呪いの箱
呪いの箱、という言葉を耳にしたのは、近所の酒場だった。
周りはオフィスビル。必然、仕事帰りのサラリーマンが多いその酒場で、その言葉は初日の転校生のようになんだか浮いて聞こえた。
「マスター、さっき呪いの箱の話してた?」
僕は、さっきまで客と話していたマスターに声をかける。
「失礼しました、最近このあたりで有名な話だったもので、つい盛り上がってしまい……」
マスターが静かに微笑む。
「へえ、このへんの人は、オカルトなんて興味ないと思ってたけど。どんな話なの?」
「オカルトというより、いたずらか、事件の類のようですが。最近このあたりで、玄関の前に突然、誰のものかわからないダンボール箱が置き去りにされていることが多いそうで」
「それは気持ち悪いな」
「開けてみると中には、ぎっしり札束が入っているらしいんです」
「箱いっぱいの札束? けっこうな大金だろう。そんなものが、よく落ちてるのか」
「警察に届け出られた件数だけでも十件以上になるそうです。中には届け出ない方もいらっしゃるでしょうから、実際の件数はもっと多いのでしょうね」
「そんな怪しい金、ネコババするのも怖いよなぁ。なにか犯罪に使われた金でさ、後から脅されたりするんじゃないの?」
「警察も、届け出のあった札束を捜査しているらしいのですが、まだ何もわかっていないようですよ」
箱の話は、それだけだった。
「でもさぁ、だったらどうして、呪いの箱なの? ただの宝箱じゃない?」
「そうですねぇ……ただ、皆さんそうやって仰るものだから。もう呪いの箱、で通ってしまっていますよ」
マスターは首を傾げる。
そのあとはいつものように、仕事のグチや、やだねぇ昔は上海まで二万円で飛べたのにさ、という物価高へのグチなんかをこぼす。酒場を出る頃には、箱の話なんてすっかり忘れていた。
玄関の前に、箱が、ある。
「え」
思わず声が出た。
「え、待って。え、これ、さっきのやつ?」
深夜一時の、安アパートの玄関先だ。答えてくれる人などいないのはわかっているが、驚きでつい、独り言がもれる。
「……出た。呪いの箱だ」
恐る恐る中を覗くと、ダンボール箱いっぱいに、ぎっしりと一万円札が詰まっていた。
「どうしよう……」
頭の中に選択肢が浮かぶ。
いち、警察に届け出る。こんな夜中に、面倒くさいが。ぜんりょうなしみんのぎむをはたすのだ。
に、見なかったふりをする。俺は酔っている。酔っているのだからこんな箱、気付かなくても不思議はない。大体アポもなしに突然目の前にあらわれるなんて、箱の方だって失礼ではないか。
さん、頂戴する。ありがたく。感謝の気持ちをもって。
ううん……。
「……ありがとうな、誰か……誰か知らないが、ありがとうな!」
「……と言って、頂戴した金がこちらだ」
「お前は馬鹿か?」
翌日。電車を乗り継いだ先にある、ある大学の研究室。
「それで、なぜここに持ってくるんだ」
俺の大学時代からの親友が、この研究室で昼も夜もなく研究に身を捧げている。今だって大型連休の初日だというのに、来てみたら当然のように、居た。それが准教授というものらしい。
「わからん奴だな。巷を賑わす都市伝説の手がかりが、今ここにあるんだぜ。お前、ちょちょっと解析してくれよ。ふたりで科捜研を出し抜こうぜ」
俺はこんなにワクワクしているのに、親友は深くため息をついた。昔からこいつはロマンの無い奴なのだ。
「……俺は数学の研究者だ」
「……え? でも、なにか解析してるって……」
「解析学は、数学なんだ」
辛抱つよく親友が言う。法学部法律学科卒業の俺には、何がなんだかわからない。
「つまり……」
「良い子だから、今すぐその気色悪い箱をな、そっくりそのまま交番に持っていけ。お巡りさんと本物の科捜研に任せるんだ」
じゃあな、と立ち上がりかけた親友の袖に縋りつく。
「待って、待って。一人にしないで」
「離せ! お前が持ち込んだトラブルで、これまで俺がどれだけ苦労したと思ってるんだ! どっか行け!」
「わかった、わかった。DNA鑑定とかはしてくれなくて、いいからさ。お前、頭良いだろう? これが何なのか、調べるの手伝ってくれよ。どうやらこの箱、巷では呪いの箱って呼ばれてるらしいんだ。気味が悪いよ」
「だったら尚更、どっか行け!」
薄情な親友だ。泣けてしまう。
「何だよ、皆して冷たいんだな。昨晩も俺が寝ていたら、部屋の中に急に、ものすごく貧乏そうな女が現れてさ、『その金を失ったときが、お前の命が尽きるときだ、ふははは』なんて言ってくるしさ……」
夜中に他人の部屋で高笑いをするなんて、非常識にも程がある。俺はそのあとすぐ寝たが、一瞬でも起きてしまったから、睡眠の質は落ちてしまったはずだ。
「待て、待て、待て」
親友が急に興味を示してくる。
「もう答えが出てるじゃないか。何なんだ、お前は。どうしてそれを先に言わない」
「女と聞いた途端、興味を示しやがって。あばずれが」
「寝言は寝て言え。つまりだな、その札束は呪われていて、ネコババした愚か者が喜んで金を使い切ると、死ぬようになっているんじゃないのか」
「なるほど……すると、昨晩の女は、親切にそれを教えに来てくれたということか? そうか、冷たく無視なんかしないで、名前でも聞いておけばよかった……顔の血をぬぐって、破れていない服を着ればなかなか美人さんになりそうな女だったぜ」
「……呪う側も今回ばかりは、調子が狂ってるだろうな」
ぼそっと親友がつぶやく。どうしたんだ、暗い顔して。
「やっぱりお前は頭がいいな。まだ確証はないが、その仮説は筋が通っている気がする。よし!」
やおら立ち上がった俺を、親友が不安そうに見上げてくる。
「何する気だ」
「確かめようと思って。この金で、ランボルギーニでも買ってくる」
「……お前は、馬鹿か」
なぜだろう、よく見ると親友は涙ぐんでいた。
「仮説が正しかったらお前は死ぬんだぞ」
俺は親友を元気づけるように笑って言った。
「大丈夫だ。この謎が解けずに悶々と生きるくらいなら、たとえ死んだとしても、スッキリできて良いじゃないか!」
じゃあ、と箱を抱えて行こうとしたが、次の瞬間、親友にこぶしで殴られた。
「いてぇっ!」
「仮説を検証してやるから、お前は黙って俺の言う通りに動け。自分で考えるな。わかったな?」
今度は怒っている。なぜだろう。しかし親友は昔から、なんだかんだ言いながら俺に協力してくれる。根は良い奴なんだ。DV野郎だが。
俺は、こくんと頷いた。
それから俺と親友は、呪われた箱の噂を聞いた酒場に行った。数日かけて、常連客と片っ端から話してみると、ぽつりぽつりと、噂話が集まって来た。
「まずひとつ目に、金をすぐに警察に届けた奴は、死んでいないし女の幽霊も見ていない」
親友が研究室の黒板の前で、集めた成果を整理する。
「それから、この金ですぐにタワマンを買った奴は、すでに死んでいる」
タワマン=死、と俺は黒板に書きつけた。
「一度ネコババしてから、怖くなって警察に届けた奴も、他人にゆずった奴も、等しく死んでいる」
「女の幽霊は『金を失ったとき』と言っていたものな。『金を使いきったとき』じゃない。なるほど筋が通っている」
贈与とか=死、と俺は黒板に書いた。
「それから、この金を仮想通貨ワッツコインに投資した奴は、まだ生きてる」
H氏=生存、と黒板に書く。ワッツコインに投資したおじさんとは、居酒屋で意気投合して連絡先を交換したのだ。
「きれいなルールだ。なんとも明快。要は、金を金のまま持っていればいいんだ」
「なあ」
俺は気になって親友に尋ねる。
「なんだ」
「仮想通貨はまだ法定通貨じゃないが、それでもいいのか?」
「……」
「この法則だと、大事なのは金の定義だ。金とは、何か。民法上、金銭というのは法定通貨だと解する説もある。しかしワッツコインが許されるなら、奴らの金の定義は法定通貨じゃない。じゃあ『金目のもの』なら良いのか? しかしタワマンを買った奴は死んでいる。そうなると、たとえ投資目的で買ったのだとしても、物と交換したら奴らの金の定義からはずれることになりそうだ」
「……」
「くそっ、大事なところで詰めが甘い奴らだな。金融商品取引法に定める金融商品のことを金と定義しているのだろうか。なあ、女の幽霊をなんとか呼び出して、そのへんの事を聞けないだろうか」
「……おまえ、そういえば法学部主席卒業だったな」
「なんだ急に。昔のことを」
「幽霊に驚くとか、そういう常識はないのに。法則性が絡んだとたん頭が働くんだな」
俺はにこりと親友に笑いかけた。
「それはお前も同じだろう。数学馬鹿」
そのとき。
研究室の点けっぱなしのテレビから、お昼のニュースが流れてきた。
「米大統領タロット氏は、ワッツコインをはじめとする仮想通貨への、大幅な規制と課税に乗り出しました。突然の発表を受けてワッツコインの価格は暴落。現在、一万分の一までその価格は下がっています……」
俺と親友は顔を見合わせる。
ワッツコインが暴落した。しかも一万分の一まで。
「まて、だが、まだゼロになった訳じゃない」
「そうだよな、限りなくゼロに近かったとしても、まだ失った訳じゃない」
俺は、諦めのわるい熱血漢みたいなセリフを吐きながら、急いでH氏に電話をかけた。
「……はい、Hです」
「よかった、生きてる」
俺が親友に告げると、電話の向こうでH氏はガハハ、と笑った。
「呪いの箱の金だから、俺が死んだと思ったか。大丈夫だよ若いの。俺だってあの幽霊が言ってたことが気になったからさ。全額は投資せずに、一万円だけ大事に手許に取っておいてあるんだ」
「そうだったんですか、なるほど」
そうか、そういう手があったかと安堵する。その一万円を、空き巣か何かに取られないかぎりH氏は安泰という訳か。
「安心しました。暴落の件はどうか、気を落とさず」
「おうよ。慣れっこよ」
H氏は元気よく答えた。
「むしろここからが投資人の生きざまの見せどころだ。俺の読みでは来週あたりに……」
ブツッ、ツーツーツー。
「よかったな。H氏は賢い」
「お前、途中で切ってやるなよ……」
親友は苦笑いしながら続ける。
「しかし、良い方法かもしれないな。いくらかだけ、手元で永遠に保管しておけばそれで安泰なのかもしれない」
しかし、そう上手くはいかなかった。
H氏が死んだ。電話で話をした、その翌々日のことだった。
「どういうことだ」
俺は親友の研究室で頭を抱える。
「失わなければ死なない、それが大前提のルールじゃなかったのか。こんな基本的なところを覆してくるなんて、あいつらっ……!」
親友は粛々と香典袋に名前を書いている。
「ほら。お前も三万入れろ。送るから」
「その箱の中の金入れといてくれ」
「お前なぁ……ヤケをおこすのも大概にしろ。呪いの箱で死んだ奴の香典に、呪いの箱の金を使うな」
親友は俺の財布を勝手に開け、「三千円しかないじゃないか」とか言いながら金を抜き取っていった。
そして、俺に向き直って言い放つ。
「H氏の死は、べつに法則と矛盾はしない。俺たちの仮説が間違っていただけだ」
「え……」
「来い。説明してやる」
「まずH氏は、いくらあったのか知らないが呪いの箱の金を、一万円を除いてワッツコインに投資した」
親友が黒板に、「X+1」と書く。
「その後ワッツコインは一万分の一まで暴落した」
黒板の式が「X/10000+1」に書き換わる。
「暴落の二日後、H氏は死んだ」
親友は、先ほどの式のうしろに「=2」を書き足す。
「お前が持ってきた箱の中身は、数えさせてもらった。全部で一万円札が一万八千七百十枚あった」
「いつのまに……」
「俺は数学者だからな。数は気になる。ところで、この一万八千七百十を、三百六十五で割ると、大体五十一になる」
「三百六十五って、一年間ってことか?」
「H氏が暴落の二日後に死んだので、俺は思ったんだ。呪いの箱の中にある札の数が、その持ち主の寿命になるんじゃないかと」
親友は黒板に「31」と書く。
「H氏は五十歳だった。男性の平均寿命は八十一歳だ。だから平均寿命まで残り三十一年、つまり一万一千三百十五日だ。うるう年は考慮しないとして」
親友はさきほどの「X」の上に「11315」と書く。
「本当だ。式の答えが2になる」
「2.1315だ。つまり暴落の時点で、H氏の余命は2.1315日になったことになる。そう考えると、お前の箱の中身にも説明が通る。お前は今三十歳だ。平均寿命まであと約五十一年。五十一に三百六十五をかけると、一万八千六百十五。札の数と近似している」
「おお……」
研究室に、沈黙が流れる。
「……」
「……なあ」
俺が最初に口を開いた。
「なんだ」
「今、思ったんだけどさ。これ、金を増やしたらどうなるんだ?」
「どこかから一万円札を持ってきて箱の中に入れるのか?」
「いや。元あった金自体を増やすんだ。H氏のワッツコインは暴落したけど、もしあれが逆に暴騰していたら? 一万倍になっていたら? H氏は……」
「……」
その後、俺は、箱の中の金を、いくつかの銀行に預けた。元本保証された、定期預金の、なかなか利率の良いやつに。俺は最初、元手を失ってもいいから一か八か、暴騰しそうな株かなにかに投資して検証したいと言ったのだが、親友が怒り狂って反対してきたので諦めた。
複利の効果で、金はどんどん増えていくはずだ。さて、俺の寿命はどうなるのだろう。親友の仮説は正しいと証明されるだろうか。
目下困っているのは、順調に金が増えたら、検証結果を親友と一緒に確認できなさそう、ということだ。親友は、俺一人で確かめて墓前にでも報告してくれ、と言っているが、それでは何か味気ない。
お前にも、呪いの箱が届くといいのにな。そう言ったら親友は顔をしかめて「お前は馬鹿か」と言った。




