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異界戦国ダンクルス  作者: 蒼了一
シュカリラ編
131/149

第131話 担がれた姫君

 陽はまだ地平線の向こうに沈んだまま。空は群青から紫へとゆるやかに色を変え、夜明けの気配をほんのりと漂わせていた。

 その曙の静けさを切り裂くように、一台のオウガが国境の検問所へと姿を現す。機体の名はガレラン。その上に立つ男の姿は、風にたなびく外套とともに、異国からの旅人としての気配を濃厚に纏っていた。


 彼の名は──いや、少なくとも、名乗っている名前は「シュトルム・デュパン」。


 グリクトモアを午前中に発ち、ひたすら街道を突き進んだメシュードラは、ようやくシュカリラ国境の門を目にした。

 その顔には疲労の色が薄らと見えたが、瞳の奥には迷いのない強い光が宿っていた。


 検問所は、日の出前の静寂に包まれている。だが、待機小屋に詰めていた中年の検問官は、緩慢な動作で椅子から立ち上がると、手元のランタンをかざしてメシュードラに声をかけた。


「へぇ~、あんた、グリシャーロットから来たのか。名前は……シュトルム・デュパン。オウガは……ガレラン、ね」


 慣れた手つきで身分証と通行許可証を受け取り、検問官はどこか面倒そうに目を通す。

 だがその視線は、ときおり書類から顔を上げ、まるで獲物の品定めでもするように、メシュードラをじろじろと観察していた。


「行き先は?」

「スケイグだ」


 言葉少なに答えるメシュードラ。検問官は鼻を鳴らし、片眉を上げて言った。


「ふーん……だったら、この辺で二、三日、時間を潰したらいい」

「なぜだ? 私は急いでいるのだが」


 その声には、焦りを押し殺したような、低く張り詰めた響きがあった。


「やめときなって。スケイグの手前……ケールスのあたりで、戦が始まるって話さ。もう始まってるかもな。巻き込まれて怪我でもしたら馬鹿らしいだろ?」


 検問官の口調は軽い。だがその言葉が意味するものは、重く深い。


「……戦? 一体、誰と誰が?」


 メシュードラの声が、ひときわ鋭くなる。検問官はあっけらかんと肩をすくめた。


「知らないのかい? 姫様と、宰相様の内輪揉めさ。たぶん今日中にはケリがつく。姫様の方が敗けて終わりだろうね」


 瞬間、メシュードラの表情に微かな変化が走った。

 まるで心の奥にひそむ何かを掻き立てられたように、沈黙が一瞬流れる。


「……忠告はありがたいが、その姫に用がある。書類に問題がないなら、通してくれ」


 その言葉は、静かながらも、決然としていた。

 偽名を使い、偽りの書類を携えているにもかかわらず、メシュードラの声音に迷いはなかった。

 提出された証書はグリシャーロット漁業組合が正式に発行した物であり、公式印も押されている。

 実在しない「シュトルム・デュパン」という名を除けば、書類は完璧だった。


 検問官は肩をすくめ、苦笑を漏らす。


「まさかとは思ったけど、あんた、姫様の呼びかけに釣られた助っ人か……? 悪いこと言わねぇ、やめときな。今さら姫様に勝ち目なんかありゃしないさ。そもそも勝てるなら、こんな土壇場で助っ人募ったりしねぇだろ?」


 しかし、メシュードラは首を横に振った。


「負けるからといって逃げるようでは、騎士の誇りに関わる」


 その言葉に嘘はなかった。

 それが、どれだけ愚かで、報われぬ行為であったとしても。

 守るべきものがあるのならば、騎士は矛を抜く。たとえその果てに敗北と死が待っていようとも。


 ──それが、メシュードラという男の本質だった。


 検問官はあきれ顔で通行証に判を押すと、無言で書類を返した。

 メシュードラは軽く礼をすると、再び機体に乗り込む。


 黎明の空が、わずかに朱を帯び始めていた。

 ガレランが唸りを上げ、地を蹴って加速する。

 その姿は、まるで夜明けとともに走り出す意志そのもののように、まっすぐにケールスへの道を駆けていった。


 ──姫を救うために。

 ──騎士としての誇りを、貫くために。


 *


 ケールスが近づくにつれ、空気が変わっていった。

 湿った草の匂いの奥に、鉄と汗が混ざったような、鈍く重たい気配が立ち込めている。

 風が運ぶのは、遠くから聞こえる鬨の声。間を置かず、金属がぶつかる硬質な音──甲殻を叩き割るような、鈍く、鋭い衝突音が、じわじわと耳に迫ってきた。


 ──始まっているな。


 メシュードラはそう思いながら、ガレランの足を速める。

 草の生い茂った斜面を踏みしめる一歩一歩が、地面に確かな震動を伝えた。周囲の鳥たちが驚いて飛び立ち、疎らな木立の隙間から、徐々に戦場が見えてくる。


 うごめく影の群れ。

 それはオウガたちが、格闘を繰り広げる光景だった。

 土煙が上がり、倒れたオウガの装甲が軋む音が響く。投げ飛ばされた機体が斜面を転がり、仲間の足元に崩れ落ちた。

 どちらが優勢かなど、この距離では判然としない。ただ、確かに命のやり取りが行われているのは間違いなかった。


「……急がねば」


 その一言に、焦りと責任の色が滲む。

 迷いはない。だが、胸の奥に圧し掛かる不安を、完全に拭い去ることはできなかった。

 姫は無事だろうか。間に合うのか。何より、自分に何ができるのか──。


 それでも、足は止まらない。

 メシュードラは唇を引き結び、オウガの影が交錯する谷へと進み出した。

 風に揺れる高草の向こうで、戦が彼を待っていた。


 *


「姫! タレラが討たれました! ここは一旦お引きください!」

「そこを退きなさい、ピルム! 正面の敵は私が引き受けます!」


 戦場の只中、シルフィーア・ウォーカーは黄色、青、白の意匠をまとった愛機、エステリアームを操り、泥と血の匂い漂う前線へ踏み出した。

 その巨体は、味方にとっては希望、敵にとっては脅威の象徴だ。この機を倒すことこそが勝利の合図だと知るギャブレク軍は、一斉に雄叫びを上げ、前掛かりに迫る。


「下衆ども……覚悟なさい!」


 スピアがしなり、鋼の穂先が閃いた。振り抜きざまに三機のオウガがのけぞり、土煙とともに後方へ叩き伏せられる。腹部装甲は貫かれ、中の駆動軸や制御盤が露わになって火花を散らす。これほどの損傷を負えば、もはや戦列に戻ることはできない。


「だから言ったろう! エステリアームの正面に立つな、馬鹿者どもが!」


 罵声を飛ばすのは、敵の先陣で采配を振るうギャレン・ウォーカー。シルフィーアの従兄にして、かつて婚約者だった男だ。本来なら王位を継ぎ、彼女を妃とするはずだった。しかし計画は崩れ、今や武力で彼女を排し、王座を奪わんとしている。


「ギャレン! 恥知らずの卑怯者! 私と正々堂々、勝負なさい!」


 エステリアームの槍先が、真っ直ぐギャレンのオウガ、ディクを狙う。だが、その周囲は重装甲の近衛が壁のように固め、大楯で槍筋を逸らす。

 純粋な技量ではシルフィーアが上。だからこそ、ギャレンは決して一騎打ちに応じない。


「卑怯とは辛辣ですな。私と父の行いは、すべて国のため。あなたも王族ならば、国益こそ第一にお考え願いたい」

「黙れ、痴れ者! 大義なきところに国は無い! どれほど言葉を飾ろうと、父を殺めた罪は消えぬ!」


 エステリアームが立て続けに繰り出す刺突と薙ぎ払いが、敵陣の盾を軋ませる。だが、護衛のオウガたちは次々と倒れ、数で押す敵の包囲がじわじわと迫る。

 ついに、ギャレン配下の兵が彼女を拘束せんと間合いを詰め──。


 その瞬間、地鳴りのような衝撃音が戦場を裂いた。

 重装備のオウガが、大木のような衝撃を受け、横へ弾き飛ばされる。土煙が舞い上がり、誰もが一瞬動きを止めた。


「何者だ!!」

「我が名はシュトルム・デュパン。ゆえあってシルフィーア様に御味方いたす!」


 濃灰のオウガ、ガレランが戦場に割り込み、土煙を巻き上げた。両手に握る長剣が、寸分の無駄なく振るわれる。

 狙うはギャレンの近衛──分厚い装甲の隙間を、一撃ごとに正確に突き裂く。鈍重な巨体は、鍛え抜かれた腕前の前では的も同然だった。鋼と鋼が噛み合い、軋む音を残して、次々と敵が膝をつく。

 気づけば、ギャレンとシルフィーアの間には、わずかながらも空白が生まれていた。


「今だ! この機に撤退を!」


 メシュードラの声は、剣戟の響きの中でもはっきりと届いた。

 ここで退けば戦力を立て直せる。戦場の常識では、それが唯一の正しい選択──だが。


「ダメです! 今こそ仇敵を討つ時! この機を逃すわけには参りません!」


 エステリアームがスピアを構え直す。巨躯の足元で土が沈み、今にも突撃せんとする気迫が伝わる。

 その決意を見て、メシュードラは息を吐き、説得を諦めた。


「では──失礼いたす!」


 ガレランの腕が素早く伸び、スピアを奪い取る。そのままエステリアームの胴を抱え上げ、肩に担ぎ上げた。金属の軋みが響く。


「なっ!? 何をする!」

「ここは退く! 姫様の意地で、これ以上どれほどの兵を失うおつもりか!」

「なっ……! 意地ですって!!」


 シルフィーアは巨体に担がれながら憤然と叫ぶが、メシュードラは振り返らず、敵陣に背を向けて全力で駆け出した。

 踏みしめるたびに地が揺れ、後方からの追撃音が遠のいていく。


 *


「助かりました! あのままでは全滅していました!」

「其方は?」

「副官のピルムと申します! もうすぐスケイグの城門です、姫をお頼みします!」


 ピルムの先導のもと、シルフィーア軍は戦場を離脱。鎧に傷と泥をまとい、息を切らしながら、ようやくスケイグ城の影が視界に入った。

 だが安堵の間もなく、胸中にはわかっていた──これは終わりではない。

 次の戦いは、もうすぐそこまで迫っている。

お読みくださり、ありがとうございました。


オウガのような重量物が安全に通過できる地形は意外と少なく、その場所を知っているのは土地の者に限られます。

そのため、通常オウガの移動にはガントロードや街道が利用され、国境には検問所が設けられています。

ただし、国境線そのものは監視が行き届いておらず、土地勘のある者であれば自由に行き来できるのが実情です。

したがって、検問所の役割は外来のオウガを確認する程度にとどまっています。


次回もまた「異界戦国ダンクルス」をお楽しみください。

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