亜人の文明
ヤイシーネ峡谷。オアシスより遥か南に切り立つ、険しい峡谷地帯である。
緑豊かな地であるが、幽谷と呼ぶに相応しい峻険なる地形と、落石が頻発するため、ここに近付く者は皆無に等しい。
このヒトを寄せ付けぬ谷の奥深くに、女王従えるアリの一派は隠れ住んでいた。
「皆様、着きましたわ。ここがわたくしたち操られぬ者たちの住処となります」
あなたたちの目の前には、木々に覆われた見上げるばかりの崖が立っていた。
住処、と言われても信じ難い。だが、木々の隙間によく目を凝らすと、窓のような鉄の扉が僅かに垣間見えた。
換気するための孔らしき窪みも覗ける。人工物が巧妙に隠されている。
「なんか、わくわくするな」
「ねえ女王様、早く入ろ。崖の中に住んでるなんて、どんな生活送ってるんだろう」
あなたたちはウマを曳いて四日間、この峡谷の底をひたすら歩いていた。
オアシスから数えれば六日間。そんなくたびれているあなたたちだが、ジュリアと怪我の治ったワラビが、洞窟の住居という想像も付かない生活様式を前にし、胸を弾ませて女王を促した。
あなたが今一度アリの住処を見上げる。誰にも知られない、誰にも見つからない秘密の場所。これは正に幼い子供がよくやる、秘密基地を究極にスケールアップした代物である。
罠の可能性など忘れていた。あなたたちはここまで女王と行動を共にし、「うふふ」と笑ってのほほんとした性格の、裏表がなさそうなアリの女王を信用している。
「女王様。……おい、女王様が帰ってきたと皆に知らせろ!」
「お帰りなさいませ女王様!」
女王を先頭に木々を潜り、隠されていた大きな洞穴に入ると、見張りのアリが女王に敬礼し始めた。
手を振る女王。その女王に案内される形であなたたちが洞穴を進む。するとそこには、洞窟内とは思えないほど広々とした空間があり、また、洞窟内とは思えないほど異様に明るかった。
まさに見たことのない文明が築かれていた。子供や老人は鉄板を張り合わせた服を着て、女性は鎧のようなドレスに身を包んでいる。更に、あなたたちが外で見たアリと同様に、皆が兜を被って顔を隠している。
顔を見せてはいけない掟があるのだろうか、などとあなたが、女王に傅くアリ達を眺めながら思う。それから、ベトンで塗り固められた壁には、見たこともない奇妙な光が、埋め込まれた形でそこかしこに輝いていた。
光は、透明な膜に包まれ、日射しに似た色合いで強く輝いていた。煙も上らず、あれは何なのだろうか、などとあなたが注視していると、
「うふふっ、“電球”が気になりますか?」
女王が察し、「電球」という光る物体の名を教えた。
「では、わたくしは外での報告を済ませてきますので、この部屋で暫しお待ちになってください」
あなたたちは階段を二度上り、「女王の間」に通された。
アリが住まう「アリの里」。三階建ての構造で、一階が食糧庫兼一般のアリたちが住む居住スペースとなっており、二階が鍛冶や石工などを行う作業場、そして三階がここ女王の間、並びに執務を行う区画となっていた。
その他、こことは違う崖で家畜を飼っていると聞いた。操られぬアリ達は、少ないながらも助け合って生きていたようで、幸い緑豊かな地とあり、食糧など生活面では困っていないらしい。
よく磨かれた石の玉座が座る一室にて、あなたが広間でも見た電球を眺める。
「“デンキュウ”って言ってたよな。どういった原理で光ってんだろうな、これ」
ジュリアとワラビも、初めて見る照明器具を不思議な目で見つめていた。
電球は、丸いガラスに包まれ、中では鉄線のような物が光を放っている。
とても強い光だ。そして軽そうでもある。もしこれを携行できれば夜間も出歩けるだろう。
「ガラスが割れないってことは熱くないのかな? ……あつっ」
ワラビが電球を触り、すかさず手を引っ込めた。
「皆様、お待たせ致しました」
電球を眺め終えてから程なくして、女王が、同じ甲冑を纏ったアリを連れて来た。
甲冑にて顔や体は分からないが、枯れ枝のような細い腕や脚から、かなりの歳を召していることが推量できる。そのアリが、女王に手を繋がれて弱々しい足取りで玉座に向かう。
そして玉座に座ったアリ。老人特有の温かい視線が、あなたたちを見回す。
「皆様、紹介致しますわ。先代の女王にあたる、わたくしの祖母です」
「ヒトの皆様、よくぞここまでおいでなさりました。我らに手を貸してくださり、感謝しております」
しゃがれた声で先代の女王が、あなたたちに恭しく頭を垂れた。
あなたたちが女王に請われて峡谷に向かった理由は、この老婆と会う為であった。
恐縮するあなたたちに、顔を上げた老婆が、
「それにしてもこちらの娘さん、目が勇者様に似てるのお。共に魔王の軍勢と戦った、まだワシが女王であった頃を思い出しますわい」
勇者の子孫であるワラビを、兜の中から遠い目で見て語った。
「えっ、お婆さん、ご先祖様に会ったこと……あっ」
ワラビが慌てて口を塞ぎ、それを見て老婆が笑う。
「かっかっか。そうかそうか、勇者様の子孫か。道理で」
「ワラビ様、あの勇者様の血を引いているのですか?」
「女王様知ってるんですか?」
「ええ。祖母からとても強くて優しい方だったと伺っております。内緒にされてたとは、わたくし少し傷付きましたわ」
女王が秘密にされて口をとがらせた。基本落ち着いた雰囲気の女王だが、幼い一面も持っているよう。
ワラビが「ごめんね」と謝り、女王が「うふふ」と微笑む。
「女王様。それでその、ネジレバネってのは何なんですか?」
「はいジュリア様、これから説明します」
ネジレバネとは突如として現れた、アリに取り付く寄生虫とのことだった。
雄の翅が捩れているように見えるから「ネジレバネ」らしい。幼虫は蛆の姿でアリの中に潜み、雄はあなたたちも見た、あの黒い虫の姿に変態する。雌はそのまま体内に潜み続け、羽化した雄との交尾を待つ。
寄生されたアリは自我を失い、ネジレバネの操り人形となる。ネジレバネが生きるために操られ、そのために養分を求めて動物やヒトを襲うらしい。また、えげつない話になるが、宿主の繁栄なくしてはネジレバネも生きられない。よって操られる者は倫理も道徳もなくし、平気で禁忌を犯す存在に変貌してしまう。
身の危険を感じた女王や先代女王は、まだ正気の者を連れてこの崖に移り住んでいた。他の生物が寄生された例は今のところ確認されていない。
そして、現女王を始めとした操られる者の巣は、オアシスより北東に離れた山間の地にあるとのことだった。
「皆様、お願いします。娘はネジレバネに侵され、助かる手立てはありません。どうか孫に手を貸し、娘を楽にしてやってください」
ネジレバネの話を聞き終え、老婆が今一度あなたたちに頭を下げた。
娘とは現女王を指し、あなたが、女王に母を殺めることについて問うが、
「分かっています。ですがやらなければ、ステップが全てあの醜い虫に侵されます。……心配要りません、これからはわたくしが、ヒトと手を取り合ってアリを統べるのです」
と、既に振り切っている旨をあなたに伝えた。
「そういえば女王様、昔アリってヒトと一緒に暮らしてたって聞いたんですけど、どうして急にヒトの元を去っちゃったんですか?」
あなたたちは壁画のお爺さんから、昔ヒトとアリが共生していたことを聞いている。それを思い出したジュリアが女王に尋ねた。
「当時は愛も種族の壁を越えられなかったようで。……昔、アリとヒトが契りを交わしたことがありまして、純血を重んじた昔の女王が、ヒトとの交流を断つことを決めたのですよ」
「ええっ、じゃあアリとヒトが夫婦になったってことですか? その夫婦、どうなっちゃったんですか?」
「申し訳ありません、わたくしもそこまでは。ただ、アリの男とヒトの女性の間には子供が出来たらしいです。アリとヒトでも子供を成すことは可能なようですね」
「子供、できるんだ。……へえぇ」
それにしても四百年前と言った。つまり、この老婆はワラビより何代もの前の勇者と会っている。
もしかして寿命もヒトと違うのだろうか。ワラビが尋ねる。
「あの、女王様って、いくつ……むぐっ」
「ワラビ様が勇者様の子孫であるのを隠していたように、わたくしにもヒトの皆様には明かされたくない秘密があるのです、うふふ」
女王がワラビの口を閉ざすように人差し指をあてた。
※ネジレバネは本来スズメバチなどに寄生する虫です。




