柔らかそうな体をしているが、いつも重たい刀を振り回している。
「それじゃ帰ろうぜ」
あなたたちが帰宅を始めた。
その途中、ロリポップを喜んで舐めていたワラビだが、いつの間にか舐める舌の動きを鈍くしていた。
どうやら飽きてしまったよう。ロリポップは子供向けの甘い菓子である。ワラビの舌も十七歳になり肥えてきているよう。と、そこへ、
「キミ、ちょっと口開けて。……えいっ」
ワラビがロリポップを、あなたの口にねじこんだ。
その味は、とても甘かった。




