第5話 一閃の裁定
「そこで俺は言ってやったんだ──テメェの女房は『旦那じゃ物足りない』ってなぁ!」
酒場に下卑た笑いが渦巻く。
その中心で酒をあおるのは、鉄鎖団の長、ヴァロッタ・ボーグ。
「それでお頭! そいつ、どうしたんです?」
「おう、狂ったように殴りかかってきやがったからよ……返り討ちにしてやったぜ。グラム一家の若だか何だか知らねえが、俺にケンカ売るのは千年早えってな!」
ごうっと歓声が上がる。
「けっ、口ばっか達者なカスがよ、こっちはしっかり楽しませてもらったぜ!」
「そういやお頭、その女房っての、泣いてすがってきたって?」
「おうよ! 亭主が役立たずすぎて、寂しくて堪らねえってな!」
再び、場がどっと沸く。
「だがまァ、あの若も根性はあったぜ。ボコられてる最中も俺を殺すだの何だの息巻いてたからよ。ま、どうせまた親父にでも……」
ヴァロッタの話がまだ終わらぬうちに、酒場の扉が荒々しく開いた。
「うるせぇぞテメェら! 今俺の話の途中だろうがよ!」
駆け込んできたのは、さきほど弾九郎から逃げ出した鉄鎖団の子分たちだった。
「た、大変だお頭! ボラーの兄貴が!」
「あん? ボラーがどうしたって?」
「よ、よくわかんねえ小僧にぶちのめされて……」
「はぁ? なに言ってんだ。ボラーならそこに突っ立ってんじゃねえか」
子分たちが振り返る。
入口には、ボラーが立っていた。
「ここがオマエらの根城か?」
「そ、そうだ……」
低く響く声。
ボラーの身体が、力なく横に押しのけられる。
現れたのは、まだ年端も行かぬ少年。
「なんだ、この小僧は?」
ヴァロッタが鋭い目つきで睨みつけるが、少年は意にも介さず、ぐるりと店内を見渡した。
「どうやらお前が頭のようだな。ずいぶんと若い」
「はぁ? ナニ言ってんだこのガキ!」
ヴァロッタが立ち上がろうとした、その時──。
酒場の扉が、再び開く。
数人の影が、ぞろりと店内へ踏み込んだ。
「鉄鎖団のヴァロッタってのはどいつだ?」
先頭に立つ男が吼えた。
筋肉で盛り上がった体躯、タワシのような髭、睨みつけるだけで相手を震え上がらせる威圧感。
──こいつらは別口か? 鉄鎖団とはあちこちに敵がいるようだな。
弾九郎は、そう察する。
「なんだオマエら? こっちは今取り込み中なんだよ」
「俺は鉄髭のルーベ。この辺じゃあちったぁ名が知れてる」
「……知らねぇなぁ」
ヴァロッタが挑発すると、ルーベの眉がぴくりと動いた。
「お前がウチの若を可愛がってくれたヴァロッタか。今日は俺がテメエを叩き潰してやる。覚悟しやがれ!」
「若……ああ、あの青瓢箪か。俺はそいつの女房が寂しがってたから、相手してやっただけだぜ」
ヴァロッタが肩をすくめる。
「街を仕切るグラム一家の嫁に手を出すたぁ、良い度胸だな。親分が、バラバラにしてでも連れてこいってよ」
凄むルーベ。
しかし、その前に弾九郎が立ちはだかった。
「ルーベと言ったな。この男と話をしていたのは俺が先だ」
「な、なんだとこのガキが!!」
ルーベの顔が怒りで赤く染まる。だが、弾九郎は一歩も引かない。
「こっちの話はすぐ終わる。その後は好きにしろ。ただ、お前とお前の手下では、その男には到底敵わんぞ」
「なっ、なにぃ!!」
怒り狂ったルーベが拳を振り上げる。
だが──その手は、次の瞬間には弾九郎の掌の中にあった。
「ぐっ……!?」
重い音とともに、ルーベの身体が崩れ落ちる。
膝から崩れ、片腕を痛々しく吊ったまま悶えた。
「な、なにしやがった!」
「いくら膂力があろうと、力の流れが見えぬ者は俺に勝てん」
弾九郎の口調は淡々としていた。
ルーベが叫ぶ。
「おい! 見てねえでコイツをやっちまえ!」
手下たちが一斉に飛びかかる。
だが──。
一瞬。
本当に、一瞬の出来事だった。
床に転がる四人の男たち。喉を潰され、顎を砕かれ、鎖骨を折られていた。
そして肩を外され、無惨な姿を晒すルーベが、地面を転げ回る。
「だから、少しだけ待てばよかったのだ」
弾九郎は埃を払う。
ヴァロッタは思わず息を飲んだ。
「お、お前……一体何者だ?」
「何者でもない。ただの来栖弾九郎だ」
弾九郎はボラーを一瞥する。
「さっきボラーを痛めつけた。これを恨んでカタギに迷惑をかけられちゃ困るからな。親分のお前と話を付けたい」
「痛めつけたって……」
「ボラーが街の者に狼藉を働いたから懲らしめた。これはお前の指示か?」
「い、いや。俺はそんなこと言ってない」
「では落とし前はどう付ける?」
「落とし前って……」
「簡単なことだ。ここでお前が水に流すなら、それで終わり」
「……流さなければ?」
ヴァロッタは、喉を鳴らした。
なぜか、背中に冷たい汗が流れる。
「そうだな……面倒にはしたくないからな……殺すか……」
その言葉に、ヴァロッタは身震いした。
チンピラが挨拶程度に口にする「殺す」。この一言に、いつもとは違う──本物の死の匂いがあった。
「あ、ああ……話を聞く限りじゃこっちに非があるみてえだな。わかった。今回は水に流すってことでいいぜ。どうせボラーの奴が余計なことを仕出かしたんだろ? そうに決まってる!」
「そうだな。ボラーは、か弱い少女から剣を奪った」
「な、なにぃ! ボラー! テメェなんて事しやがるんだ! ウチは品行方正な傭兵団として売ってるんだ! 評判を落とすようなマネはすんじゃねぇ!」
ヴァロッタは、ボラーを殴りつけた。
「こういうことなんで、手打ちってことでいいか?」
「……そうだな」
弾九郎はのたうつルーベの腕を掴み、肩を戻してやる。
「おい、ルーベ。俺の話は終わった。次はお前の番だ」
「ひっ、ひいいい!」
ルーベは悲鳴を上げ、這うようにして酒場を飛び出す。
手下たちも負傷者を抱えて、蜘蛛の子を散らすように逃げていった。
お読みくださり、ありがとうございました。
今回の舞台となった酒場は、西部劇のような乾いた空気感と荒くれ者たちのたまり場をイメージしています。
鉄鎖団は、そんな酒場を好き勝手に根城としており、無法者らしい日々を送っています。
弾九郎とヴァロッタの衝突──まだまだこの出会いは、物語の序章にすぎません。
次回もまた「異界戦国ダンクルス」をお楽しみください。