起点
翌朝。さて、山越えを開始する。
以前はジュリアを待ったために取り止めた登山を、あなたたちは再開した。
「ちょっと雲行き怪しいね。雨ふるのかな」
物を目一杯詰め込んだ背嚢を背負うワラビが、雲に霞む東の山々を眺めて呟いた。
空は曇り空で、降るのか降らないのかはっきりしない空模様。晴れていれば以前も見た、円錐状に切り立つイゾルド山頂が拝めるはずだった。
まずは山頂の向こうに隠れた湖、「イーズ湖」が当面の目標だ。しかし、イゾルド山は広大である。
「雨が降る前に湖まで着くようおウマさんに頑張ってもらわなきゃな。さあ、さっさと乗っちまおうぜ」
同じくパンパンの背嚢を背負うジュリアに促され、あなたたちは馬車の停留所へと歩き始めた。
もう一度述べるが、イゾルド山は広大である。それ故に山道は、馬車による交通網が張り巡らされている。
あなたたちが所属する戦士会。戦士による組合があるように、イゾルド山の産業にも組合が存在する。物資輸送、宿泊、観光。組合には様々な職種の事業者が参加しているが、その中でも最も大手の事業者が、イゾルド山の旅客事業を一手に引き受ける「イゾルド交社」という会社である。
ブランジに本社を構えるイゾルド交社は、乗合馬車を経営しており、ブランジから山の向こうまで往復する便を定期的に走らせている、古くから人々の足として親しまれた地域密着型の合名会社である。
これは余談になるが、他国では多くの乗客や物資の輸送を可能とした、「機関車」という鉄の乗り物がある。この国では普及していない。
ジュリアはあなたたちと出会う前、このイゾルド交社の便に乗って山を越えていた。出身は山を越え、さらにその先の、ステップも越えた先にあると言っていた。
山の規模の話に戻るが、ジュリアは山越えに六日を要していた。馬車を使って六日だ。もしも歩いたとしたら、いくら早くても二十日は覚悟した方がいいだろう。だからあなたたちは、乗合馬車に乗ってイゾルド山を越える気でいる。
ちなみに、ジュリアにとってはこの山越え、引き返す形となる。だがジュリアから異論はなかった。
共に旅をするのだから、別に引き返しても良いとのこと。目的が目的なだけに、ジュリアの旅はあてのあるものではなかったようだ。
「うん? 変だな。馬車はあるんだけど、ウマがいないぞ」
そして停留所に着いたあなたたち。しかし、環状に設けられた停留所には、六人あるいは八人くらいが乗れる四輪の馬車だけがいくつも佇んでいた。
ジュリアの言うとおりウマだけがいなかった。だが、遠くからウマの元気ないななきが聞こえる。
ウマが病気という訳ではなく、どういうことだろうかと、あなたたちが辺りを見回す。すると、
「ねえ、あれ」
ワラビが指した先に、「イゾルド交社」の看板を掲げた建物が建っていた。
本社だろう。木造の平屋建てで、旅客を一手に引き受ける会社の割には素朴な建物である。
折しも中年のおじさんが建物から出て来たため、あなたたちはこのおじさんに話しかけ、馬車が走っていない理由を尋ねた。すると、おじさんからあなたたちは、
「ごめんな。いま山道に大きなクマが現れて、馬車を走らせられないんだ」
と謝られた。
「死人まで現れちゃってな。安全が確認できるまで、馬車を出すことができないんだ」
苦笑しながら述べるおじさんの事情を聴き、あなたはようやく合点がいった。
宿が込み入っており、人々が街に詰め掛けている訳を。みな山越えしたくても出来ず、立ち往生しているのだ。
クマが馬車を襲ったため、いま山道は通行止めとなっていた。しかし、これはあなたたちにとって仕事である。
あなたたち三人は戦士会に所属している。人々が困っているのなら、戦士として助けてあげなければならない。
「事情は分かりました。こう見えて私たち戦士会の者でして、クマなんか軽くやっつけますよ。私たちにお任せください」
ワラビが胸を張って叩き、自信ありげに任せろと言った。
ニコニコと笑みを浮かべるワラビ。だが、あなたたちを今一度見たおじさんが、
「おいおい、盾を持つあんたはともかく、お嬢ちゃん達がかい? 大丈夫かね……」
ワラビとジュリアに不安を覚える。
「おじさん、あたしたち場数はそれなりに踏んでいるんだ。戦士としての経験も長いし、クマを倒して見せるから信用してくれ」
「そうかい? まあ既にウチの会社が戦士会にクマ退治を依頼している。お嬢ちゃんたちも行って見たらいいさ、勧めないがね」
前に説明しているが、この街に戦士会の店はない。イゾルド交社は、戦士会がある最寄りの町の店に依頼を出したようである。
あなたたちは今おじさんから話を聞いただけで、イゾルド交社からの正式な依頼を確認していない。よって、戦士会からクマ退治の依頼を受託するという本来の手順を踏んでいないが、この手順を踏まなくても報酬を受け取ることは可能である。
戦士会はあくまで依頼を仲介する組織だ。依頼を受けずとも早く依頼主の要件を満たし、依頼主が納得した証拠を提示すれば、正式な手順を踏まなかったとして減りはするものの報酬を得られる。
このような横取りが容認されている理由は速さが求められているからだ。依頼主からして見れば、戦士会内の手続きなど関係なしに、早く問題を解決して欲しいところだろう。
したがって今回はクマを退治したら、そのクマを倒した成果をイゾルド交社のヒトに見せ、依頼達成の承認を得る。並びに、依頼を申し込んだ戦士会の店を聴き、あなたたちはその戦士会の店にイゾルド交社からの依頼達成を報告すれば良い。
しかし、まずは倒さなければならない。報酬を得る為には、依頼を受けた戦士たちよりも早くクマを討伐する必要があった。
おじさんは「行って見たらいい」と言った。グレイローズやケルベロスを倒したあなたたちは、クマを退治できる自信を持っていた。
あなたがクマを退治するから馬車を出せないか、と協力を仰いだ。これはあなたたちが早くクマを倒すだけではなかった。イゾルド交社の業務も考えてのことである。
クマを倒さなければ営業が立ち行かず、会社の存続に関わるだろう。だが、
「ああ? ダメだダメダメ! 死んじまったのはウチの会社の奴なんだ。ウチとしても、これ以上の犠牲者は出したくないんだよ」
おじさんから強い語調で断られてしまった。
あなたたちの戦士としての信用はまだまだのようだ。よってあなたたちは歩くこととなり、さらに今度の移動は、今までなど比べ物にならない道のりだ。
「ねえキミ、わたしたち、よく歩かされるよね」
クロロでの山歩きを思い出したか、ワラビがしょんぼりとぼやいた。
***
そうして徒歩で登山を始め、町を出ること直ぐ。あなたたちは幅の広い川の前に辿り着いた。
川は流れが穏やかで、澄んだ水面の直ぐ下には、馬車が悠に通れそうな広い石畳が敷かれていた。
石畳は真っ直ぐ伸び、対岸まで続いている。ワラビとジュリアが草鞋と靴を脱ぐ。それから、水面に裸足を着ける。
「つめたっ。暑い日に来たかったね」
「”洗い越し”って珍しいよな。雨が降る前でよかったな」
この川は「ゴルナル川」と呼ばれ、ブランジに住む人々の生活を潤している。そしてこの洗い越しは、ブランジのちょっとした名所となっていた。
つくづく雨が降る前で、あなたたちは助かった。ジュリアが言うとおり、この洗い越しは雨が降って増水すると通行止めになるのだ。
川を下ると吊り橋があるのだが、その迂回路と、洗い越しを通ったときの差は約一日違った。
「……わっ。あぶないあぶない」
「ふふっ、荷物があるんだ、こけんなよワラビ」
足を滑らせないようにと、あなたたちが注意深く洗い越しを渡渉した。




