第3話 拾われた男
目覚めたのは見知らぬ部屋。
レンガ造りの壁。小さな窓から差し込む淡い光。室内は薄暗く、雑然としている。壁には大小さまざまな道具が並び、一角では赤々と炎炉が燃えていた。その前で一人の男が背を向け、槌音を響かせている。
見覚えはないが、ここが鍛冶場であることはすぐにわかった。
男はゆっくりと身を起こす。喉がひりつくように痛む。枕元の水桶には澄んだ水。それを一気に飲み干した。
「ぷはぁ……」
大きく息をつくと、槌音が止まった。
「起きたか……それにしても、こんなやかましい部屋でよく寝ていられたな」
鍛冶師は鎧のように厚い筋肉を持ち、顔の半分を白髭に覆われている。六十は超えているだろう。
「ここは……?」
「ここか? 儂の家で、仕事場だ。お前さんが寝ているのは儂の寝台」
「そうか……どうして俺はここに?」
「儂の孫が拾ったんだ。昨日、お前さんが倒れているのをマクドゥダの森で見つけたからな。馬車で運んでやったのは儂だ」
「森……」
男は首をひねる。昨日の記憶は朧げで、なぜそんな場所にいたのか、どうして倒れていたのか、まったく思い出せない。
ただ、一つだけはっきりしていることがある。
「俺は……たしか死んだはずだ……」
「死んだ? どう見ても生きているようにしか見えんがな」
「ここは……あの世なのか?」
鍛冶師は不思議そうに首をかしげる。
「儂は死んだことがないから、あの世がどんな場所かは知らんが、少なくともここは違うと思うぞ」
男は答えず、自分の手のひらをじっと見つめている。
「まあ、そんなことはどうでもいい。もうすぐ昼だ。腹が減っているだろう? ミリアが、お前さんの分の飯も用意している。話の続きは、それを食ってからにしよう」
「ミリア……?」
「儂の孫娘だ。お前さんの拾い主さ」
「そうか……世話になった。礼を言いたいが、ミリア殿はどこに?」
「お使いで出かけている。日暮れには帰るさ。それより、儂はトルグラス。見ての通り鍛冶師だ。それで、お前さんの名前は?」
そう訊ねながら、トルグラスは棚から昼食を取り出し、テーブルに置いた。
「俺か……俺の名は……弾九郎。来栖……弾九郎だ」
「ダンクロー? 変わった名前だな。──それでお前さん、自分がどこから来たのかまったく覚えていないのかい?」
豆のスープと石のように固いパンを乗せた食器を弾九郎の前に突きだし、トルグラスがさらに問う。
「いや、最後にいた場所は覚えている。近江の高野という村だ。病にかかった俺は、そこのあばら家で死んだはず……」
「オウミ? タカノ? そんな場所は聞いたことがないな。それに病と言うが、儂にはすこぶる元気そうに見えるがね」
「おかしなことはまだある。俺の腕には五寸ほどの刀傷があったのだが、それがない。手のシワも、肌もまるで違う……トルグラス殿、お主から見て俺はいくつくらいに見える?」
不思議な質問だ。自分の年齢を他人に聞くとは。
「儂の目には、ミリアと同じぐらい……十四か十五ほどに見えるな」
弾九郎はその答えに頭を抱えた。あまりにも不可解すぎて、理解が追いつかない。
「俺は……四十四歳だった……なのに……十四、五歳とは……」
困惑する弾九郎を慰めるように、トルグラスが言う。
「三十も若返ったのなら、喜ぶものだがな。少なくとも儂なら大喜びする」
「しかし、何の由縁もわからぬままでは……」
「儂はただの鍛冶師で、世間のことはよく知らんが、何年かに一人、別の世界からやって来る者がいるという噂を聞いたことがある。もしかしたらお前さんは、それかもしれんな」
「別の世界?」
「この世のことをなにも知らず、聞いたこともない土地や人物の話ばかりするそうだ。今のお前さんみたいに」
トルグラスの突飛な話に、弾九郎は目を丸くする。しかし、自分が別の世界から来たとすれば、辻褄は合う。年齢の件を除けば。
「別の世界……俺は別の世から来た……? それでは、ここには日の本も唐も天竺も、イスパニアもルソンもシャムも無いのか?」
弾九郎は思いつく限りの国名を並べるが、トルグラスにとってはどれも聞き慣れないものだった。
「ここはアヴ・ドベッグの王都・キルダホだ。儂は生まれてこの方、六十年以上もこの街に住んでいるが、お前さんの言う場所から来た者など、聞いたこともない」
ただ呆然とするしかない。戦国の世を生きた日本人・来栖弾九郎にとって、自分の知るこの世のほかに別の世界があるなど、想像の範疇をはるかに超えていた。
「何という……」
弾九郎が絶句した瞬間、部屋の扉が勢いよく開かれた。
一人の婦人が飛び込んでくる。
「トルグラスさん!! ミリアちゃんが大変だよ!!」
お読みくださり、ありがとうございました。
この世界の庶民の主食はパンですが、地域によっては米や雑穀を食べているところもあります。
弾九郎がいるアイハルツ地方は、わりとパン派の地域ですね。
異界で目覚めた男と、彼を拾った鍛冶師と孫娘──彼らの出会いが、やがて大きな運命を動かしていきます。
次回もまた「異界戦国ダンクルス」をお楽しみください。