第三話 姉二人の葛藤
私の名前は####ビャクヤ。今は母方の旧姓を名乗っており、またの名を白河ビャクヤという。私は幼い頃、離婚した母に一つ下の妹と引き取られ、今は三人で暮らしている。ちなみに、妹の名前はアカリ。父に引き取られた弟の名はコウという。二人共も目に入れても痛くないほど可愛いきょうだいで、両親が離婚した今も、たまに三人で会うことがあった。離れていても私たちの心は一つ。何にも邪魔されることはない。私はそう思っていた――そんな折であった。弟が、不慮の事故で亡くなったと聞いたのは。私は目の前が真っ暗になったかのような錯覚を味わった。内縁の者として葬儀に出席した時、私は妹と共に泣いていた。弟……コウのことが人一倍大好きだったアカリは、私よりも泣いていた。私は悲しい気持ちを抑えながら必死に妹を慰め、葬儀場から離れようとしない妹を、なんとか連れて帰ったというのが印象に残っている。あれ以来、アカリは自分の部屋に閉じこもってしまい、学校に行くこともご飯を食べに来ることもない。なので私は毎日妹の部屋にご飯を運んでいるのだ。
「……アカリ、いるか?」
「…………」
「ご飯を持ってきたぞ。一緒に食べよう」
「……置いといて。一人で食べるから」
「もう一カ月間、部屋から出ていないじゃないか。母さんも、私も心配しているんだぞ」
私は二人分の食事を乗せたお盆を置き、部屋の前で諭すような言葉を言う。すると、部屋のドアが少し開き、中からボサボサ髪の少女が出てきた。私は一目見て、それがアカリだということに気づいた。いつも元気でポジティブな姿は見る影もなく、昏く濁った瞳が扉の向こうからこちらを覗いていた。
「……ビャク姉」
「アカリ……酷い顔だぞ。クマも凄いし、眠れてないんじゃないか?」
「眠れるわけないでしょ。コウ君が死んじゃったんだよ?あの可愛い可愛いコウ君が」
「……アカリ」
久しぶりに見たアカリの顔には、涙の痕がついていた。アカリの反論は、怒りとも、哀しみとも取れるようなものだった。
「ビャク姉は何とも思わないの?僕はこんなにも胸が痛いのに。泣いたって気分が晴れないのに。何で……前を向けているの?」
「……アカリ、私だって同じ気持ちだ。大切な弟が死んで、悲しくないわけがないだろう」
「嘘だ。ビャク姉はもう割り切ってるんでしょ?そうじゃなきゃ、僕みたいになってないなんておかしいもん!」
アカリはダンッと扉を叩いた。その表情は哀しみに染まっていて、声を掛けるのが憚られる程だった。
「コウ君がいない世界なんて嫌だ!絶対嫌だ!こんな気持ちをずっと味わうくらいなら、死んでコウ君の後を追うほうがマシだ!」
「アカリっ!」
思わず強い声が出た。それを聞いたアカリは怯えるように縮こまる。しかし、私の中を渦巻く怒りは消えることはなかった。
「いい加減にしなさい。そんなことをして何になるんだ。そんなことを、コウが望んでいると思うか?」
「…………」
「さっき、私がもう割り切っていると言っていたな。……そんなわけがないだろう。私はずっと引きずっているし、毎晩よく眠ることも出来ていない。コウの姿や思い出が、ずっと頭から離れないんだ」
「え……?」
アカリが私を見上げる。……私は昔から才女と呼ばれるような人間で、周りからの期待やプレッシャーに日々押し潰されそうになっていた。そんな時に、コウと、アカリと一緒にいれば、嫌な事を全て忘れられたんだ。だから、余計に思い出してしまう。――楽しかったあの頃を。
「私にとってコウ……そしてアカリも。かけがえのない大切な人だ。……これ以上大切な人を喪ったら、私はどうすればいい?」
後半は、ほとんど懇願に近かった。ひょっとしたら涙が出ているかもしれない。コウだけでなく、アカリも喪ってしまったらと思うと、怖くてどうにかなってしまいそうだった。
「……ごめん、ビャク姉。僕、酷いこと言った」
「分かってくれればいい。だが、二度とあんな事を言うなよ。……アカリは私の大切な妹なんだから」
「うん……二度と言わない」
私はアカリをそっと抱きしめた。アカリは力の抜けたように私に身を預け、しばらく私に抱き着いて泣いていた。
その後、泣きやんだアカリに部屋に入ることを許可され、私達は久しぶりに一緒にご飯を食べていた。ちなみに、食事は私が作ったものである。母さんはいつも仕事で出ているし、家事をする人間がいないのだ。幸い、私は大抵の家事は出来るので問題はないが。
「ビャク姉は、コウ君をどれくらい大切に思ってるの?」
「ん?そうだな……まぁ、普通に姉弟として大切な弟だと思っているよ」
私は口に含んでいた野菜炒めを飲み込み、率直な答えを述べる。すると、アカリはふっ……と鼻で笑った。
「甘いね。僕は宇宙の何よりもコウ君を愛しているんだ。コウ君の事に関してなら、僕の右に出るものはいないよ」
「そ、そうか」
アカリは先程とは違い、一切曇りのない瞳でそう言った。……うーん、アカリはいつもコウの事が好きだと言っていたが、まさかここまでとは……これは姉として、将来を案じたほうがいいのだろうか。
「ん、美味しい。ビャク姉の料理ってほんとに美味しいよね」
「そうか?それなら良かった。頑張って学んだ甲斐がある」
アカリが閉じこもってからというもの、家の事はほとんど私がやっていたからな。慣れるまで大変だったが、こうしてアカリから褒められると、なんだか報われた気分になる。――そうして食事をしていると、ふと、アカリの視線が下がっているのに気がついた。
「どうかしたのか、アカリ?」
「……ごめん、ビャク姉。ここ最近、ずっと苦労かけちゃって……」
「苦労だなんて思っていないよ。私達はきょうだいじゃないか」
私がそう言うと、アカリは俯いたまま何処か後ろめたいものがあるかのような表情をした。
「……僕が外に出れなくなったのはさ。コウ君がいなくなったっていうのもあるけど……一番は、人と会うのが怖くなったからなんだ」
「……なるほど」
……アカリは昔から、人一倍優れた容姿を持つ子だった。勉学も運動も人以上に出来て、私と同じように、百年に一人の才女とも呼ばれていた。そのせいで、アカリは下心のある者達に声を掛けられ続け、ついには口にもしたくないような恐ろしい事をされたこともあるという。その時から、アカリは私と大好きな弟しか信じなくなった。外の人間とは深く関わらず、彼女は同じ学校に通う弟だけを信じていたのだ。というのが、彼女から聞いた話である。
「僕にはコウ君しかいなかった。だから戻るのが怖いんだ。また、あんな事をされたらって思うと、部屋から出られなくなった」
アカリは俯きながらそう言うと、ゆっくりと顔を上げた。さっきのような昏い瞳が、少しだけ光を灯していた。
「……ビャク姉。僕、頑張るよ。いつかちゃんと部屋から出られるように、頑張る。コウ君にとって恥ずかしくない姉になれるように」
「……そうか」
「ご馳走様、ビャク姉」
アカリの目の前にある料理は、いつの間にかなくなっていた。




