ぶつかり稽古
クマ打倒を誓ってから七日が経過し、あなたが鍛錬の為に目標とする、大きな岩石の前に辿り着いた。
息を整えながら汗を拭う。改めて苔の張り付いた大岩を前にし、あなたがクマの大きさと重ねる。
ジュリアに鬼子乃厄を唱えてもらってはひたすら走り込んで。今、あなたの体は七日前と比べて強化されている。特に下半身が強化され、その切り立つ崖のような脚は驚異的な瞬発力を生むだろう。また、その引き締まった足腰は、いかなる風にも倒れぬ樹の根の如き粘りを誇るだろう。
今日こそは。そう思ったあなたが両手を岩につける。そして息を吸い、鍛え上げた脚の筋肉を膨らませて全力で岩を押す。
すると岩が、僅かに前へ動いた。
さらに押すと、地が擦れる跡と共に、大きな岩石があなたの押す力に合わせて前へ前へと進んだ。
そうして、充分に押したところであなたが手を離す。七日前は押せなかった岩を押し、大きく息を吐いたあなたが手応えを感じた。
両の掌を感慨深く見つめるあなた。だが、異変はそのとき起きた。大岩を押した地の跡が急に隆起し、噴き上がった土と共に巨大なミミズが現れた。
『グラウンドワーム』。ヒトの脚ほどの太さと長さを誇る、巨大なミミズである。
ミミズは伸縮する生物であり、体を伸ばした際の全長はなんと成人の背丈を超えると言われる。そのミミズが、頭を宙に向かって仰け反らせ、胴体を鞭の如くあなたに打ちつけようとした。
このミミズは放っておけば無害なのだが、害を成す者には尾や胴体を容赦なく叩き付ける。しかし、クマの一撃に耐える訓練を重ねてきたあなたが、盾を構えてミミズの胴体を難なく受け止める。
すかさず剣を抜き、ミミズの頭を切り払う。こうしてあなたは一人で巨大なミミズに勝利した。
「アンタ! どうしたっ、剣を抜いたりして!」
「キミ!」
そこへジュリアと、籠を背負ったワラビがやって来た。
「わっ、ミミズだね」
「グラウンドワームか。もう倒したんだな」
既に胴と頭が分かれたミミズを見て、二人が構えを解いた。
あなたを応援、またはからかいに来たのだろう。二人はあなたがこの岩にこだわり、毎日この岩の元まで走っている事を知っている。
猟犬シシンもやって来た。シシンは変わらずジュリアに懐いており、ジュリアのそばから離れようとしない。これは先日のことになるが、あまりにもシシンがジュリアに懐き過ぎるため、「飼い主は俺だぞ」と飼い主はぼやいていた。
差し置かれた寂しさは如何ほどのものであろうか。その飼い主、カイチンが、
「どうしたお前ら。……おう、ミミズか」
遅れてやって来て、既に息絶えたミミズを前に、軽く息を吐いた。
それからカイチンが、あなたが押した岩石に目を向ける。
驚くカイチン。すかさず下を見れば、ミミズが現れたおかげで地を擦った跡の大半は消えたものの、僅かに残る跡が押した証拠を示していた。
この岩石、大の男二人掛かりでも押せるか怪しい。カイチンが岩石に手をあて、
「あんた、すげえな。まさかこんな岩を本当に押しちまうとは。いやはや、この二人があんたを頼りにしている訳が分かるわ」
目を輝かせてあなたを讃えた。
カイチンはあなたに対しては一定の評価をしていた。だが、この岩はさすがに無理だろうと高を括っていた。
しかし押してしまった。カイチンが改めてあなたを見直す。
さて、あなたが倒したミミズ。その肉は厚くむっちりとしており、ともすれば食べれそうである。
「ねえジュリア、このミミズって確か食べれるんだよね?」
「うーん、食べれるとは聞くけど、でもミミズだからなあ。カイチンさん、食べたことあるかい?」
「食べる物がなかったときに仕方なく食べたことはあったな。あまり食いたいとは思わねえや」
「でも女将さんおいしいって言ってたよね?」
「……見なかったことにするか」
ミミズは、食べれる。特にこのミミズの肉は、女将曰く非常に美味らしい。
だが、この国ではミミズを食べる習慣はなく、あなたたちも食べたことはない。女将のために持って帰っても良いが、あなたたちはこれをやめた。
ミミズと戦ってあなたがふと思う。女将から知らず知らずミミズの肉を食わされていたのではないか、などと。とりあえずあなたたちは肥料として非常に有用な「臭くない糞」をミミズから採取し、持ち帰ることにした。
「ねえキミ、見てみて。今日はいっぱい採ってきたよ」
ワラビがあなたに背を向けた。
背負う籠をあなたが覗く。すると、
「今日はクリごはんだね」
毬のついたクリがたくさん詰まっていた。昨日、この近くにクリの樹を見つけたのだそうだ。きっと湖の畔に住む誰かのクリの樹だろうが、収穫されていないことからその誰かは避難しており、拾っても許してくれるだろう。
クリ以前は、よくレンコンやハスの実を採ってきた。あなたたちが湖に着いた初日、東の岸辺にピンク色の花が咲いていたが、あれはハスの一種であり、女将に尋ねると自生していて採り過ぎなければ採ってもいい、とのこと。
籠を背負うワラビは、もう左腕を吊っていない。怪我はほぼ完治しており、刀を握れるほど回復している。
「じゃあ、キミが岩を押したことだし、明日はいよいよリベンジしに出発だね」
「おいこらワラビ。俺はまだお前を認めちゃいねえ」
「えっ、カイチンさん、昨日クリかわしたじゃん」
「ふざけんな。かわすのが上手いだけでクマが倒せるわけねえだろ。腕が治った今、お前がクマに通用するか俺に見せてみろ」
ジュリアは認めたが、ワラビはまだ認めていない。カイチンが、クマと戦えるだけの力を見せろ、とワラビを試す。
実はカイチンは、これで諦めさせるつもりだった。ワラビには悪いが、やはり若い娘二人をクマの餌食などさせたくない。
カイチンが腕を組んでワラビを厳しく見据える。ただし、ワラビの反応の良さは認めている。昨日ワラビが復帰の為に「投げてみて」と誘い、カイチンは石やイガグリをひたすらワラビに投げたそうだが、それをワラビは全てかわしたらしい。
「んもう、心配性なんだから。心配なら心配って、素直に言えばいいのに」
「なっ、なに勝手に勘違いしてやがる! 心配なんかしてねえ、お、お前みたいなクソ生意気なガキ、早くどっかでのたれ死んじまえ!」
「あははっ、カイチンさん”つんでれ”だからなー」
最近ワラビとジュリアは、カイチンを「つんでれ」と言ってからかっている。
カイチンは顔を真っ赤にしていた。どうやら二人だけに通じる単語のようで、あなたとカイチンは、二人の言う「つんでれ」が何を指しているのか分からない。
ワラビが籠を下ろし、大きく息を吐く。それから、背の大太刀を抜き、
「じゃ、これ切ったら認めてくれる?」
とあなたが押した岩石を、今から切るとカイチンに宣言した。
「はあ? そんな岩、誰だって切れるもんか」
「ふふっ、どうかな?」
含み笑いをしてからワラビが、上段に構えて目を閉じる。
この結果をあなたとジュリアは分かっていた。そして、目を開けたワラビが、一直線に刀を振り下ろして岩石を縦に切り裂く。
「なっ……」
カイチンが仰天した。言うまでもなく岩石は石だ。刀だろうが剣だろうが切れるはずがない。
岩石が、ぱかっと割れている。その事実が信じられず、手品なんじゃないだろうかと、カイチンはどうにかして己の常識にあてはめようとした。
認めたくない故に疑う。まさか、こんな小さな女の子が、一太刀で岩石を切り裂くなんて思ってもいなかった。
いずれにしろ「切れるもんか」と言ってしまった以上、認めざるを得ない。カイチンが平静を装いながら、ワラビの実力を認める。
「へ、へん。やるじゃねえか」
「おいワラビ、真っ直ぐに割れてないじゃねえか。おまえちょっと腕なまったんじゃないか?」
「うーん、左手怪我したからかな?」
岩石の下の方はいびつに割れており、それで浮かない表情をするワラビをよそに、カイチンがあなたたちを改めて望む。
一人は大岩を押した。もう一人は兄と違わぬ射撃の腕を披露した。そしてもう一人は、岩石を切り裂く天賦の才能を持っている。
(こいつら、とんでもねえ。今でこそ無名だが、いつか俺なんか手の届かない戦士に成長するんじゃないか……)
これほどの才能にあふれた戦士は見た事がない。カイチンがあなたたちに瞠目した。
同時に、ある感情が湧き上がる。いくら恨まないと心で決めていても、ヒトはそう簡単に割り切れないもの。カイチンはあなたたちに「クマを恨んでいない」と言ったが、心の奥底では蟠りを抱えていた。
しかし、あなたたちの才に、カイチンが胸を躍らせる。諦めるつもりだったクマへの復讐。
カイチンは密かに、
「……こいつらとなら、倒せる。兄者、待ってろよ」
と呟き、兄の骨を握り締めた。




