20110930:記念日って事で
まずは、約束通りケーキです。
こんな感じ。
チョコレートケーキは、これまでどうもイマイチだったので、
チョコでバラを作って乗っけてみました。こういう作業は好きだ。
(この写真じゃ分かりにくいな)
…まぁ、最初のパーツがでかかったので、やたら大きくなってしまいましたが、
あと、チョコなので温度が大敵で難儀しましたが(^^;
えー、とにかく色々ありがとう、クックパッド!
という事で、長女が8歳になりました。
言い換えれば、私が初めて子供を産んで、8年過ぎたって事ですよ。
…もうそんなに過ぎたのか。
まったく、時が過ぎ去るのは早いもんだな。
長女は予定日を1週間超過して、なかなか出てきませんでした。
里帰り出産で、絶対私が生まれたのと同じ産院で産むって決めてました。
…まぁ田舎なので、他の病院ってのも無いんですけどね(^^;
でも何となく、同じとこで産みたかったんですよ。
この時私は、26歳です。
田舎なんですけど、あの病院は、ホテル並の病室として県内でも有名です。
きちんとした食事、祝食としてフランス料理のフルコース、何故か産後のエステまでついてくる。
至れり尽くせりで、若干引き気味(←コラ)な部分もあるのですが、先生の奥様がサービス重視のようです。
まぁ、それ以前からその傾向があったようで、母が私を産んだ頃はお寿司だったそうです。
いかにもな病院食とはまったく無縁で、事前に食べられないものも聞いてくれます。
おまけに、3時のおやつにケーキとか。本当に、どんだけサービス満点だったんだ?
と、次女を他の病院で産んだ時に思いました。
あ、そこでもエステはついてたんですけど、そこそんなに重要なんですか???
って、いかん逸れていく(^^;
今回は、そういう事を書こうとしてる訳じゃないんだ。
出産の話ですよ。
初妊婦さんは、さっぱり勝手がわかりません。
『陣痛は一定の間隔で痛みが来るもの』って、読んだり聞かされたって、実際の所は分かりゃしません。
でも、29日の夕方くらいに「あ、何か骨盤が痛い」的な微弱なのが、ある程度の間隔を開けて起き始めました。
実家が本当に暇で、部屋から漫画(じゃじゃ馬グルーミン★UP!:ゆうきまさみ著)を出してきて、1巻から一気読みしてたんですよ。
しかし、あまりに微弱なので、ちらりと時計を確認しながら延々読んでました。
そして夜、ずーっと微弱のままなのですが、痛みの間隔は『電話してね』に該当するものの、そんなに痛くないのでどうしようかと悩みました。
とりあえず病院に電話して、「じゃぁ、まぁおいで」的な事となり、平然と歩ける状態で病院に行ったんですけど、実はこれ、3人とも一緒。
不思議ですね。間隔が狭くなっても、病院に行くまでは余裕だったんですよね。
しかーし、ここからが本番ですよ(^^;
病室に案内されて、おなかに心音とお腹の張りを確認するセンサーを付けられて転がってたら、徐々に痛くなって参りました。
…あのね、これ本当に痛いよ?
何て言うかね、多少理不尽さを感じるんですよね、
胎児が出てくるために、骨盤が変形してるその痛みだったりする訳なんですけど、
あれは半端無い、制御も利かない。
平気な時間と、激痛とを交互に繰り返し、もう時間の感覚もよく分かってません。いや、正直どうでもいい。
平気な時間って言うか、ヘロヘロの状態で倒れてるだけ?
そして、「ガーッまた来たー!!」
と、そんな感じ。
なのに、「子宮口まだまだですね」って、終わりが見えない。10cm開くまでは耐えるしかない、この地獄。
えーと、この病院では、「無痛分娩」というものを行う事が出来ます。
無痛と言っても、陣痛はどうにもなりませんが、子宮口が4~5cm開いたくらいで麻酔を背中から入れて、出産時の痛みを分からなくしてしまうものです。(他にも種類があるのかもしれませんが)
…興味があって、それに痛みが少ないならその方が良いしって、その欄にチェックつけてたのに、
不意に破水して「あぁ、もう8cmだから出来ませんね」って。
えーっ!? ですよ。
その前のチェックの時は「まだ3cmだから」って言われてたのに……結局普通に分娩でした(ちなみに、無痛分娩は息子の時に叶いました)
えーと、胎児が出てくる時の痛みも相当です。
これが麻酔で消せたら、本当に消耗が全然違います。両方経験してるので間違いない。
私は、「とっとと出て来いっ!!」とか思ってたんですが、「もう嫌だ!」「いっそ殺してー!」と、叫ぶ人が結構いるそうです。
「いててっ」と、こぼした程度の私は、「もっと叫んでいいんよ?」と、助産婦さんに笑われてしまいました。
…いやでも、これは性格ですから(^^;
こんなに痛いの、意地でも叫ぶ訳がないじゃないですか(←ここら辺が妙な人)
本当になかなか出て来なくて、痛いばかりで、最後はかなり必死で…やっと出てきた時は、感動とかそんなんじゃなくて、「終わったー!!」でしたよ。もう、それしかない。
息がちゃんと出来るように、吸引された後の産声は、でかかった。
タオルで血とかの汚れを拭かれて、最初に見せられた娘の印象は、色白で「猿じゃないな」
分娩後すぐに入ってきた(←立会いではない)旦那も同じ事を言っていた。
ちなみに、最初にかけられた言葉は「お疲れさん」でした。
その後しばらく分娩台に放置されて…いや、何か止血の注射とか点滴とかされて、お腹の中の血を出して、出血が止まるの確認とか、そういう感じなんですけど、私は転がってただけなので、えーと、主観的に?
娘は新生児室で見えないしさ。
汗が引いて、気化熱で体が冷えて、相当冷房効いてたのと、出血のせいもあるのかな、最終的に、指先がしびれるほど冷えました。
その間、旦那と助産士さんと雑談してましたね。
延々流れれたイルカのヒーリングDVDの、オートリピートが出来ないのは何故か? とか。
助産士さんが「旦那さん、誰かに似てるって思ってたんだけど…ハリーポッターだ!」とか言われて、否定して憮然としてたり。(当時は眼鏡が丸い感じで、2作目までしかなかった)
仕事の話を適当に流して聞いてたり(コラ)
うーん、今思えば、とても非現実的な印象。
白っぽい寒い部屋で、身動きが取れず、出産後直後の話がそれかよ!? …的な?
いやー、他のご家庭ではどうなんでしょうね?(^^;
…そして、ここからやっと本題。
出産直後、「何か色々ごめんなさい」と、母親に対して思った。
具体的にこれといって、反抗してきた訳じゃないけど、面倒だから知らん振りとか、従順じゃない…ってのもおかしいけど、きちんと言う事を聞いてきた訳じゃないし、都合の悪い事は黙ってたし、ねずみとか虫でキャーキャー騒いだりする事のある母親を、どっちかって言えばなめてた部分もあった。
けど…自分が子供産んで、その大変さを知って、
且つ、その後平然としてる母親を、たぶん初めてすごいと思った。
だから、今自分がいる事を、この時初めて感謝した。
そんな事を口に出して言えるほど、私は素直じゃないので内心ですが(^^;
…という訳で、
私にとって9月30日という日は、「人生の転機の日」なのです。