女王
「行くぞワラビ、しっかりつかまってろよ」
手綱を握るジュリアが振り返り、後ろのワラビに伝えた。
ブルルッ、とウマが鼻を鳴らす。「疲れたら代わるから」とワラビが告げる。そして、クロークに身を包んだ二人を乗せ、栗毛のウマが草原を駆け始めた。
「うふふっ。ではわたくし達も行きましょう」
先を行く二人に続けとばかりに、アリの女王があなたを促した。
蒼穹の空が今日も広がる。肌寒い風が穏やかに吹く。あなたもウマの腹を軽く蹴り、女王を乗せてオアシスを旅立った。
――昨日の未明、商人の男が殺された事に始まったアリの襲撃だが、戦士たちの奮闘と女王率いる一派の加勢により、オアシスはかろうじて守られた。
だが、被害は甚大だった。家屋は軒並み荒らされ、街の入口にいた家畜は過半数が殺された。その凄惨な有り様に人々は嘆いたが、まだヒトへの被害が少なかった事に救いがあった。
アリの襲撃が昨晩で終わりとは思えない。今オアシスでは、バザールを中心とした籠城の構えを敷き、それに伴い早馬を走らせ、戦士会および司直に救援を要請している。
次代の女王は人々に協力を仰いだ。今、アリの一族は二派に分かれており、次代の女王が率いる一派と、街を襲った現女王の一派に分かれているとのこと。
現女王の一派は、例外なく寄生虫「ネジレバネ」に侵されており、この虫が原因でヒトを襲うのだ、と女王は説明した。そしてあなたたちは今、女王を連れて南に向かっていた。
「今日もいい天気ですね。争いなど、忘れてしまいそう」
あなたの腰に掴まる女王が、青い空を仰ぎながらあなたに言った。
女王は安定した様子でウマに跨っている。ウマの二人乗りは、後ろに乗る方が揺られるものだが、彼女は動じることなくウマに乗っている。
だが彼女は女王だ。つまり貴人である。あなたは礼儀として、女王を揺れの少ない前に乗せて手綱を握ろうと思っていた。しかし彼女は、アリの中では背が低くとも、成人男性ほどには背丈があり、それは敵わなかった。
もっとも、ヒトの常識を彼女にあてはめるのは野暮かもしれないが。そんなあなたの後ろに座る、甲冑に身を包んだ彼女が、
「わたくしウマに乗るのは初めてですが、こんなに気持ちの良いものだとは思いませんでしたわ、うふふ」
初めての乗馬に微笑み、兜から唯一窺える口の喜びを、あなたは認めた。
あなたたちがウマに乗って南に向かう理由だが、まずはわたくし達が住む里まで来て欲しい、と女王に請われたことによる。
次代の女王が率いる一派は、南に切り立つ峡谷に隠れ住んでいるとのことで、そこで話をしたい、と願われたあなたたちは、オアシスの人々から賢いウマを二頭借りていた。
では、女王に従っていたアリ達は。これは女王がオアシスの防衛に置いていた。
女王は配下のアリ達に、その身が滅びようとも絶対にオアシスを守り抜け、と厳命を下していた。だから今、あなたたちと女王だけなのである。
罠である可能性も念頭に置き、オアシスと縁のないあなたたちは、アリの里へ向かう役目を応諾した。それとこれは余談だが、南へ行く旨を聞いたゼク三兄妹末妹・ビヤーサが、強く行きたいと女王に申し出ていた。だが彼女は、オアシスを守る役目があると兄二人から止められ、残念そうな顔をして諦めていた。
「そういえば“あなた様”は外の世界を旅していると聞きました。いいですわ、羨ましい限りです。是非ともその話をわたくしに聞かせ願えませんか?」
女王があなたに顔を近づけ、興味津々といった様子で訊いてきた。
ほのかな匂いが香る。アリという一族、女王が知る限りでは、一度もステップから出たことがないらしい。
この世界には海がある。そしてここからは望めない山や、様々な人々が集う町がある。あなたが答えられる限りで、ある意味箱入り娘な女王の好奇心に付き合った。
***
「ねえジュリア、壁画じゃアリの女王様って、うんとオシリ大きかったよね?」
「あたしも気になってた。女王様、一つ訊いていいですか? あたしたちオアシスで壁画を見に行ったんですが、そこに書かれてあったアリの女王の絵は、お尻がすごく大きかったんですよ。でも女王様のお尻は大きくないし、お尻の大きなアリってのはいないんですか?」
オアシスから南へ一日ほど向かった台地。そこであなたたちは朝食をとり、壁画を思い出したワラビとジュリアが女王に尋ねた。
あなたも壁画を振り返る。確かに描かれていた女王の尻は大きかった。だが、目の前の女王はそんなことなく、ヒトと変わらない尻をしている。
答える女王。ちなみにあなたたちと同じの物を女王は食べている。
「壁画のことは存じておりませんが、多分その絵は、女王が懐妊してる姿を描いたのでしょう。ヒトが赤子を宿すとお腹が膨らむでしょう? わたくし達アリは尻が大きくなるのです。体の仕組みが少々違いまして、ヒトでいうお尻の穴と大事なところが逆……いやですわ、恥ずかしいからこれ以上言わせないでください」
女王が頬に手をあて、一人で恥ずかしがっていた。
あなたたちが驚く。しかし、腕を四つ備える存在だ。体の仕組みが違ってもおかしくはない。
女王が馬上で、あなたの後ろに平然と乗っていたことからもそれは窺える。筋肉もヒトとは違うのだろう。
「えっ、じゃ、じゃあ女王様」
「他にヒトと違うところは?」
「違うところですか。そうですね、アリは一回の出産で複数の子供を産みます。ヒトの皆様には信じられないでしょうが、アリは子供を育てる袋が二つあるのですよ」
「ふたつ、ですか」
「はい。でも驚くにはまだ早いです。わたくしを含めた女王には、それ以上袋があるらしいです」
「ええっ」
「かつての女王には、一度の出産で十二もの赤子を産んだ話を聞いたことがあります。なので、いつかわたくしが子供を持ちましたら、蜜を与えるときが大変そうですわ。胸は二つしかありませんし」
「ミ、ミツ?」
「ああ、すみません。ヒトに例えれば乳になりますね」
「すごい、子だくさんだ」
呆気にとられ、顔を見合わせるあなたたちの外から、突如老いたイヌの吠える声が聞こえた。
あなたたちがそちらを振り返る。だが、その声の主はイヌでなく、明らかに「ロバ」であった。
「シマウマ!?」
「シマウマだな。しかもあのトサカ。“ラフゼブラ”だな」
一匹のシマウマが、あなたたちに向かって猛烈に駆けていた。
『ラフゼブラ』。その名が示すとおり獰猛なシマウマである。
他のシマウマとの相違点として、逆立つ毛が前へ流れるように生えた、いわゆる「リーゼント」のようなタテガミが挙げられる。また、射抜くような鋭い眼つきも特徴である。
このシマウマは縄張り意識が著しく強く、テリトリーに入った者を容赦なく害する。そもそもシマウマという生物がヒトに懐くことは少ない。イヌのような鳴き声も、シマウマ自体がこのような声をしているからである。
「うふふ、ここはわたくしにお任せください」
あなたたちが得物を手に取る間、女王は槍も持たずにシマウマへ飛び出した。
我先へと走る女王めがけ、シマウマが高く仰け反り、前足の蹄にて女王を踏み潰そうとする。
「危ない!」
ジュリアが叫んだ。しかし女王が、素早く腹の下に潜り込み、
「ううぅん!」
なんとシマウマの体を、その四本の腕で、まるで重い物を担ぐようにして持ち上げた。
イヌのような鳴き声をしきりに上げてシマウマが暴れるが、女王は動じていない。並々ならぬ怪力である。
「……キミ、あれできる?」
ワラビが訊いたが、あなたが首を振る。
アリの中では最も背の低い彼女だが、アリの中で最も力が強いのだそうだ。そして、
「よいしょっと」
女王がシマウマを放るようにブン投げた。この衝撃で、シマウマが足を壊したのか立てなくなり、
「皆様、倒すなら今ですよ」
あなたたちがこの声に我を取り戻し、シマウマを退治した。




