前編
橙乃ままれ著『ログ・ホライズン』の二次創作です。
初めての投稿作品になります。気に入っていただけたなら幸いです。
文字数制限に抵触したので前編と後編に分けて投稿しております。
▼ 序
〈妖精の輪〉の前に五人の〈冒険者〉が整列した。
「ギルマスぅ」ゼン=ゼンが呼んだ。
「え? ああ、私か。うん、いい響きだな。ギルマス」恵方良の口元が緩んでいた。
「出発前に訓辞とかないの」
ゼン=ゼンの言葉にブーンドック達が拍手すると、それに促されて恵方良が進み出てメンバーの前に向き直った。
「えー。では諸君、いよいよ〈自決観測隊〉の初仕事であります。この異世界探索任務に諸君が参加してくれたことを心から感謝いたします。御承知のとおり、世界は激動の時代を迎えており、その前途は著しく多難であります。この混迷の時代、我々はどこへ向かえば良いのか──」
単なる出発前の挨拶程度で良かったのに、恵方良のスピーチは次第にどうでもいい方向へ脱線し始めていた。呆れたレムミラスが指をくるくる回して「巻いていけ」と合図を送ったが、恵方良は見向きもしない。
「──我々は宇宙の法則、自然の摂理、人間の理の中で、辛うじてその存在を許されている、か弱く心細い生き物であります」
「調子に乗りやがって」
「面白いじゃないですか。名調子だなぁ」
「おだてると終わらなくなるぞ」
小声でレムミラスとゼン=ゼンが言葉を交わしている間にも、恵方良は一席ぶち続けている。だがスピーチの内容はあながち間違っているわけでも無いとブーンドックには思えた。
確かに〈大災害〉は大変な出来事であり、巻き込まれた〈冒険者〉の前途は多難と表現するだけでは控えめすぎるだろう。
ブーンドックはこの奇妙なギルド〈自決観測隊〉が発足するきっかけとなった出来事を思い返していた。
▼ 1
見上げると大聖堂の天井があった。ドーム上層の明かり取りから差し込む夕陽が聖堂の壁画を美しく染め上げていた。
ブーンドックは横たわったまま、しばらく身動きせずに壁画を見上げていた。近在の寺院が時刻を知らせる為に突いた鐘の音が大聖堂内にいても聞こえていた。
何度試しても結果は同じで、ブーンドックは死ぬことはなかった。死ねば必ず事前に登録されたホームタウンの大聖堂で復活するのだった。
溜息をついてブーンドックは身を起こした。負傷した筈だが怪我は完治している。身につけている衣装も復元されている。懐を探ると、装備していたアイテムはきっちり半分が消え失せていた。所持金があれば、それも全額消失していただろう。
最初の復活でそれを確認したブーンドックは、次からの復活では所持金の補充は行わなず、装備アイテムも失ったところで惜しくない消耗品数点のみに止めていた。
アキバの大神殿で何度か死亡と復活を繰り返し、その後はシブヤにホームタウンを移して更に数回試したのだが、どこで試そうと結果は同じだった。
己のステータス画面を脳内に呼び出すと、視界にそれが二重写しになる。半透明なスクリーンが床の上に浮遊するように見えていた。
経験値が若干減少していることも確認した。〈冒険者〉としてのレベルはそのままに、経験値だけが減っていくのも前回と同じである。
手を振って空中のスクリーンをかき消し、無言のまま寝台から降りる。周囲には死亡した〈冒険者〉が復活する為の石造りの寝台が並べられていたが、この時刻に復活したのは自分一人のようだった。
大聖堂から外に出ると、そこには変わらぬシブヤの街の景観が広がっていた。かつての文明社会の名残を留めつつ、巨大な樹木に侵食されつつある街並みに、チラホラと行き交う〈冒険者〉と〈大地人〉。
人間の他にも、エルフ、ドワーフ、孤尾族、狼牙族、法儀族といった人ならぬ種族が見受けられる。
ここ数年、ブーンドックが余暇を注ぎ込んでプレイに精を出してきたオンラインゲーム〈エルダー・テイル〉の世界であるが、今やどんな高性能なヘッドマウント・ディスプレイでも叶わぬほどにリアルに感じられる。もはやディスプレイに映っているのではなく、自分がゲームの中にいて肉眼でそれを見て、聞いて、肌で感じているのだから当たり前であるが、何故そうなったのかについてはブーンドックには皆目見当がつかない。
気がついたらゲームの中にいたのであり、夢を見ているのではないかと思われたが、夢にしてはリアルすぎた。
当初はそれを面白がる気持ちもあったが、その夢が決して覚めない夢であると判るにつれ、興奮もまた冷めていった。現実世界に帰還できないまま、際限なくゲームの中に囚われ続けているのだ。
自分には仕事もあれば家族もいるのだ。こんなところにいつまでもいるわけにはいかない。だが焦燥に駆られてもログオフの方法が判らない。
ブーンドックにとって〈エルダー・テイル〉は悪夢となった。
数日と経ぬうちに、これはある種の事故か災害の類ではないかと云い出す者も現れ、この現象には〈大災害〉なる呼び名が定着した。この現象が発生した瞬間に〈エルダー・テイル〉にログインしていたプレイヤーは全員、異世界に囚われた難民と化したのだった。
そして難民には、特にすることがない。今でも所在なげに街のあちこちでホームレスさながらに堂々と寝転んでいる〈冒険者〉を見かけるが、死ぬこともなく、さりとてすることもない人々にとっては、長い長い待機の時間をもてあます者もいるのだった。
夕暮れの迫る時間帯、さして活気があるとも云えないシブヤの街を見渡して、ブーンドックは大聖堂の正面階段を降りていった。
声を掛けられたのはその時である。
「お兄さん、今日で二度目の復活だねぇ。よければ話を聞かせてもらえないかな」
◆
ブーンドックは、その孤尾族の女性にフォーカスを合わせ、相手のステータス画面を視界に呼び出した。
恵方良。妖術師。レベル九〇。無所属。
名前、メイン職業、そのレベルに加えて、所属ギルドの名称や残HP割合といった情報がスクリーンには並んでいる。この女性は特定ギルドには所属していないようだ。
ただ、ステータス画面からだけでは名前の読み方までは判らなかった。〈エルダー・テイル〉におけるキャラクターの名前は実に千差万別であり、プレイヤーの本名をそのまま登録する者もいれば、既存のフィクションから引用する者、ふざけた愛称、意味不明の標語、ときには発音不可能な記号の羅列を名前にする者までいるのだ。
普通に考えれば、この場合は「恵方」が姓で「良」が名前だろうか。「エホウ リョウ」とでも発するのか。あるいは別の読み方があるのか。
戸惑うブーンドックの前で、恵方良は愛想の良い笑みを浮かべながら佇んでいた。
二尺袖の着物に赤い袴を伊達締めで結び、皮のブーツといった大正浪漫な装束に、手にした妖術師の杖が印象的だった。その上、孤尾族特有のキツネ耳を生やし、フサフサした尻尾が背後から見え隠れしている。妙齢の女性のようではあるが、外見がプレイヤー本人と一致するとは限らない。むしろ一致しない例の方が多いくらいだ。
ブーンドックが自分のステータス画面を拡張現実に呼び出して読んでいることを察して、観察する時間を与えるように恵方良は黙っていたが、しばらくするとまた話しかけてきた。
「お兄さん、昼間もそこから出てきてたね。一日に何度も死んでは復活するなんて、なかなか出来ないよねえ」
その言葉からは、恵方良が大聖堂から復活して出てくる〈冒険者〉を注意深く観察していた事実が伺えた。少しハスキーなその声質は、プレイヤーが男性とも女性とも判断が付かない。
「別に。ログオフしたいだけなんで」
言葉少なにブーンドックは応えた。少々、愛想がない云い方だったが、恵方良はまったく頓着せずに微笑んでいる。
「ああ、うん。いるよね、死ねば現実世界に復帰できるかもって考える人。でも実践できる人は多くはいないよね。大抵は様子見でさ」
「そうですね」
「まぁ、それでさ、立ち話もなんだし、少しばかり時間を頂戴できると有り難いなあって……どうかな? 食事でもしながら」
「悪いけど今、一文無しなんで」
「構わん構わん。勿論、奢りますよ。味はアレだけど」
ブーンドックに断る理由はなかった。身に危険が及ぶでもなく、奪われて惜しい所持品も持っていない上に、空腹を感じてもいたからだ。
ブーンドックが肯くと、恵方良は大聖堂に近い通りに面した大衆食堂に誘った。
◆
〈エルダー・テイル〉の世界観は、「遥か古の〈神代〉に滅んだ文明の廃墟が点在する剣と魔法の世界」である為、シブヤの街もそのようにデザインされている。趣としては名前の由来である現代日本の渋谷が、半分のサイズで再現され、それがまた樹木に侵食されつつある廃墟として設定されているのだ。
そこを行き交う人々の大半はノンプレイヤーキャラクターである〈大地人〉達である。
そして廃墟となった都市のあちこちに、〈大地人〉によって経営される様々な商店、飲食店が散在していた。恵方良がブーンドックを連れて行ったのも、そのような廃墟となったビルの一階に店舗を構えた飲食店のひとつだった。
恵方良は気さくに店主である〈大地人〉の男性に声を掛けると、空いているテーブルをに陣取った。
「ここは二階が宿屋になっていてね、以前から利用しているんだ」
食堂の店主は宿屋の主でもあり、ビルの上の階は〈エルダー・テイル〉がゲームだった時代からプレイヤーの利用可能なゾーンとして設定されていた。恵方良はゲーム内で通用する通貨を定額で〈大地人〉の主に支払うと云う形で、一部屋を個人的なゾーンとして構えていたのだった。
個人のゾーンとして登録された部屋は、許可なく他のプレイヤーが訪れることが出来ず、恵方良はその部屋を個人のアイテムと所持金の保管場所にしているのだと説明した。
通常、〈エルダー・テイル〉のプレイヤーはホームタウンに設定した街の銀行にアイテムや所持金を預けているが、シブヤの街はアキバと接続されたポータルタウンと云う設定である為、銀行が存在しないのだった。
それでも不都合がないのは、アキバへはトランスポート・ゲートと呼ばれる転送先が固定された瞬間移動用のゲートが利用出来た為だが、〈大災害〉以降はこのゲートは機能を停止していた。
シブヤ=アキバ間だけでなく、〈エルダー・テイル〉の世界に存在する各都市を結ぶトランスポート・ゲートが全て機能を停止しているらしい。
トランスポート・ゲートが使用できないと云うことは、アキバの銀行を利用していたシブヤの〈冒険者〉は、今やちょっとした所持金の補充やアイテム交換の為だけにでも、最短で四つのフィールドを越えたアキバの街まで出かけねばならなくなったと云うことであり、それは甚だ面倒な手間となっていた。
また、それは面倒なだけでなく、危険ですらあった。
フィールドゾーン上にはゲーム時代と何ら変わること無くモンスターが出没し、〈冒険者〉達に襲いかかってくることはすぐに知れ渡った。だが〈冒険者〉自身はゲーム時代のように思うような戦闘が出来なくなっていた。ゲーム時代と同様に剣を振るい、攻撃を躱すには、改めて訓練する必要があるようだった。
同様に、現実的な戦闘で味わう恐怖を克服する精神的な強さも求められていると判明し、戦闘を忌避する〈冒険者〉も現れた。プレイヤー全てがモンスターとの戦いを楽しむ者ばかりと云うわけではなく、アイテムの作成や動植物の育成を楽しむ為に〈エルダー・テイル〉をプレイする者も存在したのだ。
おかげでたまたまシブヤに居て〈大災害〉に遭遇した初心者プレイヤーの中には、シブヤから出て行くことも出来ず立ち往生する者も出る始末だった。中には〈冒険者〉レベルの高い友人が〈大災害〉発生時にアキバの街にログインしており、わざわざシブヤまで救助に来てくれるなどと云うケースもあったようだが、そのようなことは稀であるらしい。
それでも立ち往生している〈冒険者〉の中から、何とかしてアキバへ出て行く方策を算段する者が現れ始めた。意を決した〈冒険者〉達がゲート前で有志を募り、徒歩でアキバを目指す即席のパーティを募り始めたのだ。
大抵の者は、一度アキバに出て行くと、二度とシブヤには戻ってこなかった。
そして日を追うに連れてシブヤからアキバに拠点を移す〈冒険者〉は数を増やし、シブヤに残っている〈冒険者〉は、恵方良のように以前から個人のゾーンに必要なものを用意していた者か、理由があってシブヤに居残り続けている変わり者に限られるようになっていた。
そのほとんどが、如何なるギルドにも所属しないソロ・プレイヤーである。
ブーンドックもまた、そういった特定集団でのプレイ経験を持たないソロの〈冒険者〉だった。
◆
食堂の主人が注文を取りに来て、恵方良が料理を幾つか注文すると、しばらくしてから料理が運ばれてきた。
「まぁ、遠慮なさらず、どうぞどうぞ。どうせ何を食べたって同じですけどねぇ」
恵方良の言葉にブーンドックは肯いた。見た目は美味しそうであるが、どれもこれも味など無いに等しいことはこの数日の経験でよく判っている。街中で購入した食料アイテムも、フィールドから調達してきた食材アイテムを調理しても、すべてが同じ食感、同じ味なのだった。例えるなら「無味無臭の濡れた煎餅」のようなもので、食して楽しくなるようなものでは決してない。
それでも時間の経過と共に空腹は襲ってくるし、睡魔も訪れる。
これほど実体と質感を伴ってリアルに感じられる世界の中で、味覚に関してだけがおざなりになっていることは奇妙としか云いようがない。
だからこそ、日々の食事はブーンドックにとって、ここが現実の世界ではないと確認出来る証のようなものだった。空腹を満たす必要に駆られる都度、この世界が架空のものであることを思い知る。そして現実世界への帰還を心に誓い、決意を新たにするのだ。
とは云え、相手の真意を測りかねてブーンドックは料理に手を付けかねていた。
その一方で、恵方良は遠慮なく料理を食べながら笑っている。
「はっはっは。いや不味いねこりゃ。笑っちゃうくらいだ。でも相手の居る食事は有り難いよ。お一人様の食事は、ホントに単なる補給の為の作業になっちゃうからねぇ」
ブーンドックはそれで良いと思っているのだが、特に反論はしなかった。それよりも早く要件の方を聞きたかった。
「ええと……呼び名はブーンドック、さんでいいのかな。幾つか伺いたいんだけど、あの災害からこっち、何回くらい復活されました?」
「今日で二〇回目……かな」
恵方良は目を丸くして軽く口笛を吹いた。予想以上の回数だったのだろう。
その後は訊かれるままにブーンドックは答え続けた。自分はどうしても現実世界に帰らねばならないこと、メニュー画面からログオフを選択できない以上、死亡することでこの世界との接続を断てるのではないかと考えていること、何人かのプレイヤーと死亡することを試みたものの失敗に終わり大聖堂で復活してしまったこと、他のプレイヤーは一度か二度で諦めてしまい、その後は自分一人でフィールドゾーンに出かけていってはモンスターとの戦闘に敗北することで死に続けていること等々。
「痛みは平気な質とか」
「現実世界のような痛みは無いです。衝撃は感じますが、ちょっと苦しくなる程度ですね。むしろその後、復活するまでの間に悪夢にうなされることの方が辛いです」
「悪夢?」
「ええ。昔のね、嫌なこととか、色々と思い出しちゃうんですよ。自分でも忘れていたと思っていたこともね。復活して目を覚ますとかなり和らぎますけど、嫌な思いをしたということだけは憶えているんです。多分、他の人はそれが耐えられなくて何回も試すのを止めてしまうのかも知れませんね」
「あなたはそれを我慢している?」
「嫌なことは色々ありますけど、耐えられないことはないです。あるいは鈍感なだけかも」
「現実世界に帰ることの方が大事だと」
「普通はそうでしょう。家族や仕事を残してきているのに」
ブーンドックの意見に恵方良は肯いた。
真っ当な社会人ならそう考えるところだが、中には積極的に異世界に馴染むことの方に傾注しているプレイヤーも見受けられた。若年層のプレイヤーだからなのか、適応能力に富んでいるとあると云うべきなのか。
「何しろ、新しい拡張パックの実装直前にログインしていた連中ですからねぇ。熱心なゲーマー揃いでない方がおかしいでしょ。まぁ、例外はいるでしょうが」
「私のような」
「それはこちらも同じですよ」
その物言いから恵方良のプレイヤー本人も、自分と同様に社会人としてある程度の年齢を備えた人物であるように思われた。少なくとも学生ではない。
ブーンドックがそのあたりを詳しく訊こうとしたところに、新たな〈冒険者〉が声を掛けてきた。
◆
ブーンドックは、恵方良の知り合いであるらしいその〈冒険者〉のステータス画面を素早く視界に呼び出した。
レムミラス。森呪遣い。レベル九〇。無所属。
この〈冒険者〉も、特定のギルドには所属していないらしい。外見も実にエルフらしいエルフだった。一目でエルフと分かるほどにノーマルすぎる。
ブーンドックがステータス画面に視線を走らせている内に、恵方良が補足的に紹介してくれた。
「こちらは私の友人でね、二人でツルんで〈エルダー・テイル〉をプレイしているレムミラス。もう三年以上の腐れ縁になる」
「よろしく、ブーンドックさん」
レムミラスの方もこちらのステータス画面をチェックしたようで、名前を告げないうちにブーンドックの名を呼んで握手を求めてきた。言葉少なにブーンドックも手を差し伸べ、簡単な挨拶が済むとレムミラスは空いている椅子にちゃっかりと着席して一席ぶち始めた。割と話し好きのようだ。
「いやはや、くそ不味い飯でも食べねばならんと云うのは拷問だよ。昔、人類から五感が次々に消失していくと云うSF映画があったが、いっそここでは味覚がなくなってしまう方がいいのにと思わざるを得んな。まぁ、ユアンも耐えていたし、私も耐えねばならんか。視覚と聴覚に異常がないのは幸いだが。おーい、親父さん──」
そして食堂の主人に追加の注文をし始めた。注文が終わるとレムミラスは笑いながら恵方良とブーンドックの二人を交互に見た。
「──それで?」
「喜べ、レムミラス。このお兄さんは逸材だ」
「素晴らしい。こうも早くお前のメガネに叶う人物が見つかるとは」
ブーンドックは訳が判らず恵方良とレムミラスを見つめた。どうも自分のことが話題にされているらしい。レムミラスの視線の具合から、彼がこちらのステータス画面を視界に重ねながら見ているのが察せられた。
「〈暗殺者〉で、しかも処刑刀を背負っているところをお見受けすると、サブ職業は死刑執行人ですかな。しかもレベルが我々と同じく九〇。一緒に行動するのにも不都合がない」
レベルに差がありすぎる〈冒険者〉がパーティを組む際には〈師弟システム〉と云う、上級者が一時的にレベルを下げて、平均的なレベルで釣り合いを取るゲーム内のシステムが用意されていたが、同一レベルの〈冒険者〉には必要ない。
してみると、どうも自分はパーティに勧誘されているのだろうか。その疑問を口にする前に、ブーンドックは二人から交互に質問されていた。
「それほどのレベルになっているとは、〈エルダー・テイル〉のプレイ歴は長い方ですかな」
「二年……くらいでしょうか。暇を見つけてはぼちぼちと」
〈冒険者〉のレベルは今のところ九〇が上限であるが、そこまで達するのにそれほど長い時間は掛からない。熱心なプレイヤーなら数ヶ月、それほど血道を上げなくても一年以上プレイし続ければ自ずと到達できるようにはなっていた。
「そのメイン職とサブ職の組み合わせは最初から?」
「ええ、まぁ。何だって良かったのですが、決める前に観ていた映画の影響でつい……」
「ほう、映画から。暗殺者で死刑……。ああ、ブーンドック。あれか」
どうやらレムミラスは映画に詳しいらしく、幾つかのヒントからたちまち該当する作品に思い至ったようだった。
「はいはい。法で裁けぬ悪党を退治する処刑人兄弟のアレね。するとやっぱり処刑前には聖句を唱えたりするのかな」
レムミラスは悦に入ったように肯いていたが、恵方良にはよく判っていないようだった。
「私の知らない元ネタがあるのか。てっきり私はあっちのホラー映画が元ネタだと思っていたが」
「それもあります。外見の方は」
「そりゃ判り易すぎる。だが大柄で白いマスクを被っているからと云って、アレしかないと決めつけるのは早計だぞ。暗殺者なんだし、髪も金髪のロン毛じゃないか。どちらかと云うと某有名格闘ゲームの美形暗殺者も混じっていると見たね」
どうも自分のキャラクター・メイキングは安易に過ぎたのだろうかとブーンドックは情けなくなってしまった。こうまであっさりと元ネタの数々を暴かれてしまうとは。今までソロ・プレイが多く、他のプレイヤーとの交流が少なかった所為もあり、あからさまに指摘を受けることは今まで無かったのだが、判る人には判ってしまうものらしい。
ひょっとして今まで自分のキャラクター・メイキングの元ネタは知られていないと思っていただけで、影でくすくす笑われていたのだろうか。
「いやいや。判り易いのはいいことですよ。アピール・ポイントがはっきりしている」
「そうそう。かく言う我々だって、そんなに大層なメイクをしているわけではありませんからね」
口々にブーンドックを慰めるように取りなす二人だった。
「こいつの名前、一見するとそれっぽいでしょう。エルフで、レムミラス。正統派らしくクウェンヤ語で名前を考えたらしいんですけどね、一体〈エルダー・テイル〉にクウェンヤ語やシンダール語で名前を付けるエルフが何人居ると思っていたのやら。同姓同名が沢山いてホントに紛らわしい」
「いいじゃないか。ヘルルインよりは少ないと思ったんだがね」
「あー。いたなー、ヘルルイン。山ほどいたなー」
二人はブーンドックにはよく判らない理由で盛り上がっていた。どうやらレムミラスはエルフの中では田中一郎か山田太郎並みにありふれた名前のようだと云うことは判った。格好が没個性であまりにも標準的なエルフのように見えるのも、実はわざとそうしているらしい。
今まで〈エルダー・テイル〉の世界ですれ違うキャラクターの名前など気にしたことがなかっただけに二人の会話は聞いているだけで新鮮だった。
そして今度はレムミラスが逆襲に出た。ブーンドックに恵方良のステータス画面を見るように云ってから尋ねてきた。
「さっきから聞いてるとブーンさんは彼をエホウさんと呼んでますが、まだ正確な呼び名を教わってないでしょう」
「え。でもエホウさんでしょう」
ステータス画面を改めて眺めても「恵方良」の表示は変わらない。
「ちょっと発音が違う。サブ職が毒使いですからね、彼の名前はエボラと発音するのが正しい。エボラ出血熱のエボラですよ。致死率のむちゃ高い、あの伝染病。気の利いた名前だと思ったらしいが、エボラさんと呼びかける方の身にもなってもらいたい。字面は縁起が良さげだが発音が禍々しくて台無しだ。こいつにだけは治療してもらいたくない」
そこでブーンドックはレムミラスが恵方良を「彼」と呼んでいることに気がついた。どう見ても外見は妙齢で妖艶で和装の似合う孤尾族の女性なのだが。
「五五歳のオヤジです」
頭をかきながら白状する恵方良を見てブーンドックはあっけに取られた。
そこでレムミラスが注文した料理が運ばれてきて、ようやくブーンドックも料理に手を付ける気になった。白面のマスクを頭の上に跳ね上げて、味のしない料理を口に運び始めた。素顔が露わになり、それがまた予想通りの美男子だったことで、レムミラスは更にまた楽しげに手を叩いた。
〈大災害〉以降、気分は暗く沈んで現実世界への帰還を焦るばかりだったブーンドックだったが、味のしない食事で笑みを浮かべたのはこの時が初めてだった。
▼ 幕間 1
恵方良のスピーチはまだ続いている。
「──その仕組みや法則を解明しようというのが、この〈自決観測隊〉の目的であり、存在意義なのであります。我々の前にどのような困難が待ち受けているのか、残念ながらそれを知る術はありません。だがしかし。それでも。我々はこのセルデシアを新しい発見の時代に導くために、未知の世界を探索し、新しい生命、新しい文明を求め、人類未踏の宇宙に勇敢に航海しなければならないのであります」
「そこまで云ったらパクリだけど」とゼン=ゼン。
「以上、ご清聴ありがとうございました。では、張り切って参りましょう」
「やっと終わったか」
レムミラスが脱力する中、ブーンドック以下の三人はそれなりに面白がって拍手した。スピーチが受けたことに恵方良は悦に入っているようだった。
寺院の鐘がシブヤの街中に響き渡り、いよいよ出発の時刻がやって来た。まずは恵方良が〈妖精の輪〉の中へ入って行った。
予備調査の段階で、恵方良とレムミラスは五分の時間差をおいて〈妖精の輪〉へ突入したが、初回の探索となる今回は、念の為に一〇分間隔での突入が取り決められていた。〈妖精の輪〉のタイムテーブルが六〇分間隔であることを確認するためである。
したがって、恵方良に続いて、ブーンドック、雲隠仁左、ゼン=ゼンの順番に転移して、最後にレムミラスが転移するのに四〇分かかることになる。
恵方良の姿が消え失せると、レムミラスが砂時計をひっくり返した。
▼ 2
「〈妖精の輪〉ですか」
「そう。あの通りのど真ん中に鎮座しているアレ」
食事を終えて三人は居酒屋の二階にある恵方良の個人契約ゾーンに場を移していた。そこはそれほど狭いとは云えない個室だったが、恵方良が今までのプレイ中で入手した様々なアイテムが無造作に棚に並べられたり、床の上に積み上げられたりしていた。整理する必要が大ありのように思われたが、部屋の主はあまりそうは感じていないらしい。銀行に預けておくといちいち引き出したり預けたりする手間が面倒じゃないかとは本人の弁であるが、この部屋の中から必要なものを探し当てる手間の方が面倒であるようにブーンドックには感じられた。
適当にくつろぐように促されたが、まずどこに座っていいものやら判らぬまま、とりあえず空いている床の上に座り込む。
そこで初めて恵方良は本題を切り出した。それはシブヤの街中に設置された、ストーンヘンジを模してデザインされた巨大な石造りのリング状の構造物についてだった。
◆
〈エルダー・テイル〉にはゾーンとゾーンを結ぶ瞬間移送ゲートが二種類あった。ひとつは転送先が固定されているトランスポート・ゲートで、シブヤとアキバを結んでいたり、ヤマト・サーバー内の五大都市間を結んだネットワークを構築していたが、現在は機能が停止しており、各都市間は互いに切り離された状態になっている。
当初、ゲート前の広場には災害発生時の帰宅困難者さながらにゲートの復旧を待ち続けている〈冒険者〉達が居座り続けていた。今でも十数人は残っているだろうか。
もうひとつが〈妖精の輪〉と呼ばれるゲートで、こちらは不特定多数のゾーンと定期的に接続の切り替わる仕様になっていた。こちらの機能は停止してはいないようだが、接続の仕様がもはや判らなくなっていた。
〈大災害〉発生直後、一人のプレイヤーがこのゲートに飛び込んだことがあった。いずこかへ転送はされたらしいが、それは以前から知られていた転送先ではなかったようだと云うことは間もなく判明した。
ゲートに飛び込んだ〈冒険者〉をフレンド登録していた別の〈冒険者〉の元に、まったく見当違いの場所に出てしまったという報告が念話によってもたらされた。そしてもう一度試すという言葉を残して、そのチャレンジャーの消息は途絶えた。念話が通じなくなったところを見ると、ヤマトサーバーとは異なる海外サーバーのどれかに転送されたらしいと云うことが推察された。
最初の転送で〈帰還呪文〉を使用していれば、まだシブヤに戻ってくることも出来たであろうに、二度目の転送でそのチャレンジャーはホームタウン設定を上書きしてしまうゾーンに転送されたらしい。再び彼がシブヤに戻ってくることはなかった。
ゾーンの種類によっては、設定したホームタウンを書き換えてしまう場所があることは知られていたが、その数はそれほど多くはない筈だった。不運なチャレンジャーは二回目の転送で早くも大当たりを引き当ててしまったらしい。
それ以来、〈妖精の輪〉を使用するものはいなくなってしまった。
◆
「都市間の固定されたトランスポート・ゲートは機能を停止しているのに、〈妖精の輪〉がまだ動いているのは何故だろう」
「さあ?」
「アレを使うと、どこへ転送されるのだろう」
「見当もつきません」
「知りたいと思わないかい、ブーンさん」
「いや、別に」
「知りたいだろう知りたいはずだしらずにおくことなんてできるわけがない」
「いやいやいや」
妙な迫力を漂わせて迫ってくる恵方良に、ブーンドックは激しく首を振って否定した。レムミラスは部屋の片隅に寄りかかり、苦笑しながら成り行きを見守っている。
「私はね、仮説を立てた」と恵方良は構わず話し続けた。ブーンドックに否定されたことはまったく気にしていないらしい。しかしそこから話題はいきなり飛躍してしまった。
「この世界についてどう思うね、ブーンさん」
「世界、ですか」
「そう。このセルデシアだよ」
「〈エルダー・テイル〉のゲームに設定された世界……ですよね」
「しかしリアルだ。見聞きするだけでなく、手で触れられ、匂いを嗅げて、舌で味わう……のは最低だが、実体を伴った世界だ。しかもゲームの設定も引き継がれている。ゲームと同じモンスターが棲息し、キャラクターの身体能力や魔法が現実になった上に、色々な設定画面を拡張現実として見ることが出来るんだ。しかも死ねば復活するし。出来ないのはログオフすることだけと云っていい」
「ええ」苦い思いを抱いてブーンドックは同意した。
「こんな世界を誰が造ったのだろうね」
「運営……ですか?」
「君が云うのはアタルヴァ社のことかな。まさか。巨大であっても只のゲーム会社が、こんな大それた世界を造れるものかな。こんなとこが出来るのは神様くらいなものだろう」
「神様、ですか」
「あるいは、神様のようなナニカだ。物質を自在に構築し、法則をねじ曲げ、ゲーム内の設定を現実の存在にしてしまえるナニカだよ。アタルヴァ社はネタを提供したに過ぎないと私は思う。そのナニカが、アタルヴァ社が運営する世界的大ヒットMMO-RPGに目を付け、その設定を丸パクして造ったのだと思う。そのときログインしていたプレイヤー込みで。我々は運悪くそれに巻き込まれたのだ」
熱弁を振るう恵方良に対して、ブーンドックは相づちを打つことくらいしか出来なかった。この世界を造ったのが、神様なのか悪魔なのか知らないが、それを問題にしてどうしようというのか。
「それでこのセルデシア。設定上、〈ハーフガイア・プロジェクト〉によって二分の一サイズの地球としてデザインされている……筈だ。まぁ、見たことないのでよく判らんが。ここまで世界設定を忠実に模している存在が、〈ハーフガイア・プロジェクト〉の設定だけスルーとは思えないから、そこも完璧に再現しているのだろう」
「そう……でしょうね」
「すると、このセルデシアは直径一万二千七百四十二キロの半分、六千と三百七十一キロの球体だと云うことになる。質量が充分ではないはずなのに重力はそのまま一Gが再現されているから、その神様みたいなナニカはどうにかして重力も調節していることになる」
「詳しいですね」
「え。地球の直径くらい常識だろう。理科の授業で習わなかったかな」
実生活に関係ない知識を覚えている人の方が稀だと思うのだが、恵方良はそうではないらしい。
「こいつは本職が作家なんだよ。SFぽいのをよく書いている」
レムミラスが後ろから補足してくれた。
「あまり売れてないがね。まぁ、とにかく、このミニ地球はどうにかして造られた。では星はどうだろう。月や太陽は?」
「え」
「君はまさかここから一億四千九百六十万キロ……の半分だから、七千四百八十万キロか。それだけの距離の向こうに、半分のサイズの太陽が造られていると思うのかね。直径が……ええと、六九万五千八百キロのG型恒星が配置されていると」
恵方良はやたらと天文データに詳しいようだが、そんなことを問い詰められてもブーンドックに答えられるわけがない。また恵方良の方でも返答を期待しているようではなかった。
「この宇宙はどこまで広がっているのかな。まさかハーフ宇宙が出来ているわけでもなかろう。そんなことをして何になる。神様のようなナニカとしては最低限、このセルデシアが半分サイズのミニ地球として機能すればいいように造ったのではないかなと……まぁ、そう考えたわけさ」
「はぁ」
「すると、夜空に見えるアレは何だ。本当に星なのか。いや、朝になると昇ってくるアレも本当に太陽なのか。そのように見えるナニカじゃないのか」
「はぁ」
「一番てっとり早いのは、ミニ地球の周囲を、また別の球殻で覆うことだろう。昔は天球と呼ばれる球体が地球を取り巻いていると考えられていたが、案外、そういうのが再現されているのではないかな。星や月や太陽は、外側の球体の内面にプロジェクターか何かで表示され、然るべき光度と熱量を供給するようデザインされているのだとしたら」
「はぁ」
「するとこの世界は二重の球体で構成されたコンパクトな世界だと云うことになる。最大直径がどのくらいなのかは想像の域を出ないが、三八万キロより大きいと云うことはあるまい。ああ、これは現実世界での月までの距離に相当する数字だけど」
「はぁ」
「例えば巨大な気球を制作して、それに乗ってどんどん上昇すれば、どこまで行けるだろう。大気圏は再現されているだろうか。それとも天球の内部は空気が充満しているのだろうか。どこまでも昇っていけば、やがて天井にぶち当たり、我々は天球の内壁を、空を、その手で触れることが出来るのだろうか」
恵方良の視線は部屋の天井に向けられていたが、その瞳は特に天井の木目を観察しているわけではなく、遙か彼方の空想上の夜空を見据えているようだった。
「おーい。帰ってこーい」
恍惚とした表情を浮かべる恵方良にレムミラスは呆れたように声を掛けた。そしてブーンドックに向かって、こいつの空想癖を許してやってくれと弁護した。
「私も散々聞かされたが、ここまでくるとSFと云うよりもファンタジーなんだがねぇ」
「まぁ、そう云うな」と恵方良。「ではSFに話を戻そう。昔読んだSF小説にね、そんなコンパクトな自家製宇宙を造る種族のストーリーがあるんだよ」
◆
数万年前、神にも等しい力と不死性を獲得した種族が存在した。その種族は高度なテクノロジーを駆使して、戯れに自分達が自由に出来る人工的な世界を幾つも建設した。
例えば、真っ平らな円盤状の大地が何段も直径を小さくしながら、鏡餅のように積み上がった階層状の世界。
例えば、溶岩状の弾力性のある大地が常に脈動し、形状を変化させ続けている世界。
「そんな異世界を渡り歩きながら、主人公はその神のごとき種族と共に冒険を繰り広げる、というストーリーだ。似てると思わないかね。ああ、なんで翻訳が途中で止まっちゃったのかなぁ」
「は?」
「最後の部分は気にしなくていい」とレムミラス。
恵方良が云いたいのは、このセルデシアもそうした人工的に造られた箱庭宇宙ではないかと云う点らしい。
「オリジナリティが無いがね。その小説上の種族は、少なくとも自分の想像力で世界を造っていたが、我々を巻き込んだ神様はネタ切れだったらしい。アタルヴァ社は訴えたらきっと勝てるぞ」
「神様にか」レムミラスが鼻で笑った。
「それにもうひとつ。そのSF作家が書いたシリーズには、こんなものもある」
有史以来、地球上に生存した全ての人間が、あるひとつの惑星上に同時に復活する。その惑星には、全域にわたって只一本の大河だけが流れており、その流域に沿って、全人類が多様なコミュニティを作ってサバイバルする世界が現出する。
「それまで存在した歴史上の有名人が多数登場しながら進行する冒険小説風なSFだ。ああ、なんで絶版しちゃってるのかなぁ」
「は?」
「最後の部分は気にしなくていい」とレムミラス。
「この小説の重要なところはね、登場人物が全員復活していると云う点だ。しかも何度死んでも強制的に復活させられるんだ。ここも似ているだろう」
更に恵方良は、その冒険SFの主人公は何度も何度も死んでは復活しながら、惑星上の異なる地域を巡っていくのだと説明した。
「どうだい、かなり示唆に富んでいるとは思わないかい」
「つまり……恵方良さんは、そのSF小説と同じようなことをするつもりなんですか」
「ぶっちゃけ、そういうことだ。〈妖精の輪〉を使ってな、神様を見つけたいと考えている」
◆
「神様、あるいは神様のようなナニカ。呼び名は何でもいい。オーバーロードだろうが、上帝だろうが、エシカル人だろうが」
「私は〈造物主〉と呼ぶのがお薦めだ」とレムミラス。
「別に構わん」
しかし二人の会話を聞いていて、とてもついて行けないと云うのがブーンドックの素直な感想だった。そろそろここを辞した方が良さそうだ。
「まぁ、待ちたまえよ、ブーンさん。ナニカが、あるいは誰かがこの世界を造ったんだ。それは判るだろう」
「その点は同意しますが」
「そして君は、何度も死んでみたが、今のところログオフ出来ずにいるわけだ」
「ええ、まぁ」
「このまま死に続けて、ログオフ出来ると思うかい」
「それは……判りません」
「このログオフ不能の強制復活は、何らかのシステムの仕様だと思う。〈エルダー・テイル〉を丸パクして再現している神様のな。だとすれば、どこかに世界を司る制御装置みたいなものがあるんじゃないかな。例えば、神様の本拠地かどこかにさ」
「どこですか」
「それは判らん。例のSF小説では北極だったんだが」
ブーンドックは黙り込んだ。確かにこのまま死に続けても現実世界に復帰できるあては無い。だが他にどうすればいいというのか。
「神様を見つけることが出来れば、そいつの胸ぐらをひっつかんで俺たちを元いた世界に戻しやがれと迫ることも出来るんじゃないかな」
「恵方良さんも現実世界に帰りたいんですか」
「まぁ……ね」
恵方良が口ごもると、レムミラスがそれを引き取って代わりに答えてくれた。
「こいつは締切に追われているより、こっちにいた方がいいと考えているに決まってる。こいつがやりたいのは〈造物主〉とのファーストコンタクトさ」
「当たり前だろう。今まで生きてきて、これほどまでに超常的な体験をしたことがあるのか。ゲームの世界を丸ごと再現している奴がどこかにいるんだぞ。何としても、そいつを見つけ出したいと思うのが人情じゃないか」
「どうだろうね」とレムミラスは軽く流した。
「レムミラスさんは違う考えなんですか」
「私には神様だとか、神様のような宇宙人だとかが本当にいるのかどうかなんて判らない。よしんばいたとしても、そう簡単に尻尾を掴ませてくれるとは思わないな。だが現実世界には帰りたいと思っているよ。仕事もあるし、納期も迫ってるからね」
「どうやって帰るつもりなんですか」
「君と同じさ。死に続ければいつか復活できる限界を超えるのだと思う。そしてこの世界から解放されて、元の世界に戻れるのだと思う。確信は無いが。ほら、ステータス画面に死亡回数も表示されるだろ」
そう云われたブーンドックは自分のステータス画面を視界に呼び出した。確かに今までゲームをプレイしてきた中で死んだ回数に加えて、この数日間試してきた死亡回数が加算されている。
「いわゆる死亡カウンタって奴だが、このカウンタの上限を超えられれば、あるいは……」
「上限値はいくつなんですか」
「それが判れば苦労はしないが、多分二バイト長のカウンタではないかと思う。大抵のコンピュータ・プログラムでは標準的な長さのカウンタだよ」
レムミラスの言葉にはある種の自信が伺えた。聞けば本職はシステムエンジニアだと云う。コンピュータを扱う職業の者の言葉に、いくらかなりとも光明を見出すブーンドックだった。
「二バイトですか」
「二進数で表現できる最大値は六万五千五百三十五だ」
一瞬でも希望が灯りかけたブーンドックの心を、レムミラスの言葉が打ち砕いた。
「よせよせ。六万回も死んでいられるものか」
「神様を見つけて捕まえようって方が無茶ですねー」
プレイヤー自身はいい年をした大人の筈なのに、まるで子供のように互いの考えの欠点をあげつらおうとする恵方良とレムミラスをよそに、ブーンドックはがくりと首をうなだれた。それを見て二人はぴたりと言い争いを止めた。
「まぁ、そう気を落とさないで」
レムミラスが慰めたが、ブーンドックの声は沈んでいた。
「だって六万回なんて無理ですよ。毎日十回死んでも六千日かかるじゃないですか。現実世界に戻るには十六年以上かかる計算だ」
「十七年はいくだろ」と恵方良。
お前は黙ってろとレムミラスが手を振って恵方良を制し、何とかフォローに努めようとした。
「それはカウンタが二バイト長だった場合だよ。一バイトなら二百五十六回で済むぞ」
「でもそうは思わないんでしょう」
「まぁ、そんなプログラムを書く奴はヘボだと思うが」
さらに酷く落ち込むブーンドック。
「だからさ」と恵方良。「こんな世界を造った奴を見つけ出そうってワケさ。それに当面、することもないでしょ」
確かに恵方良の云うとおり、〈冒険者〉が直面しているのは実に緩いサバイバルだった。飢える心配はあるが、食料を手に入れることは容易い。フィールドまで出かけていき、遭遇したモンスターを倒せばそれなりに金銭も手に入る。味の件にさえ目を瞑るなら生きていくことは出来る。
また、〈冒険者〉の頑健な肉体は野宿を続けても大丈夫だし、恵方良のように個人でゾーンを契約することも出来る。いざとなればアキバのギルド会館を頼るという選択もあった。
衣服にしても、着ているものはアイテムの一種であり、摩耗とか汚破損はしないらしい。復活する度に破損した防具や衣服が修復されているのは何度も確認した事実だった。
「働く必要が無く、遊んで暮らしたところで何も困らない。衣食住の心配の要らない、実にユルいサバイバルだよ。一番危険なのは目的をなくしてしまうことだ。することがなくて、単に喰っちゃ寝しているだけなら、牢獄にいるのと変わりは無い。例え、死に続けることが目的だとしても、何もしないで座り込んでいるよりも遥かに建設的だ」
「そうでしょうか」
何度死んでも強制的に復活させられるだけで、目覚めることの出来ない悪夢に閉じ込められているのなら、すべては無為に過ごすのと変わらないのではないか。
ブーンドックの疑問は、即座にレムミラスに否定された。
「ネガティブになってはいかん。それが一番、危ない」
「まぁ、それでだ。ブーンさんも、ただ死に続けるだけでは面白くなかろう。単調だし、現実世界に帰還するよりも先に、鬱になって倒れてしまうぞ。そして鬱が酷くなると死ぬことすら面倒になって、何も出来なくなってしまう」
「何か手がおありなんですか」
「我々の仕事を手伝って欲しい。君が死に続けることを止めはしないし、むしろその手助けも出来る。困ったときは相身互いと云うだろう」
実はその目的で日がな一日、大聖堂の前で復活しては出てくる〈冒険者〉はいないか観察していたのだと恵方良は打ち明けた。世界がゲームだった時代には、大聖堂を利用する者は沢山いたが、当然のことながら〈大災害〉後はその利用者は激減していた。その中で一日に何度もそこから出てくるブーンドックはとても目立っていたのだった。
「何度も死亡を繰り返すことに忌避感を持たないものが、望ましい人材なんでね」
「何をするつもりなんですか」
ブーンドックの問いを受け、レムミラスの方がそれに答えた。
「要するに、死亡カウンタのカンストを目指しつつ、世界の〈造物主〉とのコンタクトを目的としたギルドを立ち上げようと思っているんだ」
▼ 幕間 2
「さぁ、いよいよでやんすね」
「恵方良さん、大丈夫でしょうか」
「ブンさんは心配性だなあ。念話もあるし、心配しなくても大丈夫だって。むしろ、どんなところに行ったのか、早く知りたいねえ」
メンバーが口々に話している間にも、レムミラスは念話機能が使えるのか確認作業に入っていた。レムミラスの視界に彼が登録したフレンドリストが表示される。
「むう……。繋がらない。あいつめ、早速、海外サーバーに跳ばされたらしい」
「第一回目から海外サーバーかぁ。エボさん、くじ運いいねえ」
「事前にギルド登録しておいて良かったよ。今、ギルド・サーチ機能を試す……いたぞ」
フレンドリストに恵方良の名前が表示された。レムミラスの視線が宙を見据えたまま、片手が親指と小指を伸ばした受話器の形を作った。
「恵方良、どこにいる? ナニ、判らない? なんだそりゃ。何か見えるものくらいあるだろう。……それだけ? ゾーン名称も判らないのか? 他に……いやもういい。すぐにブーンさんが行くから、一〇分待ってろ」
レムミラスは念話を切った。
「どこに行ったんですか」
「よく判らない。どこかの砂丘か、砂漠らしい。オアシスがあると云ってる」
「ロンガ砂漠でやすか?」
「いや、海外サーバーだから、どこか別の砂漠だろう。少しくらい特徴的なものが見えないか見て見ろと云ったのに、あいつめ。これだから大雑把な右脳野郎は困る」
他に判っていることは天候は快晴、気候も砂漠特有の乾燥したものであるということだけだった。
「とりあえず防寒対策は必要ないようだ。それにしてもゾーン名称が読めないとは、どういうことだ」
通常、あるフィールドゾーンに入れば、〈冒険者〉はその場所についての概要を拡張現実に表示して読むことが出来る。最低でも地名くらいは判るはずだというのが、レムミラスの言い分だった。
だが、恵方良からの返事は「読めない文字で書いてあるんだよ」とにべもない。
「とすると、日本語の自動翻訳が追いついていないゾーンということになるね」とゼン=ゼン。
それは即ち、新しい拡張パックで追加されたゾーンである可能性が高い。通常、一回の拡張パックの実装では数百のゾーンが追加されるのが常なのだ。これは〈ノウアスフィアの開墾〉で追加されたゾーンのひとつなのだろうか。
「いいねいいね。本当に人類未踏のゾーンか。〈自決観測隊〉の一番乗りだよ。エボさん、やるなあ」
「だが、新しいゾーンには新しいモンスターもセットで登場するものだぞ。初回から変なクエストに巻き込まれるのも困る」
▼ 3
「やはり鍵は〈妖精の輪〉だと思う」
恵方良の個人ゾーンの中は俄然、作戦会議室の様相を呈し始めた。
「とりあえず〈造物主〉と云うことで呼び名を統一しておくが、それが何者だとしても、この世界を制御している場所はここから遠く離れている筈だ。死んだ〈冒険者〉を復活させたり、フィールド各所にモンスターを配置してアイテムや金銭を仕込んでおくなんて、自然に出来ることじゃない。どこかにそれをコントロールしている場所がある筈だ。ひょっとしたら日々、我々の行動をモニタすらしているかも知れん。我々は超越者の夏休みの宿題の課題として観察日記を付けられている蟻の群れも同然なのかも」
活気づいて話し始める恵方良を、レムミラスとブーンドックは床の上に座って見上げていた。
「脱線してるぞ」
「とにかく、この世界で遠く離れた場所に移動するならゲートを使うしかない。だが都市間トランスポート・ゲートは機能停止状態。使えるのは〈妖精の輪〉だけだ。そしてどうやら今までの接続スケジュールとは異なる仕様で動いているらしい。時刻表を告知も断りも無く勝手に書き換えるとはまったくもってけしからん」
「例の実装された拡張パックの影響かもな」
「〈ノウアスフィアの開墾〉でしたね」
「だが機能を停止していないと云うことは、何かしら理由があって動かされているのだと思う。多分、〈造物主〉の側でも止めてしまうと不都合があるのだろう。奴等もゲートを利用しているのかも知れん。それを使って、セルデシアの各所に出没しているのかもな」
「奴等って……いつの間にか敵扱いしているがいいのか」
「出没しているとは、どういうことですか」
「我々とまったく同じ姿形をしていながら、中身の異なる奴等がいるのかも知れん。我々の中に紛れ込み、日々の行動を観察し、我々が混乱して慌てふためいているのを見て陰でこっそり笑っているような奴等がどこかにいるのかも知れん。気をつけろ、貴方の後ろにいる人は本当に人間なのですかッ」
「どこの映画の話だ、そりゃ」
「まぁ、色々と仮定はあるが、遠隔地への移送に手っ取り早いのは〈妖精の輪〉であり、その機能を利用すれば、〈造物主〉の本拠地へ行けるのかも知れん。まず、その為には現在の〈妖精の輪〉の仕様を突き止めるところから始めねばならん。気の長い話ではあるが、千里の道も一歩から。とりあえず予備調査で既に幾つか判っていることはある」
「もう使ったんですか」ブーンドックは目を丸くした。
「何回かね。私とレムミラスで二日間だけ試したんだ」
◆
恵方良の説明によると、まず初日は五分の時間差を設けて〈妖精の輪〉に入ったのだと云う。ゲーム時代では五分おきに〈妖精の輪〉の接続は切り替わっていたが、今では五分が経過しても同じ場所に出るようになっていた。
「時間は砂時計で計った。〈大地人〉の雑貨屋で売買されてる単純な代物だよ」
「ゲーム時代は一日が二時間に短縮されていたが、今や一日は二四時間だからね。そこは予想通りと云うべきだった。接続時間は十二倍になっているようだ。もう少し人数がいれば確実に確かめられたのだけどね」とレムミラスが補足した。
一旦、〈帰還呪文〉でシブヤの街に帰ってきた二人は、翌日になって今度は一時間の時間差を設けて〈妖精の輪〉に入った。
「ほら、あの時刻を知らせる鐘があるだろう。大聖堂近くの寺院の。あそこの住職にも話を聞きに行ったんだよ。あの鐘は一時間おきに突いているそうだ。どうやって一時間の経過を図っているのかよく判らんが、〈大地人〉の時間感覚は我々より鋭いようだね」
「それで、まず鐘が鳴ってから恵方良が入り、次の鐘まで待ってから私が入った。今度は二人とも別々の場所に出てしまった。そして別々に〈帰還呪文〉を唱えてシブヤに帰ってきた。判っているのはここまでだ」
「何と云うか……チャレンジャーですね。最初に試した人みたいに帰って来られなくなったらどうするつもりだったんですか」
転送先によっては、ホームタウン設定を上書きしてしまう場所もあるのだ。その場合は〈帰還呪文〉は意味をなさなくなってしまう。
「その時はプランBに移行するつもりだったさ」と恵方良は軽く答えた。
もしホームタウン設定が書き換えられてしまった場合は、ヤマトサーバー内であれば徒歩で帰還する手段を模索する手筈だったという。同一サーバー内のフィールドにいれば念話機能が使用できるので、念話が可能なら何とかなると云ういささか安直とも云える考えである。恵方良もレムミラスも、レベルが九〇ある〈冒険者〉だからこそ成り立つような計画だった。
そして万一、念話すら通じない海外サーバーでホームタウン設定が書き換えられてしまった場合は、そこから〈妖精の輪〉を使った連続転移に移るつもりだったと恵方良は説明した。
「転移の都度、念話が通じるかを確認し、通じる場所に出るまで〈妖精の輪〉を使い続ければいい。そうやってヤマトサーバーのどこかまで戻ってきたら、あとは同じく徒歩での帰還を目指すわけだ。簡単だろ」
言うは易く行うは難しであるとは、ブーンドックには云えなかった。
「では、これを見てくれ」
恵方良は部屋の片隅にあった机の上から無造作にA1版サイズくらいの模造紙のような紙を取り上げて壁に掲げた。そこには縦が二四列、横が二八行もある大きな表が描かれていた。
「これが予想される〈妖精の輪〉の接続テーブルだ。一日二四時間、月齢によって変化していくので二八日分ある。マス目の数は二四かける二八で六七二となる。ひとつの〈妖精の輪〉毎にゲートの接続先は異なるので、〈妖精の輪〉の数だけこの表が必要になるわけだ。手始めに我々が調査するのは、一番手近なヤツとする」
「アレね」
「既に三ヶ所のマスは埋めた。残りは六六九だ。無論、季節やその他の要因で接続先が変わる可能性もあるので、ひとつを調べ尽くすのにどれだけ掛かるか判らんが、当面はこの表を埋めていくことを目標としたい」
それでも六六九もあるのだ、とブーンドックは独り言ちた。月齢が一周するまでに全てを調査できないだろうから、表をひとつ埋めるだけで数ヶ月はかかることになる。検証の為に再度、同じ転移を行うとしたら更にその倍だ。その間にホームタウン設定を書き換えられてしまえば、調査は一旦中断して帰還の為の長い旅が入ることになる。
「どうだ、暇つぶしには最適だろう。長く楽しめると思わないかね」
「恵方良さんて、きっと数独とかクロスワードとかのパズルが好きなんでしょうね」
ブーンドックの問いに恵方良は笑うだけで応えはしなかった。
「〈妖精の輪〉の転送先は都市間トランスポート・ゲートのように固定されていないので、逆向きに入ってもまた別の場所に転送されてしまうだけだ。よって、帰還には〈帰還呪文〉を使うのだが、これは各自一日に一回しか使えない。これでは効率が悪すぎる。出来れば一日の内に数カ所は探査したい。そこでブーンさんの方法を併用する」
「え。それはつまり……」
「死に戻りだよ」
「やっぱり」
「転送先の場所がどこなのか調査して、終わり次第、HPをゼロにしてホームタウンに帰還する。だが、死に戻りにはデメリットもある。装備したアイテムや所持金が取り残されて失われてしまうことだ。必要な装備を失うとその後の探査に支障を来す可能性もある」
「解決策はあるんですか」
「まず一人を残して、全員が死に戻る。残った一人が、取り残されたアイテムや所持金をかき集めて〈帰還呪文〉で帰ってくればいい。これを何度も繰り返すんだ。〈帰還呪文〉の使用者をローテーションを組んで決めておけば、一日の内に人数分の回数だけ探査を行える。大勢で行けばブーンさんも何度も死ねるぞ」
死ぬことに躊躇いは無い。しかし復活までの間に見るあの走馬燈のような、痛みの伴うビジョンに本当に皆が耐えられるのだろうか。ブーンドックには甚だ疑問だった。それに経験値が減少していくことについても不安なところはあった。
だが当面、仲間が出来ることに心強く感じるところもあるのは否定できなかった。
「探査行の途中で〈造物主〉と出くわしたり、現実世界に帰還できたりした場合には、計画はそこで終了だ」
「そうなる確率はものすごく低そうですね」
「しかしゼロとは云い切れないだろう? いつか馬が歌う日が来るかも知れない。誰に判る?」
それはブーンドックの知らない、何かの格言のような言葉だった。引用した恵方良は深く説明するでも無く笑った。
「その既に埋まっているマス目は、どこに通じているんですか」
「二度目の転送で私が行ったのは〈ヨコハマ〉だった。港を見下ろす庭園の中に出た。意外と近くて拍子抜けしたよ」と恵方良。
「私が行ったのは〈レッドストーン山地〉の山の中だ。〈大地人〉には一人も出会わなかったな。実は〈鋼尾翼竜〉が頭の上を飛び回っていたので早々に帰ってきたんだよ。営巣地が近くにあるに違いないが、一人では確かめに行けなかった」とレムミラス。
「最初にお二人で行ったところは?」
ブーンドックの問いに恵方良もレムミラスも口ごもった。
「あれは海外サーバーのどこかだったよな」
「うむ。北米サーバーだった。間違いない」
詳しく訊こうとするブーンドックに、恵方良はぽつぽつと語り始めた。
それによれば、初めての転送先はどこかの海岸に近い丘の上だったという。陰鬱な曇天に鈍色の海が広がり、遠く沖合いには奇妙な形の岩礁が見えたという。丘の下には寂れた漁村らしき集落がひとつだけあったと恵方良は語った。
五分後にレムミラスが追いついて来て、二人でそろって村まで降りていき、その手前で早々に〈帰還呪文〉を唱えてシブヤに戻ってきたのだった。
「あんな怖ろしい村には二度と行きたくないな」
「まったくだ」
「何がそんなに怖ろしかったんですか。よく判らないです」
「君、最初に道を尋ねた〈大地人〉の村人の顔が、平たくて目が飛びだしたようなカエル顔だったらどうするね」
「おまけに村の方から、何やら呪文の詠唱みたいな声が聞こえたんだ。いあいあ、とね」
「賭けてもいいが、奴等は邪神を拝む半魚人の子孫だぞ。夜までいたらどんな目に遭っていたことやら。くわばらくわばら。村の中に一歩でも入った瞬間にホームタウン設定が書き換わって、脱出不能なイベントに強制的に参加させられていたに違いない」
「話には聞いていたが、本当にあのフィールドが実装されていたとは」
「と云うか、それがリアルに再現されていることが驚きだ」
「まさかあのフィールドのイベントにはアレが出てきたんだろうか」
「レイド・ボスとしては最低だな」
「云うな。SAN値が下がる」
口々に感想を述べ合う二人に、ブーンドックは首を傾げた。表のマス目には×印が付けられていて、書き込まれた地名の表記が読めなくなりかけていた。
「マサチュ 州 ン マス……?」
◆
「さて、そうなるとギルド名を考えねばならんな」とレムミラス。「今日はそれだけ決めたら寝よう。もうかなり遅い時刻だ」
「そうだな。とりあえず案だけ出しておこう」
「三人だけのギルドなんですか?」それはかなり零細なギルドだなとブーンドックは思った。
「繰り返し死ぬことが前提のギルドだからね。そんな酔狂な計画に参加したがる奴は多くないだろ。個人的にもうひとり心当たりはある。どうせギルドを結成したら、アキバの街まで行かねばならんし、そこで落ち合えるはずだ」
ギルドを結成しておけば、例えどんなに離れたサーバーにいても、メンバー同士はギルド・サーチ機能で念話を交わすことが出来る。〈妖精の輪〉探索に出る前に、パーティがギルドを結成しておくことは、それなりに有用なことだと思われた。
「研究目的のギルドだからな。〈究理院〉なんてどうだ」
「院。零細ギルドほど大仰な名前を付けたがる例の典型だな。却下」
「じゃあ、代案があるのか」
「こんなのはどうだ」
レムミラスは手にしていた魔法鞄からスケッチブックを一冊取り出した。
「サブ職が画家なものでね。いつも持ち歩いているんですよ」とレムミラスは断りを入れてから、頁を開いた。恵方良の構想を聞いてから、ギルドのトレードマークになる図案を幾つか考えていたのだと云う。
開かれた頁には望遠鏡で遠方を伺う〈冒険者〉らしい人物のシルエットがデザインされていた。背景には〈妖精の輪〉らしいシルエットも見て取れる。その下にはアルファベットのFが四つ並んでいた。
「探査を行うギルドだから構図は理解できるが、その下のFは何だ」
「ギルドのもう一つの目的が死亡カウンタのカンストだと云ったろう。二バイトの数値は四桁の十六進数で表示できるんだ。業界の常識だよ。十六進数のFは、十進数の九と同じで一桁の最大の数字だ。即ち、四桁のFで六万五千五百三十五を表しているわけだ」
「だから?」
「〈F.F.F.F〉と云うのはどうだ」
「そんな大手のギルドにケンカ売るような名前が認められるか。却下」
ブーンドックが控えめに手を挙げた。
「そのぉ、素直に行動内容を表せばいいのでは。探検隊とか、調査隊とか」
「ああ、それはいいな。探検、調査……。その図柄のイメージだと観測隊と云うのが当たってそうだ」
「死に戻りする観測隊か。自殺観測隊とか」
「縁起でもない。せめて自決と云え」
「〈自決観測隊〉。いいじゃないですか」
それ以上は、どこからも異議は出なかった。
◆
その晩、ブーンドックはレムミラスと共に恵方良の個人ゾーンに泊まることになった。特に寝具も何も無い、堅い床の上での雑魚寝であるが、雨露がしのげるだけでも有り難かったし、廃墟のビル内に寝泊まりするよりも何倍も快適だった。〈冒険者〉の肉体は頑健すぎて、この程度では風邪一つ引かないのだ。
この部屋は恵方良個人のアイテム保管庫の意味合いが強く、特に身体を休めるような家具の類が少ないこともあって、全員が床の上での雑魚寝となったわけだが、今後の生活のことも考えるとゾーンを拡張したり、ギルド本部としての体裁を整える為に、幾つかの家具の購入も検討しなければならないだろうとは云われていた。
明け方、ブーンドックは静かな着信音を耳にしてふと目を覚ました。それは予め設定しておいた固有の念話着信音だった。恵方良やレムミラスには聞こえておらず、二人はまだ静かな寝息を立てている。
視界にフレンドリストを表示する。点滅しているのはブーンドックの数少ない友人の一人だった。
寝転んだまま身体を傾け、右手を側頭部に当てる。親指と小指を伸ばし、拳が耳から口元にかけた受話器の形を作ると、そのゼスチャーで念話が繋がった。
「悪い。起こしたか」
疲れた男性の声がした。非常識な時間帯に念話をかけたことを申し訳なさそうに詫びる声の主が、恐らく一睡も出来ていないことをブーンドックは知っていた。その理由も判っているだけに、ブーンドックは相手を責める気持ちにはなれなかった。
しばらく小声で会話を交わして気持ちが落ち着いたのか、声の主はまた何度も侘びながら念話を切った。既に窓の外では空が白み始めており、その時間からシブヤの街は目覚め始めていた。〈大地人〉の生活は朝が早いのだ。
静かに身を起こして溜息をつくブーンドックの背後で、レムミラスが身じろぎした。
「おはよう」
「すいません。起こしてしまいましたか」小声でブーンドックは謝罪した。
「いや。朝は早い方でね」レムミラスの声も抑えられていた。「知り合いから?」
「ええ。リアルでも友人な奴で。今はナカスにいるんです」
念話の相手は古い友人であり、彼よりもゲーム歴の長いプレイヤーだとブーンドックは説明した。そして〈エルダー・テイル〉を彼に紹介してくれた先輩でもあるのだとも。
「聞くともなしに聞いてしまったのだが……その御友人も現実世界への帰還の為に死に続けているのかな」
「ええ。僕よりもっと切迫した理由があって。奴は奥さんと一緒にこっちの世界にいるんですよ」
「夫婦で〈冒険者〉なのか」
「こっちの世界で知り合って、エルダー婚したんです。式と披露宴はこっちと現実で二回ずつやりました。僕はその両方に出席したんです」
セルデシアで知り合い、親しくなり、互いにリアルの世界でも顔を合わせ、そして結婚にまで漕ぎ着けるプレイヤー・カップルがいることはレムミラスも知っていた。そのような結婚のことは、〈エルダー・テイル〉の名を取って「エルダー婚」と呼ばれていたが、同様の事例は別のオンラインゲームでも時折見受けられることだった。
「最初は遠距離恋愛を貫くのが大変でした。ゲームの中では同じホームタウンでも、現実に住んでいる地方が北と南に離れすぎてて。でも、あいつはそれをやり遂げ、相手方の御両親も説得して式を挙げて、新居を構えて奥さんと暮らし始めたんです。子宝にも恵まれましてね。でも出会いがゲームの中だったんで、結婚してからも二人でログインするのは変わらなかった……」
そして夫婦そろってログインしている最中に〈大災害〉に遭遇したのだった。
「僕の場合はまだ一人だからいい。子供には妻が付いていてくれている筈ですから。でも、あいつの場合は……」
「御夫婦で共にこちらにいるのなら、お子さんのことが心配だろう」
「この数日、奥さんは半狂乱だそうです。下のお子さんはまだ小さくて」
「気の毒に」
「何度死んでも復活してしまうんで、あいつも相当、参ってました。何とか力になれればいいのですが、僕自身も元に戻ることができずにいますし……。でも、レムミラスさんのことを話すと少し落ち着いたようでした」
「私の?」
「はい。夕べのあの話ですよ。六万五千五百三十五回目でカンストするってやつ」
「あれを話しちゃった? 仮説なのに」
「それでも数値目標が出来たんで楽になったようです。あいつ、リアルじゃ営業マンですから」
複雑な面持ちでレムミラスは低く唸った。数字が一人歩きしなければ良いがと願わずにはいられなかった。
「所帯持ちは辛いな」
「レムミラスさんは、独身なんですか」
「ああ。この歳になるまで縁が無くてね。こいつもそうだが」レムミラスは顎をしゃくってまだ目を覚まさない恵方良を示した。
二人とも婚期を遥かに過ぎた気楽な独身生活なのだという。妻子もなく、親も既に他界し、親類とは滅多に顔を合わさない。都会の片隅で孤独死まっしぐらな生活さとレムミラスは自嘲した。
「きっと今頃、現実世界の私の身体は精神の抜け殻状態でモニタの前に突っ伏しているんだろう。誰にも発見されずにな。ぼちぼち衰弱し始めているんじゃないかな。君の場合は家族がいるから、まだ病院に担ぎ込まれて助かっているのかも知れないね」
「このまま現実世界への帰還が遅れたら、元の身体はどうなってしまうんでしょう」
レムミラスが答えられないでいると、床の上で恵方良が唸りながら声をあげた。
「可能性としては、だな」
「なんだ。起きてたのか」
「うむ。今、起きたところだ。原因不明の昏睡状態が続いて、第三者に発見されない限り衰弱死すると云うのがひとつ。もうひとつは時間経過が一切無いというパターンも考えられる。セルデシアで何年過ごそうと、現実世界に帰った瞬間、実は時間は一秒たりとも過ぎていなかった、とかな」
「希望的観測だろう」
「今の我々には判りようもないことだ」
「でも二番目の可能性の方だと信じたいですね」
「そうだな」
だが恵方良は、三つ目の可能性があることは口にしなかった。その前に、腹の虫が盛大に音を立てて会話を遮ったからだった。
恵方良は大きくあくびしながら首筋をボリボリ掻いて宣言した。
「腹が減った。朝飯にしよう」
そのあまりに残念な姿は、レムミラスでなくとも目を覆いたくなるほどだった。黙って立っていれば、恵方良はそれなりの大正浪漫な和服美人なのだ。中の人さえしっかりしていれば。
「なんかもう……色々と台無しだよ、お前」
◆
個人ゾーンを出ると、階下の食堂で三人は朝食を摂った。店舗の中のテーブルではなく、表の通りに出された席に陣取っていると、五月の爽やかな風が吹き抜け、シブヤの街を行き交う〈大地人〉達の営みを観察することが出来た。
「〈冒険者〉のいいところは、まったく着替えなくても服が汚れたりしないことだな」
「着崩れてる。そこは直してくれ」
レムミラスの注意も馬耳東風の如く聞き流し、恵方良は自分の手の匂いを嗅いだ。
「しかも一晩経つと汚れも修復される。エントロピーの法則に反しているが、風呂に入らずに済むというのも有り難いことだ。何故、垢だらけにならないのだろう」
「〈造物主〉を見つけたら、そこは百万遍も礼を云っとけよ。お前みたいなリアルで不潔なオヤジがそんな別嬪でいられるんだからな」
「自動的に手が綺麗になるのも素晴らしい。この世界はトイレットペーパー要らずだな」
「頼むから食事中にそんな話はしないでくれ。ただでさえ不味い飯がますます不味くなる」
「だがお前だって手で拭くと云ってたじゃないか」
「エルフはトイレに行きませんッ」
「何を云っとるんだお前は」
「ブーンさん、こいつの云うことに耳を貸すな。さっさと食ってしまおう。今日はアキバの街まで行かねばならんのだからね」
レムミラスはそう云って味のしない朝食を無理矢理、口に掻き込んだ。それはあまりエルフらしからぬ食べ方ではあった。
▼ 幕間 3
そのまま一〇分が経過し、二番手のブーンドックが〈妖精の輪〉に入った。無事に同じ場所に転移したと、今度はブーンドックの方から連絡が入った。
まずは一〇分間の接続維持が確認できて、レムミラスは胸をなで下ろした。
しかしそれでも場所の特定には至らなかった。
ブーンドックの報告によると、確かに周辺地域の設定画面には外国語が表示されるらしい。
「アルファベットをそのまま読めないのか」とレムミラスが訊いても、無理だった。
「どうして?」とゼン=ゼン。
「文字がアラビア語らしい」
「中東サーバーかぁ。あまり行ったことないんだよなぁ」
ブーンドックの報告でも、転送先のゾーンのイメージは掴みづらかった。とりあえずホームタウンの登録変更はないようである。
一応、観察報告によると、周辺は無人で、砂漠とは固い岩盤の広がる荒涼とした礫砂漠では無く、砂丘の連なるいわゆる砂砂漠だと云う。
「サハラ砂漠みたいなものでやすかね」
「そうらしい。しかしサハラはアフリカだしな。中東の砂砂漠と云うと……どこだ」
「ルブアルハリ砂漠かな」ゼン=ゼンが博識なところを披露した。「こりゃ、いよいよ楽しみだねえ」
続いて三番手に雲隠仁左が〈妖精の輪〉に入る。再び、転送が無事に行われた旨の連絡が入る。転送先への接続は依然として維持されていた。
更にもう一〇分が経過し、四番手のゼン=ゼンに順番が回ってくる。
気軽に手を振ってゼン=ゼンは〈妖精の輪〉に入っていった。すぐに先方で待機していたブーンドックからの念話が入った。
「ゼンさんが来ました。異常なしです」
「良かった。それじゃまた一〇分したら私も行く」
「了解です。恵方良さんが待ちくたびれています」
「待てと云っておいてくれ。ギルド・マスターのくせに辛抱の足らん奴だ」
几帳面に時間を計測し、探索開始四〇分後にレムミラスも〈妖精の輪〉の中に足を踏み入れた。軽いエフェクト共にレムミラスの姿も消失した。
▼ 4
シブヤからアキバまでは最短で四つのフィールドゾーンを経由して辿り着ける。何度もゲームとしてプレイしたことのあるブーンドック達にとっては、勝手知ったる道程であった。
「最初の内は結構、経験値稼ぎの為に行き来したことがあったのに、いつの間にやらトランスポート・ゲートばかり使うようになって、この道を通るのも久しぶりだな。なんか新鮮だ」
「暢気なことを云ってる場合か。どんどん沸いてくるぞ」
レムミラスが指す方向から〈毒毛蜘蛛〉の群れがわらわらと近づいてくる。
現実となった〈エルダー・テイル〉の世界での戦闘には、以前までは感じられなかった肌で感じる臨場感があった。そのリアルすぎるモンスターの造形には恐怖すら覚える上に、自分の身体を動かして対応しなければならないので戦闘のタイミングを計るのが難しい。アイコンをクリックしたり、コマンドをキーボードから打ち込んで一連の動作を行うわけにはいかないのだ。
だが、都会であるアキバやシブヤに近いフィールドゾーンに出没するモンスターのレベルはそれ程高くはない。恵方良もレムミラスもブーンドックも、九〇レベルに達しているので心配ないとは云え、群がる〈毒毛蜘蛛〉がプスプスと飛ばしてくる毒針は鬱陶しいものだった。
「うーむ。眠い……」
「こらこらこらッ。毒使いが毒を喰らってどうする!」
慌ててレムミラスが〈バーニングバイト〉を発動させ、寄ってくる〈毒毛蜘蛛〉の群れを焼き尽くした。本来ならもっと深刻な状態異常を引き起こす〈毒毛蜘蛛〉の毒針だが、〈妖術師〉で毒使いの恵方良の毒物耐性は、それを眠気を催す程度に引き下げているらしい。
「いやぁ、レベル二〇のモンスターとは云え、侮れんなぁ……」
「寝るな、こら!」
「でもブーンさんが頑張ってくれているから大丈夫じゃないか」
恵方良がトロンとした眼で視線を向ける先では、逞しい白面の〈暗殺者〉が巨大な処刑刀を振り回して〈人食い草〉を蹴散らしていた。戦闘前にレムミラスがかけた〈ハートビートヒーリング〉の脈動する淡い輝きに包まれ、恵方良が施した毒属性の強化により処刑刀の一撃は擦るだけでも即死に近い大ダメージを与えている。
ブーンドックの活躍によって〈人食い草〉の群れも片っ端から屠られていった。猛毒の処刑刀によって、瞬く間に茶色くしおれ、枯れて倒された〈人食い草〉は光を放って分解されていく。あとには幾ばくかの金貨となにがしかのアイテムが残されていた。
以前からあったゲームの仕様通りであるが、目の当たりにすると違和感を覚える光景である。
現実世界では死んだ生き物は血を流して横たわるのみであり、放置すれば腐敗し、異臭を放ち、最終的には白骨化していく。存在していた証を何も遺すことなく消滅する有様は、どんなにリアルに感じられても、それが自然の摂理に反するものだと云う思いを強くさせた。
そしてそれは〈冒険者〉についても同じだった。
レムミラス自身はまだ見たことは無いが、ブーンドックの話によれば〈冒険者〉のHPがゼロになるとゲームの時と同様に、〈冒険者〉の身体も光と共に分解されるらしい。そしてそのまま大聖堂送りとなるわけだ。自分もいずれその時が来ればそうなるのかと考えると、何とはなしに微妙な心持ちになるのだった。
その一方で、モンスターではない一般的な鳥や獣や魚は、狩ればそのまま死体となって残る。何もかもが光と共に分解されてしまえば、毛皮や肉をそこから得ることは適わなくなるので当然ではあったが、レムミラスには〈冒険者〉もまたモンスターの一種なのだと思われてならなかった。
──〈大地人〉から見れば、同じようなものだしな。
この世界の真っ当な継承者はおそらく〈大地人〉なのだろう。
「所詮、我らもまた〈かりそめの客〉か……」
次々に消えていく〈人食い草〉と〈毒毛蜘蛛〉を見送ってレムミラスは独り言ちた。
「なんか云ったかぁ」
「寝てろ。もう戦闘は終わったよ」
◆
恵方良が目を覚ますと、そこは既にアキバの街だった。ギルド会館の一階エントランスホールに並んだベンチに座っているところで目覚めたのだった。開かれた正面玄関のドアからは、表通りを沢山の〈冒険者〉が行き交っているのが見えた。
この街にいる〈冒険者〉の数はシブヤの街の比では無い。ここはヤマト・サーバー有数の大都会であり、多くの〈冒険者〉のホームタウンなのだ。
ギルド会館を出入りする〈冒険者〉や〈大地人〉もまた大勢いたが、「活況を呈する」と表現するには、いささか雰囲気が悪すぎた。誰も彼もが下を向き、用を済ませると足早に通り過ぎていくだけである。街の通りにはそこかしこにやる気の無い〈冒険者〉が座り込み、ギルド会館の中にもそれは見受けられた。
数日前まではシブヤに溢れていた帰宅困難者を思わせる〈冒険者〉の集団が、ただ単に場所を移してアキバにいるだけのように感じられた。実際、その通りだったのだろう。
葬儀の通夜の席であるかのように沈んだ雰囲気のギルド会館の中で、時折、誰かと誰かが言い争いどなり散らす声が聞こえたが、騒ぎは拡大することなく、やがてまた場は静まりかえった。
本格的な喧嘩になりようが無いことは〈冒険者〉ならばよく知っていることだ。プレイヤータウンのフィールド内で暴力沙汰や刃傷沙汰が発生すれば、直ちに強力無比な〈衛士〉が出現して強制的に排除されてしまうのだから。
だが、沈み込んで動かない人がいる一方で、盛んに活動している人達も存在した。それはギルドへの所属を勧誘する一団だった。どのギルドにも所属していないソロ・プレイヤーを見つけるや、己がギルドへの所属をしつこく勧めてくるのだと云う。
大きな異変の後であるだけに、集団に所属したいと考える人が出てくるのは自然なことなのだろう。寄らば大樹の陰とも云う。各ギルドの方でも少しでも人員を増強しようという考えでいるのは明らかなようだった。
「お前が寝ている間に、こっちは大変だったんだぞ」とレムミラス。
それはまるで大学に合格した新入生を確保しようとする様々なクラブの勧誘合戦の様相を呈していたそうだ。大通りに出て行けば、街角の至るところに大手や中規模のギルドへの所属を募集する勧誘者が立っているのだとレムミラスは語った。
「ほれ。目が覚めたらさっさと窓口に行って、ギルド発足の申請をしてこい」
「窓口業務は平常通りなのか」
「そこは変わりが無いようだな。〈大地人〉による営業には支障がないらしい」
「うーむ。何だか身体中が痛い」
「引き摺ってきたからな」
「ひどい」
「戦闘中に眠りこける奴には相応の措置だ。ブーンさんが体格良くて助かったよ」
恵方良が窓口で手続きをしている間、レムミラスは誰かに念話をかけていた。話が終わるとレムミラスはブーンドックが待っているベンチまで戻ってきた。
「連絡が付いた。すぐにここへ来てくれるそうだ」
「お知り合いですか」
それは昨夜、レムミラスが云っていた、仲間になってくれそうなもうひとりの〈冒険者〉なのだと云う。
「その方もソロ・プレーヤーなんですか」
「ああ。ゲーム歴も我々よりずっと長い。多分、最古参の一人だろう。以前、ベータ版のプレイヤーに応募して落選したこともあると聞いたことがある」
〈エルダー・テイル〉の歴史はもう二〇数年余になる。ベテラン・プレーヤーでも初心者でも楽しめる奥の深さが衰えぬ人気となって、初版のリリース以来、度重なるバージョンアップを経て現在の仕様に至っていた。
レムミラスの言葉通りなら、その〈冒険者〉はブーンドックなど足下にも及ばない超ベテランであるらしい。
「我々とは年季のかけ方が……。おお、あれかな。早いな」
ブーンドックが顔を上げると、丁度ギルド会館の正面入口から一人の〈冒険者〉が入ってくるところだった。左右を見渡し、即座にレムミラスを認めて片手を上げた。
「やあ」
ブーンドックは素早くフォーカスを合わせてステータス画面に目を走らせた。
ゼン=ゼン。武闘家。レベル九〇。無所属。
変わった名前のその〈武闘家〉は、しかしまったく武闘家らしからぬ風体をしていた。
「なにそれ。時季外れのサイバーパンクか」とレムミラスが評したように、ゼン=ゼンはほぼ全身黒ずくめだった。
黒のロングコートに、黒いシャツとズボン、レザーブーツも黒く、メタリックなサングラスまで掛けている。腰に巻いたベルトからは様々なツールが見え隠れしていた。
「いや、ほら。仮想空間での冒険というとコレでしょう」
くるりとターンして見せると、コートのすそが広がり、〈武闘家〉らしくカンフーの構えを披露したゼン=ゼンは突きだした片方の拳を開いて指で手招きするポーズを取って見せた。
「どう?」
「キアヌっぽい」とレムミラス。
嬉しそうに微笑むゼン=ゼンの様子からは〈大災害〉を気にしている素振りは微塵も感じられない。むしろ楽しんでいるかのように見受けられた。
「サングラスをローデンストックぽく加工するのに苦労しました。随分前に作るだけ作ってタンスに仕舞っていたんだけどね、久しぶりに着替えてみました。当分はこのスタイルで行こうと思う」
レムミラスの紹介でブーンドックはゼン=ゼンと挨拶を交わした。サブ職業は測量士であると云う。
「〈武闘家〉で測量士と云うのも珍しいですね」
「ソロ・プレイが多いとね、自分でフィールド・データを集めて攻略することが多くなっちゃって。幾つかサブ職を試して以来、あとはずっと測量士ですよ。まぁ、今度の計画にはむしろ都合がいいでしょう」
ゼン=ゼンの口ぶりからは、既に恵方良とレムミラスの計画のことは承知しているらしい。新たに発足するギルドに参加することも了承済であることが伺えた。
「それでエボさんは?」
ゼン=ゼンが尋ねると、レムミラスは窓口で手続き中の恵方良の後ろ姿を指した。ゼン=ゼンは大きく肯く。
「あれ。エボさん、どうしちゃったの。モニタ越しに会ってたときは、結構凛々しいハイカラさんだったのに、なんかリアルに見るとかなり残念感が漂っているような……」
「内面が滲み出てるんだろう」
「と云うか、ボロボロに見えるんですけど」
クールで堅いイメージのゼン=ゼンだったが、話し言葉は非常に気さくで、サングラスをずらせて上目遣いに恵方良の方を見る仕草は茶目っ気たっぷりだった。
「お。手続きが終わったようだな」
窓口のところで恵方良が手招きしていた。ギルドの発足手続きが終了したので、各自がそれに所属する手続きに来いと呼んでいるのだった。
その時、エントランス・ホールでちょっとした騒ぎが持ち上がった。
物凄い勢いで一人の〈冒険者〉が血相を変えて飛び込んできたのだった。その場に居合わせた数人の〈大地人〉や〈冒険者〉にぶつかり、また飛び越えて避けながら、その闖入者はギルド会館の窓口の方へ突進していく。
たまたまその行く手に立っていた恵方良は、避けることなく正面から衝突してしまった。
何事かとブーンドック達が呆気にとられていると、後を追ってきたのか更に数人の〈冒険者〉がギルド会館に駆け込んできた。
「いたぞ。あそこだ」
「君、待ってくれ」
追われていた〈冒険者〉はそのとき、窓口業務に立っていた〈大地人〉担当者の言葉に振り向き、咄嗟にカウンタに向き直ると早口で何事かを叫んだ。
軽いチャイムの音が鳴って、ギルドへの所属手続きが完了した。
追われていた〈冒険者〉は両手を上げて追っ手に勝ち誇ったような笑みを浮かべた。
「残念でした。もう無所属じゃありませんぜ」
追ってきたのはレムミラスが語っていた大手ギルドの勧誘員だったらしい。残念そうに舌打ちしながら、やがてぞろぞろと引き上げていった。
入れ替わりにレムミラスらが窓口の方に寄ってくる。
「いや、助かりやした。あいつらしつこいのなんのって。お姉さん、大丈夫ですかい」
その〈冒険者〉はどう見ても時代劇の渡世人だった。ゼン=ゼンのスタイルも変わっていたが、こちらもまた相当に珍妙である。〈エルダー・テイル〉には選択可能な衣装が豊富にあるとは知っていたが、ブーンドックにはそういった〈冒険者〉を間近で見る機会は少なかった。
雲隠仁左。盗剣士。レベル九〇。〈自決観測隊〉。
ブーンドックの視界に映るステータス画面の向こうで、丈の長い縞の合羽に三度笠を持った〈盗剣士〉が恵方良を立ち上がらせようと引き上げていた。脚絆を巻いて草鞋を履いているのも本格的である。帯に差した長脇差しの柄が合羽の合わせ目から覗いていた。
しかもステータス画面には早速に、所属ギルドは〈自決観測隊〉と表示されている。
サブ職業も間違いなく渡世人である筈だ。それ以外のものである筈がない。
「どちらさん?」とレムミラスが尋ねると、渡世人は素早く向き直り、腰を落として、手の平を上に片手を突き出した。
「お控ェなすってお控ェなすって」
「お、おう?」
レムミラスもまた反射的に腰を落として同じポーズを取る。
「早速、お控ェ下すってありがとうさんでござんス。手前ェ、粗忽者ゆえ、前後間違いましたる節は、まっぴらご容赦願います。向かいましたるお兄いさんには、初のお目見えと心得ます。早速ながら、この場で三尺三寸借り受けまして、稼業、仁義を発します」
それはまるで任侠映画さながらの渡世人の口上だった。いや、任侠映画そのものである。こういう場合の作法に疎いブーンドックであったが、レムミラスは即座に対応していた。
「手前ェ、生国はヤマトサーバー、〈自由都市同盟イースタル〉はアキバでござんス。稼業、縁持ちまして狼牙族は〈盗剣士〉。姓は雲隠、名は仁左。レベルは昨今の駆出し者でござんして、とかく西へ行きましても東へ行きましても、土地土地のお兄さんさんお姉さんにはご厄介かけがちなる若造です。以後、万事万端、お願いなんして、ざっくばらんにお頼り申します」
「ありがとうございます。ご丁寧なるお言葉、申し遅れて失礼さんにございます。手前、当ギルドのマスター〈妖術師〉恵方良に従います若い者でございます。姓なく、名はレムミラス。稼業、エルフの〈森呪遣い〉でございます。レベルも未熟の駆け出し者。以後、万事万端、宜しくお頼り申します」
「ありがとうございます。どうぞお手を上げなすって」
「そちら様からお手を上げなすって」
「ありがとうございます」
「ありがとうございます」
「何コレ」傍らで恵方良が呆然と呟いた。ギルド会館の窓口の前で繰り広げられる三文芝居に、行き会わせた〈冒険者〉達が好奇の視線を向けていた。
◆
「いやぁ、初めてですよ。あっしの口上にきちんと対応してくれた人は」
雲隠仁左は上機嫌で何度もレムミラスに礼を述べた。レムミラスは「任侠映画はちょっと観たことがある程度で」と軽くいなしたが、ブーンドックはこの人は相当な映画マニアなのではないかと考えていた。
それにしても何故、無関係な〈冒険者〉があっさりとギルドに入会できてしまったのか、レムミラスには不思議だった。
通常、ギルド入会手続きにはギルドマスターの許可が必要である。ギルドへの入会が誰にでも出来てしまうと、無秩序にギルド構成員が増えてしまい、コミュニティとして成り立たなくなってしまうからだ。
退会は本人の意思のみで出来るとしても、入会にはギルドマスター本人か、ギルドマスターが権限を委任したプレイヤーの許可が必要の筈だ。
その点を正してみると、原因は恵方良にあった。
この無精なギルドマスターは、ひとりずつ承認するのが面倒だと云う理由で、一括承認すると窓口担当者に告げたのだった。これから窓口に立って入会を希望する〈冒険者〉全員を入会させるとギルドマスター自身が認めてしまっていたので、雲隠仁左は簡単に手続きを行えたのだった。
ギルド会館の〈大地人〉担当者は、恵方良の望むとおりの手続きを遂行したに過ぎない。仁左の入会は事故に近いとは云え、レムミラスは無関係なメンバーの増加を憂慮していた。
しかしそれ以上、ギルド会館のホールで揉めているとますます見世物になっているようで居心地が悪くなる一方だったので、とりあえずその場の全員が発足したてのギルド〈自決観測隊〉への入会登録を済ませ、一時的に会館内の会議室ゾーンを借りて皆でそこに引っ込んだのだ。
仁左は盛んに「判ってくれる人」がいたことを喜んでいる。彼もまた〈冒険者〉レベルは九〇で、先程の口上で「駆け出し者」だと云ったのは、単なる謙遜のようだ。
互いに簡単な自己紹介を済ませると、このメンバーのプレイヤーは全員が社会人の成人男性であることが判った。詳しい年齢までは定かではないが、恵方良やレムミラスは中年男性であり、ゼン=ゼンもそれに準じる年齢のようだ。あるいは更に年長と云う可能性もある。
しかしどうやら妻帯者はブーンドック一人のようであった。そもそもこの場にいるのは、オンラインゲームの熱心なプレイヤーで、新たな拡張パック導入時にログインして待ち受けていた輩なのだから、独身者の比率が多くなるのは当然だったのかも知れない。
「それでその、仁左さんはなんで追いかけられていたのかね」
恵方良が尋ねると、雲隠仁左は大手ギルドの強引な勧誘から逃れる為だったのだと頭を掻いた。
世界に異変が生じてからのアキバでは、シブヤやその他のフィールドに出ていた〈冒険者〉らが帰還してきて、混雑を極めているらしい。そんな中で、無所属のプレーヤーが己の身を守る手段として有力なギルドを頼り、また各ギルドの方でも人員の増強を図って拡大戦略を採っているところが多いというのは、レムミラスも先刻見聞きしたばかりだった。
「ところがギルドによっちゃあ、新しくメンバーにした新参者からアイテムを巻き上げてるンでさァ。非常事態だから共有財産として供出しろってね。中にゃ身ぐるみ剥がれて泣き寝入りしている初心者プレーヤーもいるって話ですぜ」
「確かに、街の雰囲気は悪くなってるな」とゼン=ゼンも肯いた。
現実世界への帰還が出来なくなったことで、プレイヤータウン内の各種商店ではアイテムの買い占め騒動まで発生したらしい。現実世界でも災害時に略奪騒動が発生するのと似たようなもので、パニックに陥る〈冒険者〉も少なからずいたとゼン=ゼンは語った。
その上、アキバの外のフィールドでは、プレイヤーがプレイヤーを遅う略奪行為や、奪うだけでなく殺してしまうPKと呼ばれる悪質な戦闘までが横行し始めているらしい。幾ら殺されても復活するとは云え、略奪された上に殺されて面白く思う者などいる筈がない。
「シブヤはそこまで酷くは無かったがなぁ」
「人が少なくなったからな。ほとんどアキバに出て行って、残っているのはソロ・プレイヤーと〈大地人〉くらいだもの」
「しばらくはアキバには寄りつかない方がいいのかもな」
「とりあえず用は済んだし、メンバーも集まった。ギルド会館の銀行にアイテムを預けている者は、今のうちに引き出しておいた方がいいぞ。当分、アキバには戻ってこないから。以後、〈自決観測隊〉はシブヤに拠点を置いて活動することになる」
レムミラスはそう宣言してから、仁左の方を見た。
「仁左さんはどうするね。強引な勧誘を断る口実だったのだから、もう退会しても構わないが」
「いやいや。無所属のまま外へ出たら、また連中に目を付けられてしまいやす。シブヤまでお供させておくんなさい」
「そりゃ構わんが、このギルドの活動はかなり特殊だよ」
かいつまんで恵方良が説明したが、仁左の気持ちは変わらないようだった。
「あっしも今のレベルになるまで、何度も死んじゃあ復活しておりやす。今更、そんなことにビビッてちゃ雲隠仁左の名が廃るってもんでさァ。それにレムミラスの旦那は、あっしの口上を判ってくれた数少ない御仁だ。これも何かの縁。お手伝いさせておくんなさい」
〈エルダー・テイル〉がゲームだったときに死ぬのと今とでは、状況も随分と異なるし、何より復活する際に見てしまうビジョンは相当の精神的苦痛を伴うのだがとブーンドックは心配になった。
このメンバーの中で、それを体験しているのは自分だけらしい。果たして〈自決観測隊〉はどこまで活動出来るものだろうか。
恵方良には恵方良なりの目的がある。レムミラスには自分と同じく死亡カウンターの上限を目指す動機がある。だがこの雲隠仁左はどうなのだろう。
そこまで考えて、ブーンドックは隣に座っているゼン=ゼンのことも心配になった。如何にベテラン・プレイヤーと云えど、強い動機が無いと長続きはしないのではないか。
恵方良とレムミラスが仁左に〈妖精の輪〉探索のレクチャーを始めたので、その間にブーンドックは小声でゼン=ゼンにそれとなく尋ねてみた。するとミラーグラスの〈冒険者〉は薄く笑った。
「僕もね、もう復活を試したんだよ。どうってことないさ」
さすがにベテラン・プレイヤーはチャレンジャーであるというべきなのか。ブーンドックはあの走馬燈のようなビジョンを一笑に付すゼン=ゼンに軽く驚いた。
「なに、死ぬことはそれほど怖くはない。誰だっていつかは死ぬ。ここで練習しておくのも悪くはないだろ。それに当面することもないし、エボさんの計画はなかなか面白そうじゃないか」
「あまり強く現実世界に帰りたいとは思っておられないようですが」
「そうだねえ……。どうせ帰っても病院の中だしなぁ。ベッドの上から動けるわけじゃなし。僕はどちらでも構わないねえ」
呟くようなゼン=ゼンの言葉にブーンドックは二の句が継げなかった。一瞬、ミラーグラスの下に浮かんだ微笑はあまりに虚無的で、それ以上踏み込んで訊くべきではないと感じられ、ブーンドックはそのまま黙り込んでしまった。
◆
その後、五人となったギルド〈自決観測隊〉はアキバでの準備を済ませ、シブヤに向かって出発した。途中、数回のモンスターらとの遭遇はあったものの、人数が増えたこともあり、往路に比べて遥かに楽な戦闘で済んだ。九〇レベルの〈冒険者〉五人のパーティでは、アキバ周辺のフィールドで苦戦することなどあり得ないと云ってよい。
幸いにして、悪質なPKを企む集団にも出くわすことも無く、彼らはシブヤに帰り着いた。
〈自決観測隊 前編〉