予行練習
一通り確認を終えた太陽は協力してくれた鳴子と須賀川に礼を言って解散とした。もちろん、この後に希との話し合いと超能力マジックの練習に移るわけだが、予定にない須賀川がいるため、一度解散し太陽の家に再集合という形になった。
「お邪魔しまーす」
もはや見慣れた玄関で靴を脱ぎ希は太陽の部屋へと上がる。
「進行もだいぶまとまったし、普通のマジックも違和感なくできてたと思う」
「そうですね」
「これならお前の超能力を使っても不自然じゃないだろ」
「……大丈夫ですかね」
まだ少しだけ不安が残る希は心配そうに太陽を見つめる。しかし、いつも自信に満ち溢れている太陽は、今日も芯の通った目で希を見つめ返す。
「大丈夫だよ。まあ、瞬間移動とかで移動する瞬間を見られなければ」
「……大丈夫ですかね!?」
太陽の言葉をそのまま想像した希は顔を青くしてガクガクと震え出す。瞬間移動マジックは、当然姿を暗幕などで隠して行う。しかし、万が一にもタイミングなどがずれ移動の瞬間が見られでもしたら──。
移動の瞬間は希自身のタイミング。こればかりは太陽でもどうしようもない。できることといえば、希のタイミングをしっかり見てあげることくらい。
「頑張れよ」
「はは、はいぃ!」
「そ、そんなに緊張するなよ……」
肩に手を置かれた希はダイラタンシー現象のように体を固めて、太陽は思わず引いてしまった。
「俺がいるから任せろ! お前が失敗しても、それは俺の責任だ」
「太陽君……」
トゥンク! と、太陽が神に見えた希は、キラキラと瞳を輝かせ目の前の男を崇め奉り始めた。
「なんだか大丈夫な気がしてきました!」
「お! いつになくやる気じゃないか!」
「はい! 太陽君のおかげで、人前でこの力を使うことが少しだけ怖くなくなってきました」
ふんふん! と強い鼻息を漏らす希は拳を握り締める。「気合いだ気合いだ」と言い出しそうな雰囲気で意気込んでおり、太陽も一緒になって楽しんで変なダンスを踊っている。
「実は私、お祭りでの発表とかにちょっと興味があったんです」
「はえ〜、そうなんだ」
なんだか気持ちが昂っている希は、変なテンションが落ち着かずにふわふわとした気分のまま話し始めた。太陽も興味深い話に聞き入ろうと腰を落ち着けて耳を傾ける。
「小学生の時に、夏祭りのステージ発表があったんです。クラスでダンスをやるっていうのだったんですけど、私はその輪に入れませんでした。保健室登校だったので」
「そうだったのか」
「だから、ステージ発表にちょっとだけ憧れがあったんです。でも、一人だとできることがなくて。太陽君に無理矢理にでも連れ出してもらえてよかったです。すみません、突然こんな暗い話……」
「別に暗い話じゃないだろ。前向きないい話だ。もっと希のこと教えてよ」
太陽は希の話を聞いても嫌は顔一つせず、むしろ好意的な反応を見せた。
(やっぱり、太陽君は良い人だ)
そんな太陽を見てホッとした希は、今まで誰にも話せなかったという圧迫感もあってか、太陽に根掘り葉掘り聞かれ昔のことを話し出した。
「昔は誰彼構わずテレパシーが聞こえちゃってたんです。それを今は制御してて」
「ふぁー、結構大変そう。本音と建前が嫌でもわかっちゃうもんなー」
「そうなんですよ! それもあって周りと馴染めず、お母さんからも力がコントロールできるまでは普通の暮らしは難しいかもって」
「あれまー」
「だから、修学旅行も行けなかったんですよ。頑張って行こうって担任に説得されたんですけど、普段来ない子が突然来たら──」
「あー、すっごいわかる。あの空気は超能力なくても分かっちゃうもん。心の声がモロに聞こえてたら辛いわな」
「そうそう! そうなんです!」
今まで生きてきた十五年間の苦労話を話せる相手ができた嬉しさでか、それとも太陽が話の分かる男だからか、希は話す口が止まらず、ずうっと話し続けた。
「辛い話は両親にはし辛くて。こうやって話せる相手ができて嬉しいです」
「そうだろうそうだろう。俺と友達になったのは正解だっただろ?」
「はい!」
「また辛いことがあったらいつでも言えよ」
「かしこまりました!」
マジックの練習もすっかり忘れて話し込んでしまい、気づけば外が暗くなっていた。夏祭りまではまだ時間があるため、二人は気が済むまで話し通すことにして、延々と雑談に耽った。
それからほぼ毎日、二人はマジックの練習に勤しんだ。外でやってみたり学校の屋上に忍び込んでみたり。夏祭り当日に使われる公園のステージも、普段は自由に使えるため本番を想定してやってみたり。話す内容から段取り、全てにおいてノーミスで行えるという自信がつく頃には、夏祭りまで残り一週間となっていた。
七月二十二日、月曜日。この日は一学期が終わる納め式。午前授業で早く帰れるため、二人は教室を使って予行練習を行うことにした。今までの練習は人がいないところであり、鳴子と須賀川に手伝ってもらった日以来、初めて人前での実演となる。
「き、緊張です」
「大丈夫だろ。あんだけ練習したんだし」
楽観的な反応をする太陽だが、それは自信の表れ。そして、自分だけでなく希の頑張りを見てきたからこそものだ。
クラスメイトたちの予定もあるため、本番を想定して一発勝負。超能力は無しのちゃんとしたマジックショーが三組の教室で開催された。
そして、希の心配は杞憂に終わった。拍子抜けするほど予定通りにマジックは成功し、クラスメイトたちの反応も上々。人前でやる緊張感の中でも練習通りのパフォーマンスを発揮できた。
「すごいじゃん!」
ショーを終えた二人にクラスから拍手が送られた。
「みんな見てくれてありがとう! 夏祭り本番はもっとすごいの用意してるから見にきてな〜」
賛辞を一身に受ける太陽は宣伝しながら片付けを始めた。すると、太陽の周りにクラスメイトたちが集まり、マジック道具の種明かしを迫り出した。
ガヤガヤわちゃわちゃと群がられる太陽に巻き込まれないよう希は距離を取る。
「ちょっとお手洗いに行ってきます」
「はいよ〜」
トランプやら宙に浮く机やらに興味津々なクラスメイトの相手を太陽に任せ、希は教室から一度離れる。緊張からか体が少し火照っており、じんわりと汗をかいている。
「太陽のマジックすごかったねー」
「それなー」
希がトイレの個室で汗を拭いていると、女子二人が談笑しながらやってきた。聞いたことのある声で三組の生徒だと分かる。
「相変わらず伊能さんはオドオドしてる感じだったね(笑)」
「……!?」
突然自分の名前が上がったことに驚いた希は、身動きが取れず固まった。
女子の言い方や笑い方に悪意が含まれているように感じ、出るに出られない状況となった希は黙ってやり過ごす。
「伊能さんてさ、正直なとこ金魚のフンだよね」
「分かる。いっつも晴山君にくっついてね」
「私たちには壁がある感じなのに太陽にはベタベタして」
「ちょっと可愛いからってねー。鳴子君にも手出してるみたいだし」
まさかこの女子たちも本人が聞いているとは思っていないだろう。女子トイレという安全な密室で気が緩んでいるのか、希への陰口が止まらない。
「調子乗ってるよねー」
「そのくせみんなと仲良くなりたいですって感じ出しててさー。自分から声もかけられないくせに晴山君に頼りっきり」
「迷惑がられてるって気づいてないのかなー」
「桜庭さんも前に行ってたよ。伊能さんはもっと頑張った方がいいって」
「やっば! 美央ちゃんに言われるとか終わってんね」
(……)
希は音を立てないように耳を塞いだ。
心の声を閉ざしたとしても、人の悪意が耳に入ることはある。本人の前では見せない本音が、偶然本人に届いてしまうこともある。口からそれが出るということは、よっぽどそう思っていることの証拠だ。
希はただ時間が過ぎるのを待った。二人の女子がトイレからいなくなるのを待った。
人の本音を聞いて傷つくのが怖い。その一心でテレパシーの制御を頑張って、ようやく高校からは普通の生活を送れるようになった。それなのに、また人の本音に心を傷つけられた。
希は二人がいなくなったことが分かってから、泣いた。
静かに声を殺して泣いた。声を抑えた分だけ、涙が溢れて袖を濡らした。涙を堪えるだけなのに、そう思えば思うほど、希の意に反して泣いてしまう。
ようやくトイレから出た頃には二十分も経っていた。早く戻らないとと、涙で腫れた目を綺麗にしてから教室に向かう。中ではまだ太陽がクラスメイトたちと雑談を続けていた。
(太陽君……)
途端に、トイレでの言葉が希を襲う。
『迷惑がられている、調子に乗っている、金魚のフン』
動悸が激しくなり、希は次の一歩が踏み出せずその場に留まった。教室の中が辛うじて見えるくらいの場所で、太陽を見つめる。
太陽の心の声が聞こえない。いや、聞けない。希は無意識のうちに心を閉ざしていた。今までずっと聞き続けていた太陽の心でさえ聞けなくなってしまった。
心の声が聞こえないと、話す言葉、態度に疑念を抱くようになり、信じられなくなってしまう。
太陽はいつだって友達に囲まれている。明るくて積極的で愉快な人だ。だからこそ多くの人に好かれている。そんな人間が自分と友達になってくれるなんて、本当にあり得るんだろうか。
希は太陽との出会いを思い出した。超能力を見られて、それが興味を引いて今日までやってきた。自分という人間ではなく、超能力という力に太陽は惹かれた。そして、太陽とは利害関係の一致で付き合っているだけ。
じゃあ、その力がなかったら? 面白くなくなったら? 太陽が超能力に興味を失ったら?
今、自分があの輪の中に入っていって、本当は嫌だと思っている人がいたら? 拒絶されたら?
希は捨てられてしまうだろう。だって、それ以外に取り柄がないから。人とまともにコミニュケーションも取れない、面白い話もできない、他人に与えられるものが何一つない。
だが太陽は違う。人を巻き込んで楽しいこと思いつき、なんだって実現してみせる。きっと、
(私がいなくても、太陽君は学校生活を楽しんでいる)
その現実に耐えられない。
(太陽君にとって、私はたくさんいる友達の一人でしかない)
何も特別なんかじゃない。ずっと太陽と友達でいたいと、いつしか希は思うようになっていた。だからこそ、
(太陽君はずるい。私はこんなに悩んでるのに、ずっと楽しそう……)
気張っていなければまた涙が零れてしまいそうになり希は上を向くが、止まらない涙が目の横から流れ落ちる。
太陽にとっての自分がどんな存在なのか。それを知りたいという気持ちと、知ってしまう恐怖に挟まれた希は、逃げるように学校を飛び出した。
もう誰の声も聞きたくない。こんなに苦しい思いは二度としたくない。
人に拒絶される恐怖を小学生以来に味わった希は、家に帰って再び泣いた。家族に心配をかけないように、部屋で一人。




