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臥薪嘗胆

「アンタ、いいか? 唱えるぞ?」


 椅子に座るあなたの直ぐ後ろで、ジュリアがあなたに確認した。

 あなたが頷く。それを確かめたジュリアが、両手をあなたの両肩に置き、目を閉じてある魔法の呪文を(そら)んじる。


――“我が名は(きち)(じょう)()。人(さら)いし鬼の血を継ぐ畜生の娘なり”

  “母を止め(たも)れ。千の(つわもの)宿すため、殿御の血肉貪れり”

  “(なまじ)、麗しきばかりに(たぶら)かし、蟷螂(とうろう)(ごと)き所業を歩む”

  “()()から光を奪い(たも)う。不幸の点綴(てんてい)(おぞ)ましきこと(なり)”――


「――“鬼子乃厄(ヤクシニー)”」


 その時、両肩にのしかかるような重い感触をあなたは受けた。

 そして、肩の重さがみるみると全身に侵食する。まるで液体となった鉛が、体の隅々まで染み渡るように。

 ()(てつ)もなく辛い。椅子から立ち上がるのも億劫(おっくう)だ。腹も気持ち悪く、耐え難い疲労感があなたを(さいな)む。


「じゃあ、あたしとワラビは行って来るから。頑張れよ、アンタ」


 ジュリアが苦しむあなたを励ました。

 彼女と左腕を吊るワラビは、これから採集および狩りに出かける。猟師の兄弟の弟・カイチンに協力を仰いでから三日経ち、あなたたちはワラビの怪我(けが)が完治するまでの間、あのクマを倒すべくレベルアップを図っていた。

 二人は、宿屋の女将に頼まれた食糧調達の傍ら、カイチンの指導により狩猟を学んでいる。


「ワラビ、ジュリア。準備できてるか?」


 そのカイチンが、二人を呼びに部屋に現れる。続いて、

「おはよシシン。今日もよろしく頼むぜ」

 飛び出すように現れた猟犬・シシンの頭を、ジュリアが微笑(ほほえ)みながら撫でた。

 座りながら尾を振るシシン。ジュリアを見つめ、新しい相棒に喜んでいる。

 カイチンは、二人の腕がクマに通用しそうか確かめた。ワラビは腕の怪我があるため保留にしているが、ジュリアには既に合格を下していた。

 カイチンが飼う猟犬・シシンは、見つけた獲物を射手の前に追い出す技を得意としている。この射手を、今までは亡くなったカイホウが務めていた。

 ジュリアはそのカイホウの役目を、見事にカイチンの前で務めて見せた。最初こそ戸惑ったものの、器用なジュリアはあっという間にコツを掴み、もうシシンが追い立てた獲物を確実に射抜くまで成長した。

 兄と寸分(たが)わぬ技術を、この赤い髪の女の子は披露した。兄と違って力はないが、射撃の正確さと魔法、そして呑み込みの早さもあってカイチンはジュリアを認めた。

 こうなると、猟犬のシシンは更に張り切り、ジュリアも狩猟が面白くなってしまう。昨日なんては小動物や野鳥を獲り過ぎて「もう獲るな」とカイチンに怒られていた。


「それじゃあ行くか」

「うん」

「ああ」


 カイチンの呼びかけに二人が応じた。

 あなたが脂汗を(にじ)ませながら、二人のことをカイチンに頼む。この頼みにカイチンが「あんたも頑張れよ」と、あなたの肩を軽く叩く。

 あなただが、二人とは別に体を鍛えていた。ジュリアがあなたに唱えた魔法「鬼子乃厄(ヤクシニー)」とは、対象を疲れさせる魔法である。対象の動きを鈍らせる目的で唱えられる魔法なのだが、一方で医療目的としても使われており、怪我を負った患者の復帰や運動競技者のために、あえて肉体に負荷を掛けるべく唱えられたりもしている。

 あなたが倒されたクマの腕。あの振り下ろされた剛腕に耐えるべく、ジュリアに鬼子乃厄(ヤクシニー)を唱えてもらってあなたは体を(いじ)めていた。

 ちなみに、鬼子乃厄(ヤクシニー)はそこまでの消耗ではなく、霊癒(レイシオ)よりは少し血を使う程度だそうだ。


「じゃあ行ってくるね、“キントキ”さん。夕飯を楽しみにしててね」


 ワラビが笑顔であなたを励ました。


「今日もジュリアが怒られるくらいたくさん採って来るから」

「あたしかよ。ワラビ、なんだ“キントキ”って」

「ウチの方に“金時(キントキ)(ドウ)()”っておとぎ話があるの。まさかり担いだちっちゃな子なんだけど力持ちでね、クマと“()(もう)”して勝つ話なの」

「へえ。スモウってあれか、押し合って倒した方が勝ちってヤツか」

「そうそう、下着一丁で男同士が組み合っているアレね。……あれ、こう言うと変な誤解受けそう。まあいいか」


 こうしてワラビとジュリア、カイチンとシシンが部屋を後にした。

 しかしジュリアは魔法に詳しい。あなたはジュリアから魔法について色々と聞いていた。

 魔法とは、元素が元となり発現するもの。その元素で代表的なのが火、水、風、土の四大だが、例えば火を起こす「火神(アグニ)」を唱えるとして、火の元素だけでは火神(アグニ)を唱えられないらしい。

 火を起こす為には物質が要る。空気と熱と燃える物だが、火を起こすならこの一つ一つを、元素を組み合わせて生成しなければならず、また、先に挙げた空気、熱、燃焼物に関しても、また元素を組み合わせて生成しなければならないらしい。

 火に必要な要素を一つ一つ生成して、それらを組み合わせることでようやく「火神(アグニ)」が発現し、そして魔法を唱える為に必要な要素を細かく記した物が、かの天才魔道士が発明した魔導書となる訳だ。

 これをあなたはワラビに確認した。するとワラビは「そんな感じだね」と答えた。

 ワラビが唱える火神(アグニ)の呪文。一句目の「輝く光よ、今こそ、()の貪欲を示せ」。ここでは何も生成していないが、二句目の「親を()え森を喰え、心を喰え妻を食え。満ちるまで省みず灰と化せ」で空気を生成し、三句目「此処(ここ)に供えるは牡牛の脂。怠惰で愚か、弾ける汚汁は七つの舌を(うな)らさん」で燃焼物の生成、四句目の「浄化せよ。清め(あらた)もうは罪なる生、彷徨(さまよ)える闇に限りなき光を」で熱を生成している、とワラビは言った。

 最後の「――火神(アグニ)!」で、熱、空気、燃焼物を組み合わせているそうだ。しかし、そこまで知っておきながらジュリアは火神(アグニ)を唱えられない。聞きかじった程度なら知っているが、火神(アグニ)の魔導書をきちんと読んだことはないらしい。

 では、聞きかじった程度の知識でも発現するかどうか。ワラビが止めたがジュリアは実演した。そして、訳の分からぬ爆発を起こし、やはり魔法は魔導書を熟読した上で唱えるもの、とあなたは理解した。

 そしてジュリアが魔法について詳しい理由だが、これに関してジュリアは「まあ、そのうちな」と言葉を濁した。


 ***


 しばらくして、あなたが湖の畔を走りながらある場所へ向かう。

 鎧を装着し、盾を構え剣を携えて。いつもの装備であなたはこの三日間走り続けていた。

 そして、鬼子乃厄(ヤクシニー)も三日間唱え続けてもらっている。体が自分の物ではないように重たく、しかも少しのあいだ走るだけで直ぐ息切れを起こす。

 この辛さに対してあなたは、あのクマの一撃を思い出した。悔しさを糧に耐え、東の方の故事に「()(しん)(しょう)(たん)」という言葉があるが、まさにその通りだ、といったことをあなたが走りながら思う。


 そうした走り込みを続けること一刻。あなたは、あなたより一回り大きな岩石の前に辿り着いた。

 びっしりとこびり付く苔が、ここに座り始めた年季を(うかが)わせる。この三日間あなたは、この岩の元まで走り込んでいた。

 理由はこの岩を妙に覚えていたからである。クマと戦う前、湖の岸辺を歩いていたときに見つけた岩だ。

 あなたが呼吸を整え、岩石を力の限り押してみる。すると、昨日までは感じられなかったが、今日は僅かに動く気配を感じた。

 あと少し力を付ければ押せそうだ。この岩石を押す。それがあなたの、クマの剛腕に耐えるべく己に課した目標だった。


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