堕ちる崖
女王の先導であなたたちは、前人未到の大地をひたすら奥に進み続けた。
そして、オアシスを旅立ってから八日が経った朝。あなたたちは今、硬い岩盤にぽっこりと空いた洞穴の前にいた。
洞穴からは僅かに風を感じる。真っ暗で中は分からないが出口があるようだ。
「皆様いよいよです。このトンネルを潜りますと、操られる者の巣に着きます」
「やっと着いたね。じゃ、火を点けるね。――輝く光よ、今こ」
「待てワラビ。この先どれだけ敵がいるか分からないんだ、魔法はなるべく控えとけ」
マッチを擦って松明に火を点けたあなたたちが、女王を先頭に洞穴の中へ入る。
「女王様。こんな分かりやすい穴が入口じゃ、今までヒトが入って来なかったんですか?」
「わたくし達がここを離れるまでは、入口を岩で塞いでおりまして、そのおかげで誰にも見つからずに済みました」
「なるほどなぁ」
ここに至るまでだが、あなたたちは操られるアリに何体か遭遇し、これを討ち取った。また、あなたたちはカラスの群れの他にヤギにも出くわした。
この山脈には『ノーブルゴート』と呼ばれるヤギが生息している。純白の毛皮に、二本の湾曲した大きな角を持ち、過酷な大地の上に気高く立つ様からこの名前が付いていた。
ヤギは厳しい環境に耐える生物である。樹の皮や根を食める消化性が、この荒れ地に生える僅かな草を力に変え、また、崖をも掴む特殊な蹄が、断崖絶壁に生える草すら食させる。
ノーブルゴートは、僅かな草を盗られまいと、その四角い瞳孔に映った者を積極的に排除する。あなたたちは一度、崖から逆落としを喰らわすこのヤギに襲われたが、この地に元々住んでいた女王の助けを得て事無きを得ていた。
そして倒したヤギの肉は、少々臭みがあったが香草を混ぜ、あなたたちは美味しく頂いた。
「あっ、出口」
洞穴を抜けた先には、驚くべき光景が広がっていた。
「うわぁ……。あんな所に、街が」
「すげぇ。崖の中に、街がある」
今あなたたちは、岩肌がむき出しの、断崖絶壁のちょうど腹部辺りにいる。
下を見れば光の届かない闇の底。左右に切り立つ垂壁は、東側に立つあなたたちから見て反対まで続いている。その形を例えると、円柱型にぐるりとくり貫いた形で崖は形成されていた。
そして、西の対岸。あなたたちから見て正面の僅か下に望む場所には、街が朝日を受けて輝いていた。
絶壁が、かまどのようにくり貫かれ、その中に街があった。あそこへは翼でもない限り誰も辿り着けないだろう。
「あれが元々わたくしの住んでいたアリの街です。そして、今は操られる者の巣です」
女王が崖の中の街を指してあなたたちに話した。
それから、垂壁を「コ」の字形に掘削した、ヒト一人二人が通れる幅の歩道に女王が向く。
歩道は対岸の、朝日に輝く崖の中の街まで続いていた。いよいよ操られる者の巣へ突入。今まで以上の敵が待ち受けているだろう。
「では行きましょう。皆様、わたくしにあと少しだけ力をお貸しください」
女王を先頭にあなたたちが歩き始めた。
しかし、歩道を進みながらあなたが思う。あのような絶壁をくり貫いた街、道を断つのは容易いはずだ。
この歩道、それと他にもあるかもしれない道を断ち、その上で街を火で燃やせば根絶やしに出来るだろう。それをしなかったのは、女王が、同族に立ち直って欲しい想いがあったからだろうか、などとあなたが感じる。
そしてその想いを、今も引き摺っていなければいいが、ともあなたが女王の背を見ながら懸念する。
***
歩道では運良く操られる者に出くわさず、あなたたちは歩くこと半刻、崖の中の街に辿り着いた。
「うっ、臭い」
「強烈だな。鼻がひん曲がりそうだ。女王様、この臭いは一体」
石造りの家屋が建ち並ぶ、硬い印象を受ける街からは、とてつもない腐敗臭が漂っていた。
食い散らかしたような肉片がそこら中に打ち捨てられており、それに大きなハエがたかっている。ただし、冷たく湿気のない空気が幸いし、その分だけまだ臭いは控えめだった。ここが山の中でなかったらあなたたちは耐えられなかっただろう。
家の石壁はひびわれ、生活に使われていたのであろう石器、鉄器、ガラスの類が街中に散乱している。更に、物陰にはアリの腐乱した死体が、埋葬されることなく捨てられている。
鎧の隙間から大量の蛆が窺える。東の言葉を借りれば「畜生」の街である。
「以前にもお話しましたが、ネジレバネに侵されると自我を失います。今、わたくし達以外でここにいる者は皆ケダモノとお思いください。本能でしか生きられない哀れな者達なのです」
ジュリアの問いに、女王が俯いて答えた。
ハエが飛び交う街の荒れた通りを、あなたたちが鼻を押さえながら注意深く進む。すると、
「ンアァッ!」
突如として女性の大きな声が、あなたたちの耳に響いた。
身構えるあなたたち。しかしその声は、苦しんでいると言うよりは喘いでいるようだった。
そして、またも上がる嬌声。あなたたちから見て右の建物の裏から聞こえ、男の荒い息遣いも聞こえる。
「ねえジュリア。これって、もしかして」
「それ以上言うなワラビ。やりづらくなる。何にせよ放っておくわけにはいかないし、見たくないけど、この隙に仕留めよう」
ワラビもジュリアも、これを察せられないほど子供ではない。倫理も道徳も失くすと聞いて二人は、こういうこともあるだろう、と覚悟していた。
二人して苦いような、表しづらい表情をし、得物をそれぞれ構える。だが女王が、
「行ってはなりません!」
珍しく声を荒げて二人を止めた。
「女王様」
「お二人が見るものではありません。このような者を楽にするのが、女王であるわたくしの務めでございます。暫しお待ちください」
それでも、と食い下がる二人をあなたが止めた。
相手は夢中で武器などは持っていないだろう。女王が、二本の槍を構え、建物に忍び寄る。それから女王が一気に踏み込んだ。
間もなくして突き刺した気配を感じ、男と女の倒れる音が聞こえた。そして戻って来た女王は、血に塗れた槍を力無く提げ、滴る涙を顎から落としていた。
「だいじょうぶ? 女王様」
「お気遣いありがとうございます、大丈夫です。……あなた様。少し、こちらへいらしてください」
あなた一人が、女王に呼ばれた。
「御覧の通りこの街は狭く、わたくし、ここに住む皆のことを殆ど知っております。いま交わっていた者は、娘と、その父親でした……」
槍を握る四つの手、それと肩が、酷く震えていた。
救いようのない現実が心を押し潰す。女王が、あなたに強い視線を投げて切実に訴える。
「お願いします。この操られる哀れな者達を、どうか救ってください……」
ワラビとジュリアの元に戻ったあなたと女王。だが、先を歩く女王に聞こえないよう、二人があなたに言った。
二人は、女王があなたに訴えた願いを耳聡く聞いていた。
「なんとなくだけど、聞いちゃった……」
「なあ、可哀想だけど滅ぼそう。こんなの、酷すぎるよ」




