錆びた街の歯車
オイルと鉄錆の匂いが、俺の仕事場に染みついた香りだった。ヴァルデン王国の首都の片隅にある工房「ギアヘッド」。それが、追放された王子ゼノ・ヴァルデンが、ただの機巧技師として生きるための城だ。
「……チッ、またこの部品か」
俺はピンセットを放り出し、ルーペを額に押し上げた。目の前にあるのは、炭鉱夫が使っていたという年代物の義手。関節部分の歯車がすり減って、もはやただの鉄の塊だ。客は「先祖代々の品だ、何とかしてくれ」なんて言うが、交換する部品は質の悪い鋳物ばかり。これじゃあ、すぐにまた壊れるのがオチだ。
「古き良き時代は、ねえ……」
皮肉の一つも言いたくなる。かつてこの国が「機巧魔法」で栄えていた頃、義手一つとっても、自己修復機能を持つ芸術品だったという。だが、動力源だった「エーテル鉱石」が枯渇し、中央大陸の侵略が始まってから、この国はゆっくりと錆びついていった。今じゃ、石炭を燃やす煙と、風車の回る音だけが、国の活気のすべてだ。
その時、工房のドアが軋みながら開いた。逆光の中に立つ人影に、俺は思わず身構える。
「……ゼノ」
フードの奥から聞こえたのは、懐かしい声だった。入ってきたのは、エリアナ。黒い旅装束に身を包んでいるが、その息遣いだけで彼女だと分かった。王家に仕えた騎士の娘で、俺の唯一の幼馴染。
「帝国兵の目が光ってる。こんな所まで何の用だ」
「あなたに渡したいものがあって」
彼女は震える手で、古びた懐中時計を差し出した。銀細工の蓋には、ヴァルデン王家の紋章――歯車を抱く獅子――が刻まれている。俺が父から託された、最後の思い出の品だ。
受け取った瞬間、時計が心臓のように脈打った。指先に走る微かな痺れ。俺の血に、王家の血脈に、時計が反応しているのだ。紋章が淡い光を放ち、カチリと音を立てて内部の歯車が動き出す。それは単なる時計の機構じゃない。光の粒子が空中に舞い、複雑な地図を描き出した。
「これは……」
「第一エーテルリアクターの場所よ。私たちの始まりの場所」
エリアナの言葉に、俺は息を呑んだ。失われた古代の動力炉。王国復興の鍵だ。
「帝国が血眼になって王家の遺産を探しているわ。特に、伝説の機巧兵器『タイタン』の情報を。もう隠れている時間はないの。ゼノ、あなたにしか出来ないことがある」
彼女の真剣な瞳が、俺の心の奥底に眠っていた何かを揺さぶる。王国への想い? それとも、ただの感傷か。
その時だった。工房の外から、甲冑の擦れる音と、怒声が響き渡った。
「いたぞ! 王家の残党だ!」
エリアナを追ってきたのか。工房はあっという間に帝国兵に包囲された。
「……最悪のタイミングだな、お前は」
俺はため息をつき、足元の工具箱を蹴り上げた。戦闘なんて専門外だ。だが、この工房は俺の城。そこら中に、俺の仕掛けた「おもちゃ」が転がっている。
ドアが蹴破られ、帝国の紋章をつけた兵士がなだれ込んでくる。その先頭に立つのは、魔道士らしき男。その手が、蒼いマナの光をまとい始めていた。
「お前たち、おもちゃで遊ぶ時間は終わりだ」
俺は壁際のレバーを倒した。工房中に張り巡らせたワイヤーが作動し、天井から工具や鉄くずの入った網が降り注ぐ。悲鳴と金属音が響き渡る中、俺はエリアナの腕を掴んだ。
「裏から逃げるぞ! 俺の城が燃える前に、な!」
工房の地下に隠した脱出路へ向かいながら、俺は背後で上がる炎の音を聞いていた。平穏な日常が、錆びた歯車のように軋みながら崩れていく。
地下道の闇の中、俺は懐中時計を握りしめた。光の地図が、進むべき道を示している。望むと望まざるとにかかわらず、運命の歯車は、もう回り始めてしまったらしかった。