最後の仕事④
本日二話目です。お気を付けくださいませ。
「さぁクリス、今日は王宮の図書室に行きますわよ!歴史書の貸し出し許可が下りたの!」
「はい、ソフィア様。喜んで」
ああこれは、私が鮮明に覚えている中で最後のソフィアナ様との穏やかなひとときだ。あのキアラとの出来事から、ソフィア様はまた一段と自分磨きに精を出すようになった。淑女としての嗜みはもちろん、帝王学のような、人を総べるための勉強にも励むようになったのだ。本人には確かめていないけれど、おそらくソフィアナ様は政治に関わりたいと思うようになったのだと思う。
女性でそのような権利を認められているのはごく僅かだったはずだけれど、その狭き門を目指すソフィアナ様を私は心から尊敬したし、言われればどこへでもお供をした。
「でね…」
「ええ、それで…と、あれは…お待ちくださいソフィア様」
私たちの行く先に、廊下で立ち話をしている侍女達がいた。彼女たちは一様に中庭に向かって目配せし、指をさしている。
「あら、侍女たちの噂話ですわね。中庭は……ああ、烈火の魔術師かしら?」
「そのようですね。ああ、ちょうどよかった。少し紹介を…」
侍女の指さす先にはムウファがいた。ルドルフ王子を待っているのだろうか。その立ち姿を見て、しばらく会っていないだけだったけれど私はなんだか安心してしまって、そのままムウファに向かって駆け寄ろうとした。その私の動作を止めさせたのは、侍女たちから漏れ聞こえてきた…まさに悪意と呼べるモノだった。
『まったく気味が悪いッたら…』
『巨大な魔獣を何体も消し炭にしたとか…』
『悪魔のよう』
『化け物』
『王子もなんでこんな獣のような男を…』
思ってもみなかった現実に少し茫然としてしまった。まるで人を人とも思わないような悪意の塊をぶつけられているのは、私の大切な幼馴染だ。
その侍女達は私たちに気付かないようで、まだヒソヒソと話し込んでいる。
ムウファはその声に気が付いていないのか、気が付いていても無視を決め込んでいるのか…いつもと同じ、ピンと背筋を伸ばし、決して下を向かず、平坦そのままの顔で目を閉じ、中庭の壁に背をもたれかけていた。
化け物?アイツが誰のために、何のためにその力を使ってると思ってるんだ。
悪魔?悪魔があんなに親身になって私や村の子供たちの面倒を見るかよ。
お前ら、ムウファの何を知ってそんな事を言ってんの?
私の頭にせりあがってきた憎悪という感情を抑えてくれたのは、ソフィアナ様の言葉だった。
「…まったく嘆かわしい。品位のかけらもないけれど、あれも確かに貴族の世界の一部ですわ、クリス」
「烈火の魔術師の戦歴だけを見て…他の事をよく知りもしないで、ああやって否定し、排除しようとするんですわ。彼だけじゃない。何に対してもよ。……本当に恥ずべきことですわね。…恥ずべきことだと、ちゃんとそう思っている貴族もたしかに存在しますのよ。クリス、それだけは信じて」
私の背後から声をかけていたソフィアナ様が、どんな顔をしてそう言ったのかは分からなかった。けれど、私はその言葉に確かに、救われた。今も嫌悪や侮蔑の視線を投げかけられているアイツの元に、笑顔で走り出す力を貰った気がしたのだ。思いっきり息を吸って、そしてそのまま勢いをつけて走り、跳んだ。その足の向け先はもちろん、ムウファだ。
「覚悟ぉ~!!!!」
「うぉっっ?!」
私の渾身のドロップキック…は見事に躱された。しかし私はまだあきらめない。今度は渾身の力で抱きついてやるのだ。
「我が親愛なる魔術師よ!久しぶりだな!」
「っは…ぁぁ?!おま、クッ」
ムウファが驚いて何かを言おうとしていたが、力ずくで黙らせる。
「なんだなんだ、こんな所で呑気に花でも見ていたのかい?わたしもまぜてくれ!」
おおよそ抱き合って言うことでは無いし、何だかわけの分からないことを言ってしまっている。でも何でも良かった。この熾烈な赤い髪の魔術師は…目つきは多少悪いけれど、突然抱き着いてくるような無礼な人物にも寛容に対応できる、理性的で優しい人間なんだとアピールしたかったんだ。
「ま、まてお前。とりあえず離せ?」
「いやだね!」
「いやいやいや待て…頭が働かん!どけ!」
「ムリだね!」
決して離れるものかと喰らい付く私に、必死に引きはがそうとするムウファという、コメディのような空間が出来上がっていたが、それを壊してくれたのもまた、ソフィアナ様だった。
「あら?ここは貴女達の持ち場とは違うと思うのですけれど…わたくしの客人に何か用ですの?」
「ソ、ソフィアナさ…しっ、失礼いたしました!」
「わたくしたちは何も…!」
「そうね。貴女達が持ち場を離れてここで何を話していたのか、わたくしは何も問いませんわよ?」
「「「っ……」」」
「わたくしの気が変わってしまわないうちに仕事に戻りなさいな?-ねぇ?」
「「「し、失礼いたしますっ」」」
久しぶりに見る、鉄壁令嬢の姿だった。口元に扇子を当て、目線とオーラだけで侍女を蹴散らしてくれたおかげで、今この場所には私たちしか居なくなる。そのままソフィアナ様もこちらに近づいて来たけれど、その顔はすでに普段の笑顔のソフィアナ様に戻っていた。
「まぁぁ。クリスは本当にお友達が多いのねぇ…羨ましいですわぁ」
「っちょ!?ク、クリス離せ!」
「いやだと言った!あ、ソフィアナ様紹介いたします。コイツ、烈火の魔術師とか呼ばれてるけど普段は人畜無害なわたしの幼馴染です!」
私は腕でムウファの頭をガッチリと捕まえて…所詮ヘッドロックのような形だ。ソフィアナ様にムウファを紹介した。
私がヘッドロックしているとムウファは腰を折る形になっていてつらそうに見えた。コイツ、また背が伸びてないか?!肩幅だってデカいし…くそっ…絶対この腕緩めてなんかやるものか!
「ソフィアナ様だと?!」
「あら、初めましてムウファさん?クリスからはよくお話を伺っておりますわ。まさか烈火の魔術師の事だとは思わなかったのですけれどね…ふふッ」
「っ…このような状態で申し訳ありません。テンの村のムウファです。クリスがお世話になっています」
私を巻き込むような形でムウファが更に頭を下げようとしたので、更に腕にグっと力を込めてやった。どうだ、ここまでされてもムウファは怒らないんだぞ。見たか!って、もう侍女達はいなかったな。
「ふふ…お互い様ですのよ。クリスにはいつも助けられていますわ。貴方こそいつも殿下と一緒で気疲れするのではなくて?あの方、何をするにもいつも突然ですものね?」
「ああ…いや、まぁ」
「あっ、そうか。ムウファ!殿下、お元気か?」
「あ~まぁ元気だ…っつーかマジで離せクリス。動き辛ぇし…顔が近ぇし」
「え?何だって?…何だよ。そんなにわたしの顔が嫌なのか?え?おぉ?」
「っっちっげぇよバカ!このバカ!」
「久しぶりだな~しかし。会いたかったよムウファ~!」
「っ…お、俺だってそうだっつの」
「んん…何というのかしら。貴方たち、、、本当にただの幼馴染ですの?」
ムウファと戯れていると故郷を思い出して本当に安心するのだ。母さんに抱きしめられた時と似てるな。最近は気恥ずかしさもあって母さんに抱き着いたりできないから…その分ムウファに甘えることに、決めた。ちなみにムウファはまた唸っている。
離れない私に諦めたのか、ムウファはソフィアナ様に話しかけた。珍しいな、コイツが自分から私たち以外に話しかけるなんて。
「ソ、ソフィアナ・エイベル侯爵令嬢。頭も下げられず…」
「ふふ。気にしないでくださいな。烈火の魔術師がこんなに話しやすい人物であったなんて…それを知られただけでもわたくし満足よ?クリスとこんなに仲が良いなんてことも、驚きですわ」
「クリスは…俺の身内のような物ですから」
「幼馴染なのですものね。…わたくしと殿下と同じね?」
ソフィアナ様は鉄壁令嬢の仮面は置いて、限りなく素に近い状態で話してくれていた。ムウファに心を許してくれたのかもしれないと思うととても嬉しい。そうです、ムウファは信頼に値する男なんです!
「ソフィアナ様も殿下と仲が良いですもんね~!」
「おいお前…!どんだけ不敬かましてんだよ…!相手は侯爵令嬢だぞ…!」
「ソフィアナ様はそんな事で怒りません~器が大きいんです~!」
「ふふふ…クリスのこんなに嬉しそうな姿は久しぶりね!…ねぇムウファさん。ルドルフ殿下のこと、どうか守ってあげてくださいませね」
「…」
「…わたくしは同じ土俵に立てないけれど、どうか…」
「お任せを。なればエイベル侯爵令嬢。…何卒」
「……ええ勿論。貴方の家族は必ずわたくしが守りますわ」
「お願いします」
なんだかよく分からないけれどこの2人、何か感じるものがあったようだ。目と目で会話して…って、私を抜かしてそういうことをされると寂しいんですが!とかそんなような事を言って2人の間に割って入った、この時が最後の穏やかな記憶だ。ゲームの予備知識によれば、『クリス』が生きていた頃からソフィアナ様とムウファは王宮で会えば話をするような仲だったらしいのだけど、『私』がその姿を見たのはこの初対面の時だけだ。
前世の私は、ムウファのルートにさえライバルとして出てくるソフィアナ様にムウファを掻っ攫われて友達エンドを迎えること多数であったので、この2人どこに接点が…?!とか思っていたけれど、こんな感じで『クリス』を挟んで出会ったとしたらそれは面白いなと思った。もちろんそんな場面、『ゲーム』中には無いけれど。
「あ、ムウファ。この後少し時間くれ。渡したいものがあるんだ」
「あ?あぁ、お前まさかまた妙なモン作ったとか考えたとか言うんじゃないよな?」
「違うわ!相変わらず失礼だな!まぁ、いいから王子と二人でちょっと時間くれ」
呆れた顔で首を傾けるムウファをさらに締め上げて、気合を入れなおす。私の今できることの集大成を渡すのだ。渡すなら今しか無いのだとなぜかこの時の私は、確信していたのだった。