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異界戦国ダンクルス  作者: 蒼了一
ヤドックラディ激突編

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第169話 鉄の脱出行

 老将アイゼル・パガニンは、最後の瞬間にこそ、その真価を見せた。


 四方から押し寄せる敵の波。砕けた装甲が宙を舞い、地鳴りのような咆哮と爆音が戦場を満たす中、彼の声だけは不思議と澄んで響いていた。


「退くな! 怯むな!」


 シュカリラ軍の突撃には目をくれず、アイゼルは冷徹に戦場を見極める。

 包囲を完成させつつある貴族連合の陣形。その一角──重装の一団の動きが鈍い。

 その一点を見つめていた老将の瞳が、獣のように鋭く光った。


「五時の方角! 全軍突撃! 死を恐れるな!」


 その怒号とともに、ヤドックラディ正規軍の残存兵が一斉に吶喊した。

 それは戦術でも戦略でもない。ただ、魂の奔流のままに駆ける。

 命を賭してでもニスビーへ帰還するため。それだけが、この瞬間の全て。


 貴族連合の防壁が裂ける。火花が夜空のように散り、鋼と鋼がぶつかる音が大地を震わせた。

 オウガ同士の衝突。巨体が倒れ、地面が沈むたび、兵の悲鳴が響く。

 それでも、誰一人として足を止めなかった。


 七百のうち、五百がその場に散った。だが、残る二百のオウガが、血と煙の中から這い出すようにして脱出に成功する。

 通常ならば、三割を欠けば軍は瓦解する。

 だが、アイゼルの兵は違った。八割が倒れても、なお陣を乱さぬ鉄の集団。

 それは鍛錬の賜であり、何より、老将への絶対的な信頼の証だった。


 アイゼルは背後で散る兵たちの声を、ひとつひとつ心に刻みながら、歯を食いしばった。

 仲間の叫び、友の名、砕ける音。すべてを飲み込み、彼はなお前を見据える。


 ──これが、我が軍だ。

 ──これが、俺の教えた戦いだ。


 最後の脱出を果たしたとき、アイゼルのオウガの右腕はすでに失われ、装甲は火を噴いていた。

 それでも、その顔に浮かんでいたのは恐怖ではなく、ただ静かな誇り。


 誰よりも戦場を知り、誰よりも戦場に生きた男の、最期の誇りであった。


 *


「──アイゼル将軍を取り逃がしただと!!」


 怒号が作戦本部の幕舎を震わせた。

 天井から下がっているランプの明かりが、壁布に不規則な影を作る。

 その中央で、カーツ・ゴーレイは拳を机に叩きつけた。

 地図の上に立てられた駒が跳ね、いくつかが転がり落ちる。


 彼の怒りは単なる失策への苛立ちではなかった。

 ──完璧な包囲……。

 七百の敵を、一千六百四十のオウガで囲んだ。

 逃げ道など、どこにもなかったはずだ。


「何故だ……なぜ取り逃がす……!」


 声が震えていた。怒りと失望、そしてわずかな恐怖。

 彼の中で、戦の均衡が音を立てて崩れる気配がした。

 幕舎の外では、勝利を祝う兵たちの歓声が遠くで響いている。

 それがかえって彼の神経を逆撫でした。


「……やはり、貴族連合はどこまで行っても貴族か……」


 詰めの甘さ、手ぬるさに怒りを抑えつつ、カーツはゆっくりと腰を下ろし、深く息を吐いた。

 唇に微かな笑み──しかしそれは自嘲に過ぎない。


 彼らは強者でありながら、群れとして動く術を知らない。

 誰もが己の領地を、己の面子を、己の家名を優先する。

 戦場においてすら、勝利よりも誇りを守るのが貴族だ。


 彼の脳裏に、撤退を指揮するアイゼルの姿が浮かぶ。

 老いてなお、戦場を支配するその眼光。


 ──左将軍を逃したのは、痛い。


 ダーシャ・ザーニの努力は認めていた。

 彼女が総帥に就いてから、貴族連合は確かに変わった。

 統率も、連携も、以前に比べれば格段に整っている。

 それでも、根は貴族。

 最後の瞬間に必要な「決断の冷徹さ」が、どうしても欠けている。


 カーツは指先で机をなぞった。血の跡がついている。

 戦場を駆け抜けた副官の報告書が、汗と泥で歪んでいた。

 戦の余韻がまだ幕舎の空気に残っている。鉄の匂い、焦げた匂い、そして失態の匂い。


「追撃部隊を出しましょう。どうせ行き先は、わかっているのですから」


 マルフレア・フォーセインは、まるで茶会の延長のような静けさで言った。

 戦場を見下ろす指揮台の幕舎には、血と煙の匂いがまだ漂っている。

 だが彼女の手には、銀縁のティーカップ。

 琥珀色の液面がわずかに揺れ、遠くで鳴る金属音が波紋を作った。


「──ツェット将軍、お願いします」


 その声は冷たくも澄んでいて、戦の疲弊など微塵も感じさせなかった。

 おそらく、こうなることを最初から計算していたのだろう。

 敗残兵の逃走経路、追撃の時機、兵力の再配置。

 すべて、マルフレアの掌の上で踊っている。


 目的は明白だった。

 ──逃げた敵を壊滅に追い込み、ニスビーに先着すること。

 そして、ヤドックラディの国王、バート・ゴーレイを捕らえる。

 それが、この戦いの最終目標であり、最大の功績となる。


 ゆえに、その部隊の人選には軍略だけでなく政治が絡む。

 誰が旗を立て、誰が功を得るか。

 その一点が、戦後の勢力地図を決めるからだ。


 マルフレアは淡々と命じる。


「追撃部隊、総数三百。──ヤマト、シュカリラ、貴族連合、各陣営より百ずつ」


 その声を聞きながら、ツェットはわずかに眉を上げた。

 均等──それは公平を装った冷徹な計算。

 功績を独占させず、同時に責任も分散させる。

 どの勢力も文句を言えぬように、そして誰も逃れられぬように。


 ヤマトからは、ツェット・リーンが百を率いる。

 その中には、ラバス親衛隊の精鋭三十機が含まれていた。

 血と油にまみれたオウガたちが、戦場の風を背に再び動き出す。


 シュカリラからは、キリア・リュッケが選ばれた。

 しなやかな指先でレイピアの柄を撫でながら、彼女は微笑んだ。

 かつてレンディック帝国の将であった彼女にとって、追撃戦はお手の物である。


 貴族連合からは、セナ・アシュレー。

 白銀の甲冑に泥がついているのも気にせず、冷静にうなずく。

 ダーシャに次ぐ家格。彼女が率いれば、貴族たちも従うしかない。


「敵が脱出して一時間あまり。今すぐ出なさい。隊列は移動しながら整えるのです」


 マルフレアの声は、まるで劇の幕を開ける合図のようだった。

 ツェットは苦笑を浮かべ、兜を被る。


「……相変わらず容赦がないな、軍師殿は。なあ、セーラちゃん」

「その名は止めてください、ツェット将軍。今はセナですから……」


 彼女たちの背に、ラグナ、エスカ、ファノナが続く。

 風が舞い上がり、焦げた大地を滑るようにオウガの群れが動き出す。

 地を蹴る振動が、まるで新たな心臓の鼓動のように戦場に響いた。


 先頭をゆくのはツェット。

 次にキリアが翼のように広がり、最後尾にセナが陣を整える。

 三人の女将軍が、それぞれの矜持と覚悟を胸に、沈みゆく太陽へと進軍していく。


 ──この戦の終わりを告げる最後の幕は、静かに、しかし確実に上がろうとしていた。


 *


 戦場に散らばるオウガの残骸が、夕日を浴びて赤く光っていた。鉄と血の匂いがまだ夜気に混じる中、整備兵たちが無言で作業を続ける。腕を失った装甲、炭化した装甲板──それら一つひとつを丁寧に回収しながら、彼らは戦の終わりをようやく実感していた。


 やがて、ヤマト連合軍の全回収作業が完了すると、再び陣に号令が響く。各軍は配置を組み直し、追撃部隊を追う形でニスビーへの進軍を開始することとなった。

 陣容は、貴族連合七百、シュカリラ五百五十、ヤマト四百五十──合わせて一千七百の大軍。その先に、すでに三百の追撃部隊が走っている。全軍を合わせれば二千。夜の平原を埋め尽くす影の波だった。


 弾九郎はダンクルスに乗ったまま、ゆるやかに首を傾けた。視界の先、黒く沈む地平線の向こうに、逃げたアイゼルの残党がいる。


 ──最後の仕上げだ。


 胸の奥でそう呟くと、再び灯りの消えたラバスの地を振り返った。そこには、戦場の後始末を担うタレス・バーネットとクラット・ランティスが残る。彼らが守るのは勝利の証、焼けた地と無数の残骸だ。誰かが後を任ねばならない。

 だから、進む者と、留まる者がいる。


 出発の太鼓が低く夜空を震わせた。

 風が、焦げた大地の匂いを運ぶ。兵たちの影が月明かりに照らされ、まるで戦場の亡霊が再び歩き出すかのようだった。

 ヤマト連合軍は、静かに──だが確実に、ニスビーへと進撃を開始した。


 *


 追撃部隊がアイゼルの姿を視界に捉えたのは、出発から二時間後のことだった。

 月光の下、平原を裂いて走る二つの群れ──逃げる獣と、それを追う狩人。

 夜気は鋭く張りつめ、風が土を巻き上げる。金属の軋みとブースターの咆哮が交錯し、闇を裂いて流星のようにオウガが駆けた。


 逃げるアイゼル軍は、すでに形を保てていなかった。足の止まった機体は次々と追撃部隊に討ち取られ、爆炎と黒煙を上げながら地に沈む。

 だが、アイゼル・パガニンは振り返らなかった。脱落者を顧みることなく前へ──ただ生き延びるために、冷徹なまでに判断を下し続けた。

 その瞳に宿るのは、敗北ではなく「次への望み」だった。

 まだ終わっていない。まだ、逃げ切れる。

 彼の中で、戦の本能だけが燃えていた。


 やがて五十を超える機体が沈黙したころ、ようやく彼らは狩人の視界から姿を消した。

 しかし夜明けと共に再び、鉄の獣たちは相まみえる。


 朝靄の向こうから射し込む朝日が、戦場を赤金に染めた。

 夜通し逃げ続けたアイゼル軍のオウガは、もはや息絶え絶え。脚部の油が漏れ、装甲は焦げ付き、内部冷却も限界を超えている。

 そんな中で始まった二度目の戦闘は、もはや「戦」ではなく「殺戮」に近かった。

 ブースターの光が閃くたび、爆音と砂塵が交錯し、八十あまりの機体が地に沈む。

 それでもアイゼルは、逃げた。歯を食いしばり、血のような汗を流しながら。

 追撃の終わりが、己の終わりであることを知りながら。


 そして深夜──。


 ニスビーの城壁が遠くに見えたとき、アイゼルの手元に残ったオウガは三十機を切っていた。

お読みくださり、ありがとうございました。


この世界にも時計は存在します。

時間の流れは地球と変わらず、一年は三百六十五日で、四年に一度の閏年があり、夏至や冬至もあります。

ただし、ここは地球ではありません。

時計はガントによって広く配布されており、標準時間も各地の経度に応じて自動的に補正されます。

腕時計も一般的で、兵士であれば標準装備として身につけています。

アイゼルが突撃の方位を時間で指示したのは、戦場で方位角を時間表示で伝える方法が広く普及しているためです。


次回もまた「異界戦国ダンクルス」をお楽しみください。

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