村へ①
慎重なクリフォードさんにしては珍しく、部屋の扉が少し開いていて声が漏れだしてしまっている。私とソフィアナ様は顔を見合わせると、扉の影に身をひそめることにした。
「しかし今はトラヴァンス砦に集結しているはずだろう?!」
『あァ~、そっちの情報も嘘じゃねぇんだけどよ。どうも同規模っぽい』
「まさか…!!」
よく耳を澄ませてみるともう一人の声も聞こえるが、姿は見えない。多分、コムで話をしているんだ、この声の主…アランと。
しかし、何の話をしているのか…どうもクリフォードさんはかなり動揺してしまっているようで、私とソフィアナ様の気配に気づく様子もない。
「戦力の分散を狙ったのか…?!そのような知略は魔獸には無いはずだ!」
『だぁから、入れ知恵したんだろ。どっかの誰かがよぉ』
魔獣。聞こえてきた物騒な単語に心臓がドクリと嫌な音をたてる。
「そんな方法があるとでも言うのか?!」
『知らねぇよ。つーか、悠長なこと言ってる暇ねぇぜ。弟たちの報告じゃあ、王都から北へ5日ってとこか?鉱山近くに集まってるらしい』
「っ…いつの間にそこまで近づいて…!」
『回り道してくれるわけぁねえからな。最初にぶち当たるのが…』
鉱山。王都から北へ。そう言われて肩が震えた。でもまさか、そんなわけない。あそこはもともと魔獸もそんなに強くないし数もいないんだ。
『…テンの村っつーのがあるだろ?あそこがマズイ』
「なっ……?!」
アランの声でそう聞こえた時の衝撃は今でも覚えている。ショックが強すぎて、そのあともクリフォードさんの怒鳴り声は響いていたのに、なにひとつとして耳に入って来なかったくらいだ。
そんな、まさか。あり得ない。
行かなければ。すぐに向かえば間に合う。守らなければ。
相反するような声が頭の中で響いて、ソフィアナ様が何かを話しかけていたのに気付くことができなかった。
ハッとした時には私の肩を掴んで、蒼白な顔で呼び掛けていた。
「クリスあなた…なんて顔をしてるの…!」
「…え?」
「しっかりしなさい…!」
そうだ、しっかりしなければ。テンの村に帰るんだ。だってあそこには戦力がない。子供や老人が多いのどかな村なんだよ。狩人のおっちゃん逹はもう年なんだ。そんな所に魔獸の群れなんて…みんな、死んでしまう。故郷が無くなってしまうよ。
いや、
いや、死なせない。
私が守る。私なら、守りきれる。
何も疑問に思わなかった。驚くほど恐怖も感じない。
村に帰るんだという気持ち以外は、心が凪いでいくのが分かる。
「ソフィアナ様?」
「ク、クリス…?」
ソフィアナ様、そんな不安そうな顔をなさらないでください。
ポケットから、ルドルフ王子のための魔石と、もうひとつ、首にかけていたネックレスを外す。
「ソフィアナ様」
それを呆然としているソフィアナ様の掌に乗せて、両手で握りこんだ。
「く、り…なにを、するつもりなの?」
「これ、王子に渡してください。装飾が間に合わなかったけど…あとひとつは」
「い、いやよ…聞きたくないわ!」
ソフィアナ様の叫びにも似た声を聞き付けたのか、部屋の中でガタンという音がする。クリフォードさん、気付いちゃったかな。
ああ、じゃあもう行かなくちゃ。
「これ、わたしからのプレゼントです。いつでもきっと貴女を守ってくれる。そういう魔法をかけておいたので」
「クリ…」
「わたしはいつだってソフィアナ様の味方ですから!」
忘れないでくださいね。
言うが早いか、私は全速力でその場を走り出した。後ろからソフィアナ様が何かを叫んでいるけれど、もうそれを聞いてあげることはできない。
前に思ったことが、また頭に浮かんだ。
『いつかソフィアナ様を理解して寄り添ってくださる方が現れますように』
クリフォードさんの話を聞いている間に噂が広まっていたようで、騒ぎが始まっていた城をなんとか脱出して、城下町を走りながら村への最短距離を考えた。
この王都は大丈夫。絶対に襲われたりはしないと何故か確信していたこの時に、違和感を感じてもいいもんだと思うんだけど。私はまったく気付かなかったんだよねー。
まぁこのタイミングで気が付いてもたどる道は同じだから、どっちでもよかったかな。
「とりあえず、馬を…」
何日も乗り続けられるか分からないけれど、それしか手を思いつかない。私は貸し馬小屋の方に向かおうとしていた。
「探してるものは、これかしらぁ~?」
「っっ?!」
その際の絶妙なタイミングで、ニヤニヤ、とでも聞こえてきそうな声で呼び掛けられる。
振り向くと、そこにいたのはなんとカリンさんだった。
「か、カリンさ…」
「うふふ!ビックリした?」
「ど、どうしたんですか?馬なんて…」
「あらぁ。わたしこれでも馬の扱いは慣れたものなのよぉ」
「そ、そうなんですか…って、いや、あの」
「ふふ…じゃあ、クリスちゃんにミスティから伝言よぉ!コホン…」
『クリスあんた、勝手な行動してんじゃないよぉ!!』
「ギャッ!!!母さん!!!!」
思わずあたりを見回してしまったが、当然そこには母さんはいない。その声色を出したのはカリンさんだった。
カリンさんはクスクスと笑いながら、それでも声だけは迫力の母さんの声で続けた。
『あんた一人でどうにかなるようなモンじゃないだろ?ったく……まぁあんたは言っても聞くような娘じゃないからねぇ!困ったもんだよ!』
「う…」
『…仕方がないねぇ。母さんはもう、あんたの足手まといになっちまうだろうから。カリンを連れていきな!』
「!!!」
『カリンはそんじょそこらの男どもより強いし、あんたを助けてくれるように頼んどいたからねぇ!必ず連れていきな!じゃなきゃ許さないよ!』
「……」
「以上がミスティからの伝言よぉ。ふふ…ビックリしてるクリスちゃんも可愛い~!」
「うぅ…母さんとカリンさんは何でもお見通しなんですか…?!」
「ま、私のちょっとした得意技なのよぉ。すこぉし先を視る、っていうのかしらぁ?」
だから、なんとなくクリスちゃんの行動も分かってたのよ、ゴメンね。とカリンさんは続けた。本当にこの人、何者なんだ…。
カリンさんと母さんの過去にまた謎が一つ増えた。
って、そんなこと言ってる場合じゃない!
「か、カリンさん、本当に一緒に行ってくれるんですか…?」
「バカねぇ。むしろ一緒じゃないと行かせない、って言ってるのよぉ」
馬と一緒にゆっくりと歩いてきたカリンさんは、わたしの頭を撫でながら優しく言った。
「村に何か、危険がせまっているのね?」
「…はい」
「正直に言ってクリスちゃんではチカラ不足。そうわかっていても行くのね?」
「はい」
「…うふふ、女は度胸、ってねぇ。行きましょうか?」
「はい。よろしくおねがいします。カリンさん」
カリンさんは馬を操るのもうまく、遠出のための荷物も持ってきてくれていた。
馬にはとても申し訳ない…と言いながら、夜もそのまま駆け続けてくれた。
途中では魔獣にも野盗にも出会わなかった。妙な静けさねぇ、とカリンさんが言う。でも好都合だった。
コムは持っていたけれど、一度も地面に刺さなかったので、誰かから連絡が入っているかも分からなかった。まぁ、余裕も無かったし、100%怒られるし悲しませると分かっていたので、わざと刺さなかったとも言う。
ルドルフ王子からもらったペンダントを指で触りながら、みんなのことを考えた。みんなの悲しむ顔を想像した。母さんに会いたいと思った。…でもやっぱり私には村に行かないという選択肢は無かった。
危険はわかっているけれど、私が行けば被害は減らせる。
クリフォードさんは私とムウファの出身地を知っているはずだけれど、王都の守りを固めることに精一杯で、こちらにまわす人員はないだろう。何せ我が国の戦力の半分くらいはトラヴァンス砦にいるんだから。トラヴァンス砦で総力戦、だと思っていたところにこれだもんね。相当焦っていると思う。
トラヴァンス砦は遠すぎる。王子とムウファはまず間違いなく間に合わないだろう。
被害は減らせる、と思いつつ、もう戻れないだろうなともうすうす感じていたんだから、矛盾しているよねぇ。
そしてもう一つ、今の『私』だから思うことだけれど。
クリスがどのようにして村まで戻ったのか。ゲームでは些細なこととして一言も語られなかった事の一つだ。
もしもゲームの中でも誰かがこうして彼に協力してくれたのだとしたら、その人はクリスにとって親密な人物だったのかな。大事な人だったのかな。どこで出会った、誰だったのかな。もしかして、カリンさんだったのかな。
あ~。一度、クリスと話をしてみたかったなぁ!って、今はそれ、私のことなんだよね。。
ややこしい!!本当、ややこしい!!