草原
草原が、果てしなく続く。丈の短い野草が、彼方まで地を覆っている。
空は深い水色を湛えていた。所々に浮かぶ筋状の雲だけが、透き通るような白さで空の模様を変えていた。
そして、黄金が天を照らす。この澄み切った空と縹緲たる大地に、輝く太陽が光を与えている。
ただ、つい一月ほど前まで青々としていた草原は、もうくすんだ色に変化していた。
峠より望んだ風景は過去の物となっていた。これより季節は更に荒涼とし、身も凍るような木枯らしが大地に吹き荒ぶ。
色褪せた草原。その片隅で今日は、仄かな蒸気を上げる二人の少女が、険しい顔をして干戈を交えている。
「くらえっ!」
木の棒を片手に握るゼク三兄妹末妹・ビヤーサが、飛び掛かるような勢いで鋭い突きを繰り出した。
だが、短めの木の棒を両手に握るワラビが、身を捻って紙一重の差で突きをかわす。
「くっ、ちょこまかと。今日は腹立つくらいにすばしっこいじゃない!」
かわされたビヤーサが棒を引くと同時、その身も大きく退いた。
今日のワラビは短刀のスタイル。ワラビは長刀と短刀で戦い方が大きく違う。長刀は一撃で決める戦い方に対し、短刀は手数と速さで攻める。
二本の棒を得物とするワラビに接近されたら、一本のビヤーサは一つ目は防げても二つ目を防げない。だから彼女は退いた。
――ワラビの短刀とジュリアの弩を新調し、旅の準備を済ませたあなたたちは、イゾルド山で出会ったゼク三兄妹と共にステップ、つまりロルカルロ盆地に入った。
そしてあなたたちが今いる場所。ここは「アロー山」の東にあたる。アロー山とは、あなたたちがイゾルド山で子ネコを拾った朝、峠からジュリアが示した矢印形の山を指す。
人為なのか。はたまた偶然か。アロー山の矢印に従って東へ進むと、オアシスの町・エメローナに着く。したがってアロー山は、オアシスの町へ行く者にとって良い目印として使われていた。
昨日、三兄妹と共に馬車に乗ったあなたたちは、いまアロー山の先端で昼食のついでに休憩を挟んでいた。そこでワラビが落ちていた木の棒を拾い、ビヤーサにリベンジ戦を挑んだのである。
「…………」
二人に視線を戻すと、今、二人の間には、詰めれば一瞬にして縮められる微妙な間合いが存在した。
この間合いは先ほどから何度も作られ、これが詰められる度に、二人は得物を交えていた。そうして何度目になろうか、また二人は無言で距離を測り合っている。
間もなくして、――飛び出したワラビ。狙いを付けさせぬようジグザクと、左へ右へ飛びながらビヤーサに迫る。
これに対してビヤーサは、今までは退き、距離を取っていた。ワラビの木の棒と比べると、彼女が持つ棒の方が二倍は長い。リーチの差を生かすことは戦いの定石である。
彼女は常に自身の得物が届き、且つワラビの得物が届かない距離を測って今までは戦っていた。だが、今度ばかりはその定石を敢えて破り、前に飛び込んでワラビが攻撃を繰り出すよりも早く突いてしまおうと企てた。
今まで退いていたのも、これの為の布石だ。だから退くと見せかけて、地を蹴った彼女が一気に距離を詰める。
そして、何よりも速く突いた。ビヤーサの吊り上がった目が、ワラビの左胸を確実に捉えた。
「あっ!」
しかし突きを防がれた。ワラビの下から縦に描いた弧が、突くビヤーサの棒を宙へと弾いた。
ビヤーサは信じられずにいた。前に飛び出したとき、相対するワラビの目は、明らかに驚いていたのだから。
自失するビヤーサ。この隙にワラビが横に描いた弧が、ビヤーサの横っ面を引っ叩く。これを受けてビヤーサが膝を落とす。
こうして、「勝ち逃げは許さない」と開かれた二人の二戦目は、ワラビの勝利で幕を閉じた。
「どっ、どうだ! 一対一なら、君なんかに負けないんだから!」
腰に手を当てて勝ち誇るワラビ。以前ビヤーサに言われた台詞をそのままお返しした。
だが、その裏では冷や汗が止まらない。ワラビは騙されていた。退くものだと思っていたビヤーサが、突如として前に飛び出してきたものだから心底驚いていた。
今も胸の鼓動が収まらない。ただ即座に反応できたのが幸いした。実のところワラビは、お得意の超反応で突きを弾いただけで、意識して勝った訳じゃなかった。
ワラビとしては、これを勝利とは言い難かった。
「くっ、こ、このチビ! 私の顔を、マジで叩きやがって!」
「やるかぁ!?」
二人して棒を投げ捨て、取っ組み合いのケンカが始まった。
共に行動をしているが、この二人はまったく仲が良くない。本気で殴り合っている。
「いつもいつもぶりぶりしやがって! 気に入らないんだよおまえ!」
「誰がぶりっこだって!? このペチャパイ!」
「なっ!? わたしが一番気にしてることを! もう許さない、目も当てられないツラにしてやる!」
「それは私のセリフよ! いっつもいっつも機嫌悪そうにしててさ、少しは愛嬌ってもん見せたらどうなのよ!?」
罵り合っては殴り合って。二人の争いが醜くて皆が頭を抱える。
「あいつら、何やってんだよ」
「はぁ。俺がビヤーサを止めるから、嬢ちゃんはあの子を頼む」
見兼ねたジュリアと下の兄であるシャイバニが、二人を止めに走った。
ジュリアは服を変えていた。「羊毛のチュニック」。ヒツジの毛を編んで作られた、とても温かそうな丈の長い服を着ていた。また、防寒の為にレギンスを履いていた。
ワラビも同じくレギンスを履いている。それとあなたは、倒したベルセルカーの皮より作られたグローブを手にはめていた。
ケンカを止めに入った二人を後目に、平素は寡黙な上の兄、スレイマンがあなたに尋ねる。
「あの子、ワラビさんと言ったか。妹を負かせるだけの剣技、只者ではない。君、あの子は一体何者だ?」
スレイマンの問いに関してあなたは言葉を濁した。ワラビは、勇者の子孫であることは絶対に明かさないでと、あなたとジュリアに頼んでいる。
変に期待されると困るからだ。ワラビはそこまで自分に自信を持っておらず、先祖である伝説の勇者と比較されることを極度に嫌がっている。
だから今までシンシアにもカイチンにも明かさなかった。それにそもそも、ワラビがジュリアに明かしたように、笑われてしまうのがオチでもある。
「そうか。だが君達はいずれ有名になるだろう。私も戦士になってそれなりに経つが、君達ほどの者は見たことがない」
スレイマンが静かに笑った。酔っ払わないと口数が少なく、何を考えているか分からない男だが、それでもこの男なりに好意を示していることをあなたは感じた。
あなたとスレイマンが、ワラビとビヤーサの方へ目を向けると、
「あーあ、こんなに顔腫らしちゃって。どうすんだよワラビ、オアシスはもう直ぐだぞ」
「アイツが、……あつっ、口の中が切れてる」
ジュリアが手を引いてワラビを、シャイバニがビヤーサを羽交い絞めにして連れて帰っていた。
あなたがワラビを見る。右瞼が大きく腫れていた。他にも左頬に殴られた痕があり、唇も切っていた。
ビヤーサに目を移せば、彼女は彼女で顔の左側が大きく腫れていた。さらに鼻血をだらだらと垂らしていた。
「まったく、世話が焼ける。……しかし、あははっ、ブサイクになっちゃったなぁ」
「えっ、私の顔そんなヒドイの? やだ、どうしよう」
もはや女の子の顔をしていないワラビに、ジュリアが笑いながら霊癒を唱えた。
それから、叱るシャイバニを無視してふてくされているビヤーサの元に、ジュリアが赴き、
「ほら、お前も顔みせろ」
無理やり顔を向かせ、霊癒を唱える。
「生きとし生ける者の為に……」
「……くっ、おまえも敵だ! 触るな!」
「おい、詠唱の邪魔すんじゃねえ。勘違いすんな、下の兄さんが困ってるから唱えてやってんだよ。誰がてめえなんかの為に血を使うか」
「……っ!」
「しっかし、けっこう可愛い顔してんのにもったいねーな。次は邪魔するなよ」
「……ふんっ。礼なんか、言わないからね」
視線だけそっぽを向いたビヤーサ。これに、
「いい加減にしやがれこのバカ!」
手加減無しにシャイバニが、ビヤーサの頭に拳固を入れた。
「なにすんのよアニィ!」
「すまねえ嬢ちゃん! バカな妹だが許してやってくれ!」
怒鳴る妹の横で、シャイバニが頭を地に着けるような勢いで下げた。
兄としては、妹に友達ができてくれれば嬉しいだろう。しかし妹は、そんな兄の気持ちなど意に介さない。
下の兄も大変だな。そんな旨を思うあなたであり、
「また邪魔された。……はぁ」
ジュリアが溜め息を吐いた。




