1話 我利 異世界に立つ
地面に叩きつけられるようにして、我利は目を覚ました。
目の前には、青空。周囲はなだらかな草原が広がり、ところどころに大きな岩や、ぽつんとした木々が見える。
「……着いたのか?」
恐る恐る体を起こす。どうやら骨は折れていない。
右手には、女神にもらった**神器**がしっかり握られていた。
(まず、持ち物確認だ……)
我利はサラリーマン時代に培ったマニュアル思考を全力で発動させた。
ポケットを探ると、出てきたのは小さなメモ帳。表紙にはボールペンで力強くこう書かれている。
《騙されないための心得》
転生前、夜なべして作った、自作マニュアルだ。
少し心が落ち着く。
(持ち物は……しゃもじと、メモ帳。それだけか)
次にやるべきは、安全確保だ。
(ここがどんな世界か分からない。まずは拠点を――)
周囲を見渡す。少し離れたところに、古びた石造りの小屋が見えた。
我利は警戒しながらしゃもじを杖代わりにして、慎重に近づく。
小屋はボロボロだったが、人の気配はない。誰かが最近使った様子もない。
入口近くの地面にしゃもじを差し入れ、そっと内部をかき混ぜる。
(よし、トラップもなさそうだ)
我利は小屋に入った。屋根こそ抜けているが、四方は囲まれ、隠れるには十分だった。
(よし……ここを仮拠点にしよう)
持ち物と拠点を確保したことで、次は情報収集。
しかし、今はまだ周囲に人影もない。
(こういうときこそ、支給されたアイテムを試す……!)
我利は、神器をまじまじと見つめた。
白く輝くそのしゃもじを、近くに転がっていた小石の上にそっと差し出す。
すると――
「……うおっ」
小石から、薄い光の粒がふわっとしゃもじに吸い込まれた。
しゃもじの先端が、かすかに光る。
(これは……魔力?)
すくった石自体は変わらないが、しゃもじは"石に宿っていた魔力"だけを吸収したらしい。
つまり――
このしゃもじは、物理だけじゃなく、“見えない要素”をすくうことができるのだ。
「これ……すごいかもしれない」
我利はしゃもじを見つめながら小声でつぶやいた。
同時に、しゃもじの柄の部分に小さな刻印が浮かび上がったのを見つけた。
そこには、細かくこう記されていた。
《しゃもじの極意――
世界に満ちるもの、全てはすくえる。
ただし、何をすくったかは自己判断せよ。》
(……不親切だな!)
心の中でツッコミながらも、我利は理解した。
この神器、**「何をすくったかは自分で見極めろ」**という仕様なのだ。
つまり、慎重に使わなければ、自爆する可能性もある。
(……なんか、俺の人生そのままだな)
乾いた笑いが漏れる。
だが、少なくとも。
このしゃもじと、自分の地味な社会人経験を駆使すれば――
この異世界で、きっと生き延びることができる。
我利は深呼吸し、改めて立ち上がった。
「よし。次は、人間と接触だな」
そうつぶやきながら、彼はしゃもじを腰に差し、草原の向こうに広がる村らしき影を目指して歩き出した。
冴えないサラリーマン、寿篠我利。
彼の、慎重すぎる異世界冒険が、静かに幕を開けた。
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