第9話 裁きの鉄拳
グラム一家の親分、ロッソ・グラムは脂汗を浮かべながら、なんとか冷静さを保とうとしていた。だが、その努力は目の前の光景によって揺らぐばかりだった。
荒くれ者で腕自慢の息子が、まるで赤子の手をひねるように倒される。その相手は、鉄パイプを片手に持つ少年。人間とは思えぬ異質な風格をまとったその姿は、まるで化け物のように見えた。
「な……なんだ、話ってのは?」
親分は喉を鳴らしながら問いかける。
「いやね、最初はアンタんとこのルーベを痛めつけちまって、申し訳ないって話だったのさ。ただ、先に手を出したのはアイツだし、所詮ヤクザ者だ。目くじら立てずに水に流してくれねえかって頼みに来たんだが……たった今、アンタの息子の骨を折っちまった。さて、どう落とし前をつけりゃいい?」
弾九郎は淡々とした口調で言い放つ。その場の空気が凍りついた。
「お……落とし前って……そんな……」
親分の喉がひくりと震える。頭の中では猛烈な速度で計算が働いていた。目の前の男と事を構えたら、厄介なことになる。いや、最悪の場合、ここで命を落とすかもしれない。ならば……。
「……わかった。ダンクロ、と言ったな。お前のしたことは全部忘れる。お前とグラム一家に遺恨はナシだ。これでいいか?」
「ああ、さすが街を仕切る大親分だ。話が早くて助かるよ」
弾九郎の口元が、わずかに歪む。それが笑みなのかどうかは、誰にもわからなかった。
「ま、まあ……ルッソの奴も最近調子に乗ってたからな。いい薬になっただろう」
「アイツは鍛えりゃモノになるぞ。一流にしたいなら、腕のいい師匠をつけてやるんだな」
「お、おう……わかった。ありがとよ」
「さて、次はヴァロッタの落とし前だ」
弾九郎が口にした瞬間、場の空気がさらに重くなる。
ヴァロッタはその言葉にハッとして我に返った。さっきまで呆然と事の成り行きを見ていたが、矛先が自分に向いたことで、居心地の悪さを感じた。
「親分、ルッカの坊ちゃんじゃ話しづらいだろ? 俺が間に入ってもいいかい?」
「あ、ああ、頼む」
親分はしぶしぶ頷いた。ヴァロッタは肩をすくめ、弾九郎に向き直る。
「坊ちゃん。こいつが坊ちゃんの女房を寝取って、その上で坊ちゃんを痛めつけたって聞いたんだけど……本当かい?」
ルッカは全身を震わせながらも、その目には怒りの炎が宿っていた。
「そ、そうだ! こいつがミーユを誑かして……ボクを……!」
「そうか……そりゃ許せねえな。で、坊ちゃんはこいつをどうしたい?」
「こ、殺してやりたい! ぶっ殺して、グチャグチャにしてやりたいよぉ!」
ルッカの声が震えながらも、確かな殺意を帯びていた。
「なるほどな。その気持ちは痛いほどわかる」
弾九郎はゆっくりと頷いた。その目は、獲物を見定める獣のように鋭く光っている。
二人のやり取りを聞いていたヴァロッタは、さすがに不安になったのか口を挟んだ。
「お、おい弾九郎、一体どうするつもりだ? まさか本当に俺を殺す気じ──」
そう言いかけた瞬間、視界が弾ける。話の途中だが、弾九郎の右ストレートがヴァロッタの頬を撃ち抜いた。
ヴァロッタの身体は弧を描くように宙を舞い、派手に床へ叩きつけられた。二度、三度と転がったあと、ぴくりとも動かない。口元から泡を吹き、目は虚ろに白目を剥いていた。
周囲の空気が凍りつく。弾九郎の意味不明な行動に親分もルッカも息を呑み、ゴクリと喉を鳴らす。
「でもな坊ちゃん。さすがに殺すってのはやりすぎだ。だから俺が坊ちゃんの代わりに、奴をブン殴ってやったよ。アイツ、しばらく固いモンは食えねえ。きっと頬が痛むたびに、坊ちゃんのことを思い出すぜ。だから、これで勘弁してやってくれないか?」
弾九郎のあまりにも豪快で一方的な裁定に、親分もルッカも開いた口がふさがらない。呆然とヴァロッタの意識のない姿を見つめるしかなかった。
「わ、わかったよ……それで許してやるよ……」
「さすがはグラム家の御曹司だ。器がでかい。これで話はまとまったな。じゃあ、俺たちは引き揚げるとしよう」
弾九郎はそう言いながら、ヴァロッタを片手で軽々と担ぎ上げた。まるで空になった麻袋でも持ち上げるような仕草だった。
「ま、待ってくれ! ダンクロ!」
呆然としていた親分が、我に返り、慌てて声をかける。
「あ、アンタ、一体何者なんだ?」
「別に……ただの来栖弾九郎だ」
「そ、そうか……ならダンクロ、ウチに来ないか? 客分として迎える。金だって、しこたま払うぞ!」
「へぇ、悪くない話だな……けど、やめとくよ」
「な、なんでだ!? 金も女も欲しいものは全部手に入るぞ!」
「ヤクザは嫌いなんだ」
それだけ言い残し、弾九郎はヴァロッタを担いで夜の闇に消えていった。
*
「このや……あれ?」
鈍い痛みと共に意識が浮上する。ヴァロッタは重たい瞼を開け、ぼんやりとした視界の中で周囲を見渡した。木造りの天井、かすかに染み付いた酒と煙草の匂い──ここは鉄鎖団のアジト。自分がベッドに横たわっていることに気づき、上体を起こそうとするが、全身が鉛のように重い。団員たちが囲むように立ち、心配そうにこちらを見つめていた。
「お、おい……どうなってんだ、こりゃ?」
ヴァロッタは痛む頬をさすりながら問うた。殴られた覚えがある。しかし、昨夜の記憶がところどころ曖昧だ。
ボラーが気まずそうに視線をそらしながら答える。
「あ、あのよ……弾九郎の奴が夜中にお頭を担いできたんだ。何があったって聞いても、『落とし前を付けただけだ』って、それしか言わねえ」
「……弾九郎はどこにいる?」
「さっきまでその辺で寝てたんだけど、いつの間にかいなくなっちまった」
「くそっ……まんまとやられちまったぜ……」
ヴァロッタは舌打ちし、拳を軽く握る。よく覚えていないが、弾九郎にしてやられたことだけはなんとなく覚えている。そんな思いが胸をよぎったが、考えても仕方ない。肩を回しながらため息をついた、その時だった。
ギィ、と木製の扉が軋む音がした。入口の向こうに立っていたのは、見慣れた顔だった。
「なんだ、ルーベじゃねえか」
ヴァロッタは片眉を上げる。
「昨日の続きをしに来たのか?」
「いやいや違うよ、ヴァロッタの兄貴!」
ルーベは両手に包みを抱え、にこやかに笑った。
「親分に言われて、肉と酒を持ってきたんだ。兄貴の見舞いにね」
「……へ? グラムの親分が?」
「ああ、昨日の一件でグラム一家と鉄鎖団は手打ちってことで話がまとまったんだろ? だからこれは友好の証さ」
ヴァロッタはぽかんと口を開けたまま、しばしの間言葉を失った。昨日の一件──? 確かに弾九郎と二人で殴り込みはした。だが、いつの間にそんな話になった?
「そうか……手打ちになったんだっけ?」
記憶を掘り返すが、まったく思い出せない。
「ま、いいか」
細かいことは後回しだ。それよりも、目の前にある酒と肉が優先だった。ヴァロッタが肩をすくめると、団員たちも次第に笑みを取り戻し、にわかに活気づく。
「おい、せっかくの友好の証だ、ありがたくいただこうじゃねえか!」
「いいねえ、朝っぱらから酒盛りといこうぜ!」
鉄鎖団の面々は声を上げ、ルーベと共に酒を酌み交わす。昨夜のことなど、今はもうどうでもよかった。喉を潤し、肉を頬張り、仲間と笑い合う──そんな時間こそが、何よりも大事なのだから。
「ア、アゴが痛くて肉が噛めねぇ……」
お読みくださり、ありがとうございました。
ミーユは、元娼婦として働いていた過去があり、ルッカに見初められて結婚しました。
そして、ヴァロッタはその過去を知るかつての客。
今回の騒動は、そんな彼らの因縁が呼び起こしたものでした。
次回もまた「異界戦国ダンクルス」をお楽しみください。