憎たらしき者
「おーい、メシが炊けたぞー」
空は雨こそ降らなかったが晴れる兆しを見せず、あなたたちは霧に包まれた山道を上へ上へと歩き続けた。
そして、登山を始めてから二日目の昼。晴れていれば見通しが良かったであろう開けた場所にて、あなたたちは昼食の準備をしていた。
コメが炊けたのを見たジュリアがあなたとワラビを呼んだ。石で構築した即席のかまどの上には「飯盒」が三つ並べられている。説明するまでもないがあなたたちの物である。
「ワラビの飯盒って変な形してるよな。東だとみんなこうなのか?」
あなたとジュリアの飯盒が円形なのに対し、ワラビのだけソラマメのような形をしていた。
「えっ、飯盒って普通こういう形だと思ってた。違うの?」
「バカ言え、そんな形の飯盒こっちじゃ見たことねーよ。ふふっ、ワラビだけ仲間はずれだな」
ジュリアが笑みを浮かべながら、三つの飯盒を逆さまにして蒸らした。
この「飯盒」という主に炊飯するための器具、最近になって流行り始めた物である。近年、軽銀という金属の精錬法が確立され、非常に軽くて腐食しにくく、熱の伝わりが良い金属器具が一般に普及し始めた。
程よく丈夫で鉄より軽い。軽銀製の飯盒は、保存が利く上に食い出のあるコメを炊くのに便利で、あなたたち旅をする者にとって切り放せない物となっていた。
飯盒の中の飯を蒸らしている間に、あなたたちが副食の支度をする。今日のメインディッシュはボンレスハムである。
ハムは通常骨が付いている物だが、骨が無いから「ボ(ー)ンレスハム」と言う。糸で格子状に縛られた肉の塊は、見ているだけでかぶりつきたくなる一品で、その太い糸を、
「へへっ、ハム君。今からおいしく食べてあげるからねー」
などとワラビが、変な呟きを口にしながら丁寧に剥がす。
「ワラビー、ちょっと手伝ってくれ」
「どうしたの?」
ジュリアに呼ばれ、ワラビがハムを平らな石の上に置いた。
あなたが置かれたハムを眺める。ずっしりと重量感ある肉の塊に、これからナイフが入れられる。
ハムを細切れにしたら、――さあ、ミュージカルの開幕だ。パチパチと脂の弾ける音に乗せ、これからタップダンスがフライパンの上で踊られる。その情熱的な香りを一度嗅げば、誰もが鼻をとろかせるだろう。
味付けなど要らない。程よく焼けたキツネ色の焦げ目が食欲を掻き立て、口に入れて噛み締めれば、肉汁がほのかな塩気と共に口内を満たす――。
話が逸れたが、食べる楽しみはあなたたちにとって何事にも変えがたき娯楽の一つであった。
あなたが今一度ハムに目を移す。だが、ワラビが置いたはずの石の上から、いつの間にかボンレスハムが消えていた。
「あれ? ハムがない。……ねえキミ、どこやったの?」
戻って来たワラビがあなたに尋ねた。
あなたを疑うワラビ。彼女からしてみれば少し目を離した隙に、石の上に置いたはずのハムがどうしてか失踪しているのだ。ハムが一人歩きする訳がない。
食い意地の張る彼女が、底冷えするような視線をあなたに投げかける。しかし、これはあなたとてあずかり知らぬこと。あなたが否定しつつも立ち上がり、落ちたのだろうかと石の周りを探す。
だが、ハムの行方は思いもよらぬ所で見つかった。ジュリアが、
「あーっ! ワラビ、アンタ!」
大声を上げながら指を差し、消えたハムを見つけ出した。
霧が立ち込めるあなたたちの周囲。よって視界があまり効かなかった。
その者は、気配もなく忍び寄った。まったくもって上手く掠めており、ジュリアが指した先には、一匹のサルがハムを抱えて走っていた。
「あっ、あれ“エテコウ”じゃん!」
「おいワラビ、取り返すぞ! あたしたちのハムをサルなんかに盗られてたまるか!」
『エテコウ』。大きな耳と六本の指が特徴的な、山に棲むサルの一種である。
サルが賢いことは皆の知る事実だが、この煤色の毛に包まれた顔の赤いサルも例に漏れず頭が良く、躾ければ芸を覚える一方、その賢さでヒトに度々迷惑を掛けていた。
人里に食べ物があることをこのサルは知っており、ヒトがいない時を見計らって里に忍び込み、畑を荒らしたりニワトリなど小さな家畜を盗んだりする。また、ヒトが好む物をなぜか好み、よく脅かして持ち物食べ物飾り物などをヒトから奪おうとする。
このサルは、しばしばヒトにとっての害獣と成り得ていた。したがってこのサルを見かける地域では住民が進んで駆除を行ったりしている。
「待てぇっ!」
息巻くワラビが、小太刀を抜きながらサルを追いかけた。
足の速いワラビのこと、野生のサルに追いつかんとする勢いだ。だが、
「うわっ、石だ! 二人とも気をつけて!」
霧の中から飛んで来た石をワラビがかわした。このサルは石つぶてを得意としており、どうやらハムを抱える一匹の他にも霧中に潜んでいるよう。
さらにもう一つ、違う方角から石がワラビに迫る。しかし、反応の良いワラビにとっては霧の中と言えども投石の回避など造作ない。
飛来する石をかわしたワラビが、
「ジュリア、そこっ!」
すかさず石が飛んで来た方に向かって指を差した。
「任せろ」
あなたがジュリアに目を向けると、既にクロスボウを構えていたジュリアが、ワラビの指した方角に矢を放った。
さすがは親友、抜群に息が合っている。間もなくして矢を放った霧の中から「ギィッ!」と鳴き声が聞こえた。石も飛んでこないため、一匹を仕留めただろう。
そしてクロスボウを下げるジュリア。弩を構えている間は静かだった。だがここから一転、ジュリアが腰から鎖分銅を取り出し、
「こんにゃろう! あたしたちのハムをかっぱらおうなんていい根性してんじゃねえか!」
怒髪天を衝く勢いで突撃する。ムキになっているところを見ると、案外ジュリアも食い意地が張っているのかもしれない、などとあなたが思う。
折しも霧から姿を覗かせた、ハムを持たないサルが石を振りかぶるが、
「させるか!」
投げるよりも早く、ジュリアがサルの腕に鎖を巻きつけ、その隙に接近したワラビが小太刀にて斬り付けた。
「ハムをかっぱらったサルはどこだ! どこ行きやがった!?」
「ジュリア、いたよ!」
「見つけたか! ワラビ、追い詰めるぞ!」
もう石は飛んで来なかった。霧の中にいた二匹を仕留め、残るハムを抱えたサルを、二人が追い回した末に追い詰めた。
大木を背にするサルを二人が囲み、逃げるならハムを捨てて樹に上るしかないだろう。この様子をあなたは引いた所で見ていた。
しかし、あなたも参戦するべきだった。二人に任せてしまったことを後に後悔する羽目になる。
二人が座るサルに向かって、ハムを奪還すべく襲い掛かろうとするが、
「……えぇっ!?」
「ああぁっ!?」
急に上げた素っ頓狂な声と共に、二人がぴたりと止まった。
「きゃああああぁっ!」
「あっ、あっ、アンタ! 助けてくれぇ!」
一転して二人が、一目散にサルから逃げ出した。
二人はあなたの後ろに隠れた。 あなたが何事だろうかと前に向き直ると、サルが振りかぶって投げてきた。
放物線を描いたそれを、あなたが盾を構えて難なく防ぐ。しかし変だった。石なら跳ね返る衝撃を感じるところ、それはべちゃっとした感触だった。
あなたが盾の表を覗く。すると表には、黄土色の生々しい半固形物がべっとりと付着しており、しかもそれがとてつもない異臭を放っている。
「ふう、助かった……」
「あっ、あのサル逃げた。ジュリア、追う?」
「いや、諦めよう。あれじゃあ取り返したところで食べれねえよ」
ハムを諦めたワラビとジュリアだが、あなたは納得がいかなかった。
それに、顔に跳ねた気もし、その箇所を入念に拭いながらあなたが二人を問い詰める。
「なっ、なんのことかな……」
「…………」
しかし二人はしらばっくれた。明らかに、目が泳いでいた。
こんなところまで息が合っていた。特にジュリアなんては、うしろめたさからか口笛を吹く振りをし、そのわざとらしい口のとがらせ方があなたの神経を逆撫でした。
あなたが二人を許せない理由。それは、二人があなたを生贄にしたからである。つまり二人は、引いた所にいたあなたに敢えて教えず、あなたをサルが投げた物の盾としていた。
「さ、さあ、早くごはんにしよ?」
「そ、そうだな。サルの毛皮も剥がなきゃならないし。くそー、ハム食べれなくて残念だったなー」
ワラビとジュリアが白々しく、あなたからそそくさと離れた。
――エテコウと言う言葉の由来だが、 元々は東の言葉で、昔は親しみを込めた意味だったらしい。
しかし、今はサルに似たヒトを卑しむ言葉として専ら使われている。そんな言葉をあてがわれた今のサルは、瀕すると「クソ」をひり出し、それを投げてヒトを追い払う習性を持っていた。




