誓いの丘
突然だが私も『クリス』も、おおよそデートというものに縁が無い生活をしていた。前世のことはもう覚えていないのだが、ゲームでのクリスは辺境の村出身で、物心ついたときには王宮に連れてこられていた。そのため女性との触れ合いはほぼ無かっただろうと思うし、私に関しては言わずもながだ。鍛錬の記憶しか無い。
そんな恋愛色ゼロの私の人生で初めての『王子とおでかけ』というものは、もしかしたら乙女ゲームにもよくある、世の女子が羨む超級の『デート』になる可能性があったのではないか、と今更ながらに思ったのだが…決行人数が3人の場合はノーカウントなのか。あと本人たちにそんな甘酸っぱさが皆無の場合はさらにアウトだよな…。
あの勝負の日から数日が経って、王子は無事に私たちと城下に降りてきていた。朝から出て、ほんの少しの時間だけだけれど、あれ以来まったく覇気の無くなったクリフォードさんが「影とムウファのお付きがあるならば」と許可をくれたのだ。というか、話を進めていたのはほぼ王子で、彼はうなずくだけだったのだが…。クリフォードさんは未だ魂が半分抜けている。あの時は確かに少し性急だったので、今度ちゃんと謝ろうと思った。
そういえば影の人というものを私は見たことも気配を感じたことも無いのだが、ムウファが言うには、
「あれはヤバい」
人なのだそうだ。とりあえず王子に危機が訪れない限りは表に出てくることもないようなので、一生会わないと良いなと思った。
「あっはっは、僕じゃないみたい!」
眼帯をして頭を染料で染めた王子は、商人の息子のような雰囲気になった。もちろん服はムウファのものを着ていただいたのにセレブ感がまだ残っていて、王族ってすごいな…と、私とムウファは顔を見合わせため息を吐いたのだが、王子自身は初めての変装にうきうきしている様だった。
それから改めて私は、王子とムウファを、カリンさんがしてくれたように様々なところに連れて行った。
朝の市場では食べ物のほかに大道芸のようなことをしている人たちがいたので、観客に交じって野次を飛ばしたりした。子供たちが走り回り、奥様方が井戸端会議をしている広場に寄ったり、そこの屋台で串焼きを買い、食べながら丘を目指したりもした。その途中には色々な店が連なる商店街があって、王子はそこで小さな花のモチーフのペンダントを買っていたり、ムウファに進めていたりして、私はそれをからかった。そのような事をしていると、あっという間に時間は過ぎて行ったのである。
「あぁ~~笑った!僕の人生のなかで今日ほど楽しかったことは無いよ!」
私の大好きな場所である小高い丘から町を見下ろしながら、王子は本当に満ち足りた顔でそう言った。
今はお昼どきで、人々はみんな忙しそうに働いている。活気が目に見えるようだ。
「ここも素晴らしい景色だねぇ…王宮から見る城下と、同じ目線から見る町の景色とはこんなに違うものなんだ…僕はなんて幸運なんだろう」
未だ興奮冷めやらないようで、アレが綺麗だったとか、あの店は工夫があってよかったとか、コレが美味しかったとか、
こんなに饒舌になれるんだ、と言うくらいに、王子は話を止めなかった。
「確かに俺も王都見学すんのは初めてだったからな~。新鮮だった」
「わたしも村から出てきたときには驚いたよ。なんて満ち足りた町なんだって」
「だな。俺らの村とは大違い」
私たちも、この時ばかりは王子を王子と思わなかった。ただの友達のルドルフとして接することができていたのだ。それは何だか、私たち3人とも鎖から解き放たれたような、身軽になったような…そんな感覚だったんだと思う。
「ああ…このまま誰も僕らのことを知らない場所で、3人だけでいられたらなぁ~…」
「おお、戦ってばっかで飽きたしな~、それ良いな!」
「おいおい、何を隠居のジジイみたいな事言ってんだよ…」
王子はその後もしばらく町を見おろしていたけれど、一度大きな深呼吸をして、私に向き直った。
「クリスティーナ、本当にありがとう。今日のことは一生忘れないと思う」
「クリスで良いって。そんな大げさな…また抜け出そうよ」
「ばかクリスっ、そういうこと気軽に言うんじゃねぇよ!」
私たちの軽口に、またくすくすと笑っていた王子だったのだが、不意に笑みを止めた。そして私に問いかけたのだ。
「今日連れてきてくれた場所は本当に素晴らしいところばかりだったよ。…でも、本当は他にも見せたい場所があったんじゃない?」
私をまっすぐに見てそう言った王子の言葉は、確かに、まさに私が言おうとしていた事だった。
本当は今日、スラムにも二人を連れて行こうかと思っていた。でもできなかったのだ。なぜだか分からないが、アランや孤児院の子たちと引き会わせるのを躊躇してしまった私がいた。
「あのね、僕の兄上は素晴らしい人だって前にも言ったと思うけど、僕が兄上を支持するのはただの尊敬じゃない。目指すものが似ているからなんだよ。」
「兄上と僕は…スラムを無くしたいと考えている」
私は目を見開いた。王子のそれは私の頭の中を読まれたのかと思うくらい、的確な発言だったのだ。
「スラムという場所には、まだ説明はできないんだけれど…昔から色々と役割があってね。無くすというのは容易な事じゃないんだ。でも僕は、…私は、スラムがある限りこの国は本当の意味で幸福にはならないと思っている。スラムの住人たちもみんな、町の人たちと同じように暮らしてもらいたい。それが私と兄上の理想だ」
ルドルフは、王族の顔をしていた。眼帯で顔もちゃんと見えないのに、なぜだか背筋が伸びる思いがした。そしてカリンさんの言葉を思い出し…私が支えたいと思う人は、理想と掲げ信じる道をまっすぐに見据えている人なんだと、信じてみても良いような気がしたのだ。
「こんなことを突然話してビックリしているかもしれないけど、僕の決意はそんな感じかな。クリスは?僕のこと少しは信用できるって思ってもらえたら、君のことも色々と教えてほしいんだけれど…」
どう?とこちらを伺うように見ていたが、まさかこれだけ王子に語らせて、信用できないなどと言えるはずが無かった。
私は、私の見た物、聞いたもの、信じるものをすべてこの王子に託そうと決めた。
それから、私はこの町で出会った人たち…カリンさんのこと、アランのこと、孤児院のこと、スラムのこと。色んなことを話した。王子もムウファも真剣に聞いてくれているのが分かるから、いったん話を始めると止まらなくなった。
私の魔力についてや魔法についても、あの運命の瞬間があったこと、その後いかに努力したのかなどをつらつらと語った。
今思えば、本当は誰かに話したくてたまらなかったのだと思う。何せずっと誰にも相談しないで1人きりでやってきたのだ。そろそろ誰かの意見を聞きたくなっても仕方がないハズ……いや嘘だ、誰かに褒めてもらいたかったのかもしれない。
ところが、スラムのことは神妙な面持ちで聞いていてくれた2人だったけれど、私の話になった途端、ムウファは怒りだし、王子は頭を抱えた。
「お前…!!一人で魔獣と戦うとか何考えてんだ!!!無茶すんなって言っといただろうが!!!」
「く、クリスティーナ…それ、どれだけ異常なことか分かっているかな…??」
そんな事を言うもんだから、私がジト目になってしまうのも仕方がないと思う。
「……わたしが求めていた反応と違う」
「黙れっ、オマエもう1人歩き禁止な。親泣かせる気かよ!」
「うぅん…どうしようかないつまで兄上に隠し切れるのかなぁ……」
王子曰く、私が魔力を『見ることができる』というのはやっぱり異常な事だった。それは私も鍛錬の結果の偶然の産物なので説明もできないし、そうだろうなとは思っていたのだが。今まで何度か防御膜も使っているし、魔石も見せてきたけれど、私以外に魔力がどうのと言う人がいなかったのだから、気付かない方がおかしい。
そしてもう一つ、完全な防御をメインにした魔法はこの世に無いとのことだった。「地味だしね」と言ったら王子の顔がものすごく引きつった上「そういう問題じゃない」と言うので、その辺で私は発言を止めた。
王子に比べればムウファはまだ気楽な方だった。私の身は心配してくれたけれど、それ以外は「クリスってもしかして魔力増えたのか?」くらいの物だった。王子が取り乱しているのでその分冷静になったのと、昔から私の奇行には慣れているからと言っていたが、本当に失礼なヤツだと思う。
「……クリス、ごめん。兄上にも報告することになってしまうかもしれない」
ルドルフ王子は散々に唸った後、そのように言ってきた。更にできることなら君を渦中に巻き込みたくはない、とも言ってくれたのだけど、それは今更だ。
私は先ほど決めたのだ、王子を信じてついていくと。どんなことに巻き込まれたとしても、もはや後悔などしない。むしろもっと強くならなければと思った。
そう伝えると、王子は少し悲しげな顔で、「クリス、忘れてはいけない。君は女の子なんだよ」と言った。そして先ほど買っていたペンダントを、何と私にくれたのであった。
「これを見たときには、君は女の子なんだってこと、ちゃんと思い出してね」
と釘をさされたが、私は最初から女だと自覚しているのに。何だかよく分からなかった。そしてムウファはなんだか驚愕した顔でこちらを見ていた。
そうだ、ルドルフ王子のルートで、彼は主人公に指輪を渡すのだった。
『これを見て、僕をいつも思い出してほしいな。そしていつかは、思い出す暇もないくらい傍に…』
いつも笑顔の王子が、真剣な顔をしてそうささやくスチルもまた、プレイヤーの中では幻のレアスチルとして有名であった。
ルドルフ王子もまた、攻略がかなり難しいキャラクターだったのだ…。
今考えてみると、奇しくも…この丘はそのルドルフ王子のスチルの舞台となる丘だ。王子のルートで、主人公と王子が愛を誓う場所。ゲームでは語られることは無かったけれど、その場所を王子に紹介していたのはもしかして『クリス』だったのかなと、私は記憶を垣間見てそんなことに気付いたのだった。
ムウファが驚いているのは、王子のフェミニストっぷりにです。
なかなか進まない展開で申し訳ないです。