オアシスとバザール
オアシスの町・エメローナ。この町は盆地の最も窪んだ場所に位置する。
なぜそのような場所に町を作ったのか。洪水など水害が懸念されるであろう。しかしステップは元々降水量が少ない地域だ。水による被害に悩まされることはなく、むしろ旱魃の方が懸念される。
このオアシス、ここに水が湧き出るという訳ではなかった。先人達が掘り当てた地下深くの水脈を、この窪んだ地まで誘導してオアシスは形成されていた。
いくつもの水脈を縒り集めた人工的なオアシスなのだ。だから低い場所に位置し、このオアシスを基に繁栄した町がエメローナという都市である。
よってあなたたちは道中の各所にて、井戸に似た無数の穴を見かけていた。
穴はオアシスに向かって連なるように掘られていた。これは「カナート」と呼ばれる灌漑技術で、主に乾燥した地域で見られる用水路である。
連なる縦穴同士は、地中深くを横穴で連結されていて、その横穴を水が通っている。先人達が地下水を蒸発させないようにと工夫を凝らした仕組みなのである。
なおワラビは、連なる縦穴を見て「“まんぼ”だ」と言った。東にも同様の物があるようだ。
「……んっ、水が、なんか飲みづらい」
「ああ。ここの水は硬水だからな。あたしも硬水は未だに慣れねーや」
ワラビが初めて硬水を飲み、その感想をジュリアに述べた。
オアシスの町に着き、街に入ったあなたたちをまず待ち受けていたのは、たくさんの家畜たちであった。
その様子はちょっとした動物園のよう。簡易的な檻に入ったヒツジがめいめいに「めぇぇ」と鳴けば、首同士をロープで繋がれたヤギの群れが「うえぇぇ」と鳴き、そして口をもごもごとさせているラクダが「ヴェェェ」と、濁声のような鳴き声を上げる。
他にはウシにブタにウマにニワトリ、珍しい物ではラマやダチョウもいた。そして家畜たちの側には、必ず商人が立っており、牧畜の盛んなステップの住民に活きの良い家畜を売りに来たのだろう。
家畜たちの鳴き声があちこちから聞こえる街の入口を、あなたたちが眺めながら歩いていると、
「あっ、仔ヤギがおっぱい吸ってる」
伏臥する母ヤギが乳を与えており、乳房に群がる仔ヤギたちを見てあなたたちが和んだ。
「“バザール”に行こうぜ。いろんなモンが見れるからさ」
あなたたちが出会う前、ジュリアは一度この街に訪れている。
バザールとは、この街における市場の意であり、ジュリア先導のもと連れて行かれた先は、レンガ造りのとても大きな建物の前。そしてこれまたとても大きなアーチが、「ようこそ」とあなたたちを歓迎した。
アーチを潜り、あなたたちがアーケードの中に入ると、そこは見渡す限りの露天露天露天。瑞々しい果実に太い根菜、細工の凝らされた工芸品に鮮やかな色合いの織物、煌びやかな装飾品に繊細な筆遣いの絵画、と購買欲をそそられるような商品が所狭しに並べられては飾られていた。
そして活気に溢れていた。老いも若いも入り乱れ、たくさんの買い物客でごった返している。さらにあなたが上を見上げれば、見る者を驚かせる大きなゾウの絵が、エキゾチックな色彩によって天井一面に描かれている。
そこへ、あなたたちの鼻を、肉の焼ける旨そうな匂いがくすぐる。したがってそちらへ向かってふらふらと、食いしん坊のワラビが誘われるように導かれる。
「うわー、おいしそう」
「へいらっしゃい」
ワラビが誘われた屋台では、手拭いを頭に巻いたおじさんが、串焼きをくるくると満遍なく火が通るように焼いていた。
串に刺された赤い肉からは、脂がとめどなく滴り落ちている。
そして「じゅぅー」と、脂が金網の下で弾け踊り、それが醸す香ばしい匂いが口内を唾液で満たさせる。
「おいおい嬢ちゃん、どうした? 顔がひでーことになってんじゃねーか」
「気にしないで。ねえ二人とも、食べるよね?」
腫れた唇を唾で湿らせたワラビが、あなたとジュリアに訊いた。
ワラビは今、右目を隠すようにして頭に包帯を巻いていた。草原でのケンカが原因である。
左の頬は腫れが引いてきたが、まだ口の中は切れているだろう。しかし、それもなんのその。食べたいと思えば後先考えずに食べるのが彼女だ。だから、
「おじさん、三本ちょうだい」
と、右手の指を三つ立てて串焼きを注文した。
「元気のいい嬢ちゃんだ。一本おまけしてやるよ」
「やった! ありがとう」
「早くケガ治せよ。女の子なんだからよ」
一本多く貰った串焼きを持ち、ご満悦のワラビだった。
***
バザールを一頻り回り終えたあなたたちは、別行動をしていたゼク三兄妹と合流した。
それから三兄妹の次男シャイバニに連れられ、郊外に出たあなたたちは、ある一軒の家の前に招かれた。
ユルトではなく、レンガ造りの至極普通な、取り立てることもない二階建ての住宅である。そこへ、
「おっ、帰ってきたね! 中々帰ってこないからガラにもなく心配しちまったよ」
庭で衣類を洗っていた一人の婦人が、あなたたちに走って近付くなり長男スレイマンの背中を強く叩いた。
「うぐっ。母さん、そのクセいつになったら直してくれるんだ。とても痛いぞ」
「あらやだ。でもこればかりは私のクセだから仕方がないねぇ、ハハハッ」
豪快に笑う婦人は、肝っ玉母さん、もしくは女傑といった風体をしていた。
例えるならシャイバニの女版といった感じで、背は低くとも恰幅が良く、何よりも腕が太い。どんな重い物でも持ち上げられそうであり、リンゴを渡せば握り潰すことも出来そうなくらいに逞しかった。
髪型は長い濃緑の髪を、東で言う「辮髪」のように後ろで三つ編みにしていた。このとても力のありそうな婦人が三兄妹の母親のようである。
「叩いてばかりいるから、父さんが亡くなった」
「ああ? なんか言ったか? ……ビヤーサ! どうしたんだいその顔はっ!?」
鼻をガーゼで覆い、顔の左側を腫らしたビヤーサに、母親が血相を変えて叫んだ。
すかさず駆けて抱き締める。それから背をぽんぽんと叩き、末妹を事のほか可愛がっているようだ。
だがビヤーサは、言いつけるような真似はしなかった。まるで虐められても、それを誰にも話さない子供のように。
言ってしまったら負けを認めるようなものだからか。ビヤーサが母親から目を逸らして黙り込み、代わりにシャイバニが原因を濁して説明する。
「まあ色々とあってな。それより母さん、今回のクマ退治なんだが、俺達しくじっちまったんだ。そこへこのヒト達に助けてもらってさ、んで、お礼がしてえんだ。このヒト達を今日一晩泊めてもいいか?」
「なんだいシャイバニ、お前が付いていながらクマなんかに負けたのかい。“霹靂のマーヒム”の息子ともあろう者が、ああ、情けない」
「面目ねえ」
「まったく。お前がもうちょっとしっかりしていれば、ビヤーサもケガしなかったのにねぇ。おー、よしよし」
ビヤーサの頭を撫でながら吐いた母親の言い草を聞き、あなたたちはシャイバニを不憫に思った。
ここで何か言わなければ次男が悪者。ワラビが、
「おばさん、ごめんなさい。ビヤーサをケガさせたのは、私なんです」
己の罪を白状した。
「えっ? この子がビヤーサをケガさせたって? 冗談だろシャイバニ」
「なんだ、黙ってれば俺がごまかしたのに。……本当だ。だが責めないでやってくれ。ありゃビヤーサがどうみても悪いんだ、剣の勝負で負けた腹いせにケンカふっかけてな。それにビヤーサも」
シャイバニが視線でワラビの顔を指し示す。
「この子にケガさせてんだしよ」
「ってことはなんだい、ウチのビヤーサをこの子が負かせたってことかい? 本当かね……」
親だから、とひいき目に見たとしても、剣士・ヒートラの再来とまで噂されるビヤーサを、負かす女の子がいることに母親が驚いている。
しかし譲れなかった。すかさずビヤーサが噛み付く。
「負けてない! まだ一勝一敗! 一回は勝ってる!」
抱き締められながらも反論するビヤーサにまた母親が驚き、シャイバニ、ワラビ、それにビヤーサと、視線を目まぐるしく移しながら困っている。
あなたが「霹靂のマーヒム」と聞いて思い出す。この婦人、二十年ほど前に名を馳せた有名な戦士である。
腕は相当なものであったらしい。あの凶暴かつ凶悪で世の災厄とまで譬えられる巨大生物・ドラゴンを倒したことがあるそうで、当時は彼女の手を借りたいと、全国の戦士会から引き切りなしに依頼を寄せられたそうだ。
霹靂とは雷のことであり、狂戦士の如き苛烈な戦いぶりから名付けられたらしい。その今は一線を退いた戦士が、まさか三兄妹の母親だったとは、とあなたが驚いた。
「あっ、パパー。シャイバニおじちゃんも、ビヤーサお姉ちゃんもお帰りー」
そこへ三兄妹と同じく緑色の髪をした、とても小さな女の子が現れた。
三兄妹だが、上の兄は既婚済みで二児の父親である。下の兄も結婚を間近に控えた彼女がいるようだ。
この家族の仲をあなたたちが微笑ましく思った。だからジュリアが、
「下の兄さん。悪いけど、あたしたち遠慮するよ」
と、シャイバニの誘いを断った。
「えっ」
「せっかくの親子水入らずをあたしたちが邪魔するわけにはいかないよ。じゃ、またな。行こうぜ、ワラビ、アンタ」
「お、おい」
止めるシャイバニを振り切り、あなたたちは急いで今日の宿を探しに向かった。




