畔の宿場町
四方を山に囲まれた大きな湖が、あなたたちの前できらめていた。
湖を左に眺めると、水草が湖面を覆っている。その緑色と、咲く花の鮮やかなピンク色が、あなたたちの疲れを僅かばかり癒やした。
岸辺まで近付けば、水は底が透けて見える程に澄んでいた。――ちゃぽんと、水面から身を翻した魚が涼しそうに水底を泳ぐ。
「やっと着いたー。長かったね」
「ああ。もうくったくただ」
ブランジから歩き始めて九日目。あなたたちはようやくイゾルド山に浮かぶ湖・イーズ湖の畔に到着した。
「街が見えるよ。ねえ、早く行こうよ」
ワラビが建ち並ぶ家々を指し、あなたとジュリアを急かした。
街を歩くあなたたち。この湖の畔には、小規模ながらも宿場町が築かれている。ブランジから馬車で三日の距離に建つこの街の宿は、山を越える人々の休息所として利用されていた。
更に水が美味い上に空気は新鮮、イーズ湖の畔は避暑地としても知られている。しかし、今は閑散としている。通りを歩くヒトは殆どおらず、さながらゴーストタウンである。
理由はクマの一件だろう。馬車が走っていないからこの山奥に誰も訪れないのだ。したがって営業している店は指で数えられる程しかなく、宿屋も殆どが休業していた。
だが、開かれているならば問題なかった。今日の骨休めは必ずここ、とあなたたちは決めている。
風呂に入っていない。食糧もあと僅かだ。シュラフで眠る生活を繰り返していたあなたたちは、今日ぐらいふかふかのベッドに横たわりたかった。
ひとまずどんな店が開かれているか、あなたたちが店を物色する。すると、ワラビの肩に乗っていた子ネコが突然飛び降り、木造二階建ての至極オーソドックスな宿屋に走っていく。
来いと言っているのだろうか。あなたたちが顔を見合わせ、後を付いて行く。
「ああ、よかった。探したのよ、“テスタロッサ”ちゃん……」
しかし宿屋に入ってみれば、そこは感動のご対面であった。
あなたたちが連れて来た子ネコ。この小さくて愛らしい存在が、この宿の女将と思しき女性に抱き締められていた。
女性の言から察するに、子ネコは「テスタロッサ」と言う名で、この宿屋で飼われていたようである。
しかし、ネコにしては名が変わっている。そんな事をあなたが思うと、その子ネコがあなたたちに振り向いて「にゃあ」と呼ぶ。
それで女将があなたたちに気付き、
「あっ、お客様。……もしや、テスタロッサちゃんを連れて来てくださったのですか?」
と尋ねられ、遠慮することはないだろうとあなたが首を縦に振った。
「まあ。それはそれはありがとうございました。ちょっと前からいなくなっちゃって、心配していたんです」
立ち上がる女将はまだ若く、優しそうな雰囲気を醸し出していた。
長くて茶色い髪を三つ編みにまとめ、厚手のワンピースにエプロンを着用し。おっとりとしたところはシンシアと似通っているが、シンシアが敬虔な聖職者なら、こちらは家庭的な女性である。
おたまやミトンが似合いそうだ。そんな女将の懐から、子ネコが軽やかに飛び降りる。そして「にゃあ」と鳴き、あなたの足に体を擦り付ける。
ある意味、子供ながらに商売上手なネコである。あざといと言えばあざとかった。
「うふふっ、テスタロッサちゃんったら懐いちゃって。本日の宿はお決まりでしょうか? もし決めてないようでしたらうちをぜひ」
「えっ、女将さん、安く泊まらせてくれますか?」
「うーん、それは……。御存知の通り、山道にクマが現れまして、お客様が御覧の状態なので……。でもその分、精一杯おもてなしさせていただきます。なにせテスタロッサちゃんを連れて来てくれたのですから」
ワラビの値切りは断られた。が、あなたが宿賃を尋ねると手頃な値段であった。
厚くもてなしてくれるとも言う。特に断る理由もないあなたたちは、今日この宿での宿泊を決めた。
ついでにあなたが、戦士会に所属し、クマを退治しに来た旨を女将に知らせる。すると、
「えっ、お客様方もですか?」
女将が意外そうな顔をし、あなたたちに確認した。
「女将さん、“も”ってことは、あたしたちの他にもう誰かクマ退治に来てるんですか?」
「ええ。ちょうどクマ退治で有名な戦士の方がうちに泊まられているんですよ。……あっ、ほら、噂をすれば」
目であなたたちの後ろを指した女将の視線に、あなたたちが振り返る。するとそこには、とても大きな体格をした男二人が、あなたたちを見下ろしていた。
いつの間にいたのだろうか。あなたたちが驚く。そして、男二人の後ろから、白黒で被毛の長い大型のイヌが躍り出て、あなたたちの前で「アンッ!」と吠える。
「客か。よかったな女将さん。俺達の他にも客が来て」
「はい」
女将と親しげに話す、顔に傷を持つ男。その右眉から頬にかけての深い傷痕が、歴戦の勇士を彷彿させた。
もう一方は、太めで丸い顔をしていた。だが、その体格は傷の男より更に大きく、とても強そうだった。
二人は目を引いた。何より、その衣装が際立っていた。趣味の是非はさておき、金持ちの家でたまに見かける、トラなどがぺしゃんこになったような動物の毛皮による敷物。そのクマによる敷物を、二人はそのまま被ったような格好をしていた。
まさにクマ、あるいは山賊と言った出で立ちである。丸い方は槍を手にし、傷の男は刺叉に弓と矢筒を背負っていた。この得物と、イヌを連れていることから察するに、二人は猟師でイヌは猟犬だろう。
「しかしよぉ女将さん、こいつら戦士で、クマ退治に来たんだって?」
丸い方が片目をすがめながら女将に尋ねた。ジュリアとの会話を聞いていたのだろう。
それから、あなたたちの顔をじろりと見て、
「ははっ、冗談きついぜ。こっちのヒトはともかく、この二人は女でガキじゃねーか」
ワラビとジュリアを、丸い方がコケにした。
「なにこのおじさん。失礼しちゃうわね。女の子に可愛いの一言も言えないの?」
「おいマタギのおっさん。あたしらをバカにするようだけどよ、あんたこそそんなぷくぷく太った体でクマを倒せるのかよ?」
二人とも負けん気が強い。ワラビとジュリアが食って掛かった。
しかし、いくら睨もうとも女の子の二人に凄みなどない。よって二人を鼻で笑う丸い方が、耳の穴をかっぽじって聞けとばかりに己を明かす。
「かー、俺達をしらねえのか。これだから若え奴は。……おい兄者、教えたれ」
「俺が言うのか。……まあいい。自分で言うのもなんだけどな、“熊殺しのカイホウ・カイチン兄弟”って言えば、戦士会に所属してんなら聞いたことあるだろ? 俺がその兄の方で“カイホウ”だ」
「んで俺が弟の“カイチン”だ」
傷を持つ方が兄の「カイホウ」、丸い方が弟の「カイチン」と名乗った。
熊殺しのカイホウ・カイチン兄弟。この名前をあなたは知っていた。
割と有名な戦士である。主にクマ狩りを専門とする猟師で、その実力は戦士会でも高い評価を受けている。
この兄弟がクマを倒した数は五十を下らないらしい。そんな有名な戦士の兄弟が、今回あなたたちの競合者として現れた。
「お前らクマ舐めてんだろ? サルやオオカミ相手にするのとはワケが違うぞ? ヒトよりも遥かにでかいバケモンが、お前らを喰っちまおうと襲い掛かるんだからな?」
「生半可な実力では喰われるのがオチだ。……おい、盾役のあんた。悪いことは言わん、今回は手を引け。あんたはそれなりに戦えそうだが、その娘二人がクマを相手にできるとは思えんからな」
「それにな、今回のクマは特別だ。“ベルセルカー”って聞いたことあるだろ? 藍色の毛を持つ凶暴なヤローでな、でかい図体をしておきながら音もなく迫ってくるんだ。とても素人に相手できるヤツじゃねえ。分かったらガキは帰って、ママのおっぱいでも吸って寝てな」
カイチンが、ワラビとジュリアを嘲笑し、そして猟師の兄弟とイヌがこの場を後にした。
「なによあいつら。ホント失礼しちゃう」
「おい、ワラビ、アンタ。負けてらんねえぞ。あいつらより先にクマ倒して、あいつらの鼻を明かしてやろうぜ」
女将が眉尻を下げ困っていたが、愚弄された二人の怒りは止まることを知らなかった。
※この猟師の兄弟の名前ですが、あえて元ネタとは兄と弟の名を逆にしています。




