理由
限りなく黒に近い灰色のそれは、火災で命を奪う煙のようだった。
あなたたちが認識した禍々しい気体。それは、呪う者を待ち侘びていたように、部屋の宙を漂っていた。
突如としてガラスを引っ掻いたような音が部屋の中に木霊する。
ゴーストが、あなたたちを祟り始めた。この音はただ不快かつ理不尽で、あなたが寒気に似た苦しみを覚える。
耳を塞ぐあなた。ところが、勝負は案外あっけなく付いた。耐えるあなたがワラビに目を向けると、目をつむるワラビは落ち着いて手を組み、両の人差し指を立てていて――。
――“輝く光よ、今こそ其の貪欲を示せ”
“親を喰え森を喰え、心を喰え妻を食え。満ちるまで省みず灰と化せ”
“此処に供えるは牡牛の脂。怠惰で愚か、弾ける汚汁は七つの舌を唸らさん”
“浄化せよ。清め革もうは罪なる生、彷徨える闇に限りなき光を”――
「――“火神”!」
叫びに合わせ、ワラビの目の前では炎が、突然あらわれて大きく広がった。
ゴーストが霧消する。そして、甲高い音も消えた。ワラビの「魔法」で、あなたたちはゴーストに勝利した。
何かが落ちる音がした。あなたが松明を照らすと、床には硬貨が落ちている。
ワラビが硬貨を拾う。それから親指で宙に弾き、落ちてきたところをパッ、と得意げにつかむ。
「もうけもうけ。こういったオバケってなんでか、お金や宝石を依代としてるんだよね」
ワラビは剣術の他に魔法も使える。彼女が唱えた「火神」とは、目の前を燃やす魔法である。
松明の火種は彼女の魔法によった。このほかワラビは、目の前を冷やして凍らせる魔法も得意としており、以前のビッグクラブの甲羅とハサミの運搬には、腐らないようにとあなたは世話になっていた。
魔法とは、この世における全てのヒトが行使できる力の一つである。素質自体は誰もが持っており、しかるべき学習さえ修めれば誰でも使うことが出来る。
火、水、風、土、といった四大元素が密接に係わっているらしい。しかし、ほとんどのヒトは使おうとしなかった。なぜならば生活する上で、魔法を唱えられることの必要性をあまり感じられないからである。
魔法はただで唱えられるものではない。血液を基として行使するものであり、血を過度に失えばヒトは死に至る。また、魔法は童話のように、マーメイドの尾を足に変えたり、灰被りの娘を美しくするものではない。使えなくても生活には困らず、現存する物で代用が可能なのだ。
ちょっとした火を起こすならフリントがあれば十分だ。冷やしたければ氷をたくさん持って来れば良い。皆その程度に魔法を捉えており、そしてあなたも、少し生活を便利にするくらいのものと侮っていた。
しかしワラビは魔法で軽くゴーストをあしらった。あなたは魔法が化物に、これほど効果覿面とは思ってもいなかった。
あなたが魔法について見直す。ゴーストに不安を覚えていたことを恥ずかしく感じる。
ヒトが魔法を使えるようになるには、しかるべき学習を修めなければならないことは述べたが、その修学はカタリナという都市に建つ「魔法学校」が担っている。
学を修めたら、次は「魔導書」を読んで魔法へと昇華する。この魔導書は、学校で習う魔法の基礎を応用し、魔法として発現させるための手順が記された書物である。
魔法ごとにあり、火神を覚えたいのなら火神の唱え方を魔導書から読み取らなければならない。魔導書は遥か昔、勇者に同行した「ダビデ」という者が作製した物らしい。
「迷子が襲われてなくてよかったね。さあ、早く捜さないと」
ワラビが懐から竹筒とクッキーを取り出しながら言った。
竹筒には水が入っており、メイプルシロップ味のクッキーは、いつも彼女が懐に入れている彼女お気に入りの菓子である。
常に菓子を隠し持っている彼女だが、これには確とした理由があった。魔法は血を使って唱えるもの。よって、消費した血を早く作るために、魔法を使う者にとって飲み物と間食は欠かせない物と、彼女は以前弁明するように言っていた。
彼女は魔法について幼い頃に習ったらしい。しかし、カタリナは東方の都市ではないため、東にも魔法について学べる機関があるのだろうか、などとあなたは疑問に思っている。
ちなみに、ワラビは「火神」、つまり「火」は得意というほどではないらしい。ヒトによって資質があるらしく、彼女は「水」「氷」、つまり冷やして凍らせる方が得意だと言っていた。それと「火」と「水」は属性的に相反するものだが、行使する分には問題ないらしく、彼女いわく「逆のことやるだけじゃん、むしろ唱えやすいよ」とのこと。
そしてあなたたちが廊下に戻る。それにしても先のワラビは、まさに伝え聞く「忍者」のようだった。
東方には忍者と呼ばれる、黒ずくめの衣装で固めた戦の達人がいると聞く。押し寄せる敵をバサバサと薙ぎ倒し、城への侵入もお手の物。つむじ風と共に現れては、悪者を一閃のもと仕留めるとも聞く。
時には火をおこして驚かせることから、あなたはワラビに忍者の姿を重ねた。特に先ほどの、両の人差し指を立てて手を組んだ姿は、まさに伝え聞く忍者そのものだった。
だから訊いた。廊下を左に折れ曲がりながら、あなたがワラビに忍者なのか、と。
「えっ、あははっ、そんなわけないじゃん。忍者って全身まっ黒で、水の上を歩いたり分身したり、“ムササビノジツー”とか言ってお空飛んだり、“ウツセミノジツー”とか言って着ている物ぜんぶ脱いじゃうあれでしょ? んでもって“ニンニン”が口ぐせで、なぜか飼ってるイヌがチクワ大好きで、……ふふっ、そんな変なヒトうちの国にはいないって」
あっさりと否定された。メイプルクッキーをさくさく食べながらワラビは笑っていた。
西方の者にとって忍者は憧れである。もしワラビが忍者だったら、あなたは皆の憧れである忍者と旅していることになるのだ。
しかしワラビは忍者ではなく、それどころか忍者を「いない」と断言した。チクワとか言う物のくだりは聞いても分からなかったが、いないと聞いてあなたが落胆する。
「それにしても西のヒトって、なんでか忍者とか“サムライ”の話になると目を輝かせるよね。みんな東に幻想抱きすぎ。西とそんなに変わんないよ」
気を取り直し、あなたたちが廊下を左に折れ曲がり、続いてクランク状に右へと曲がる。
曲がった先には扉があった。この扉が位置的に見て、廃墟の東館と西館をつなぐ扉だろう。
扉を開けて松明を照らし、周囲を見渡すと、またも廊下だが行き先は左右に分かれていた。
「うーん、どっちだろう……」
竹筒の水で口を湿らせながら迷うワラビに、あなたが思い出す。
それは、ユーダリールで祈っていた彼女の姿である。この小さな女の子は、なぜ危険を顧みずに旅をしているのか。その理由を改めてあなたは知りたいと思った。
尋ねようとしたときである。不意にワラビが、あなたの口をその手で塞ぐ。
「しっ。耳を澄まして。子供の泣く声が聞こえない?」
背を伸ばしたワラビがあなたに囁いた。
耳を澄ませてみると、確かにすすり泣くような男の子の声が、左の奥の方から微かに聞こえる。
「行こう、この先にいる!」
ワラビが振り返り、廊下を左に向かって走り出した。
松明を持っているのはあなただ。暗闇を駆けるワラビを急いで追いかける。だが、あなたは運が悪かった。
あなたが腐った床を踏み抜き、大きな音を立てて転落した。そうして一階へ落ちてしまったあなた。尻から伝わる衝撃が全身を駆け巡り、この激痛にあなたが呻く。
「ちょっとキミ! 大丈夫!?」
天井には大きな穴が空いていた。あなたが上体を起こしながら体を確認する。
尻が痛いが、とりあえず体自体に問題はない。すかさず放した松明を拾い、あなたが無事な旨を二階のワラビに知らせる。
「分かった、先行ってるよ! 早く追い付いてきてね!」
落ちた先は見覚えがなかった。位置的に考えておそらく、大広間の左の扉を開けた先だろう。
証拠に直ぐそばには、先ほど開かなかった扉があった。大広間に戻るべく扉を引いてみるが、蝶番が壊れているのか開かなかった。
仕方なくあなたが進む。そして、廊下を突き当たりまで行って左を向くと、幸いにも二階へ上る階段を見つけた。
あなたが階段を上り始める。早くワラビと合流しなければ。