20120311:あの日から考えた事
一年過ぎたんですね。
私の居る広島では、テレビやネット等の媒体を通じてしか、地震を知る事はありませんでした。
幼稚園にずっと詰めていたので、気付いたのが6時半ですもん。
東北に親戚いませんし、関東になら従兄がいますが、会った事もない仲です。
つまり私は、感傷に浸るような場所にも、立ち位置にも居ません。
はっきり言ってしまえば、他人事です。
なので、今回は自分の事だけを綴らせてもらいます。
あの日はとにかく衝撃を受け、色々な事を把握したかった。
突然の想像もしない出来事と、そこから派生する事象。
闇の中ので猛る炎、錯綜する不確かな情報、そして空けて見えた現実。
私は目を逸らしたくなかった。
信じていたものは固定概念でしかなかったんだと、テレビの向こうの光景に教えられた。
だから見ておかなくてはいけないんだと思った。
簡単に崩れる日常。
いや、日常なんて言葉で蔑ろにしてしまうのは、もったいない生き方をしてるんじゃないかと思った。
徐々に色々な事が明らかになってくると、物事は悪い方向へと向かっていた。
当然媒体は、テレビとネット。
思う事は色々ありますが、今回は書きません。
気だけが焦る落ち着かない日々の中、映る現実をとにかく見続けました。
映す側の作意を感じるものもありましたが、その後ろの背景は事実ですからね。
「頑張ろう日本」このスローガンは、正直好きじゃない。。
被災者に追い打ちをかけるような、無責任な言葉にしか思えないので。
だけど「頑張ろう」って言葉は、私みたいな人への言葉だよね?
そういう受け取り方をしても良いよね?
私は他人事だからこそ、自分に出来る事しなければならないと思った。
ずっと安穏とした生活で、ボランティアに行く訳でもない、せいぜいが少額の寄付程度。
そんな私に出来る事は何だ? 何なら出来る?
……考えた。
ここで書いてるんだから、楽しんでもらえる物を書こう。
アクセス数は乏しいけどさ、気持ちだけでもね。
些細な景色を留めておこう。
デジタルカメラを持ち歩いて、その辺の変化や発見を写している。
普通だとか、当たり前なんて事は無いんだと思うから。
今を大事にしていこう。
後悔するような生き方をしてちゃ駄目だ。
まずは身近な存在である家族。
そのくらいは笑顔で過ごせるように、私自身が笑っていよう。
旦那や子供に不快な気分を振りまくよりも、楽しい気分を振りまける存在でいたい。
もちろん苛つく事も、体調が悪い事もある。
何せ今現在も、絶賛体調不良中。
だから「出来るだけ」……なんて逃げ道をちゃんと用意してね。
潰れてしまわない程度に、出来る事を。
他人事だからこそ、私はあの光景を見て、もっと自分を正さなければと考えた。