反省
クマから逃走して数日が経過し、あなたたちはイーズ湖の畔に戻っていた。
「私たち、調子に乗ってたね」
「……ああ」
暗い面持ちで呟いたワラビとジュリア。ここはあなたたちがクマ討伐前に泊まった、女将が営む宿屋の一室である。
椅子に座るワラビは左腕を吊っていた。樹に体を強く打ち付けたワラビだが、幸いにも左背と左肩の打撲程度で済んだ。
ジュリアの霊癒もあり、一週間もあれば治るだろう。そのジュリアはワラビの傍らで、開いた窓の縁に片肘を掛け、外をぼんやりと眺めている。
敗北は二人の心に大きな傷を負わせた。勝てると踏んでいた相手に成す術もなく敗れたからだ。
ただ逃げ惑うのに必死だった。ケルベロスや船上の一件を経て過信していたのかもしれない。だから慢心を痛感したワラビとジュリアが、自信を失くし項垂れているのである。
ただし、あなただけは諦めていない。叶うものならリベンジしたがっていた。
猟師の兄弟が仕留めただろうから、もう再戦など叶わないだろう。しかし、この広い世にはあのクマ以上の生物などゴロゴロしている。あんなクマに躓くようでは、己の目的など到底果たせない、とあなたは悔しがっていた。
あなたがクマに殴られたときを述懐する。あの一撃は、もう少し自分が強ければ耐えられるものだった、などと。
「なあ、癪だけどさ、あの兄弟の言うとおりだったな」
「うん、おっきな借りを作っちゃったね。早く謝んないと」
「あ、そうだ。間違っても“おっぱいマン”とか言うなよワラビ。おまえは言いそうだからな」
しかし、負けたとは言え数日が経っている。振り返ったジュリアが軽口を叩けるほど、落ち込む気持ちも二人の間では和らいでいた。
この軽口にワラビが「心外だ」とジュリアに向く。そして頬を膨らませるが、確かにワラビは釘を刺しておかないと、口を滑らせそうで危なっかしい、などとあなたが危惧する。
猟師の兄弟はあなたたちに忠告していた。その忠告を無視し、あなたたちは無謀にもクマに挑んだ。
しかも、危ないところまで助けられた。道義として謝るのが筋だろう。だからあなたたちは、猟師の兄弟が帰って来るまでの間、この宿屋に滞在するつもりでいる。
「あっ。てめえ! どこ触ってんだ!」
「言うわけないじゃない。だからおっぱい揉んであげたのよ」
「意味わかんねえよこのぱっつん! ムネ出しやがれ、おまえのも揉んでやる!」
「ちょっとやめてよ! わたし病人なのよ! ……きゃあっ!」
じゃれあう二人をあなたが放っておくと、閉じた扉の外からカリカリとこすれる音が聞こえた。
扉を開けると、黒い子ネコことテスタロッサが現れ、あなたの足に体を擦り付ける。
ヒト懐っこいネコだ、などとあなたが思い、子ネコを抱き上げて部屋を後にする。
「ばかっ、ばか! いつまで触ってんのジュリア!」
「おまえって背が小さい割にはムネあるんだよなー」
部屋から聞こえる二人の声に、あなたが呆れながら階段を下りる。
そして、あなたが子ネコを抱えながら宿のラウンジに向かうと、
「あら、お出かけですか」
ニコニコと、今日も笑顔の女将にあなたが話しかけられた。
「うふふっ、うちのテスタロッサちゃん可愛いでしょう? あっ、そういえばあなた方に頂いた、あの柔らかい毛皮なんですが」
女将を見てあなたが思い出す。クマに襲われる前、ワラビが「ウシだ」と言っていた。
エプロンをゆったりと羽織り、これまたゆったりとしたワンピースをいつも着ているため気付きにくいが、確かに女将のそれは、ウシのように大きかった。
女将が言う「柔らかい毛皮」とは、あなたたちが倒したエテコウの毛皮を指す。イーズ湖の畔には買い取ってくれる店がないため、あなたたちは宿代にこれを当てていた。
「あれを元にこんなの作ってみたのです。よかったらどうで……」
女将が棚から何かを取り出しながら喋っているとき、外からイヌの吠え声が聞こえた。
一度でなくしきりに吠えていた。「アンッ」と鳴くその声に、あなたと女将が声の主を察する。
帰ってきたのだろう。あなたと女将が外へ出る。すると、やはりあなたたちを助けた、猟師の兄弟が飼う白黒のイヌが座っている。
イヌは埃まみれで汚れていた。そして、
「……っ!」
女将が咄嗟に口元を覆って息を呑んだ。あなたも、言葉を失ってしまった。
「うう、ぐふっ……」
イヌの傍らでは、猟師の兄弟の弟の方、カイチンが、うずくまるようにして伏せっていた。
ただし、あなたと女将が驚いたのは弟の方ではない。被るクマの毛皮が破れたズタボロのカイチンの後ろ、猟師の兄弟の兄の方、カイホウが、右腕を失った状態で倒れていた。
そして、仰向けに目を閉じるカイホウの肌は真っ白だ。つまり、ほんの数日前まで生きていた男が、――死んでいる。
「ああ、兄者が、死んじまった……」
掛ける言葉が見つからないあなたと女将。いや、今のカイチンに何を言っても慰めにならないだろう。
あなたが抱える子ネコまで静かにしていた。イヌだけが、慰めるような鳴き声を上げ、
「うう、おおおぉぉ……」
大の男のカイチンが、兄との別れに泣いている。
「キミ!」
「アンタッ……!?」
遅れてやってきたワラビとジュリアだが、二人もあまりの事実に絶句する。
――あなたたちが功名心に逸り、鼻を明かそうなんて考えなければ、この男は死ななかったのかもしれない。
この男が助けに来たから、あなたたちは生きて帰れた。その、命の恩人というべき男との再会は、あまりにも悲しいものとなってしまった。
死という事実が、あなたたちの両肩に重くのしかかる。もう謝っても、この男の耳には届かない。




