20110922:2001年4月9日
何を見上げる 何を見る?
何を求める 何をめざす?
何処に行きたいのか
何をしたいのか
何がほしいのか
何?
何を考えてるの?
何で考えてるの?
何を望んでるの?
何故こんなに渇いているの?
どうして答えが出せないの?
何で答えを出さないの?
どうして何もしないの?
◆◇◆◇◆
冒頭から、悩める思春期真っ盛りのような文章…
「どうした!?」「悩んでんのか!?」
とか、思って頂けたら大成功です(←コラ)
実は、ここ数日探し物をしている途中に発掘した、ノートに書いてあったものを転記したものです。
何で「ほしい」が平仮名なのか、当時の自分に問い質したい気分です(←そこか?)
タイトルの日付とイラストも描かれてるのですが…
敢えて慣れない向きに挑戦しているようで見事に輪郭ずれてるのが、冷や汗ものです。
残ってる記憶としては、一目惚れしたノートに何か書きたくて、書いてみたものの3ページで飽きた。
という、情けないもの(^^;
で、この2001年頃って何してたのかなーと、思い出してみる。
ちょうど10年前って事は、24歳。
2000年問題も過ぎて…勤めてた会社辞める前の不満いっぱいな時期かな?
中小企業のソフト会社で、社員の入れ替わりが激しくて、
その理由が「社長が嫌い」っていう…何となくアレな会社だった。
社長は自分本位で、形から入るタイプで無駄に組織体制を組み立てたり、おまけに人の話を聞かない迷惑な人だった。
「博多に営業所を作る」という現実不可能だった夢を語り、実際にあちらで面接をして1名採用。
「後々は営業所長に。でも当座は広島で働いてくれ」と引っ越させた事もありましたね。
会社で負担すると聞かされた、引越し費用は踏み倒されたらしいです。
…結局その方は1年くらいで辞め、帰られました。
ずっとフォローにまわっていた部長が「ワシ本当は、あんたの事が嫌いだ」という名言を残して辞め、ここから完全に崩壊した。
部長の人脈があればこそ、あの会社は存在できていたんだと後で耳にしました。
うん、あの人いい人だったんですよ。面倒見が良くて、懐の深い人。
会社間のトラブルから仕事自体も減って、最終的には無くなった。
社長の独断で「飲み屋の会計システムを自社開発するぞ」って、ベテランみんな居なくなってから言い出して…まぁ、きつかった。
入れ替わりが激しくて、技術の吸収も半端だから、かなり独学で自信が無いってのに。
どうやって新人育てろって?
飲み屋ってのもママのいる系統だしさ、カスタマイズが半端なかった。
そっか、あの時期ならこんな文章書いてても、おかしくないな…。
結局、給料の遅延、そして未払い状態に陥り、最終的に皆で辞めた。
あの会社がどうなったかは知らない。