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20120107:戦争を知らない私(4)

早速ですが、続き行きましょう。

年表を前で全部書いてしまった事が悔やまれますが、改めては書きません。


さて、祖父の年表を見るといきなりマラリアにかかっています。潜伏期間もあるそうなので、本当に到着直後に感染したんでしょうね。

マラリア三日熱というのは文字通り3日に一度の周期で高い熱を出すものらしいです。病原菌の媒介は蚊、有名ですよね? ハマダラ蚊という種類の蚊で、黒いシマシマのあるしぶとそうなやつです。あいつはジーパンの上からでも刺してきますよ。(←刺されやすいので蚊が大嫌い)

ハマダラ蚊という呼び方は大きな括りで、正確には日本にいるのとは種類が違うみたいですが。へぇ…蚊の寿命って一週間くらいなんですね、初めて知りました。(Wikiを眺めながら)


今でも厄介な生き物ですが、日本兵達もどうする術もなく真っ黒になるくらい藪蚊に(たか)られたと書いてありました。朝には腹を膨らませ過ぎて飛べなくなった蚊がいくつも転がっている有様だったとか。蚊は数日かけて血液を消化するそうです。蚊に対して言うのもアレですが…少し欲張り過ぎやしませんか?


ちなみに現地民には既に免疫が出来ています。か弱い乳児が感染するとその時点で亡くなり、生き残った者だけが成人するのだといった具合。本当に自然の一部ですね。


一方、敵であるオーストラリア軍の宿営地ではショートパンツ一枚。まさにリゾート地で謳歌といった具合。

あらかじめDDTという強力な防虫剤を飛行機で散布し蚊は排除済み。もちろんマラリアの予防薬も完備。

それどころか、当たり前のように食料も武器弾薬もきちんと補充されます。マラリアに対する備えも無く、ガリガリになっても逃げ回り、降伏勧告にも応じない日本兵が不思議だったようです。(オーストラリア軍は爆弾だけでなく、投降を訴えるビラを上空から何度も撒いています。)


マラリアにかからなかった兵士はいません。日本軍にも最初のうちは予防薬、治療薬がありましたが、補給が無いので底を尽きます。マラリアの治療薬のキニーネはキナという植物の樹皮から作られるそうです。ニューギニアにその木があれば状況は違ったのでしょうが、植生地域ではなかったようです。

軍医達が代わりになるものを探し研究したようですが、残念ながら見つからなかったようです。

マラリアの種類は3つ書かれています。「三日熱型」「四日熱型」「熱帯熱型」前の2つは何年も発作が出る事がありますが、治る見込み…というか、熱が下がれば活動は出来ます。しかし最後の熱帯熱は、熱が下がらず脳がおかされ合併症も起こし、助かる見込みは少ないとありました。


「ようだ」「らしい」ばかりなので、ちょっとWikipediaから引用させて頂きます。

以下マラリアの頁からの転載です。


マラリアを発症すると、40度近くの激しい高熱に襲われるが、比較的短時間で熱は下がる。しかし、三日熱マラリアの場合48時間おきに、四日熱マラリアの場合72時間おきに、繰り返し激しい高熱に襲われることになる(これが三日熱、四日熱と呼ばれる所以である)。卵形マラリアは三日熱マラリアとほぼ同じで50時間おきに発熱する。熱帯熱マラリアの場合には周期性は薄い。

熱帯熱マラリア以外で見られる周期性は原虫が赤血球内で発育する時間が関係しており、たとえば三日熱マラリアでは48時間ごとに原虫が血中に出るときに赤血球を破壊するため、それと同時に発熱が起こる。熱帯熱マラリアに周期性がないのは赤血球内での発育の同調性が良くないためである。

いずれの場合も、一旦熱が下がることから油断しやすいが、すぐに治療を始めないとどんどん重篤な状態に陥ってしまう。一般的には、3度目の高熱を発症した時には大変危険な状態にあるといわれている。

放置した場合、熱帯熱マラリア以外は慢性化する。慢性化すると発熱の間隔が延び、血中の原虫は減少する。

三日熱マラリアと卵形マラリアは一部の原虫が肝細胞内で休眠型となり、長期間潜伏する事がある。この原虫は何らかの原因で分裂を再開し、再発の原因となる。四日熱マラリア原虫の成熟体は、血液中に数か月~数年間潜伏し発症させることがある。


…だそうです。

今、Wiki読んで知ったのですが、原虫が寄生した赤血球が脳内の血管などの微細な血管に詰まるという、脳梗塞のような「脳マラリア」というものもあるんですね。

意識低下、言語のもつれなどの神経症状、昏睡状態から死亡という事なので、本に書かれていた死亡の様子と似ています。マラリアでの病死の多くはこれなのかもしれないですね。


「ジャワの極楽 ビルマの地獄 死んでも帰れぬニューギニア」という言葉があるそうです。

なるほどジャワ沖海戦は勝ち戦ですね。そしてジャワにはマラリアを媒介するのハマダラ蚊が少なくマラリア自体の心配が少なかったそうです。おまけにキニーネが作れるキナもありました。


ビルマは、ビルマ攻略が思いの他早く済んだので、更に先インドにまで手を出そうとしたインパール作戦を指すようです。

これも補給を無視した作戦で「食うに糧なく、撃つに弾なし」雨季の豪雨の中、イギリス軍に向かわざるをえなかった…投石で近代兵器に向かえと?

地獄ですよね。参戦させられた10万のうち半数が亡くなったらしいです。


そしてニューギニア。ここでの敵はオーストラリア軍ではなく、飢餓とマラリア。(もちろん他の感染症も)大量のハマダラ蚊の生息するジャングルにキナの樹は存在せず、次々と倒れていくばかり。

本当に言葉通りですね。祖父もあの地のどこかに……いえ、もうとっくに土に返っているんでしょうね。


本に書かれていたので東部のなの話ですが、飢餓の中、兵士達は食べられるものなら何でも食べたようです。ジャングルに生息する生物も、植物も。動物、昆虫、爬虫類だろうがもうそんな事は関係ありません。極限状態では姿形も倫理観も構っていられなかったんでしょうね。

手榴弾で自決して間もない友軍の遺体を前にして「人間の魂は死と同時に天に帰る。遺体は物体にすぎない。既にウジ虫が発生しはじめている。ウジ虫に食わせるくらいなら……」

と、こういう文章が載っていました。「破倫 われ戦友を食う」という本からの抜粋のようです。


非難はしません。出来ないというのが本当の所ですね。私は極限の状況に追い込まれた事がないので、どうこう言う資格がありません。

皆止むに止まれず、罪悪感に苛まれながら仲間を口にしたのでしょう。おそらくそれも1つの供養の仕方なんじゃないかなって思います。

ブッダの前世物語、飢えた聖者のために炎に飛び込んだウサギの話をご存知ですか? ブッダとして生まれる以前、ウサギだった頃に自己犠牲で聖者を救ったという逸話。

私はその手の話は所詮神格化だよなーと、冷めた目で見る輩なのですが…まぁ、それは置いておきまして、とにかく私はあの話を思い出しました。ウサギの美談ではなく、焼けたウサギを口にする聖者の方です。

すまないと詫びながらも感謝して口にする。そういう心境だったんじゃないかなって。

極論してしまうと、どんな姿であろうとそれはタンパク質、食料だったんでしょうね。


本には「日本軍による食人は1942年8月のモレスビー作戦から始まった。犠牲となったのは豪州兵とパプアである。」「日本人の遺体も対象に加えられる」とあるのですが、日本人は「遺体」敵軍と現地民は「犠牲」なんですよ。

戦死者を拾ってきたのか、あるいは狩ったのか…という疑問を抱きます。あえて濁してあるのでしょうか?

亡くなった仲間だけでなく、中には友軍を襲っていた者もいたそうですが、発覚後に銃で処刑されたそうです。…という事は、まだ弾が残っている頃なんですね。

1944年12月に第十八軍は「友軍兵の屍肉を食す事を罰する」と布告、18軍は「猛」です。本で扱っている中心の部隊、東部での事ですね。

……終戦まであと8ヶ月ですよ。


前述の通りニューギニアには塩がありませんでした。塩どころか調味料らしいものは無かったようです。…日本人には辛いでしょうね。唐辛子と生姜は島にあったらしいのですが、唐辛子は装飾用、生姜は薬用にしていたようです。

そこで日本兵は海水や塩泉から塩を精製した事が書かれています。ただしそれは微々たるもので、塩分不足で皆フラフラだったようですね。

それまで塩を知らなかった現地民も、日本兵から作り方を学び作るようになったそうです。

ただ、部族によっては塩を作っていたようです。ワラクワエ(和名:吊舟草(つりふねそう))という白い花を燃して灰にし、その灰をドリップ。出来た液を加熱して結晶を取り出す…と。ただしこれは塩化ナトリウムではなく、塩化カリウムらしいです。

また、西部マノクワリでは「終戦まで固形味噌や固形しょう油が残っていたらしい」という事も書かれていましたが、本の中でも伝聞ですのでどうなんでしょう?


祖父がいたとされるマノクワリはオランダ領時代の首都で、日本の進出拠点でした。戦時中は2万人もの日本兵がいたようです。ここでももちろん食糧不足は深刻です。

更に米軍がマノクワリ上陸を予告していました。(結局しなかったんですが)1944年4月に東部のアイタペ、西部のホルランジアに同時上陸。アイタペ、ホルランジアを守っていた日本兵はもちろん勝てる訳も無く。ジャングルに逃げ込み、ほとんどが餓死してしまったようです。

ちなみに米軍は、占領後あっという間に飛行場を設置しています。ブルドーザを使用し一週間くらいで出来たそうです。一方日本軍はブルドーザなど知らず、人海戦術で3~6ヶ月かかったそうです。技術の差は大きいですね。


進軍を許し追い詰められたマノクワリでは、1万5千の兵に南のイドレへ転進しそこで自活するようにという命令が出ました。

相当無責任な命令だと思うのですが、食糧を賄えず餓死で全滅するよりは、他の場所であればあるいは…といった期待があったのでしょうが、結果は悪い方へしか向かいませんでした。

ジャングル内での行き倒れや現地民のゲリラ攻撃により、到着したのは6千~7千。自給自足でギリギリ食料の足りていたイドレも増員のため食糧難です。戦後イドレ地区からの生還者は3千名に満たなかったそうです。

また西のソロンへと向かった1千の軍もあったようですが、到着人員は不明。

(困ったな、本とWikiで数字がまったく違う。本ではイドレ到着は980人。とりあえずWikiを採用)

祖父が所属した「勢」第二軍が守るのは島北西部から更に西に浮かぶ島々。いずれの部隊も食料に困ったんでしょうね。


しかし、祖父は兵器補給の部隊で一体何が出来たのでしょう?

まともな戦闘にもならない戦場で、補給を絶たれ弾薬が不足する中で、何の補給部隊なんでしょうね? やっぱりやりくりでしょうか?

3月23日に第二軍野戦兵器廠に編入され、5月29日には勢独立第二大隊第四中隊に変わっています。独立部隊というのは指揮系統が省略できる機動力の高い作戦能力を引き上げるための部隊なんですね、初めて知りました。

補給部としての配属か、もう所属など形だけだったのか。資料が無いので分かりません。12月1日に陸軍兵長に昇進したのは、年次や功績やではなく、その上役が亡くなったからでしょうか?


祖父の最後は「西部ニューギニア・マノクワリ一六◯高地第四中隊兵舎に於いて脚気兼マラリア熱帯熱に因り、病戦死」

脚気ですよ、ビタミンB1欠乏症ですよ、明らかに飢餓ですよね。…Wikiの脚気の頁。骨と皮だけの参考写真はきつかったです。

ずっと拠点のマノクワリにいたという事は、友軍に食べられてしまった可能性は低いのかもしれません。逆に食べた事はあるんでしょうか?


私は直接祖父を知りません。

だから、ここまでじっくり調べる事が出来たのかもしれません。

食人行為があった事を知って、正直気は重くなりましたが、それほどの地獄だったのだろうという事で納得が出来でしまいます。

でも調べた事を総合すると、飢餓で骨と皮だけになり、顔はむくみで風船のように腫れ、熱に浮かされ正気を失い、幻覚を見ながら亡くなったという事になりますね。

さすがにそれを思うと何ともいえないものがあります。

もちろん、年表に書かれている記録が本当の事であれば…ですが。実際にはもっと悪い最期かもしれませんからね。


ニューギニアの戦闘は3年間です。16万人が動員され、15万人が亡くなった過酷な場所です。損耗率94%……ちなみにシベリア抑留者は60万人、うち5万人が死亡で損耗率8%です。



これを書こうと思ったのは、私にとってあまりにも重過ぎる内容だったから。そして、記録しておきたかったからです。

ニューギニアでの戦闘の認知度の低さと、忘れられていく戦争の記憶。


何のための戦争だったのか? 何故生きながら地獄に送られなければならなかったのか? 答えは出せないながらも書きたかったんです。出せないから書きたかったんです。

後の人間が「あの戦争は間違っていたんだ」って、言うのはもちろん簡単ですよ。

けど、家族を戦争に取られて失った事実は変わりません。逆に「じゃぁうちの家族は間違いで殺されたのか?」という事になってしまいます。

そういうのはやっぱり認めたく無いでしょう?


ニューギニアまで行ってみたいなって思いはあります。

でも今の所行く予定はありません。

だから……とりあえずは手を合わせて祈りたいと思います。


最後にここまで読んでくださった皆様へ。

こんな重っ苦しい文章にお付き合い下さり、ありがとうございました。m(__)m



次はきっと上記の事は一切関係なく、先日通販で買ったおもちゃのレビューです(^^;

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