不正
希は体育祭一日目の悲惨な結果に目も当てられず、いつも元気なはずの太陽が怖いくらいに静かで、かける言葉が見つからなかった。
教室に戻ってきた時は重い空気が立ち込めていたが、帰りのHRが終わり人が捌けると幾分かマシになった。残っている生徒は少なく、希はなんと声をかけようかと頭を捻る。
『希』
『っ!? はい!』
希はまごまごしていると、太陽の方からテレパシーで声をかけてきた。太陽は自分の席から視線だけを希に送っており、少し怒っているような様子に希は震える。
『クラス対抗リレーの時、超能力使った?』
(あっ……)
太陽がなぜ怒っているのか合点がいった希は、図星を突かれたと表情で語ってしまう。それを見た太陽は納得したように頷く。
『違うんです! その、わざとじゃないというか、悪意はなかったと言いますか……』
怒られる前に必死の弁明をする希に、太陽は優しく微笑みかける。
『別に怒ってないよ。悪気があったわけじゃないのもわかってる』
雷が落ちてくると思っていた希は、呆気に取られ頭を抱えていた手を退ける。少し屈んだ姿勢から顔色を窺うように上目遣いで太陽の表情を覗く。
『でも、超能力は使わないって言っただろ。正々堂々、男の勝負なんだから』
(……)
太陽は一度、正々堂々という単語を辞書で引いた方がいい。と思う希だったが、そんなことを言えるはずもなく心の内に留める。
『須賀川君は正々堂々やるつもりないみたいじゃないですか』
クラス対抗リレーでのシーンを思い出す希は、僅かに怒りを露わにする。
『確かにな。でもわざとかわからないだろ』
『私にはわかります! バトンを渡す直前、須賀川君は太陽君を狙ってました!』
走順が早かった希は、自分の番が終わるとクラスメイトたちを応援していた。太陽のことももちろん同じように見ていたが、須賀川の何かを企む顔を見て心を読んだのだ。だからこそ、太陽がバトンを落とした瞬間にフォローすることができた。
『俺も百パー故意だとは思ってるけど、立証できないだろ?」
『そ、そうですけど……。太陽君は優しすぎます!』
須賀川のやり口に対する太陽のスタンスに納得がいかない希。憤慨して心の中で地団駄を踏む。
『まあまあ。明日もあるんだし、今怒っても仕方ないだろ?』
『むう……』
妨害行為はもちろん反則だが、それが故意だと証明することもできない。現にレース時の実行委員の判断は事故となっているため、四組は失格になっていない。今更何を言っても遅いのが事実だ。
それでも納得できない希は、太陽の席に行き肩をポカポカと殴って怒りを発散した。
緊張で胃が締め付けられるような二日目の朝。希は怯えながら登校してきた。
太陽は大丈夫だろうか。昨日の大敗で心が折れてしまったんじゃないだろうか。気丈に振る舞っていたが、あんな反則をされて気にしていないなんてことがあるだろうか。そんな心配で頭の中が埋め尽くされる。
「よう希! 今日は勝つぞ」
だが、そんな心配など知りもしない太陽はいつもの陽気な姿で学校へやってきた。
「太陽君、大丈夫ですか?」
「ん? 何が?」
「い、いや。落ち込んでないんですか?」
「落ち込む? 俺が?」
希から問われた太陽はケロッとした顔でとぼけた様子を見せるが、どうやら嘘でもなくやせ我慢もしていない。
「昨日の結果が芳しくなかったので……」
「まあ、そうだな」
昨日の勝負内容を鮮明に思い出した希はブンブンと力強く首を振る。直流電流に繋がれた赤べこのような希を見て、太陽は自身を顧みた。
「確かに悔しくはあったけど、落ち込んではいないから大丈夫!」
心配をかけてしまった太陽は希の頭を軽く撫で悪童の笑みを浮かべた。少女漫画ならば希の胸がキュンとして、太陽の顔の周りには花が咲いていることだろう。しかし、楽しい悪戯を思いついた時の顔をしている太陽を見て、希は自身の顔から血の気が引いていくのが分かった。嫌な予感が全身に駆け巡り冷や汗が背中を伝う。小学生の時に体験した地震の、予知夢を見た時以来の悍ましさだ。
「何をする気ですか?」
「何をする気って。人を悪者みたいに言うなよ」
快活な笑みを浮かべる太陽だが、希からの質問に対して別のことを考えており、肝心なことは教えてくれない。そして、希にそれを悟られるのが嫌だとでも言うように、走って逃げてしまった。
一抹の不安だけが残る希は、いつも以上に気を張ることとなった。
二日目の球技はトーナメントの勝ち抜き制。六クラスで一回戦の三試合、一枠は決勝へそのままシードとして上がり、二回戦で勝ったクラスと戦うことになる。
三組の男子サッカーはくじ引きで運よくシード側を得ることができたため、一試合目に勝てば自動的に決勝。二位か三位が確定となる。だが、太陽が狙っているのは当然優勝。そして鳴子をMVPに押し上げること。
球技では各種目のMVPが一名選出され、MVPを取ったクラスには順位ポイントとは別にプラス10ポイントが与えられる。つまり、一位+MVPを取ればその種目で四十点を取ることになり、二位と20ポイントも差をつけられる。
「三つの種目で一位とMVPを取れれば逆転勝利。逆に、取れなければ……」
一年生のサッカー一回戦。クラスで円陣を組む太陽は皆まで言わずに仲間たちの顔を見回した。全員覚悟を決めた精悍な顔つきをしている。今日まで高め合ってきたのだ。一回戦なんかで負けるわけにはいかない。
「絶対勝つぞー!」
「「「おぉー!」」」
太陽の音頭で士気を高め、男子十一名はグラウンドへ足を向けた。他のクラスメイトは、体育館で女子のバスケが同時進行で行われているためそちらを見に行ったり、次の種目の準備などで散っていく。一部の女子はグラウンドに残り、コートの反対側に設置されたテント下の応援席に収まった。
杜都高校のグラウンドは広く、サッカーコートはなんと二面もあり、少し遠くの方からも笛の音が鳴っているのが聞こえる。
教室のベランダに双眼鏡を持った須賀川が立っているのも見え、希は呆れて半笑いを浮かべた。
六月末の怪しい雲が空を覆っているが、幸いにも雨は降っていない。外での球技はサッカーだけのため、今のうちにと試合が始まる。
一試合十分ハーフの短縮版で早期決戦となっているが、経験者がいるチームとそうでないチームではっきりと力関係が分かれてしまう。
三組は運動神経の良い生徒が集まっていることあり、経験者の太陽を中心に終始攻め通し、一回戦は危なげもなく勝利を収めた。
四組も当然のように一回戦、二回戦と突破してきたため、決勝は太陽の予想通り、須賀川率いる四組との対戦となった。
コートが二面あるとはいえ三年まで含めるとクラスの総数は十八個もあるため、試合間隔がかなり空き、決勝は十二時過ぎとなっている。
「みんなー、OBの人からの差し入れって実行委委員が配ってた!」
決勝の開始を待つ間、教室で待機していた太陽たちのもとに、クラスメイトの男子がスポーツドリンクを手にやってきた。
「持てる分だけだけど。はい、晴山君の分。はいザッキー、クロちゃんも」
「サンキュー」
太陽はキンキンに冷えたスポドリを受け取ると、緩くなる前にと勢いよくボトルに口をつけた。直前まで氷水に入っていた冷たい水分が疲れた体に力を与える。
「ぷはー!」
一気に半分も飲み干してしまった太陽は「飲みすぎた」と反省して残りは試合後にと、蓋を閉める。
その一連の動作を差し入れを持ってきた男子は心配するような、罪悪感を抱いているかのような表情で見つめていたが、太陽はその視線に気づくことなく、
「女子のバスケ応援しに行こうぜ! そろそろ二回戦だろ」
と周りの男子たちを連れ立って体育館へと赴くため腰をあげた。
三組の女子は、桜庭の長身を生かし一回戦を余裕で勝ち越した。この二回戦にも勝てれば、三組の勝利条件へ大きく近づく大事な試合だ。
「晴山、どこに行くんだ?」
「スト男……」
体育館へ向かう途中、OBからの差し入れを配給している須賀川に呼び止められた。
「その手に持ってるの、先輩からの差し入れか?」
「そうだぞ。めっちゃ冷えてて美味かった」
「……そうだよなぁ」
「ん?」
太陽が手に持っている飲みかけのボトルに目をやった須賀川は、太陽がそれを飲んでいることを確認し、顔が引き攣るほどの笑みを浮かべた。口裂け女も真っ青になる程口角が上がり、キレのあるクールな顔が悪魔のように歪んでいる。
「今日は暑いから、ちゃんと水分は取るんだぞ。くっくっく……」
不気味な笑みを浮かべる気持ちの悪い須賀川に若干引きつつ、太陽はクラスメイトを追って体育館へと向かった。




