依頼
翌日。日も暮れた遅い時間。
「お仕事ないねー。もう次の町に行っちゃおうか」
あなたと向かい合って座るワラビが、スプーン片手に提案した。
牛肉とタマネギがじっくりと煮込まれた、とても香ばしい匂いが漂っている。あなたとワラビが挟むテーブルの上には、とろりとした焦げ茶色のルウが、白米にたっぷりとかかった食べ物があった。
それは、「ハヤシライス」と呼ばれ、一度西より東へもたらされた料理が、変形して再び西に逆輸入された、中々に複雑な来歴を持つ料理である。濃厚なルウが白米と良く合い、この料理は西のヒトにもおおむね好評である。
今や外食の定番メニューとなっている。そのハヤシライスに、ワラビがスプーンを入れる。しかし多い。まるでサラダボールをひっくり返したように盛られた量のそれを、ワラビが少しずつ口に運んでいる。
悪い癖が現れなければいいが、などとあなたが、食べる彼女を見守る。
――ほとんどの店が営業を終え、街から灯りが徐々に消える時刻。そんな時間にあなたたちは、交差する二本の剣が描かれた看板を掲げる、食堂風の店内で遅い夕食をとっていた。
この建物は、食堂であると同時に、「戦士会」の営業所でもある。戦士会とは、その名の通り「戦士」、つまり戦いの能を持つ者のみが所属を許されるギルドであり、全国に支部がある大きな組織で、本部はロウランという都市に所在する。
戦士会の基本的な理念は治安の維持にある。凶悪な犯罪者の捕縛や危険な生物の討伐、天災による被害者の救護など、街の住民を襲う脅威を戦士会は取り締まっている。また平時は、街の人々から寄せられる「依頼」を承っており、都市間の移動や遺跡の調査などの護衛を受ければ、農作物の収穫や創作劇のエキストラなど、戦いとはおよそ関係のない手伝いも引き受けていたりしている。
したがって街のヒトには便利屋のように思われている節がある。あなたたちは、そんな「なんでも屋さん」な戦士会に所属している戦士である。
「お客さーん。そろそろ閉めますから、早く食べてくださいねー」
チョビ髭を生やした中年の男が、実にうんざりとした顔であなたたちに呼びかけた。
この中年の男は、戦士会シュラク支部に勤める職員である。バーマンを意識しているのか、ドレスシャツの上に黒いベストを羽織り、首には蝶ネクタイを締めたコテコテの格好をしていた。
明らかに店を閉めたがっている。店内はあなたたち一組だけで、チョビ髭の職員はカウンターの上にひじを立て、あなたたちを飽きた様子で見ながら頬杖を付いている。けれど、チョビ髭から背を向けるワラビは、そんなチョビ髭の気も知らずに食べ続けている。
あなたが、イライラとしているチョビ髭の視線を避け、壁に掛けられた掲示板に目を移す。
コルク製の掲示板には何もなかった。住民からの依頼があれば、その内容が書かれた紙が張り出されているはずだった。
戦士会は、依頼をただで受け付けている訳ではない。戦闘という専門的な分野を頼まれる以上、戦士会は依頼を基本高額で承っている。
高額で受けた依頼は、会の職員が、町の戦士に受託する者がいないか募集をかける。それで受託した戦士が依頼を完遂すれば、その金が会を通して支払われる仕組みとなっていた。
戦士が依頼を受けるか受けないかは、飽くまで本人の自由である。そんな戦士会に所属する戦士は町にまずまずいる。臨時的な収入が手に入る副業となるからだ。
本職の片手間に依頼を受けるヒトがほとんどで、本業とする者は少ない。だが、旅をしているあなたたちは、その少ない本業とする者である。
しかし今、この食堂には依頼がなかった。だから掲示板には何も張り出されていないのである。
この町で旅の資金稼ぎをしておきたかったあなたたちはあてが外れてしまった。だからワラビが「次の町に行こう」と提案したのである。
「あー、もうおなかいっぱい。お願い、あと食べて」
そしてそのワラビだが、やはり悪い癖がでた。
彼女は食いしん坊だが大食漢ではない。それなのに食べれもしない量をよく頼んで、しかもよく残すのだ。
さらに懐には、よく菓子を隠し持っているので性質が悪い。このワラビという女の子、あまり自制の利かない性格をしていた。
聞こえただろうか。たぶん聞こえているはずだ。そしてチョビ髭の何かが切れる音も聞こえそうである。チョビ髭の職員は皿洗いの他に、残飯の処理という余計な仕事を増やされた。よってあなたは既に食べているのだが、チョビ髭の怒りを少しでも静めるべく、食いかけのハヤシライスに慌ててスプーンを入れ、そして飽きているワラビにも、
「えー、食べるの?」
早く食べるように急かす。
あなたがチョビ髭を目で示すと、振り向いたワラビがようやく察した。そんなワラビの口元に飯粒が付いたが、言うより食べる方が先なのであなたが放っておく。
ちなみに、資金稼ぎをするだけなら、ヒトデ狩りや漂着物の収集などユーダリールで行った手段もある。
しかし額が違う。星核でも手に入れない限りその額には達しない。それに、あなたたちは依頼を少しでも多くこなし、少々危険な依頼でも受けられるくらいの信用も欲しかった。
任意で受けられる依頼だが、何でも受けられる訳ではない。「これは危険な依頼だ」と職員が判断すれば、依頼を受ける戦士に制限が掛けられる。
一般的には困難な依頼ほど多額の報酬が支払われる。また、名うての戦士となれば指名されたり、他の営業所から多額の報奨金と共に招かれることもある。
今のあなたたちは無名である。信用など無いに等しい。そんなあなたたちが、目の前のハヤシライスを、あと少しで食い切ろうかというところで、
「ごめんください! 誰かいま依頼を頼める方はいませんか!?」
バンッ――! と、店の扉が強い音を立てて開かれた。
振り返るあなたたち。駆け込んで来た妙齢の婦人は、一目見るだけで明らかに狼狽していた。
「うちの子が、うちの子が帰ってこなくて……」
「奥さん、落ち着いて。落ち着いて訳を話してください」
涙まじりに訴える婦人をチョビ髭の職員が宥め始めた。正確な事情を聞き出すために。
真剣な顔をするチョビ髭。察する限り依頼だろう。それも、急を要する。
いま店の中は閑散としており、チョビ髭の職員と調理場にいる者、そしてあなたたちだけである。
「ここにいますよ奥さん! わたし達にお任せください! こう見えてもわたしたち、とっても腕が立つんです!」
ワラビが立ち上がって妙齢の婦人に、その飯粒が付いたままの顔で自身の胸を叩いた。
自信たっぷりなワラビに、うろんな目をするチョビ髭の職員をあなたは見逃さなかった。